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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

やはり今年の7月は暑かった

2025年08月02日 08時41分08秒 | ダイアリー

昨日は暑かった
夕方、庭の水やりをしている時、頬をすり抜ける風はぬるかった
数日前までは少しは体温を下げるような気がしたが
昨日はこの分だと夜に窓を開けていても入るのは熱い風で
眠れないもしれないと心配になった
(今まではエアコンを切って眠りつけばそれなりに寝られた)

ところが寝る時になって、畳に敷いた布団に寝転がると
気持ちひんやりした風を感じることができた
もしかすると、、、の期待は叶えられて、朝方3時半くらいまでは一眠りだった

朝だけは気持ち良いという感覚は今朝はなかった
もうすでに蒸し暑い
早い時間からエアコンに頼るしかないと諦め気分になる

メモ魔の同居人は部屋にいくつもかかっているカレンダーの一つに
朝の気温と湿度をずっと昔から書き込んでいいる
その数字はエクセルデータとして保存してあるので
例年のように7月の気温の比較をしてみることにした
それがこれ

薄い緑が今年 青いのは2018年

低い気温を示している赤いのが2019年

やはり今年は暑かった
それをこうして確認したところで、どうなるってことはないが
それにしても参るな、、と思うばかり
夏は嫌いだ!

 





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「(時が経てば)いつかわかる」

2025年07月24日 08時40分26秒 | ダイアリー

父の思い出はあまり多くない
だが一つ覚えていることがある
「いつか(お前も)わかる」と父が言ったことだ

多分、血気盛で生意気な自分が「こうあるべきだ!」
と一本調子な理屈で問い詰めたのだと思う(多分、高校時代)
(社会が)上手くいかないのは、やるべきことをしていなくて
一人ひとりが甘えているからだと怒りながら言ったと思う

「だが、そうじゃない、人間は、、、いつか、お前もわかる」
父はそう言ったが、何か誤魔化されたような気分でスッキリしなかった

今、父の生きていた年齢を超えて感じるのは
父の言ったとおりかもしれない!という思いだ

確かに自分でも自覚しているが、昔よりは丸くなった
(体型ではなくて性格的が)
昔は、あるべき姿がこうなら、こうすべきだ
ずるいとか横着なことはいけない
ちゃんとすべきことを一人ひとりがしていけばすべてうまく収まる
と言っていた

しかし今は横着で、ずるくて、面倒くさがりで、怒りっぽくて
楽したくて、責任は負いたくない、、、と思うような人が
自分も含めて大勢いることを経験しているので
物事は理屈どおりにいかないのが当たり前と思う

何故、彼のことをそんなに軽蔑していたのだろう?
と思っていた人のことを思い出す
彼は一応、責任ある立場にいたが、それまでは言われたことをやるだけ
(つまりは公務員)の生活が長く、それは自身の生き方にまでなっていた
だから判断はあいまいで、、せっかちな自分は、覚悟も責任感もなくて、、
と思えて仕方なかった

でも、しばらくの時間をおいて、その人と会った時に
自分の感じ方の変化に気がついた
簡単に言えば、「そういうこともあるだろうな」と思えるようになったのだ
ひとにはいろんな事情や性格がある
そして、そういう人たちの気持ちを想像する余裕が持てるようになると
それも仕方ないとも思えるようになったのだ

世の中は自分が思う通りに行くことは、殆ど無い、、という自身の経験は
ありがたいことに、諦めという形にならずに
それでも何かを求めたい!という性格になりつつある

でも、面倒くさいやつだな、、と人は思っているかもしれない
(それでも、いつかわかる!と思うことにしている)

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タイムリーなタイトルの本が届いた

2025年07月23日 08時45分12秒 | ダイアリー

早朝は涼しかった
タオルケットをかけるほどではなかったが
昼もこのまま続いてほしいと願わざるを得なかった

太陽が雲に隠れているせいで気温は上がらずにいたのだが
太陽はたった一つなのにその影響力は凄まじい
日本の国旗は太陽を現していて、太陽は良きものとしているが
(天照大神も太陽の扱い)ここ最近の夏の気候を思うと
太陽を無邪気に賛美できない

中東の国旗に月が多いのは、太陽の光では強すぎて却って困り
その分、優しい月の光を崇めるためらしい
(その気持わかる!)

