大勢の前で話す時と少数の人を相手に話す場合とは
当然話し方が違ってくる
どこまでを少数というか厳密な定義付けは横においておいて
最近ではSEALsの代表 奥田愛基氏の発言にその違いが見られる
9月15日 参議院の中央公聴会で行われた意見陳述は
冷静かつ客観的、説得力をもち素晴らしいものだった
意見陳述全文
しかし、よくありそうなことだがデモの現場では
端的な短いフレーズの、しかも攻撃的な言葉が使われる
憲法壊すな!
集団的自衛権はいらない!
国民をなめんな!
安倍はやめろ!
これを同じ人物が発している(SEALsのシュプレヒコール)
片方は理性的、片方は感情的(特に最後のやつは)
少数を相手にするときは説得を目的とした話し方
しかし多数を相手にした時は熱狂を目指したアジテーション
目的が違う
実際のところ困るのは、大きな集団になればなるほどシンプルな
端的な、攻撃的な言葉のほうが効果的に思えてしまうこと
「何々だから何々で、だから何々しよう」といった語り口は
多数を前にした時は余りにもまどろっこしい
「要は何なんだ?」と群衆は求めてしまう
それで、シンプルな言葉の羅列になってしまう
そして攻撃的なフレーズ故に全体が煽られてしまう
ところで、そうは言うものの自分が参加した8月30日のデモは
こうした傾向はそれほど見られなかった
確かに一部ではこうした言葉も叫ばれていたが
どちらかと言えば、そうした発言よりはもっと穏やかな感じだった
それはデモに慣れていない恥ずかしがり屋の一般市民が参加したためかも知れない
デモとかこうした活動を劇的に効果的に行う事は
ある種の人間にとってはとてつもなく面白いことのように思えるかもしれない
その内容よりも、戦術としての視点から
しかし、これは大きな危険性を孕んでいる
起きなくていい対立を知らないうちに引き起こしてしまうかもしれない
(もしかすると、それを望んでいる人びとがいるかもしれない)
最近、まともな示威行動とは何かと考えると
ガンジーさんやマンデラさんの一見無力のような行動が
とてつもなく貴重なことのように思えてくる
少しづつ、真面目に、しかも間に合うように
結局、何事も継続的に取り組むしかない
国の問題も、新城市の問題も!