パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

公開政策討論会の評価

2021年10月03日 09時52分30秒 | 市政、市議会に関することなど

それは無観客で行われた
オリンピックでもパラリンピックでもなく、新城市民にとってはそれら以上に
重要な事かもしれない出来事の一つ
今月末に投票を控えた新城市の市長選に関するイベントだ

立候補予定者による公開政策討論会がそれで、直接意見の交換を見聞きできる行事だ
このイベントは、市民自らの立候補者の人柄やら政策を知りたいとか比較したい
との熱い思いから開催されるものではなく、条例化され制度として行われる事になったものだ

そもそも制度として存在することと、市民自身が必要性を感じてその行事を独自に行うようにする
ことの良し悪しは、どちらがふさわしいいかわからないが
とりあえず、昨日は制度の一つとして実行された

と言っても、珍しいものではなく各地でも開かれるもので
その多くはJCが中心になって行われているようだ
(今回は実行委員会によって運営された)

前回の市長選は4年前、このときもこのイベントは行われた
これは内的必然性のような成り行きで開催の運びとなった
そしてそれは新城市内の3箇所の会場で観客を集めて行われた

ところが今年は、新型コロナ感染対策のため無観客で
ケーブルテレビとYoutubeでの中継で行われることになった

観客の反応も感じることができず、カメラに向かって話す行為は
タレントでもない二人は、慣れるまでは大変だったろうな
と少しばかり同情した

進め方の大半は4年前の方法を踏襲したものだった
それは一部では評価の高かった方法で(リンカーンフォーラムからはそうではなかった?)
討論会の名にふさわしい意見交換が十分になされるものだった

昨日の勝者はどちらだったか、、は、ここでは評価しない
気になるのはこの行事の成果のことだ
自分はケーブルテレビと契約していないのでYoutubeのほうで視聴することになったが、
リアルタイムの視聴者数は最大で63人、減ったり増えたりしていて50人ほどが
ずっと見聞きしていたようだ
この数は多いのか少ないのかは、わからない
ケーブルテレビでの視聴者がどれだけいたのかも、わからない

ただこのイベントの評価については、評価基準は参加した(見聞きした)数ではなくて
見聞きした人たちが自分の考え(思い込み)を変えたかどうか?
にあるのではないのかと思ってしまった

会場が有観客であれば、いろんな人が集まる
純粋にニュートラルな人や、ただ人柄を知りたかったり考え方の比較したい人たちもいるが
それぞれの応援団も入場する
そしてその数は、もしかしたらどちらでもない人の数より多いのではないか(と思う)
その人達は自分たちが応援する人物を当然評価して、相手の言論を評価しない

今回の場合では画面を見て、それぞれを応援しながら見ているひとも少なくないだろう
だがこのような人の中で、討論を終えた段階で、自分の考え方なり評価を変えた人が
どのくらいいたのかが気になる
もしかしたら、このイベントの評価基準はこの点に有るのではないか
最初から否定的に捉えるのではなくて、相手の言い分も一旦は受け入れて、
部分によっては相手の考えを評価する、、、そうしたことが、どのくらいなされたのだろう

討論は、相手に説得されることを受け入れる覚悟で臨むのが正しいとされる
ところが最近はまるで裁判のように勝ち負け、論破などの言葉に表されるように進められていく
この相手に説得される覚悟をもって臨むというのは、現実にはかなり難しい事のようだ

だが、4年前のある会場である陣営の応援団のメンバーが、討論会を終えた時点で
「政策は3人の言ったことを、みんな上手くまとめてやればいい」
と感想を漏らしたことがあった
これなどは、先入観やら思い込みが払拭された証拠かもしれない
(依然として応援する人物は変わらないとしても)

人はどうしても思い入れのある人物やら考え方に固執する
素直に見聞きすることは難しい
ということで、そもそも相手に説得されるかもしれないという覚悟で討論に向かう癖
というのは、これからも大事なことのように感じたということ

新城市の公開政策討論会は、このあと10月7日、14日に、午後7時から無観客で行われる
候補者は長い時間自分を晒すことになるので、思わぬ本性が見抜かれてしまうかもしれない




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彼はなぜ突然怒ったのか?

