パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

昨年の地域意見交換会での質問

2020年12月03日 08時46分19秒 | 市政、市議会に関することなど

地元(新城市)の細かな話

新城市では行政が中心となって市民の声を聞くための意見交換会が、数年前から年に一度行われている
新城には10の地域自治区があって、この地域自治区ごとに近くの会場で行われる
この意見交換会の参加者、傍聴者は現実には、地域自治区の地域協議会のメンバーが多い
地域協議会とは地域自治区を制度としてを設ける時には設置するように法律で決められた組織で
そのメンバーの選定は各地自治区ごとに決められるが、大半は区長さんがなることが多い
そしてこの地域協議会のメンバーは、年会数回行われる会議に出席すると手当として幾らかの手当が支給される

地域協議会で会議を開いて話し合うこと(決定すること)は、地域独自の問題の解決とされるが
現実的には活動交付金と地域自治区予算の決定だ
活動交付金とは、地域の有志が提案した地域のために良かれと思うアイデア・行動に対して
その行動の助けになるべく費用を提供するもので、有志の提案は協議会のメンバーの前で
プレゼンテーションを行い、そこで交付金が受けられるか否かが決められる
この交付金は活動に関すること(ソフト)への補助的要素があり、ハードの事業には使われないことになっている
(自分に関することでは、あいさつ推進運動で着用する帽子とかベスト、傷害保険等が支給された)

一方、地域自治区予算は地域自治区で必要な事業に関することで、ハードの事業にも使えわれる
多いのはAEDの設置とか防犯灯の設置とか、、その他いろいろだが、地域協議会で
「今年はこういう使い方をしよう!」と決めてもそれがそのまま決定事項ではない
地域協議会で決められたことは「市長に対し建議」というかたちでお伺いを当てる
市長はそれを了解すれば予算として議会に上程し議会は賛否の決を取る

手続きはこのようになっていても、現実は地域協議会が決めたこと(建議)したことは
今まで否定されたこともなく、議会で否決されたこともない
それは(日本学術会議ではないが)「形式的手続き」に過ぎないように思えてしまう
そこでフト思ったのが、こうした手続が形式的に過ぎないのなら
その過程を省いて地域自治区が自由に使えるようにしたほうが
当事者意識も責任感も感じて結果的に有効なお金の使い方になるのではないか
ということ

昨年の意見交換会で、このように聞いた


建議されたことが否定されたことはありますか。
否定されたことがないのであれば、(区ごとに支給される)交付金のように自由に使える形に変更できないのですか。

回答
交付金は、行政区で使い道を決めるものです。地域自治区予算は、交付金とは性格が異なり、市の予算として執行する市の事業です。予算書に計上されます。地域が市に執行させるため建議の形をとります。今まで否定したことはありません。 自治区の発足当初からの考えとして、自治区の発意を最大限尊重するという理念があるからです。そして市議会に上程されます。市長が建議書に対し否定する場合は、理由を説明する責任があります。通過儀礼のつもりで行っているわけではありません。1つの自治区から出された事業でも、複数の自治区で出てきた場合は市全体の予算書に入れるということもあります。(市長)

つまりは制度の問題としてはそうなっていないと言っているに過ぎない
そこで、昨年は再度の質問が許されたので続いて聞いてみた


交付金の形で予算編成すればいいのではないですか

回答
域自治区に全てお金を渡すので、自由にお使いくださいという考えも一つの考えだと思います。この制度が煮詰まっていけばあり得ることです。今現在、法的な位置づけがそこまでいっていません。市長の補助機関の位置づけです。一つのアイデアとしてはありえます。(市長)

ここで、昨年の出来事をわざわざ取り上げたのは何故かといえば、
この地域自治区制度自体が本当に市民に理解されて活動しているかが疑問だからだ
流石にこの制度が採用されて時間が経過しているので地域協議会のメンバーを経験した方も多く
その人達には大体の内容はわかっている
しかし、そうでない人たちの理解はどうなのか、、といえば

市民の間の地域自治区の理解は全然進んでいないと実感されることがあった
それは三年まえのこと、この年は市長、市議会議員の選挙が行われ
市長選では立候補予定者3人による公開討論会が行われた
会場は三箇所、会場ごとに主なテーマを決めて、そのことに対する各人の考え方を披露するのだが
文化会館で行われた討論会のテーマは「市民自治」で、ここでは「地域自治区」のことが自ずと議論の対象となった
ところが、この時の会場の反応が(それは個人的な感覚なのだが)議論されている内容を理解しきれていないように思えたのだ

この印象とか判断は独断で申し訳ないが、こうした市民が理解していない(と思われる)状況で
こうした公開討論会とか、地域自治区制度を行うのはどうなんだろうと感じたのだ

世の中は「意識高い系」(マニュフェストとか地域自治区を理解して、行政の予算の使い方に関心あるような)の人ばかりではない
むしろ、そうでない人の方が多いのではないか
人は納税者、主権者、生活者の面を併せ持っている
そして一番のウェイトを占めそうなのが「生活者」の部分で、主権者を感じるのは4年に一度位なものと思われる

この普段表に出ない主権者(選挙行為)に関する意識高い系の方々の理屈で、制度が実行されても(ある条例が制定されても)
「我がことのように考える」を基本とした「市民自治」の考えが実現されるとは思えない

