パンセ(みたいなものを目指して)

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あるある大辞典、テレビ的な結末?

2007年01月21日 15時13分24秒 | Weblog
テレビを見ないと言ってる割には、
またもやテレビの話

あるある大辞典、納豆のデータ捏造の件

これでフジ以外の局
または新聞社、雑誌社は追及しやすくなっただろうな!
(他局は)自分のところでもギリギリ(?)かもしれないけれど
いまのところばれてないので善人面して
あってはいけないことと
フジの姿勢を攻撃するでしょう

しかし、自分は始めからテレビ番組の実験のデータなど
信用していない
第一その実験自体が非常に大雑把で再現性や正確性が
確保されていない
たった一回の実験でこうだと言い切ってしまうのは
いくら時間がないと言っても独断過ぎるのに
確定した事実のように話すのは
テレビ的だとしてもあまりにも軽すぎる

テレビ的。
それはメリハリがしっかりしていること!
結果が刺激的であればあるほど好まれると
制作側が思っている傾向のこと

テレビは必ずしも現実を反映していないのは
最近は多くの人が分かってきたことだが
それでも影響力はまだまだ強大だ

だからテレビ局の取り上げ方一つでブームが
出来てしまう
そして、残念ながらそのブームは必ずと言っていいほど
皮相的なものとなっている

選挙時の刺客、偽メール事件の議員を辞めるやめない問題
かたいと言われるこういった話題でも
本質的な問題より、面白おかしい話題に
強引に持っていき、視聴率が取れているから
大衆はこのような番組を望んでいるのだと
全局が錯覚してしまって
みんな同じような番組を作ってしまう

そして、怖いのはいったん出来上がった雰囲気や
流れに反するような意見を述べにくいこと
以前のイラクで捕虜になってしまい
いつの間にか自己責任と言う言葉が独り歩きした問題
自分として彼らは全然あのように非難される対象では
ないと思っていたし
むしろよくやったとさえ、思っていた
しかし自分らは巷で勝手なことをいえても
テレビに出る人はあの頃自分らと同じようなことを
平気でいえたかどうかは大いに疑問だ

テレビにそんなに高尚なことを求めていない、としても
あまりにも大雑把過ぎる実験を
歴然とした事実のように扱う姿勢や態度
そして世論を知らず知らずに
痴呆じみた方向に持っていくのは
自らブレーキをかけてやめてほしいし
もう少しテレビ局に
謙虚さ正確さを持ってほしいものだ


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