2021年09月18日 11時15分51秒 | 市政、市議会に関することなど

選挙を間近に控えると、同じ仕事をしていた仲間もいきなり競争相手になってしまう
そこで人の持つ負の部分が表に出てしまうことも無いわけではない
現在進行中の自民党の総裁選も、我々の見えないところでネガティブキャンペーンが
行われていても不思議ではない

新城市では年に4回行われる市議会定例会、任期の最後に当たる9月議会が昨日で終了した
その最後の一日は、褒められたものではなかった
そのみっともない話は新聞記事にもなって、要点だけが掲載されている

それは8月の全員協議会の最中の出来事で、ある議員が突然大きな声をあげて
威嚇するような態度、行為をある議員に対して行った
そうした態度や行いは市民の代表たる議員にふさわしくない行為とされ
数名の賛同を得て選挙前の今回の議会で問責決議案が提出された
そして可決されたと報道されている

たまたま現場にいた(傍聴していた)が、提出理由の説明、それに対する質疑
(提案者に疑問点を質問すること)には、ものすごく時間がかかった
普通なら主だった議決も終了し、お開きとなる議会が
突然でてきた議員提出の議案に、いつまでも訳もわからないまま付き合わされた行政には
少し同情を覚えてしまった(最近この例が異様に多い)

現場にいて、問責に賛成反対のどちらの味方をするのでもなく、成り行きを見ていた
確かに大声を出して威嚇するようなことはよろしくない
彼にはその傾向がある(声も体も大きくて)
これは否定できない事実だ

ただ彼の言い分によれば、その事件が起きた場で謝罪し
議長の指示で次の全員協議会の冒頭で謝罪は行ったので
議長は「この件はこれでおしまい」の意思を示したとのことらしい
だが、議長はそんなことはない、と首を振っていた
この部分は言った言わない論争になりそうで、どちらが正しいかわからない

だが質疑の途中から、怒りっぽいとしても彼が、なぜ突然怒り出したのか、、
が猛烈に疑問に思えてきた
怒るには理由がある
その理由も確かめずに、行った行為だけで判断を下して良いものだろうか?

「そりゃ、誰でも腹をたてるよな、、」
と言った理由はなかったのか、、とまるでミステリーを読むような気持ちになった

その理由は、対象議員の強引な、それ故に反感を持たれても仕方ない弁明の機会に
明らかにされた

それはコロナ感染症のせいで中止になった議会報告会に関係している
年に一度以上行うとされている議会報告会ができくなったので、
議会は代わりに意見を市民から募集した(メール、FAX?)
この中にひどく個人的攻撃的な内容のものがあった
それはある地区の三人の議員名が書かれていて(その中に彼は入っている)
妙に詳しいような、思い込みの激しいような、批判が主となっていて
書かれている事自体が客観的な事実かが疑われるものだった

この市民の投書について、どのように扱うか?は当然のことながら
議会で話し合われた
話し合うのは全員ではなくて、そのての役割を受け持つ機関で
そこでは一旦は、客観的な事実が確認できないので、市民にオープンに
するのは控えるとされたようだ

ところが、投書の扱いについて決定権を持つ議員(この議員が大声で威嚇されることになったが)
「これも市民の意見」という解釈で個人攻撃的な要素の多い投書は
「自分の判断でオープンにすることにした」とされた
そこでこの議員に対し瞬間湯沸器のように反応してしまったというのが一連の流れらしい

全市に明らかにされるものの中に、公然とネガティブな印象を与えるものを
「それも市民の意見」との扱いで出されてしまったならば、
選挙を控える当人たちは冷静にいられないのは想像はつく
行った行為(大声・威嚇)は、確かにひどいが、その原因を考慮せずに議決したり
背景を説明するなく、それだけを報道するメディアも突っ組み不足なのでは無いか
と思えてしまう

ここからは、ちょいと絶望的な気分に陥ってしまそうだが
投書の内容自体が議会内のことを知らないとかけないような具体的な描写で
(彼の)いつもの言い分や行動に近い内容の近い内容であるために
市民と称して投書された文書の投稿者は
実はいつも三人に対抗心をもつ〇〇(議員)ではないのか!
と想像することができると名指しで批判された三人の議員は考えているようだ
そして個人的にもそうだと想像する
(彼の新庁舎の建設に関するの実務協議の際行ったことを彷彿とさせる)