みんながみんな「我がことのように考える」というのは、数字的には現実的ではないと思われるが
それでも、少しでも「我がことのように考える」人が増えることを希望してしまう
(ある会議ではこのことのほうが時間をかけて話し合われたのだが、、、)
さてどうしたら「我がことのように考える」事ができるようになるか、、、

ところで、今募集中の今年の地域意見交換会に参加する人数はどうなるのだろう
この人数の多い少ないで、ある程度の「我がことのように考える人」の割合が想像できそう
と思ってしまうが、、、さて


 





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予算・決算委員会(新城市議会)

2020年09月14日 07時23分17秒 | 市政、市議会に関することなど

地元新城市の話題
あちらのを少し変更して引用(以下)

前年に会計を経験し、次の年に区長を担うようにしている行政区が多いようだ
一年の出来事を「お金の出入り」の視点で見ることによって区の全体像がわかるようになる

同様なことは区のみならず市でも言える
お金の流れを知ることで市政の全体像がわかる
なんとなく、いい塩梅でやっててくれている、、と信じたい市政だが
このお金の使い方がよく分かる市議会が「予算・決算委員会」だ

傍聴すると「全然おもしろくない」と「そうなのか」と感心したりすることがある
感心する方は、そんなふうに、そんなところまで、国・県の補助を受けながらやっているのか
と驚きを感じることだ(本当に細かいことまで及んでいる)
一方つまらないのは、会議があまりにも淡々と進行していくからで
仕方ないとはいえ、テーマに関心がないと睡魔に襲われる

9月11日(金)予算決算委員会が行われた(傍聴者は一般質問と比べて圧倒的に少ない)
聞いていればそれなりに興味深いところもあるが、基本的にはしんどい部分が多い
分厚い資料を読み込んで、その内容を行政に聞く、、というしんどい作業だが
そういう仕事を任された議員さんは、市民の代表としてではなく、分業化された
仕事に取り組んでいる(と理解している)

一般質問は流石に少し反省して、多くの議員がするようになっているが(あのM議員も)
だがこの予算決算委員会の質疑者は、悲しいくらい一部の議員に偏っている
あらゆる分野に渡って細かく質疑する人がいれば、自らの関心事に絞って質疑する人
だんまりを決めている人
この日、通告書を出して質疑したのは、佐宗、山口、竹下、丸山、澤田、小野田、浅尾、滝川議員
このうち山口、丸山、澤田、浅尾、滝川議員はネットワークの会のメンバーで
だんまりを決めている議員は、下江、中西、柴田、長田、山崎、山田、斉藤、鈴木長、鈴木達議員だ(村田議員は委員長)
この中で山田、鈴木長議員は議決前に反対・賛成討論を行ったらしい(この会議はあまりにも長いので途中で逃げ出した)
だんまりを決めている議員は何故か行政訴訟の対象者(中西、下江、柴田、山崎、竹下、村田)の中に多い
彼らは質疑はしないが議決権だけは持っていて、最後の段階で重要な市のお金の使い方に承認を与える
彼らの議決の選択はわかるが、どのような考えのもとに判断を下したのかは、だんまりではわからない

今回気になったのは浅尾議員のブログでも紹介された、道の駅「もっくる新城」にドッグランの設置のこと
1600万円の予算で、「もっくる新城」の東側の段々のステージの場所をごそっとドッグランにする計画だとか
その対象面積は100平米で、同時に施設に入ることができる犬は小型犬で10頭くらい
どうも中途半端大きさの計画のように思えてくる
財源は市債と国からの「コロナ感染症対策の補助金」(?)を当てるようだが
コロナ感染症対策とこの事業がどのようなのような関係があるのか、すぐにイメージはしにくい
そもそも補助金の申請は、作文がモノを言う
「革新的な」「先進的な」「雇用に役立つ」「地域活性」とか、
そうしたキーワードを織り交ぜて作成し、無理矢理のこじつけをするのが職員の仕事になっている
少しばかり情けないが、これが現実だ
でも今なぜドッグランなのかが、いまいち行政の説明ではわかりにくい
行政は、あるときは誘客のためだと言いながら、ドッグランを目的にわざわざ来ることはないだろう
と答えている(辻褄が合わない)
今、なぜドッグランか、本当に最優先で行う事業か、、、
その部分はどうしてもストンと腑に落ちるというわけにはいかなかった

一般の市民は自らの生活があり、大事な市のお金の使い方を決める会議とはいえ
時間を使ってまでチェックをおこなうのは、現実的ではないから
結局は議員にお任せするしかないのが現実
でも議員も人の子、あれもこれもできる訳じゃない
分厚い資料を読みこなすのはしんどそうと想像できる
だから、議員同士が質疑する分野を分け合って質疑するようにすれば良いのではないか
と部外者は思ってしまう

現実世界では上記の例のように、真面目な方とそうでない方たちと二分されてしまっている
質疑しない議員さんは「議決権だけの議員!」
そう思われないような行動をしてほしいものだ

 

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市民グループと市議会議員の意見交換会

2020年08月17日 09時44分15秒 | 市政、市議会に関することなど

暑い二階から逃げて、ノートパソコンを下に持ち込んで
日課のボケ防止の投稿にトライ

ああ言えばこう言う!
というのはいたるところで見られる
一番最近の例では、市内の会場で市民の一部とある市議会議員たち
との意見交換会が行われたときに、それが見られた

