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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

昔読んだ漫画

2025年02月15日 09時48分56秒 | ダイアリー

歳を重ねると短期の記憶はますます怪しくなっていく
人の名前は覚えられないし、出来事が二三日前だったのか
それとも一月以上前だったのかがわからず
後で調べて自分の印象との違いに驚く

代わりに不意に思い出すのが昔の記憶
今朝は突然、鉄人28号に登場するロボットで
自分がかっこいいな!と思ったのはオックスだったと頭に浮かんだ

このことは覚えていたが、オックスがどんな格好をしていたかはわからない
そこで便利な検索機能を使ってみた
黒いロボットで、鉄人よりもロボットロボットしていなくてスマートな感じ
(悪人風だが)
名前はブラックオックスが正しいらしく、フィギュアでも人気があるようだ
なんだか記憶の中とは違うが、これだったのかと確認できてホッとする

昔のことを思い出したので、ついでに浮かぶに任せてみると
昔見た漫画のことを思い出した(少年マガジン、サンデー、冒険王、ぼくら)
鉄人28号の他に、時代の前後はわからないが「丸出だめ夫」「ホラ吹きドンドン」
「おそ松くん」「伊賀の影丸」「紫電改のタカ」「巨人の星」「あしたのジョー」
「俺は直角」などがぱっと浮かんだ

自分は長男で上と下に女に囲まれていたので、子供の頃は少女マンガもついでに見た
「マーガレット」「少女フレンド」「りぼん」がそれで
「リボンの騎士」楳図かずおの「へび女」などがあるが
その中でタイトルだけは覚えているのが「学生たちの道」(西谷祥子)

学生たちが青春を謳歌する舞台がヨーロッパの街で、その風景や雰囲気が
想像力豊かだった子供の頃には憧れにつながっていたかのようだ
そしてその街はずっとドイツの「ハイデルベルク」に違いないと思い込んでいたが
調べてみると「主人公がウィーン出身」「舞台はスイス」だった

ハイデルベルクはフルトヴェングラーのお墓があるし
ウィーンは大好きなモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーゆかりの都市で
いずれの都市も自分にとっては特別な都市で
子どもの頃からこれらの都市に行きたいと思っていたのかもしれない

それにしても昔の漫画は、結構真面目な教養小説的な内容のものが多かった気がする
最近の漫画は見ていないのでわからないが、それに該当するのもは
やはりたくさんあるのだろうか?
吸収力の高い若い人には、ためになりそうな漫画に触れることは大切だと思う

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昨日は体調不良

2025年02月13日 08時32分58秒 | ダイアリー

昨日は体調を崩して半日ほど寝込むことになってしまった
予定していた同居人との恒例の行事は中止、別の日を当てることになった
季節が変わるこの頃は、昨日のようにフワフワとめまいがすることがある
寝れば治ると自己判断して、とにかく寝ることにした

昼間寝ると夜眠れないということは、昨晩に関してはなかった
9時半から朝の6時近くまで、一旦目は覚めたが
何かを考えながら眠れた気分で起床した

最近、病院で知り合いに会うことが多い
みんな歳のだから互いに気をつけようと声を掛け合う

さて、めまいの原因は何かを想像すると、思い当たることがないことはない
だから昨日はブルーライトの発行物を手にすることは極力セーブした

病気になるとつくづく健康第一を実感する
人の体だけでなく、社会も健康第一だと強く思う




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虫歯

2025年01月17日 08時55分36秒 | ダイアリー

数日前から下の奥歯が変だ
普段は何ともないが、何か食べる時になってそこに触れると
「痛い!」と感じるようになってる
以前もそうしたことがあって、放ったらかしにしていたら
そのうちに痛みは感じなくなった
その経験があったので今回もそのままにしていた

食事は右側の歯で噛むようにして、少しづつ食べている様子を見て
同居人は「歯医者に行けば!」と半ば強制的なトーンで言う

実のところ右の歯で噛んでも、左側にいかないようにしているので
咀嚼は不完全で塊が大きいまま飲み込んでいる
そうすると少し心配なのが、胃腸に負担が多くなってしまいそうということ
それで食後は胃腸薬を飲んで対応している

でも本質的な解決法ではないから、やはり歯医者にいかないと物事は解決しない
歯医者に行くことに気が進まないのは、あの音が怖いというのではない
その理由はただ一つ、混んでいて待つのが面倒くさいからだ

人間の体はたった一箇所が悪いだけで、他の部分も負荷が多くなって
悪くなるということが珍しくない

仕方ない、、歯医者に行くことにするか!
とネットで歯医者の診療時間を見る
予約なしだからしばらく待つことになるが
読みかけの「赤松小三郎 もう一つの明治維新」が終盤になっているから
それで十分時間つぶしができるだろう