不意に「ひとつの腐ったリンゴが樽全体をダメにする」のことわざが頭に浮かんだ
この事件の全体像は明らかにされない
背景は想像でしか無い
その背景の想像があっているかあっていないか、わからない
しかし、そのような想像ができてしまうという実態こそが情けない

人が人を選んで、その人に一旦役割を任せる
というシステム、だがその実態は、とても危ういところで成り立っている
と感じるこの頃

国も市も、、、選挙が間近
それにしても、、、



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その選択に関与していなかった議員(関与する方法はなかったのか)

2021年08月11日 17時33分59秒 | 市政、市議会に関することなど

オリンピックが済んで、また元に戻った感じがするのがこの偏屈な投稿へのアクセス
期間中は何か悪いことでもしたのか、、と思うくらい見に来る人がいなかった
普段でも日曜日とか連休も少ないので、やはり何か大きな関心事がある場合は
わざわざ面倒なことはしないのだろう

オリンピック期間中に新城市議会の有志による議会報告会が行われた
そこで大きな問題になったのが、小中学校の共同給食センターの建設延期の問題
これは情けない話で、行政のチョンボだ
建設予定地は市の所有地と思いこんでいて計画を進めたら、その一部に県の所有地が
含まれていて、実施計画が一分無駄になり、計画も遅れることになった事件だ

この経緯に関しては行政の市議会に対する説明も、どこか隠し事をしているようなところもあり
行政の謝罪も説明もすんなり納得とはいかないようで、初めてその話を聞くことになる人にも
わかるように(?)説明された

自分は事情を知っているので聞き流していたが、別のことが気になった
それは自分たちの学校の給食室でつくる自校式の給食ではなくて
セントラルキッチンのような何校の分をまとめてつくる共同調理方式の
どちらが良いのか、、ということが、今になって議員から声が出たことだ

議員は、そのどちらが良いのか、、という選択に少しも関与していなかったのか?
不思議に思ったのはそのことで、自分は議員がそのどちらかの選択に関与していると思っていた

しかし、今までの自校式から共同調理方式に変える選択をするのには、議員は何ら関与していなかった
今まで「自校式が良い」と繰り返していた教育委員会も、食材の確保の難しさ、給食をつくる人材の確保の難しさ
古くなった教職室の改築、、などの理由で急に共同調理方式にシフト変更した
それは学校関係者、校長先生とか教育委員会とかが何回か会議をして、最終的には市長の参加する
教育総合会議で方針が決められた
そして市長により基本計画の設計費用とか実施計画設計費用が予算提案され
議会の承認を得る段取りとなって、そこで初めて議会は共同方式なることが知ることになった
つまり自校式と共同調理場の選択は、段取りとしては当事者である人たちの間で決められ、
議員は手続上は部外者だったのだ(それはそれで現実的な気もするが)

こうなると、議員の中の自校式のほうが良いと考える人は、この共同調理場の計画に反対の声をあげるには
「予算の反対」という形でしか、その意志を示すことはできない
これは方針の反対ではなく予算案への反対という形でしかなく、
実際のところ予算案はこの件だけでなく、他のいろんな予算案もまとめて議決の承認を得る形
となっているので(まとめ法案)これだけを理由に予算案を反対することは極めて難しい

だが、重要な案件と思われることを議会は予算の承認という形だけで良いのか?
は少し問題で、これを細かく検討するには、予算案をまとめて審議するのではなく
この給食の件だけ別個に議決するようにする、、という方法があったらしい
(それはなされなかったが)
また他の方法としては、給食の方式の選択については議会の承認が必要とする条例を作って
議会の声を反映させる方法があるそうだ
(これも今になってはの話だが)

今更ながら感じるのは、議会は単なる承認機関という事実だ
仮に議員みんなが真面目に予算案等を読み込んで、その時点での判断をしてもらえれば良いのだが
現実には議員間格差が酷くて、提出された予算案は多数決(情報不足の議員の?)によりほとんど承認される