この意見交換会は、行政訴訟ともう一つ別のテーマが話題となった
まずは行政訴訟について、
政務活動費の使途について疑問を覚えた市民グループが宿泊費の返還を求めて行政訴訟を起こした
ところが訴訟の終盤になって対象議員の6名が急遽宿泊費を返却したために裁判上の
争点がなくなって、原告側の市民が訴訟の取り下げを行う羽目になってしまった
急に梯子を外された形の市民グループは、議員のその判断の説明を聞くために
以前から質問状を通じて公開の意見交換会を要望していたのが実現されたというわけだ

市議会はここ最近問題が多く、この他にも議員さんに伺いたい質問(疑問)があって
東三河広域連合議員の選出についても2、3の質問が出てきた

会場の雰囲気は、議員さんを責める空気が多かったのは間違いがないが
その中で自分が確認したのは以下のことだ
対象議員は行政訴訟の現実的な被告は市長ではなく、自分たちであることを自覚していた
だから弁護士費用を市から支払ってもらっていること負い目を感じていた
訴訟が長引けば市からの弁護士に支払う金額は多くなる
そこで、更なる弁護士費用の追加を避けるためと、自らの議員活動に専念するために
宿泊費の返却をした、、、というのが彼らの説明だった

ところが、訴訟の途中経過を詳しく知っている人の説明によると、
現実はそのようなきれいごとではなくて、このまま訴訟を続けても議員側に
勝ち目はないのが裁判長などの発言から明らかになりつつあったらしい

訴訟を続けて負けとするか、宿泊費を返却して争点をなくすか
どちらが得か、、、を考えると、返却することで争点なしにするのは
潔いかどうかは別にして考えられないことではない

人は残念ながらみんな正直であるとは限らない
ときどき、損得を考える
そしてその時の説明がつじつまが合っているように話す

説明と言い訳、、
受け手の立場で同じことを言われても感じ方は全然違う
議員さんにとっては説明だったが、市民グループの中には言い訳にしか
聞こえなかったのは仕方のないことだ

これをさらに、正直に話せ!と追及しても感情的な諍いが
起きるだけなので、自分は以前から気になっていた弁護士費用ことを聞いてみた

説明からすると対象議員は弁護士費用を市から支払ってもらっていることに
負い目を感じているようだ
ならば合法的に、あるいは市民の声で弁護士費用の支払いを求められたら
どのように考えるか、、
すると4人のうち3人は、そういう方法があれば考えるとの答え
一人は(一般質問を全然しない問題の多い議員は)被告は市長なので
払う気はないと答えた
この事実は大きい
一人の開き直った姿勢、
そして何らかの方法があれば支払うことも考えるとする姿勢(これがホントかどうかは別として)

市民側は合法的な弁護士費用の回収方法を考えなければならないが
議員さんもなにか考えるのだろうか(ふるさと納税とか、、、)

ところで、冒頭の「ああ言えばこう言う」の話は、訴訟から離れて
話題が広域連合の議員選出になったときに出てきた

東三河区域連合の代表議員は新城市から3人選出されているが
そのうちの二人は行政訴訟の対象者であり、
新城市の代表として送り出すには問題が多いというので、
全員協議会で長い時間をかけてその対応が話し合われた
とくに今年度は輪番で新城市の議員が議長をすることになっている

そこで全員協議会で煮詰まった総意は、今年度の広域連合の輪番の議長職は
新城市は辞退するというものだった
そして現実として新城市議会議長と議会事務局は広域連合に赴き、その旨を伝えた
だが、困るのは広域連合で、新城市の都合だけでスケジュールの変更を
強いられるのは混乱が生じるので、新城市は新城市の議員の中で解決してほしい
との結論をだした

ここからが問題で、新城市はそれを素直に受け取って、
なおかつ全員協議会の総意を反映するような選択をすればよかったのだが
何故か全員協議会の総意は全く反映されない形となった
つまり行政訴訟の対象者が議長に立候補し、同じく行政訴訟の対象者が
立候補者を推薦し、なんら問題のない議員は「今回は自分が、、」
と積極的に出たが無視された形となった

この経緯について聞いた時だ
全員協議会の総意と違っている選択をしているが、、
すると出てきたのが
「全員協議会は何かを決めるところではないので、、、」
という言葉

自分は傍聴していたが全員協議会は長い時間をかけてこの問題を話し合った
そして何かを決めないにしても、総意はお互いに理解し合った、、(と思った)
ところが、今回のこの言葉だ

法的には全員協議会は何かを決める場所ではないとしても、
そこで話し合われたことについては従う、、、というのが
常識的な人のあり様だと思うが、ルール違反をしていないので
従わなくても問題はない、、と言い切ってしまう議員さん
はたして彼の今後の行動は信用できるものだろうか、、

新城市で行われたことのある住民投票
一般的に住民投票の結果は拘束力はない
だがその結果を重く受け止めねばならないとされているので
その後の判断になんらか反映される
ところが、「拘束力ははないので聞きません」
と言ってしまったら、更なる混乱は必至だと思われる
今回の発言はそのようなものに当たらないか