ということで、本日の大きな行事は歯医者に行くこと
なんか、情けないが仕方ない

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知らないことは、呆れるほど多い

2025年01月16日 10時36分11秒 | ダイアリー

現在、東三河で話題になっているのが豊橋の新アリーナ建設のゴタゴタ
隣町で気になっているが詳しいことはわからない
だが先日ある会合で高校時代の同級生に50数年振りに会い
ラインの友だち登録をしていろんな情報交換をすることになった

出会った会合は、狭山事件に関する勉強会で
そこでは人権が蔑ろにされた実態が事細かく教えられ
今後、傍観者であった自分たちも何をすべきかを問われるものとなった
(勉強会後には市議会議員に声を掛けるアクションを起こした)

勉強会で人権問題に取り組んでいた同級生にあったのだが
彼は数年来問題となっていた新アリーナ建設に関しても関わっていて
ラインでしばしば市長戦後の市議会等の経過とか情報を送ってくれた

地元紙にも行く末が不透明なこの問題を連日伝えているが
さて物事の本質は何か?と今更ながら調べてみると
実は何も知っていなかったことに気づいた

物事をハコモノ行政の是非と単純化するのは好みではないので
もう少し新聞記事などを読み見直して全体像を理解しようとした
わからなかったことの一つは、事業計画の運営に関する事柄で
日本総合研究所の市場調ではPFI BTO方式では赤字予想 
BTOコンセッション方式では黒字となっていたのだが
不思議なことに最終報告書では赤字のPFIBTO方式のみが記されていた

これは3月の中置新聞に記事として紹介されていたが
2つの方法を調査したのに、なぜ黒字の方の予想を報告書に書かなかったのか
とは誰もが思うが、情けないことに自分がわからなかったのは
事業の方法「PFI BTO」「BTOコンセッション」の内容が全く知らなかったことだ
知らないということは理解できていないことなのだが
昨日、同級生から電話があって約1時間にわたって
それらの説明を受けた

それでやっと、この問題の全体像がおぼろげながらわかってきたような気がした
でも一気に多くの情報を得たので少し混乱気味で問題が脳に定着するまでには
もう少し時間が必要な気もする

それにしても、知らないことは本当に多い
知らないことを知るということはちょいと面倒なことだ
豊橋市民の間でもこの問題に精通している人は
ややこしい問題だけにそれほど多くないと思われる

問題は何も知らない人も含めて民意というものが形成されるという事実
民意は無関心の人の存在によって保たれるというのが
ハンナ・アーレントの全体主義の起源にあった一文

みんなが賢くなれば良いのだが、現実的にはそれは無理と思われる
そこで賢い人たちにしっかり考えてもらっていろいろ決めてもらう方法を思いつくが
人は賢くて公平で正義感があってというのはなかなか難しい

こんなふうに考えると落ち込みそうになるが
まずは、できることからやっていくしかないと
自分に気合をいれてみる

※気になった新聞記事はこれ↓


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とりあえず一安心

2025年01月12日 09時27分23秒 | ダイアリー

今朝は地域の資源回収の日だった
我が家の分は早めに済ませたが
心配なのは先日この件で話をしたベトナムの人たちのこと
彼女たちに日にちと場所は教えたが開催時間は教えていなかった

そこで昨日は「ペットボトル、空き缶、ガラス瓶等の回収は
 午前7時半から9時まで」とベトナム語に翻訳して
プリントしたものをアパートの扉に貼っておいた

わかったくれただろう、、と思いつつも心配なので
先ほど(8時半頃)アパートを訪れて、上手くできたか確認しようと思った
その途中、自転車に乗って何処かから帰って来る彼女たちを見つけた
「上手くいった?行ってこれた?」
日本語で聞いたがニュアンスは理解できているようで
笑顔で「ありがとうございます」と答えてくれた

ホッと安心して自宅に帰る時、手を振ると彼女たちも大きく手を振った

とりあえず良かった
これで次からは問題なくこなしていけるだろう

祖国から離れて外国で暮らす人達
そうした人たちが新城でも増えている
その人達は日本のことをどう感じているのだろう
少なくともいい印象をもってもらいたい!と単純に思う

その人達の日本の印象は、おそらく接する人によって決まるだろう
良い人に合えば良い印象
人を道具としてしか見ない人なら、芳しい印象は持たれないだろう

自分は何ができるか大きなことは言えないが
日本に来て良かったと感じてもらいたいと思っている
2,3年前外国をルーツに持つ小学生の勉強の手伝いをした時も
その思いはずっと持ち続けていた