今回の給食センターの延期で、実質数千万円の実害が出ている
しかし市民の大半は知らない(関心もない)
生活に忙しい市民は、市職員も議員もちゃんとその職責を果たしていると思いこんでいる
ところが、そうではないという現実は、時々現れる(多分どの自治体でも)
本当は、当事者である市民がもう少し自分たちのお金の使い方に関心を持てば、少しは良くなるのかな
と思いつつも、これは難しいだろうな、、とも実感する

ところで、今回の行政のチョンボは、納税者である市民に対して謝罪すべきだと考えた(自分的には)
だが、行政はそれを何らかの形で行うか、、、
広報誌で謝罪の言葉が見られるか、、それとも、大半の人が知らないことを良いことにダンマリか
行政の無謬性、、それは現実にはありえないのだから、トチったときには素直に謝れば良いのに
と思うのだが、これがなかなかできないようだ(国も市も)

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インターネット中継で山田議員の一般質問を見た(すると、、、)

2021年06月23日 11時33分45秒 | 市政、市議会に関することなど

地元新城市議会の6月定例会の山田議員の一般質問の話題

リアルタイムの傍聴が一番いいが、この日はボランティアの外国をルーツにもつ
子供の勉強の手伝いがあって傍聴できなかったので、アーカイブに残された
インターネット中継に頼ることになった
以下はあちらからのコピペ

「できるだけ不穏当発言の無いように!」
とお願いしたのが新城市議会の爆弾男の山田義員の一般質問
(ティーズに加盟していないので、傍聴できなかった部分はインターネット中継で
見ることになるのだが、不穏当発言があるとアップされるのに時間がかかるので)

ちょいと思い込みの激しい部分はあっても、
直感的に何かがおかしい!と感じる感覚は余人をもって替えがたい

今回の2つの質問(高速バスの契約、鈴木養鶏場の買取の契約)は、
貴重なお金の使い方に関することで正しいステップを踏む事によって自らの正当性、
金額の妥当性を保証する行政が、実は随分曖昧なまま物事が進められていったことがわかる

今回の山田氏は事前に良く情報を集めて、話の流れを組んでいたので
初めてこの話を見聞きした人にもよく分かる内容と思われる

いろいろ驚くのは、金額の妥当性はどうのように確保されたのか?
という点がはっきりしないことだ(高速バスの契約)
契約がいろんな都合で随意契約にしかならないとするのは譲ったとしても
提出された金額が妥当かどうかは、一旦は考えるべきだと思われる
不思議なのは「見積書を頂いたが、内訳は書いっていなかった」とする行政の答弁
内訳無しで総額いくらです、、信じてください、、で物事は進んでいくのだろうか

また予約システムについては、行政も説明しているが新たに作り上げるのではなく、
既存のあるものを間借りする形で参加しているに過ぎない
ちょいとレンタルの予約システム(たとえば美容院等の)金額を調べてみると
月1万から2万でできるようになっている
それが年間100万円以上の出費になっていて、違和感を感じずにはいられない
(予約システムの登録が三社だとしても総額はそこまで行かないと思う)

2番目の鈴木養鶏場の買取についても情報開示請求なり、議員の資料要求を読み込んだ上での
事実を積み重ねた質問になっているので、見聞きした人はぼんやりと違和感を感じると思われる
途中で、急に市長が登場して経過説明をしたが、その経過自体に不自然なことがあったことを
山田氏は指摘している

この質問は初めての人が聞いてもわかるので、一度見聞きして欲しい
インターネット中継はこちらから↓↓

http://www.shinshiro-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=693

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延び延びになった2つの事業

2021年06月22日 10時00分44秒 | 市政、市議会に関することなど

地元新城市の話題

6月議会の一般質問が先日行われた
18人の議員のうち、その機会を駆使しなかったのは2人
そのうちの1人(M議員)は地元の人が知ったなら
怒りを覚えそうなくらい今までも一般質問はしないでいる
彼の議会参加は議決のみ!とさえ思えてくる

このような怒りはさておいて、今回気になった2つのことがある
その2つはどちらとも計画通りのペースで物事が進んでいない
一つは、千郷中こども園の建設について
もう一つは学校給食共同調理場の建設が2年遅れることになったことについて