社会の中のルールは性善説を前提にしている部分も少なくない
普通ならこうするだろう、、、
を前提として、あえて文章に書きこまない
でもその不備を狙って、書いていないからしてもいいのだ
とするならば、ましてそれが議員という立場の人がするとするならば
いったい、それは好ましい社会なんだろうか

ところで、今日は4時から住民監査請求の結果が渡されることになってる
結果は予想がつくが、ストンと腑に落ちる説明があればいいのだが、、

 

 

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高速バス(山の湊号〉について、多くの市民が知らないと思われること

2020年07月21日 08時14分56秒 | 市政、市議会に関することなど

少し前の話だが、忘れさられてはいけないと思われること

3年の新たな契約と事業の継続が市議会で議決された新東名バス「山の湊」号
その利用率の悪さから、税金の使い方として適切か、、との疑問が噴出し
三年半の実証実験が終わった時点で、一旦この事業は一区切りすべしとの声が
あちこちから出るようになった

人の思いはいろいろあって、利用率だけで判断はしてはいけないとか
現在利用している人々の既得権を奪うのは問題だとか
交通機関のチャネルを残しておくことは、それだけで意味あることとか
事業継続に賛成の人からも声が出ていた

継続をしたいと望んだのは行政で、それを認めたのは予算案を認めた議会なのだが
この過程のなかで、ほとんどの新城市民が知らないと思われる出来事がある
それは高速バスについて関心をもった人々が具体的に行動を起こしたことだ

事業継続に反対の人々はその意志の表現として「市長」と「議会」に対して
「高速バス運行廃止の請願書」を提出した
特に市長にはこの趣旨に同意の1700名の署名を添えて直接手渡した
そして数分間市長と話す機会を得た
この行為は予め記者クラブに伝えてあったが、記者クラブの方々は、その現場に誰も来なかった
その翌日、新聞には請願書とは全く反対の「事業継続の方針」との記事が掲載された
両論併記が公平中立というものの、反対意見はこれっぽっちも報道されなかった

一方、議会に提出した「請願書」は、その後議会で検討されることになった
そしてそれは総務消防委員会で話し合われることになった
そこで出てきたのが、少しばかり揚げ足とりみたいな理屈だった
「高速バス運行廃止」と要求されているが、総務消防委員会が開かれている時点では
高速バスは予算案が出ているだけで、運行しているわけではない
運行していないものを廃止することはできない、、これは理屈が通らない
気持ちはわかるが、これは請願として採択するわけにはいかない
そこで「趣旨採択」というのが適切ではないか、、とある議員から提案され
多数決で「趣旨採択」となった

「趣旨採択」という言葉は議会人にはわかるだろうが、一般人にはわからない
そこで調べてみると
「願意は妥当であるが、実現性の面で確信が持てない場合に、
 不採択とすることもできないとして採られる決定方法」
とある
これでもなんだかよくわからない
「気持ちはわかるが、、、」といったところらしいが、
なんとなく誤魔化されたような気がしないでもない
この総務消防委員会、傍聴していたのは請願書の市民だけでななかった
高速バス事業を扱う市の部門のスタッフも、気になると見えて数人来ていた

ところで、この請願が「まだ運行されていない事業の廃止」を要求する
書類上不適切な表現のあるもの、、と認識していた機関(事務局?)は
それを訂正するように指導はできなかなったものだろうか、、と思ったりする

最近行った住民監査請求でも「受付」と「受理」は違っていて、受付たあとで
書類の書き方のチェックをして、不備があった場合は訂正するように指導している
そんなことがあるものだから、あの時点で書類の訂正を指導されていたら
どんな結果になっていたのか、、と考えてしまう

1700名の署名をもって市長に高速バス運行停止をお願いした
議会に提出した請願書は「まだ運行していない事業を中止できない」
という理由で、請願は採択されずに「趣旨採択」というどっちつかずのものになった、、

これらのことは、多分、ほとんどの人が知らない
でも、こうした具体的な行動をおこした事実は、
とても重要なことと思われるので、備忘録として残すのが必要と思われる


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「若者議会について」思うこと

2020年07月20日 10時34分40秒 | 市政、市議会に関することなど

新城市には「若者議会」というシステムがある
16歳から29歳までの若者が公募で集まり、各人がいくつかのグループに分かれ
グループで討論されたことについては予算提案権を持ち予算の使い道を政策立案する
それを市長に答申し、市議会の承認を得て、市の事業として実施される流れとなっている
他の自治体に誇るべきシステムとの評価がある一方、当事者である新城市民の評価は果たしてどうなのか
この会議自体の運営に少なからずの費用がかかっていることもあるので、少しばかり気になってしまう


新城市の若者議会について新城市民が語ることは難しい
それは、これに否定的な意見を述べることは
若者の可能性を否定することになると
無条件に思われてしまいそうになるからだ

だが税金の中から少なくない金額を費やしている以上は
それを緩い見方をすることは、若者に対しても失礼に当たると思う

以前、こんな話を聞いた
若者議会で答申した内容については、若者たち本人が少しばかり自信がなかった
社会経験が足りず、少しばかり思いつきのような案に、果たして市のお金を使って
良いものだろうか、、と不安を持ったというのだ

これに対して、不安になることはない、、
若者たちの答申によるお金の使い方は良識ある社会人の集まりの議会の承認を得て
実行されるので、引け目を感じることはない、、とある人が説明した