ところで、読みかけの本があるにもかかわらずアマゾンで手に入れたのが
社会が異様にざわつく気配があるこの時期にとてもタイムリーなタイトルの
「もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために」加藤典洋著

まずは本のタイトルが気に入った
届いてすぐに読み始めたが、内容は予想したのとは少し違っていた
少しばかり学術的な専門知識を要するもので、今の時代を予言しているような
ものではないようだ(途中までしか読んでないので違うかもしれないが)

でも、人は何かを求めていると、その求めているものは目に入ったり
手に入るものだと実感した(今の気分としてはにこのようなものを求めていた)
そしてこういうことが続く時、自分は今ついている!と思うことにしている

それは科学的でないとしても、別に人に迷惑かけることでもないし
自己完結するだけだから問題はないだろう

さて読みかけは、とりあえず今日でこのタイトルの部分の章は読み終えられそうだが
その時、どんな感想を持つだろうか

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やらないよりはやったほうが良い、、ということで

2025年07月11日 09時09分37秒 | ダイアリー

起きたのは5時半
そのせいかルーティンが一段落したら眠くなってきた
ソファに座っていると
あれ、今何時だったかな?
昼ご飯は食べたのか?
なんて頭に浮かんだ
どうやら瞬間的に寝ていたようだ

クソ暑い夏
体温調整にそれなりのエネルギーを使うせいか頭が回らない
なんか、ボーッとした感じ
困るな、日本の夏は、、全く

クーラーが効き始めて涼しくなると体も楽なだけでなく
面倒くさいことも考えられるようになる
昔、アニメのエイトマンがタバコみたいなものを飲んで(吸って)
頭(人工頭脳?)を冷却していたことを思い出した
少年漫画でタバコを吸うシーンはふさわしくないのでは!と思ったりしたが
今思うと的確な必要なシーンだったのかもしれないと感じた

昔はおおらかなSFが多くあった
頭の中で音がすると言う「不思議な少年」は時間を止めることができたし
「スーパージェッター」も30秒間時間を止めることができた

よくよく考えると「竹取物語」も全くのSFで
かぐや姫が月に帰るとの設定は随分ぶっ飛んだ物語だ
「浦島太郎」も示唆に富んだ物語で、龍宮城と現実世界の時間経過の違いを
説いているがそれはまるで相対性理論を知っていたかのようだ

年を取って記憶力の低下を実感しているが
小説(物語)と社会的な分析書(問題提起書)では両方とも記憶に残らない
のではなくて、後者のほうが記憶にとどめているのは難しい
物語は詳しくは覚えていられなくても、なにか肝心なことは覚えていられる
だが、物語以外の本は、漠然とした印象しか覚えていられない
(だから重要なところは付箋をしたり、アンダーラインをひいたりする)

ボケ防止のこのルーティンも夏は続けるのが難しい
とりあえず、やらないよりはやったほうが良いということで
この内容でお茶を濁すこととする











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日本の夏は暑い

2025年07月01日 09時41分56秒 | ダイアリー

流石に昨晩は蒸し暑かった
南の窓を少し開けておけば、朝はタオルケットを被るくらいの日が
続いていたが、夜中につい目が覚めたときも、涼しい風は感じられなかった

夏は下で寝ることにしている
2階はとても寝られたものじゃない
畳に布団を敷いて寝転がると、エアコンで冷えた畳の冷気が
それとなく感じられて、おまけに湿気も木と畳が吸収している

つまりは馬鹿げた湿度には我が家はならない
でも、エアコン無しで寝られるのももう少しの間だけかもしれない
庭に打ち水をしてもあっという間に乾いてしまったり
地面に蓄熱された熱が部屋に侵入してくる季節になってきている

今の家になって(建て直して)18年になる
その前はもっと暑い中で寝ていた
ブロック塀のすぐ隣の部屋で、塀や空き地に水をかけても
全然涼しくはならなかった
エアコンのない部屋で扇風機だけに頼ったが
今思うとすごいところで寝ていたものだと思う

夏はかなわんなあ
朝だけは気持ちがいい
ほんと、朝だけだ
近所のお墓参りに行って、帰ってから仏壇にお参りをして
ご飯を食べて、掃除をして洗濯物を干して、お風呂の浴槽をきれいにして
それだけで、午前の仕事は終わる

同居人は専用ノートに中日春秋を書き写して
自分はボケ防止のこのルーティンをして
それから、午前のうちに買い物に行く
(今日は半夏生だから、タコを買うかもしれない)

こんな普通の毎日が今はとても貴重なことに思える
しかし、それにしても、、暑い
夏は嫌いだ

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今のところ晴れているが(予報は雨らしい)

2025年06月25日 08時47分51秒 | ダイアリー

現在時刻は8時半
これで昼から雨が降るのだろうか!それも警報級の
空は今のところしっかり晴れている(それも夏の空の色だ)
洗濯物も今のうちに!と外の物干し竿にいくつか掲げている

ただ、いつも計測する湿度は昨日より高かった
岐阜県では洪水警報が出されているとニュースにあったから
そのうち一気に大雨となるのだろうか

でもそんな兆しは全然ない
雨が降るのは仕方ない
それまでにしっかり乾かすことができればラッキーと思うことにした

ところで先日事務で同級生に会った
「久しぶり」「ほんと、久しぶり」
その後、彼女から出てきたのは
「生きてる?」の一言
笑いながら
「でもホント、そうだよね、冗談ではなくなってきてるね」
同級生でも既に数人この世界から分かれを告げている
また、病院に行けば同級生を鉢合わせ!なんとことは当たり前の光景だ