千郷中こども園については、この話が出てからだいぶ時間が経過している
もともとは現こども園の場所に建て替えで話はまとまっていた(?)ような状態だったのが
別の場所の案が出てきて、混乱が始まった
その新しい場所というのが近くに高圧電流の流れる鉄塔があって、
子どもに電磁波の影響が心配された
またその用地付近(最初は計画用地に)反社会的な人の土地があって、
このまま進めるとややこしいことになりそうなことが予想された
そこで、建設地はどちらが良いか?と話が振り出しに戻って
(今の場所で良いとしていた人たちにとっては迷惑な話だが)
検討することになった(市は現在地ではなく新しい場所を望んでいるような雰囲気)
この話は感情的なもつれもあってなかなか前に進まないでいる
そこで、判断は市にお任せ!というような形になったが
市は市で地域の連絡協議会の意見を聞いて判断すると答えた

気になったのはこの連絡協議会の回答だ
市は下駄を預けた連絡協議会からは報告が来ていない、、と答弁した
ところがこの問題を一般質問した議員は、全く反対で
連絡協議会からの答えは既にもらっていると議場で発言した
同じ報告で、片や来ていない、もう片方は既に来ている、、
一体どっちなんだ、、と、この地区以外の傍観者は不思議に思う

そしてこの一般質問を見聞きした人は(テレビ中継等で)どちらの意見を信用するのだろう
議員が現実の世界でどのくらいの力を持ちうるかわからないが
新しい場所を勧めているこの議員は、若干問題の多い人で
正直なところ言い分をそのまま信じるのは少しむずかしい
(彼はある件で議員辞職勧告を受けている)

ただ、話はどちらが本当かは深く突っ込まれず(報告の定義も説明されず)
宙ぶらりんのまま時間は過ぎた
なにか、お互いが言いっぱなしで時間だけが過ぎたようでモヤモヤする

もう一つの遅れることになった学校給食共同調理場の建設については
ちょいと情けない内容が明らかになった
市所有の場所に学校給食共同調理場を建てようとして市は基本計画を立て
次に実施計画にかかったところ、今まで市の所有と思われていた場所には
実は県の所有地が含まれていて、その土地の法的な処理を終えないと建設に
かかれないことがわかった
そこで計画を2年遅らせることになったというのだ

単純にそんなことあるのか、、市のチョンボか
それともこうしたことは時々あるうることなのか、、と疑問が浮かんだ
市は公図から判断したら市の所有地だったが、実施計画の段階で測量等をしてみたら
県の土地が含まれていたと弁解した
でも手続きを踏むことで自らの正当性を確保する行政が
現実にはこんなに雑な作業をしていることにショックを覚えた

そこで思い出したのが、やはり市のチョンボだった道の駅もっくる新城の建設費の件だ
当初5億円くらいの建設費だったのが、手違いであと3億円ほど必要になった
もっくる新城はこの建設費の間違いだけでなく、もう一つ問題があって建設設計をやり直している
依頼して出てきた設計に費用を支払ったが、それで満足できず新たに別の会社に設計依頼をしている

どんな理由があったか知らないが、その時どのような納得できる説明があったのだろう
とにかく、もったいないな、、の気持ちを覚える

そして、行政を無条件に信じるのはあまり良くないかもしれないと実感した
(そのために行政チェックの議会が存在する?)
少しばかり面倒なことだが、無関心でいると大事なお金の使いみちが
知らないうちに好き勝手されている、、ということになりそうだ

※ところで、行政のチェックは議員なら、議員のチェックは市民の役割


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政務活動費の公開を受けて

2021年06月12日 09時03分52秒 | 市政、市議会に関することなど

地元新城市の話題で少し意地悪な内容
(少しばかり気が進まないところもあるが)

新城市の議員は政務活動費といわれるお金を市から支給される
最初に議員の口座に15万円振り込まれて、使った分から残った分は市に返却される

市の財政の節約になっているとしても、議員が政務活動費を使わないことは
本当に良いことか悪いことか、、、一般人には悩むところだが
最近の議員の政務活動費についてのドタバタを見るにつけ(裁判にまでなった事案がある)
直近は議員が自発的に政務活動費を使わないでいたことは心情的に理解しやすい