人は社会的な生物で、人の脳が他の生物よりも大きいのは
コミュニケーションを司る部分が発達しているからだといわれる
人間らしくというのは、コミュニケーションを上手く図ることで育まれる

できることなら損得の交渉とか駆け引きではなくて
穏やかな交流が続くことを(トランプさんのことを思うと)願わざるを得ない

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善意の交流

2025年01月09日 15時44分39秒 | ダイアリー

朝、9時頃のこと
外で洗濯物を干していると女性の声がした
「すみません、これどこへ持っていったら良いですか?」
振り向くと二人の帽子を被った女性がいた
少しアクセントがおかしいので外国人だとわかった

手には市指定のゴミ袋を持っている
中を見ると硝子壜が入っている
「あ、それは〇〇公民館へ持っていくことになってます」
二人は首を傾げる
日本語がわからないのか公民館の場所がわからないのか
どっちなんだろう

「少し待って!」
と言って家からスマホを持ってくる
そこでポルトガル語と日本語の翻訳アプリに向かって
「これは今度の日曜日に〇〇公民館へ持っていく事になってます」
と音声入力して画面を見せると
「私たち、ブラジル人じゃない、ベトナム人」
(近くにはブラジル人が多く小学生も3人いるので、ついブラジル人と思ってしまった)

そこで、今度は設定をベトナム語と日本語に変更してもう一度行う
今度は分かったようだが、公民館の位置がわからないようだ
そこでGoogleマップを開いて「〇〇公民館」と検索して徒歩での道を示した
チラッと見た彼女たちは自分のスマホで「〇〇公民館」とローマ字で検索しようとした
でもなかなかうまくいかない

そこで翻訳アプリに向かって
「今から地図をプリントして、それを渡すけど、アパートはどこ?」
と会話を試みる
どうやらすぐ近くのようだ
でも言葉で答えられてもこちらがわからないので
彼女たちに歩いてそのアパートを指し示してもらった
それは我が家のすぐ裏に数棟ある内の一つだった

「少し時間がかかるけど家にいますか?」
というと
「私たち夜勤だったからずっといる」

そこで一旦家に戻って〇〇公民館への道のプリントと
リサイクルゴミの収集日のカレンダーも合わせてプリントして
彼女たちがいる部屋に持っていった

とりあえずこのような状況になったが、すべてが円滑に行ったわけではない
もっと滑ったり転んだりみたいなことがあったが、結果オーライとなった
「困ったことがあったら、声をかけてください」そう言うと
「ありがとうございます」と返ってきた

家に戻って少しの間午前のルーティンワークをしていると
玄関のチャイム音がした
同居人がでて何かを話している
そのうち自分を呼ぶ声が聞こえたので2階から降りると
玄関には先程の女性が何かが入った袋を持ってきた
「あのこれ!」と言って袋を手渡した
袋の中にはみかんとキウイが入っていた

「わざわざ、ありがとうございます」
そう言って、袋を受け取った
ベトナムにもこうした何かお礼をする文化があるのだろうか?
とフト頭に浮かんだが
国とは関係のない気持ちのやり取りなのだろうか

実は今朝はこのことですごく気分が良かった
人と人とは善意で交流することができる
その思いを強くしたのと
「人は人に尋ねられる人になりなさい」
というあるべき人間像が、少なくとも彼女たちには通用したようで
話しかけにくい人物とは思われなかったことが
内心ホッとしたのだった

自分はどう見られているか?は自分ではわからない
でも、今日の結果は喜ばしいものだった





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感謝する気持ち

2025年01月06日 17時58分17秒 | ダイアリー

お伊勢さんは、お願いをするものではなく感謝するものだと何かで聞いた
自分にはお参りしているが、いつも感謝するところがある
それは日課となっている近所のお墓参り
花の水を変えて、線香をつけて、故人の名前を呼んで
平穏に過ごせていることの感謝を呟く

と言っても、自分は信心深いとか仏様を信じているということはない
ただこうした方が自分の気持ちにしっくり来ると感じるだけだ

朝の仏壇のお参り(般若心経を唱えての)は祖父母や父を思い出す
きっかけになっている
そして夜、ベッドに向かう同居人はいつも仏壇に向かって
「ありがとうございました」と軽く頭を下げる
そうする気持ちはよく分かる

信心とか祈りというものはどういうものか?
意味あるものか?
と考えるきっかけになったことがあった

それはある時、癌封じで有名な寺で日本語が良くできない韓国の女性が
「癌封じのお参りは〇〇と△△があって金額が違うけれど
どのように違うのですか?」と聞かれたことが始まりだった