高齢の母は毎晩、「ありがとうございました」
と仏壇と妹の写真に向かってお礼を告げる
その気持はよく分かる
昔、祖母も同じように朝を迎えることができた時は
感謝の気持ちを告げていた
そして今、自分の近所のお墓参りする時は
「見守ってくれてありがとうございます」
と毎度、お礼を言うことにしている

それは効果があるとかないとかの問題ではなく
そうしたほうが気持ちが落ち着くだけだが
穏やかに育ってきた宗教的な感覚はこんな感じ

ということで、暑いこの部屋からはもう少しで退散する
それにしても、今日の天気は、果たして、、、、


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読みやすい本と苦労する本の違いは何か?

2025年06月24日 09時17分36秒 | ダイアリー

図書館の本の貸出期間は2週間
速読派ではないが無謀にも2冊借りた
それがこれ

昔読んだはずだが全く覚えていない「ジャン・クリストフ」ロマン・ロランと
柴田哲孝氏の「暗殺」

ジャン・クリストフは別の出版社からの2冊あって、文字の大きい方にした
ただでさえ目に自信がない上に、ページいっぱいに文字が並んでいるとなると
気力さえも失せてしまう
果たして480ページを2週間で読めるか?と思いつつも、
パッと目に入った「暗殺」も借りてしまった

借りる時に、「絶対読み終えることはできないと思うけど」
と言い訳したが
「一度は継続して借りることができます」
と図書館スタッフが助け舟を出してくれた

梅雨の時期で晴耕雨読に徹しやすいので、とりあえずジャン・クリストフから読み始めた
小さな文字でしっかり書き込んでいる
スタートは誕生のときからで、おじいさんやらお母さんのことが書かれている
このペースで青年、老年まで行くのか、、と思うと作家の頭の中とか
精神力とか忍耐力はとんでもないものだと思う

ちょっとした段落まで読めたので、「暗殺」の方に移った
これは冒頭に「これはフィクションです」の但し書きがある
内容は違う名前で物語が進めれれているが、誰もがあの事件のことだとわかる
その事件は安倍晋三氏の奈良県で起きた事件だ

あの事件は一部ではケネディ暗殺事件と同様に一部では実行犯は
手製の銃で安倍氏を撃った人物ではなく、ビルの3階から狙撃された
とする説が出回っていた
その証拠に致命傷となった銃弾は肩から入っている点と
銃弾の痕跡がまったくないことが、Youtubeでも再生回数を稼いでいた

この不思議な事実をフィクションとされるこの本ではその答を挙げられている
それはなかなか説得力のあるもので、どこまでがフィクションなのか素人はわかりにくい

この2冊の本で驚いたのは、「暗殺」のほうが圧倒的に読みやすくて
これなら2週間と言わず、その気になれば二三日で読んでしまえそうと思えたことだ
(あの事件後の統一教会などの騒ぎを知っているので)

それを思うと、ジャン・クリストフの方は頑張ってもそんなペースでは絶対読めない
一体それは何故なんだろう?と頭に浮かんだ
ジャン・クリストフが外国の時代も違う舞台だから読みづらいというよりは
そもそも作家の頭の中の熱量というか総量が全く違いからではないか?
ついそんな気がした

今、夏目漱石などを読むと感じるのは、その人格の絶対量が今の作家よりも
ずっと多そうだということ

結局のところ本を読むということは、物語をなどるだけではなく
作家の思考や感情、経験を追体験することで、その量が多ければ多いほど
読むのに時間も集中も要するということだと思う
(物語を楽しむというよりは作家を楽しんでいるのかもしれないと思う)
これは音楽では「白鳥の湖」とベートーヴェンの32番のピアノ・ソナタの
聴いたあとの心に残るものの違いが存在するが、それは一体何なのか?
との疑問が浮かぶのと似ているかもしれない

ということで一冊は読み終えられそうだが、もう片方は
苦労しないと読めそうになさそうと思えてきた
長いものは長いだけの何かかがある
それも古典となっているものから得るものは多いはず
そう言い聞かせて頑張るしかないかも



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記憶の不思議

2025年06月20日 08時29分50秒 | ダイアリー

テレビで孫のことを楽しそうに話す女性タレントさんがいて
彼女は「孫と神経衰弱はしたくない」と語っていた

なるほど、その気持ち、わかりすぎるほどわかる
年齢のせいで短期記憶が恐ろしいほど情けなくなっているから
小さな子どもとのその戦いは勝ち目がないだけでなく
そうした自身の衰えを実感するのは辛いこともある