ところがある議員は例年の如く15万円を超えて活動している
その多くは研修費と言われる内容で、議員定数の削減についての講習会やら
議員の発言についての勉強会だ
報告書を見れば一生懸命勉強しているように見える
ところが、それが現実に生かされているか?とチェックしてみると
大いに疑問を覚えてしまう
この議員は議員の晴れ舞台(?)である一般質問を、ほとんどしていなかった
(今回もないみたい)
ただ議員の経験が新人よりはあるので、彼はそれなりのポジションにはいた
ところが、議会の広報誌でも掲載されたように、彼はその職を去ることになった
議員の中から不信任の議決を受けることになってしまったからだ

このときの一連の流れはみっともないもので、その他にも彼には問題点はいくつか指摘された

ここで問題は、個人攻撃的な意地悪な要素があるとしても、こうした事実をどれだけの人が
知っているだろうか?という点だ(議会内の権力闘争という部分を差し引いて)
人はこれらのことを踏まえて、投票という行為に臨んでいるのだろうか

国の選挙とは違って地方自治体のそれは党派のウェイトは低く
人となりで判断されることが多いとされている
でも、本当にその人物のことを知っているか?
と根本的な問を発すると、かなり怪しいのではないか
単に家の近くだからだとか、顔を知ってるからだとか、、、

今年の10月には選挙が行われる
完全に詳しく知ることは無理だとしても、関心をもって現職の行動をチェックすることは
今からでもできる
面倒かもしれないが、そういうことを自分でできる範囲から進めていくことが
結局は自分たちのためになる、、と思うのだが、、(やっぱり面倒かな、、、)

※この人物が誰か?それを自個人個人で調べてもらいたいので、ここではあえて明らかにしない

以上はあっちからのコピペ
なんか気が滅入りそう

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内部告発

2021年03月24日 09時39分13秒 | 市政、市議会に関することなど

文春砲が炸裂して、国会がその問題にかかりっきりになって
肝心な問題を話し合う時間がない!と、一部の人は批判的に物申すが
もし文春砲が無くて、みんなが知らないままでいたならばと考えると
それはそれで恐ろしいことのように思われる

文春砲のキッカケとなった情報は、どこから出たのかは知る由もないが
想像するに内部告発的なものが存在したのではないか
事情を知っている人が、正義感あるいは何か別の意図をもって
そっと外部に情報を暗示するというのは、どこにでもいつでもありそうなことだ

このような事柄は国レベルだけでなく、地方でも存在するようだ
最近、ちょっとした内部告発のような情報を目にした
それは2013年の出来事、ある地方自治体の応援する事業がうまく行かなくなって
事業者が撤退することになった
困るのはその事業用地の今後の活用だが、同じタイプの事業をしたほうが良いだろう
との判断で、その土地の活用に公募をかけた
エントリーしたのは29社だったが、17社に絞られ、その後5社まで更に絞り込まれた
最後の5社に絞り込んだ中心人物は県会議員と知り合いの方で
現在はその事業の代表のような立場にある

残った5社はプレゼンで、どこが一番ふさわしいかを競うことになったが
そこでは当然のことながら財務情報も重要なポイントとなる(のちのちこれが問題となる)
ところが、この財務内容を示す書類がプレゼンで出されたときは手書きの雑なもので
会計印や社印がないものだったそうだ(情報開示請求で確かめたらしい)

実はこのプレゼン合戦の前に、関係者同士での会合があったようで
そこで大枠が決められた可能性が高い、、と内部告発の文章に書かれている

公募から外されプレゼンに至らなかった事業者には電話で、その結果が
伝えられたということだ
億単位の案件であるのに電話一本で済ませてしまうというのは
少しばかり違和感を感じさせるものだ

この手続きは公式には、きちんとしたステップを踏んで行われたと説明され
議会も承認したようだが、こういう時の説明は肝心なところを省いたり
ぼかしたりして、一見正当に行なわれたかのような印象を与えるものなっている

最近は、言葉というのは都合の良いもので、なんとでも言い訳できると感じることが多い
実態を良く知ってみないとその言葉を信じてはならない!と学習するわけだが
その実態の情報を掴むのが難しい

