パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

フォーレとは何者か?(宗次ホール)

2014年08月17日 06時05分32秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
今回の夏季休暇、天気がスッキリしない曇天や雨続きで
何処に行く気にもなれなかったが
それでも人並みに一日くらいはと出かけたのが
宗次ホール

しかし、会場に向かう間も天候に合わせたのか
眠たいことしきり
目は覚めて普通の生活はしているのだがどこか夢の中の
できごとのような気がしてならない
名古屋に向かう電車の中で読んだ三島由紀夫の金閣寺も
なんだか夢の中の出来事のよう

JRはいつになく混んでいた
名古屋発はそれなりに混んだりするが豊橋から
こんなに混んだ東海道線を経験したことがない
座る席がないどころか、立ってる人も他の人と触れてしまいそうで
おやすみ最後の土曜日は自分と同じように
どこかに出かけようとしたのだろうか

さて宗次ホール

開場前に行列
「本日のチケットは完売しました」の張り紙が見える
自分は3日ほど前に予約しておいたので購入はできたが
当日券狙いは危なかった
しかし、何故こんなに混んでいたのだろう?
フォーレはそんなに人気作曲家とはいえないのに

この日のテーマはフォーレ
「フォーレとは何者か?」題して彼の一生を曲を混じえながら紹介していく

ラシーヌの雅歌(ピアノ5重奏版)
子守唄(ヴァイオリンとピアノ)
エレジー(チェロとヴァイオリン)
レクイエムから「ピエ・イェス」

後半がピアノ五重奏曲第2番ハ短調 作品115

本当はピアノ5重奏でも1番のほうが聴きたかった
品のいい、フォーレらしい和声で全ての楽章が心地よい
しかし2番は、CDで聴いてもどこかはっきりしない印象

電車の中から眠くて仕方なかったが
なんということ、開場でも結局眠気は抜けず
最初から最後までなんかぼんやりと夢の中での出来事のよう
ひたすら眠い、
ただ時折
フォーレはヴィオラの音色が少なんだろうな
美味しいところをヴィオラに任せたりして

レクイエムは解説者が好きな「ピエ・イェス」より
自分は「楽園にて」のほうが好きだな
そんなことを思いながら聴いていた

とろで皮肉なことなのだが
こうして宗次ホールで気楽に手軽な費用で
生の音楽を聴くことができるのはありがたいのだが
その演奏力、解釈力、説得力というものが
以前聴いた超一流と言われる人々の演奏とはかなり違う
ということが明らかになってしまった

今までは名演奏家の演奏を聴いてもなるほど
と思うくらいだったが
若いまだ成長しきっていない未熟な(?)演奏家のそれを聞くと
いかに名演奏家と言われる人々の演奏が素晴らしかったのかが分かる

曲が自分のものになっているとかなっていない
とかのレベルではなくて
才能の違いというものは残酷なくらい明らかに存在する
そんなことをまたもや感じた一日だった



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