ここで少しばかり気になるのは、常識的な市議会議員はこの答申の内容を
詳しく知った上で賛否の意見を表明しているか、、という点で
一般的には議員の議決は「予算執行について可か否か」であって
その内容については、詳しく知らないというのが実態ではないかと思えてならない

現在、こんな小冊子が出回っている(はずだ)

これは若者議会をよく知らない人に向けて、漫画で分かりやすく紹介するものだ
問題は、この冊子の存在をいったいどのくらいの人が知っているかということ
自分はこの冊子の存在を知ってはいたが、どこにあるのかは知らずにいた
たまたま市役所に聞きたいことがあって訪れたとき見つけた

この冊子の質的な出来はどうか、、
若者の思いが本当に実現されているか、、、
この漫画によるPRを答申した若者議会のメンバーは、その内容などのについては
次の年の若者議会のメンバーの任せることになる
自分たちで予算どりしたことを、自分たちが知らない人が実行していくのは
流石に少しばかりよろしくないので
若者議会は一年任期だが、メンターとして数人が残って、その責任を果たすようになっているらしい

この冊子の評価は、見た人がすればいいと思うし、見た人しか評価する資格はないと思う
だが見かけた人はどのくらいいるのかが気になる

若者議会の問題点は、市民モニター・アンケートでも象徴的に明らかにされている
(市民モニター・アンケートは市が独自に行なっているアンケートで
 以前は高速バス「山の湊」号についても3回に渡って行われ、このブログでも紹介したことがある)

この「若者議会についてどのくらいご存知ですか?」とのアンケートに
「名前は知っているが、活動内容は知らない」が一番多くて66%
残念ながら、これは想像した通りだ
そして仮に「活動内容ではなくて、実行された事業をご存知ですか?」
の問があったなら、その回答はどうだっただろう

若者議会については「若者の伸びるきっかけづくりの場」と
「事業としての妥当性」を別個に考えて評価すべきだと思う
伸びるきっかけを邪魔しないために、否定的な意見を言わないようにすることは
本当は彼らのためにはならないのではないか、、
彼らが自信無げに提案した内容を、どこかの段階で社会経験のある人が注意をする
そんなところが必要なのではないか
それは「若者議会の議場」で行われていると言われる人もいるだろう
でも、その場限りの指摘では不十分の気がする

つまりは若者議会についての問題点は、若者にあるのではなくて
それを運営する大人たちのあり方にあるような気がしてならない

ところで、最も大事とされる「若者の伸びるきっかけの場」というのは
他にないものだろうか、、とついつい考えてしまう
(自分の得意技は、空気を読まないという点なので独断してみた)

※以前、若者議会のメンバーと話す機会があったが、
 中には非常に気持の良い真面目な子もいた
 それ故にもう少しなんとかならないか、、と思ってしまう

 

 

 

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6月定例会の予算決算委員会

2020年06月24日 08時48分15秒 | 市政、市議会に関することなど

昨日(6/23)の新城市議会の予算決算委員会は
またもや夜遅くまでかかったらしい
(途中まで傍聴していたが、疲れて退散した)

予算決算委員会は大事なお金の使い方に関わることなので、我慢して聞いていると
そんなふうになっているのか、、と驚いたり、安心したりすることが多い

だが、ずっと聞き続けるのは正直なところしんどい
いくら大事なことでも、余程のことがないと集中力はキープできない
そんな一般人の代わりに、きちんとお金の出入りをしっかりチェックするのが
(分業としての?)議員さんの役割だ

議員さんは行政にお金について質問をする
ただお金の出入りは多岐に渡っているので、現実的には一人の議員が
全てに関心を持ってチェックするというのは無理と思われる

議員さんは自分の関心事や、自身の体験上得た知識を活かせる分野の
予算・決算にはさほど苦労しなくても質問ができるだろう
つまりは、議員さんは得意とする分野でそれぞれが頑張って貰えれば
1人でいくつもの疑問点を指摘するようなことはなくなる
議員さん全体の中で、役割分担がなされていいのだが、、

ところが昨日の予算決算委員会は質疑者は例の如く固定されていた
議員に配布された分厚い本を読み込んで、質疑したのは数人
(自分が確認できたのは、山口・浅尾・滝川・丸山・小野田・竹下・山田議員)
あとの議員はダンマリだった

最近の予算決算委員会は長くなっているので、
最初から十分な時間を確保しておけば良いと思うのだが
始まりは午後の1時半だったので、それで結果的に遅くまでかかってしまった

だが、遅くまでかかってしまった理由は、もう一つある
それは補正予算に、コロナ対策のためのものに合わせて
例の行政訴訟の弁護士費用が計上されていたためだ

これに関して、裁判の「被告知人」である当事者の議員が自らの弁護士費用は
自分で払うべきではないのか、、との意見が出され、
補正予算として一括に束ねられた議案(束ね法案)には無条件に賛成しかねる
との意見等がなされたのだ

裁判などはテレビドラマで見るのは良いが、
実生活では経験しないに越したことはない
それは一般人だけでなく行政の方々も同じだ
弁護士ほどではないが、法律のプロみたいな行政マンも議員さんの
「被告知人通知は誰がしたのか?」
との初めて聞いたような問に、数分間、右往左往する場面があった
だが、これは行政の方の知識不足と言うよりは、
そんな言葉を経験することはめったにないので、仕方ない対応だったように思う