この内部告発は、たしかに関係している人しか知り得ない情報に満ちている

この不思議な一社が受けつことになった事業は、現在、芳しくない経営状況を招くことになり
それに関しては、近いうちに何らかの発表がありそうな情報も流れている

情報に対して、最初から疑ってかかるのは少しばかり人間性を疑われるようなところもあるが
時と場合によっては、疑ってかからないと本質にたどり着けないこともある

内部告発は重要な情報源で、結果的に正常化を促す役割もあるので
内部告発をした人物は守られる制度が存在するようだ
(制度はあってもその組織内での人間関係がうまくいくかはわからないが)

だが、こうして生々しい情報を目にすると、言葉の上の説明とか手続きの正当性とは
なんだろうと考えざるを得ない
この問題は新城市の人間なら、あのことか!と想像つくと思うけれど
わからない人も相当数存在すると思われる
実は、それが、一番の問題かもしれない

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情報格差

2021年03月16日 09時34分59秒 | 市政、市議会に関することなど

情報格差という言葉がある
これにはツイッターの利用者と非利用者の情報量の差といった
受け取る側だけでなく、出し手の差も明らかに存在する

今でも思い出すたびに残念に思えてしまうのが
昨年の今頃、市長と市議会におこなった「新城名古屋直行バス運転中止」
の請願書の提出のときことだ

3年以上の実証実験とされた新東名高速道路経由の「山の湊」号は
利用者が想定した数(KPI)を下回り、大幅な改善が見られる傾向になく
毎年約3600万円の経費を計上していた

そこで、予算が決まる前に、実証実験から営業運転に変更し
今後も市からの経費を捻出するような計画は止めにしてほしいと
1700筆ほどの署名も持参して市長と市議会に請願書を提出した
当日は、市長室で請願提出者と市長は直接会話を交わす機会が設けられた

請願提出は事前に記者クラブに通知しておいた

ところが、よりによってその翌日の新聞には
「高速バス運行継続を発表」の記事が掲載されたのだ
そしてそこには、多くの署名もあった中止の請願の情報は掲載されていなかった

新聞社が記事をどのように扱うかは、新聞社の決めることだが
一気に多くの人に伝えられ、それが正しいことのように思われる新聞記事になってしまうと
掲載されなかった情報は、現実的にはなかった行為になってしまう
(実際のところ市民のどれだけが中止の請願書を提出した事実を知っているだろう)

この件だけでなく、断定的な新聞記事に困ったことは他にもある
それは新庁舎建設に関する実務協議のときのことで、
ここでも新聞にいきなり断定的に「市民案は不可能」との記事が載ってしまった

これらはどちらとも、「行政がそう言った!」
と伝達しているに過ぎない
だがそれがどのくらい影響を及ぼすものか、メディアは自覚しているのだろうか?
そんな疑問がその時からずっとついて回っている

広報は発信側の情報弱者には、とても難しいと凹みそうになってしまう


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新城市はピンチか?

2021年03月12日 10時14分18秒 | 市政、市議会に関することなど

2015年に住民投票、2016年に市長リコールの話題のため、2年連続してテレビの取材のため新城市を訪れた
元タレントの春香クリスティーンさんは「新城市は今ピンチなのですか?」と市長に屈託なく尋ねた。
それに対して市長が何と答えたかは覚えていないが、この問だけは妙に心に引っかかって覚えている。

新城市はピンチだったのか?(今もピンチなのか?)
その頃と、それ以後今までの出来事を並べると判断できるかもしれない。
それらの一つ一つは、新城市だけでなく他の自治体でもよくあることの一つで、大した問題ではないかもしれない。
しかし、こうして改めて問題を並べてみると、無邪気によくあることと眺めているだけではいられない。

●産廃問題(買い戻し特約と条例施行前の許可申請)
●道の駅 「もっくる新城」の膨大な金額の見積もり違い
●新庁舎予定地以外の移転補償費問題(行政訴訟にまで発展した事件)
●市議会議員の関係する企業が当選後、急に市の受注が増えたこと(政治倫理審査会が開かれることになった)
●市議会議員が中心となった地域自治区活動交付金の正当でない受給とその返却
●政務活動費の不正使用の疑い(行政訴訟にまでなった案件あり)
●新城名古屋高速バスの減価償却費についての疑い(現在行政訴訟中)

