パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「燃えよ剣」を見てきた

2021年10月31日 15時42分06秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

函館駅から10分ほど歩くと土方歳三のお墓がある

いやお墓ではないかもしれない
なぜなら此処には彼の骨も体の一部もないからだ
彼の身体は彼の味方によってどこか知らないところに運ばれた
それは官軍によって見つけられたならば、近藤勇のように人々の前に
見苦しい姿(さらし首)をさらされることを恐れたせいかもしれない
この石のモニュメントの隣には此処が彼の最後の地であったと書かれている


多くの土方歳三のファンがそうであるように自分も彼の足跡を訪ねた
生家はもちろん、会津、函館
そしてこの場所で少しだけ手を合わせた

土方歳三はある日突然やってきた
京都の八木邸の近くの壬生寺にものすごくハンサムな男の写真が飾ってあった
並んでいるのは京都の治安を守るといいながら、少しばかり物騒な新選組の連中だ
その場にふさわしくないほど端正な顔立ちだった
「誰だ、これは?」
最初に思ったのはこのことだった
なぜこんな顔の人物が血なまぐさい出来事に関与したのか?
かれは本当に自分のしたいことをしたのだろうか?
「土方歳三」という名前を深く頭に刻んで、家に帰った

その後、多くの彼のファンがしたように司馬遼太郎の「燃えよ剣」
を読んで、彼の生き様を知ることになった
彼のおおよその生き様はそれでわかった
だが、自分にはしっくり来なかった
あの顔とやってることのアンバランスは、「燃えよ剣」
ではどうしても解決できなかった

だから土方歳三関係の本を読み始めた
島田魁日記とか仲間の発言が残るもの、それから彼を扱ったフィクションも、、
そうするうちに自分なりの彼のイメージができてきた
そのイメージは一本気な男だけではなく、むしろ繊細な神経の自己の中に
美意識をもった極めて人間的な男と思うようになった

確かに彼の生まれ育った地は、徳川から優遇された場所で知らずしらず徳川家への
シンパシーを感じていただろうと思われる
それにその時代は今の時代ほど、個々にいろんな考えが生まれていたとは考えにくい
だが彼は、自分の内なる秩序が何よりも優先する性格だった(と思う)

内なる秩序とは人を管理する方法として、合理的かつ法に基づくものを良しとした
あの評判の悪い「局中法度」は、荒くれ集団をまとめるための現実的な方法として
法による管理を求めたものだと思われる

だが厳しすぎる法は、弊害ももたらした
それは却って現実的な方法ではなくなってしまったかのようだ

かれは時間を重ねるうちに、挫折を味わうに連れて彼本来の柔らかな感性に
よる管理の方法を好むようになった
人は理屈では動かない、、動くのは人間性によるもの、、
そうしたことを彼は感じるようになる
それは彼の発句集(豊玉発句集)で感じられるおおらかな感じに通じつものがある

彼はあの見込みのない戦いの中で、自分たちの素人集団の仲間に向かって
「今日は素人ながらよく戦った
 もっとついでやりたいが明日があるので、、このくらいに」
と一人ひとりに酒をついで周った
人が人のために動くというのは、こうした気遣い、感情の交流がないと駄目だ
と彼は最後に気づいたと思う

今日、映画「燃えよ剣」を見に行った
結果を知ってるだけに、いくらファンと言ってもどこか心が重い
それに一本気に見える性格設定は自分とは違うので
それも進んで見る気にならなかったのかもしれない

映画はこれで時間内に収まるのか?
と思われるほどゆっくりしたペースで進められた
京都に行くところから清河八郎の裏切り、芹沢鴨の暗殺
池田屋事件、山南敬介切腹、伊東甲子太郎との戦い、鳥羽伏見の戦い
その中で偉くなっていく近藤勇の精神的な変化も見え始める
かれは武士になりたかっただけ、、のようにさえ見える
「自分の思うようにさせてくれ」  
そういって去った近藤は実質的に土方歳三の秩序内で
いることが辛かったのかもしれない

土方歳三はもしかしたら剣術はそんなに強くなかったのではないかと思うことがある
だからこそ、合理的な勝つ方法の手段を考えついたと思われる
それは弱小集団のサッカーチームが知恵者の監督の元で戦うのと似てる
彼自身が剣術の使い手すぎると、それを基準に方法を考えるので
全部が全部そのレベルに達していない仲間では、うまく機能しない恐れがある
誰がやっても平均的に強い方法を考える
そういうことが彼は好きだったし、それを美しいと感じたのではないか

彼はモテた  と実家に手紙を書いて送っている
映画ではフィクションの「お雪」(柴咲コウ)という女性が登場する
硬派のバリバリの気張った筋道に息抜きのように現れる女性だ
「想い人」映画で出てきたこの言葉は、その言葉でしか表わせない世界のようで
美しい日本語のように思われた
歳三は、自分に生き様を描いてくれと絵の上手なお雪に依頼する
それは実家の義理の兄のところに自分の写真を届けてくれ!と依頼する感覚と似ている

それは忘れられることの恐れとか、自分たちの行動は間違っていたと
判定されることへの必死の抵抗のように思える

自分としては戦いを重ねるうちに起きた内面の変化が
もう少し見えると良いと思ったが、これは自分好みの性格設定なので
本当はどうかわからない

松平容保は運のない人だった
だが歴史の事実では孝明天皇から信頼されていた
会津と言えば官軍の敵の存在だが、松平容保の孫だったか(そのあたりの人)が
皇族と嫌婚している
それと比べて、自分が嫌な人物と思うのは徳川慶喜だ
人物を見出す力としては力量があったかもしれないが、
二条城を抜け出したところは人としてどうしても好きになれない

時間として2時間ちょっと、、の映画だが、その中で印象に残った音楽がある
池田屋事件の戦いの最中に流れていたのはオペラ、カルメンの中の「ハバネラ」だった
これが妙に効果的だった
そしてもう一つお雪さんとの重要なシーンに流れていたのは
オペラ「真珠取り」の「耳に残るは君の歌声」でこれも切なくてよかった
この音楽は最後のシーンでも使われていた

歴史上の人物像はフィクションでイメージづけられる
自分にとっての土方歳三は司馬遼太郎の歳三像とは違うが
ただ坂本さんばかりが注目される中、同じくらいの年齢の歳三さんが
この機会に注目されるのもいいかもしれないと思ったりする


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