予算・決算に関わることに制限された質疑だが、弁護士費用が補正予算にあがっている以上
裁判のことは、どうしても追求される
そこで問題となった概念が「被告知人」ということば
よく耳にする「被告」ではなく「被告知人」
一体これはなんだ、、と疑問が浮かぶ
それでいろいろ調べると(ネットで)裁判に参加する人物のようだ

こんな例が紹介されていた
Cさんは車をAさんにぶつけられたのでAさんを裁判に訴えた
 Aさんは被告になったが言い分があった。自分はちゃんと止まっていたのに
後ろからきたBさんが追突したので、それが原因でAさんにぶつかることになった
この場合責任があるのは、確かにぶつけたAさんも(いくらか)あるが
その要因にもなったBさんにもあるはずで
裁判においてはBさんも裁判に参加すべきという作業が「被告人通知」

今回の行政訴訟を、この例に当てはめると名目上の被告(市長)Aは、
そもそもの裁判の原因は、政務活動費の不明瞭な使い方をした6人の議員(被告知人)Bであり
被告(市長)に全然責任がないとは言わないものの、B(被告知人)にその責任の大半がある
ということだ

これはいちいちこんな面倒なことを言わなくても、市長が以前の一般質問に答えて
自分は手続き上(形式上の)被告だが、実態は6人の問題だ、、と答えていたことに被る

問題は、これらの弁護士費用、及び敗訴したときの費用は現実的に誰が払うか、、となるが
上記の例では被告のAさんだけが支払うだけでなく、
おそらくぶつけたBさんもいくらかの支払いを要求されるのではないかと思う
(弁護士費用もAさんだけというより、AさんはBさんにも払うように言いそう)

行政は今回の弁護士費用の支払いについて、手続きに沿って行っているという
でも、ルールには沿っていないのではないか
第一、こんな状況を想定して、ちゃんとした手続きかどうかが分かるのだろうか

何度も繰り返すが、この件については自分はシンプルに
「自分たちの弁護士費用は自分たちのお金を使って行うべき」
と思うし、それがなされないのは何故かと思う

ところで、裁判に関する質疑で6人の被告知人は、一度も裁判の傍聴も参加しなかった
ことが明らかにされた
6人の被告知人は宿泊費を返却して裁判を終わらせる事になった理由に
「我々に求められる本来の有意義な議員活動に専念するため」
としているが、裁判に対しては傍聴など少しも時間を費やしていなかったから
専念するもしないもない、最初から人任せで自分たちは何もしなかった
と思われても仕方ない(そしてその費用は市が肩代わり)

今回の裁判について、何でも首を突っ込む傾向の自分は、当初
ことを荒立てないように!と思っていたが
対象議員さんの潔くない振る舞いに、、
その他、決算委員会でも質疑の不参加に、少しばかり腹が立ってきてしまった

これらのことは、選挙で一度投票したら、あとは議員さんに白紙委任でお任せ!
では、限りなく不安が残ることを表している(と思う)
4年に一度、選挙権を使うだけで大丈夫!
と言えるほどの社会にはなっていないと思うのは、難しく考えすぎか



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報道されていないこと(住民監査請求)

2020年06月20日 12時04分53秒 | 市政、市議会に関することなど

現時点(6月20日)では、新聞にその記事は掲載されていない
その行為は予め記者クラブに伝えてあり、
現場では二社が聞き取りを行っているのだが、、

小さな地方都市では新聞あるいはテレビで報道されないと
何も知らなかったというよりは、何事もなかったと認識される
最近のSNSを用いて当事者がいくら発信しようが、
老齢化の進む地方都市では既存メディアの力は絶大で
それらで報道されないと、何も伝わらない

現時点で報道されていない行為とは「住民監査請求」のこと
昨日「新城市政を考える会」の有志は監査員事務局に「住民監査請求」を行った
「住民監査請求」は行政訴訟の前段階的なイメージが強く、
現に過去2回「住民監査請求」の後、裁判は行われた
(庁舎建設用外移転補償返却訴訟、政務活動費返却についての訴訟)

少しばかり物騒なイメージのある「住民監査請求」だが
今回の内容は(今のところ)それほど強固な請求ではない

その内容だが、これは何かと問題となっている新東名高速道路を
つかった新城・名古屋高速バスに関することで

1.28年度からの委託企業との契約について、価格競争による一社随意契約となっているが
 予定価格と見積価格がピッタリ同一であり、これは一般的に官製談合が疑われる範囲内なので
 内部調査をしてほしい

2.28年度に計上された経費のなかに償却費があるが、この年使用していたバスは古いもので
 既に耐用年数を終えて、減価償却費用が生じないのに請求がきており、そのまま支払った
 このような事があったので、その後の契約・支払いにも若干の疑いを覚えずにはいられない
 だから、償却費については詳しく調査すると同時に、不当支出があったとされたときは
   委託会社にその分の返却を求めるよう、市長に請求する

の2点だ

これらは早いうちに、行政からしっかりとした説明責任が果たされていれば良いのだが、
残念ながら、これ以外にも民間企業の視点から眺めると少し首を傾げる経費がある
経費の内容、詳細については営業秘密に関わることなので、、と行政は口にしたが
それならば、その価格の正当性・妥当性はどのように担保したのだろう、、と
新たな疑問も湧いてくる