議会関係では
●議会運営委員長の不信任案の可決
●6人の議員の問責決議案可決

こうして眺めてみると、ずっと問題はいつも起きている
(その一部は本質的には単なる喧嘩に過ぎないと言えないことはない)
ただこうした事実は、多くの人の知るところではない
上に挙げた事柄をどれだけの人が、他人に説明できるくらい知っているか?
といえば、圧倒的に少数者しかいない

なぜ、知らないか?
そもそも知る気があるのだろうか
と、根本的な疑いすら覚えてしまうが、こうしたことは新城に限らず
どこでも見られることかもしれない

もし知ったならば、ぼーっと生きてんじゃなかった!
と自覚するに違いないと信じたい身とすれば、なるべく多くの人に実態を
知ってもらいたいと思うが、現実にはこれがなんと難しいことか

いずれにしても、自分たちの問題は自分たちで解決するしか無い
どのようにすれば、自分たちの問題として捉える人が多くなるのだろうか
(上から目線と、意識高い系の説教気味の広報は、きっとよくないと思うが)






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新城市議会の小さな変化

2021年02月03日 09時45分02秒 | 市政、市議会に関することなど

地元新城市の話題
以下あちらからのコピペ

とても小さな変化だが、考えようによってはかなり重大なことなので
おせっかいながら場外からの報告を!

それは新城市議会の委員会のメンバーの変更があったことで
通常の委員会は、総務消防委員会、厚生文教委員会、経済建設委員会で
それぞれ6人づつ割り振られている

この他の委員会に予算・決算委員会があり
委員長は村田康助議員、副委員長は鈴木長良議員で
大事なお金に関することなので他の議員も委員会のメンバーになっている

今回変更のあったのは、最近国会でも話題となっている議会運営委員会で
現在の委員長はホームページを見ると、滝川健司議員が委員長になっている

ところが少し前までは違う議員が委員長を務めていた
通常は2年の任期だったと思うが、前任者の村田康助議員が
その任期満了を待たずに変わっているのだ
委員長だけが変わってその他のメンバーの変更はない
(いろいろ知ってくると、これは個人的にはどうかと思うが)
ちなみに他のメンバーは、副委員長が鈴木長良議員
あとの4人は、竹下修平、柴田賢治郎、小野田直美、中西宏彰
となっている

すると、何故委員長が任期を待たずに変わったのか?
との疑問が出てくる
また、同じように変わった経緯も気になるところだ

実は昨年12月の市議会最終日、少しばかり物騒な内容のものが
議員の間から議案として提出された
それは「議会運営委員会委員長の不信任」についてだ
なぜ、そんなものが提出されるに至ったか、、
これは、ここでは説明しない
ただ起きた事実のみの報告にとどめる

出された不信任案は賛成10名、反対7名で可決された
(賛否の詳しい内容は議会の広報誌で紹介される?)
とにかく、委員長として彼のもとではきちんとした仕事ができない
と多くの議員が判断したわけだ

ところがこの不信任の議決は法的拘束力がない
だから、国会でよくあるようにその後は議員個人の判断に任せる
しかなくなっていた

多くの議員が彼のもとでは駄目だとの判断を
以後頑張りますの謝罪で済ませていいものか、、、
が、次の問題となったのだが、紆余曲折があった(本当にいろいろあった)後
村田議員から委員長の職の辞任と議会運営委員会のメンバーからの辞退
があって、ホームページにあるような形に落ち着いたというわけだ

こんなことは小さなことで、重箱の隅をつつくこととか
市議会議員の間の見苦しい争い、、と思えるかもしれない

だが選挙で一票を投じ、当然真面目に働いていてくれていると信じていた
有権者の期待をあっさりと、悲しいくらい平気で破っている
この議員さんの今までの行動を見ると、これは厳しいかもしれないが
当然あって然るべき方向に進んだと思えてならない

最近つくづく思うのは
選挙で選んだら白紙委任で彼ら(首長・議員)に任せっぱなしにするのではなく
投票した人物のチェックとか評価を定期的にしないと、緩んでしまうということだ

ただ、みんながみんなこのような意識高い系になるのは不可能とも思われるので
気がついた人ができる範囲で気張るしかないかもしれない

※何故不信任になってしまったのかを、個人個人がそれぞれ考えてみるもの
  何かを考える切っ掛けになると思う  面倒くさいが、、

 

 

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