最近は昔のどうでもいいことは覚えていても、つい先程のことは
情けないくらいに頭に残らない傾向にある
でも不思議なのは子どもたちは神経衰弱のようなゲームでは
それなりの記憶力を発揮するのに、友だちとのちょっと前の喧嘩は
まるで記憶に無いかのように、あっという間に仲直りする
彼らも自然と都合の良い記憶の使い方を身につけているかのようだ

昔のことで全く覚えていないのが「ジャン・クリストフ」の内容だ
ロマン・ロランのベートーヴェンをモデルとした小説は
大河ドラマという言葉が使われるきっかけになったそうだ

自身は若い頃、「ジャン・クリストフ」を読んだ
読んだという記憶はあるが、中身は覚えていない
でも、その後の生き方に対する影響は確かにあった
と自信を持って言えそうな気がする
諦めないこと、努力すること、良いことを信じること
多分そんなことは、読書で内的な体験をするうちに
知らずと育まれたような気がする

何十年後の今、これを読んだらどんな氣がするかちょいと興味が湧いてきた
最近は真面目系の本が多いので、たまには時の流れを実感できるような本も
良いかもしれない

ということで、エアコンの二階でのルーティン作業は早めに終えて
浴槽の掃除、洗濯物を干すお仕事に移るとするか


 

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13年前の6月13日

2025年06月14日 09時16分25秒 | ダイアリー

あまり利用していないFBから、何年前の今日はこんな投稿をしましたよ!
とメールで連絡が来る
その中に12年前(2013年)の6月13日の出来事があった

13年前のこの日はハイデルベルクのフルトヴェングラーのお墓参りをしていた

37年ぶりにドイツ・オーストリアに出かけたのは、同じことをして(同じ光景を見て)
あの時と今とどのような感じ方の違いがあるかを確かめるためだった

その1番最初の確認がフルトヴェングラーのお墓での出来事で
昔はお墓の前で急に頭の中で音がなり始めた
曲はベートーヴェンの第五交響曲で、オーケストラ奏者が何かに取り憑かれたような
熱狂ぶりが聴こえたのだった

そのことは何故か「そういうことはあるものだ」と無条件に受け入れていたが
同じ場所に行ってみると今なら何を感じるか?(聴こえるか?)
を試すために再訪したのだった

13年前のドイツ・オーストリアの旅はこれを始めとして追体験の旅だった
同じことをしたのは、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークで
ゴッホの「ひまわり」見たら、今はどう感じるかを確かめた
(昔は気持ち悪いくらい絵に生命力が溢れていて
 ニョキニョキと茎が伸びていくみたいだった)
そして、リンツではブルックナーがオルガン奏者を務めた聖フローリアン修道院で
昔感じたこととの比較をしようとした
(キリスト教の儀式の壮麗さの中で彼は育ったのだという実感)
更にウィーンではシェーンブルン宮殿で、昔感じた権力者のわがままとか欲望を
今も感じるのかを確かめたいと思ったのだった
そしてベートーヴェンのお墓では、昔は理由もなく涙が出て止まらなくなったのだった
(こんなに遠くまで来ることなったのはベートーヴェンのせいだと思っていたから)

でも、追体験をしてみてはっきり言えるのは、昔の感じやすい時期に感じたことは
今は何も感じられないということだった
それは悲しい現実だが、たった一度の経験でも確かにあの時は
そう感じた!ということは紛れもない事実で
それは忘れられない記憶として残っている

人は確かに現実社会の中で生きている
でもそれだけでなく記憶の中とか、自分との対話の中で生きている
そしてそれがなかなか軽視できないもので、実生活の判断への基準は
むしろそこから生まれるような気さえする

13年前のフルトヴェングラーのお墓のことは、こんなことを投稿していた
↓↓
ドイツにて

でも自分はもう少し実生活における細々としたことを
もう少しちゃんとできるようにならないと駄目だな!
と同居人の生活におけるたくましさを見て思う

ところで体調はだいぶ戻ってきた
昨日一昨日は一体何だったのだろう

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ここ2日は体調が悪かった(気力もイマイチだった)

2025年06月13日 16時20分16秒 | ダイアリー

健康と気象(気圧など)は関係ないとする考えがあるようだが
少なくとも個人的な実感からすると大いに関係があると思う

天候の怪しかった昨日と今日は体調が優れなかった
なんだが頭がフラフラして、やる気が出ない

こんなことは季節の変わり目の春にもあった
めまいと吐き気、もしかしたら何か体の異常があったかもしれないが
とりあえず寝ることで問題は収まった
その時は、夜中にスマホのブルーライトを見続けたのが悪かったかも
と思ったが、そういえば今回も眠い中でスマホを見ていた

何事も程々にしないとアカンな
全ては年齢のせいの一言で片付けられるが
それでもいろんな警告は守らねばと、反省しきり

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