何事も疑いの目でチェックするのは、少しばかり人間的にどうかとも思う時があるが
疑いの目でチェックしないと気づかないことがあるのも、これまた事実

監査委員事務局の方の「説明責任がしっかりなされていれば良かった」
とのボヤキ(?)は、まさにそのとおりだと思う

まずは、昨日(6月19日)にはこのような事があったということ
(ローカル紙はこのあと報道をするのだろうか、、、、)
 

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終わったのは午後8時半(昨日の臨時議会)

2020年05月15日 10時35分06秒 | 市政、市議会に関することなど

新城市の話
以下あちらの方のコピペ

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。  
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。
意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石の「草枕」の有名な冒頭部分だが、昨日はまさにそれを実感するような1日だった
そしてその現実に悲しい気持ちになった

昨日は臨時の新城市議会が行われた
ところが終わったのは何と午後8時半
これまでに新城市議会は時々夜遅くまでのなることがあった
残念ながら、そのいずれもがみっともない理由だ
(ある議員の議場全体が騒然とする発言事件、政治倫理審査会の事情聴取、打ち合わせ不足の動議提出など)
そして今回も例に漏れずみっともない出来事が理由だった

新城市以外でも新コロナウィルス感染対策のため緊急に補正予算とか
専決処分の了解のための臨時会が開かれている
でもそれに要する時間はきっと夜の8時半までかかることはないと思われる
何故、新城市議会はそんなに時間がかかったのか

その前に、専決処分とか補正予算の議案についての議案に対して
通告書を提出して質疑を行ったのは、丸山・山口・山田・澤田・浅尾・滝川市議の6人だった
この6人は「市民を守る議員ネットワーク」のメンバーで、市に対していくつかの要望を
いくつか提出している
通告を提出し質疑を行ったのが偶然この6人だったのか
それとも打ち合わせをして何らかのイメージアップ(?)を図ったのかはわからない
だが質問が被っている部分が多かったので、それぞれが独自に行動したと思われる

何故、夜遅くまでかかってしまったのか?
その兆しは、臨時会が開会された直後に見られた
10時に会が開かれ、さあこれから質疑が始める、、と待っていると
いきなり議長から「一旦休憩と再開は11時から」の宣言

驚いたのは傍聴者だけでなく市の幹部職員も
「鳩が豆鉄砲を食ったよう」とはこういうことを言うのだろう
怪訝な表情で席を後にした

議会のメンバーは部屋を移動して、ある問題について会議を行った
この問題というのが夜8時半までかかることになった原因なのだが
この問題をここで公にするのは、とても恥ずかしくて気が進まない
とにかくみっともない状況が発生し、その問題は最終的には
その後の会議を経て議決を要する手続きとなった

5時近く、本来の臨時会の目的の議案についての議決が終わり
幹部職員もやれやれお役目御免となるはずだったのが
それがすんなり終わるわけにはいかなかった
新たに、この日のうちに審議する案件が追加されたのだ

この新たに追加された議案というのが、朝から議員同士で討論された内容で
市の幹部職員の方々は、何がなんだかわからない状態で
ただただ市議会場から開放されることはできなくなった

このみっともない問題については、おそらく別の(誰かの)何かで知ることになるだろうし
後日各家庭に配布される「議会だより」にも、少なくともその結果だけは掲載されるだろう

とにかくその新たに提案された議案は、議案提案理由の発表、賛成・反対討論
そして採決という段取りを何度か繰り返すことになった
(新たな議案は6件あった)

ここで問題なのは、この議案に対する賛成・反対討論を聞いていたのは
市の幹部職員と傍聴者数名に過ぎなかったという事実
幹部職員は、言葉の戦いとしての討論を目前で聞いて
それに対する議員の賛成・反対の判断も確認できたわけだが
どちらの言い分に正当性があるか、どのように感じたのか
(絶対言わないだろうが)聞いてみたい気がする

賛成・反対の票分けは、結果的に「市民を守る議員ネットワーク」対、他の議員
の構図が繰り返された(6対10 議員一人は欠席)
だが、不意に思い浮かんだのは
「もし傍聴者が数多くいたならば、議員は同じ選択を下しただろうか」ということ
傍聴している立場から判断するならば(多少偏っているかもしれないとしながらも)
筋道が通って感情的にも納得できたのは圧倒的に少数の意見の方

何も知らない人たちがあの場にいて、知らなかった情報を初めて耳にして
その上でどうすべきか、、、との選択を我がことのように感じたならば
多くの人は、これらの結果を了として受け入れられるだろうか
(個人的にはそうとは思えない)
自分たちが投票した議員が、その判断力を試される議決という
その現場を見聞きした時、投票した人は
「もしかしたら誰それに投票した行為は間違いだったかもしれない」
と思ってしまわないだろうか
つまりは議員は自分の支援者が多くいる中、あるいは何も知らない人が多くいる中と
見てるのが少ししかいない場合と、同じ選択をできるのだろうかということ

ところで、割りを食ったのは議場に長い時間を拘束されることになった
市長を始めとする幹部職員たち
議会終了のあと、コロナ対策に忙しい中でこのような長い拘束を強いられた
ことに関して市長から不満の言葉が出たらしいが、それには納得(同情)する

それにしても、新城市議会は依然としてピンチのようだ
そしてそれは悲しい

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譲らない人たち

2020年05月13日 09時46分47秒 | 市政、市議会に関することなど

市議会の全員協議会を傍聴にいった
素人には「全員協議会」の位置づけがわからない
全員で行うのは分かるが、そこで何かを決めるのか
それとも共通認識を確かめるだけなのか

男同士の会話は、なにか結論を出さないと互いに落ち着かないが
女同士の会話は、感情の交流あるいは共通認識の確認で満足する
と言われているが、昨日の長く時間のかかった「全員協議会」は
女性同士の会話のパターンだった

最近は国会でも、討論が裁判のようになっていると言われている
妥協点、あるいはより良い解決策を求めて、自分の意見も修正しながら進める
というよりは、一旦自分の意見を譲ったら「即負け」で何が何でも
主張は譲らない、、、その光景は裁判のようだと例えられるのだ

そのような場面がここでも見られた
ある問題に対立が生じた
長く時間がかかると結局は双方同じことを繰り返す
そこで何かを決めようとすると、
今回の場合は問題となっている当事者に権限があるので
それで進めていくのは奇妙なことになってしまう

要はそこでは決められない状態だったということで
仮に決めることのできる判断材料をを持っているのは
この全員協議会を傍聴していた人々、、ということになりそうだが
現実的には傍聴している人たちもある方向性を持っているので
完全に客観的にとはいかない

いつも思うのだが、市議会は一般質問よりは
生身の人間性が垣間見られるこのような会議を見たほうがいい
そこでは理詰めで話す人、役職の割には何を言ってるかわからない人
何もしゃべらない人、人の話してる最中に茶々を入れる人
本当に粘り強く訴える人、、
それらの話す内容のみならず、表情・態度も見られるので
素の人間性が垣間見られる

本来はこうしたぼんやりとした抽象的なことではなく
事実の羅列のほうがいいのだろうが、今回のことは
自分でも公にすることがためらわれることなどで
どうしてもこのような形に、、、

自分に正直になればいいのに、、
世間のしがらみとかプライドとか、、、
議員さんは疲れそう、、、
(会議は予想通りの結果だった)

 

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行政訴訟の備忘録(追加)

2020年05月03日 15時03分39秒 | 市政、市議会に関することなど

先程アップした行政訴訟の備忘録の追加(聞いた話だが)

被告側の準備書面が頼りなく、信用性にかけるとした点について
普通は議員が視察に行った際には報告書が議長宛に出されることなっている
今回の場合、それがいつのタイミングで出されたのか定かではないが
提出された内容に明らかに不思議な出来事があった

まず第一に、最初、視察先が「造幣局」と書かれていたこと
次に、そこでは何も資料としてもらえなかったこと
そしてそこでの視察によって、高度な印刷技術を目にすることができた
と報告されていたらしいが、それは実態と違うのだ
(報告書はその後、書き直されたらしい)
※更に不思議なのは、視察したのは何故か土曜日(休み)の日だった

実態と違う!
と言い切れるのは、原告の関係者数名が後日「国立印刷局」へ行って
そこで視察のコースを確かめたからだ
そこでは、まず最初に
「ここは皆さん間違えるかもしれませんが、造幣局ではありません
 造幣局は硬貨とかコインを作っていますが、ここでは紙幣とか官報とか
  収入印紙を作っています」
と説明がなされ、同時にそれらの説明が掲載されたパンフレットを渡されたからだ

間違えないようにと注意された印刷局が、報告書では造幣局へ視察に行ったと書かれ
自動的に渡されるパンフレットにもかかわらず、何ももらわなかったとしている
そして高度な印刷云々については、秘密に関することなので実際は印刷している場面は
遠くから見るしかできず、参考になるとまでは言えない状況であったことを確認している

こうなると、本当に議員さんたちはその現場に行ったのか?
と疑いが生じてしまうが、そこは行政訴訟なのでその問題は深く追求されずに
視察自体がが行政にとって有益なものであったかどうか、、のみが論点となった

視察が有効であったか否かについては、市議会の一般質問である議員が
少しばかり皮肉を込めて、視察に効果があったかを行政に聞いている
質問の意図がわからない行政は、無邪気に正直に答えている
特に役立つことはなかった、、特に高度な印刷を使わずとも
今までの技術で、問題はクリアしている、、、
(なんでこんな質問をするのだろう?と市のお偉いさんは思っただろうが)

原告側は、自分たちの出かけた状況を事細かく書いた資料を準備書面とともに提出した
すると、相対する方は大いに参考になった原告側の報告書を読んで、
今度はそれに基づいて反論のための書類を作成した
だが、そうこうするうちにどうも辻褄の合わないところが生じて
裁判長から弁護士に「ちゃんと聞いて提出してください」との注文が出ることになった
という訳だ

ここで問題となっている2日目の視察だけでなく、
このときの政務活動費を用いての行動は、まだまだ奇妙な事があり
結果的にその当時の議長の顔を潰すことにも及んでいる

それにしても、人はなぜ自分が間違ったことをした時に
素直に謝ることができないのだろう、、と思ってしまう
それさえできれば、おおごとにならずに済んだのに

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