〇〇のほうが△△よりも高価なものになっていたが
その内容は〇〇は毎日朝晩依頼された人の名前を読んで
お祈りをするが、△△のほうは依頼を受けたその日だけの祈祷
との違いで、それを伝えると彼女は迷わずに高価な方を選んだ

「神は妄想である」との本を残したドーキンスが
このシーンを見聞きしていたら腹を立てて文句を言ったに違いない
実は正直なところ、その時の自分もどこかこれで良いのだろうか?
と思ったのだった

でもその女性の旦那さんは癌でもう手の尽くしようがない状態
になっていたそうで彼女としては最後の最後の願いとして
ここまで足を運んだと全くの他人の自分に告白した

その時の彼女の祈りは馬鹿げたことか?
戦争に子どもを送った母たちが無事を祈ってお百度参りをすることは
無駄なことか?
それらはその必死さ故に無駄と自分には断定できない

そして今、自分もそれなりの年令になって
どんなことでも起きる可能性は増えるばかりでも
いつもと同じことができていることが
とても幸せなことと思えるようになっているので
知らず知らず誰かに感謝する気持ちになれている
そして同時に少しづつ諦めということも覚えるようになっている







 

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いつもと同じ毎日

2024年12月31日 09時50分36秒 | ダイアリー

今年は読んだ本が少なかった
旅に出ることもなかった
新しいCDも(多くは)買わなかった
旅はちょっとした理由があって出かけられなかったのだが
総体的に活力に欠けているのかもしれない

でも出費は多かった
家電の故障リレーが続いたからで
井戸の水が出なくなったことから始まって
車のクーラント液の漏れ、オートマの不具合で大金が出ていった
エアコンも新しくした
テレビの寿命により買い替え、汚くなった塀の塗装

お金が出ていくのは喜ばしいことではないが
何にでも寿命があるものだとと深く実感した
そして時間の経過ということは
こうしたことなのだと思い知らされた気分だ

同居人は近くの店のポイントが貯まる日、曜日をしっかり覚えている
キャッシュレスではないが、セルフレジも一応対応できている
ポイントにシビアなのに見習って、自分もPayPayのキャッシュレス決済で
ポイントが貯まるのを楽しみにするようになった

年を重ねると社会との接点が少なくなる
現役のころは仕事を通じて社会と何か関わり合いを持っていた
だがそこから開放されると自ら働きかけないと社会との接点が見つけられない
社会との接点が少なくなってくると、損得からは離れられるようになるので
こうあってほしいということが、割と公平な目で見られると思う

ボケ防止のこれも今日で今年はおしまい
なにか気の利いたことを取り上げようとしたがネタはない
去年の大晦日はどんなことを取り上げたのか気になって調べてみると
大したことはなかった
つまりは、いつもと同じ毎日なのかもしれない
それは多分良いことなのだろう


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身にしみて実感する和歌

2024年12月29日 09時46分31秒 | ダイアリー

大河ドラマ「光る君へ」は月が象徴的に何度も登場した
同じ月を二人が違う場所で眺めているといった簡単な意味合いではなく
ライトモチーフのように使われるには何か意味があるのだろうと想像した

これは教科書にも載っている道長の有名な
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
を物語の一つの頂点として扱うための伏線かと想像したが
実は紫式部の歌にも月を取り上げているものがあった
百人一首の
「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」
がそうで、紫式部の自信作だったとも説もあるそうだ
演出家は二人にとって象徴的な意味を持つ月を
通奏低音のように意味ありげに使ったのかもしれない

今とは違いもっと暗い夜に、昔の人が月を眺めるのは
月に何かを祈るような気持ちになったのかもしれないと思う

ところで今年は1月に妹が雲隠れした
そのせいか死について少し敏感になっていて
自分にもやがてくるその時を思うことも多くなった

在原業平はこんな歌を詠んでいる
「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」
現代文にしなくても言わんとすることはわかる
きっとそうなんだろうな、、と思う

源氏物語では光源氏が紫の上の死後、時の流れに身を任せて
暮らしているだけ(生きているだけ)の状態で詠んだ歌は
「もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる」

何となくわかるというのは、良いことか良くないことか

大河ドラマでは道長が亡くなった同じ日に
F4の一人藤原行成も亡くなったとされている(歴史的事実?)
まるで殉死のような出来事で、如何に行成が道長を慕っていたかを
想像させる出来事として扱われている

仲の良かったF4の残った二人は、行成の死に際しこんな歌を詠っている
藤原公任「見し人の亡くなりゆくを聞くままに いとど深山ぞさびしかりける」
藤原斉信「消え残るかしらの雪を払いつつ さびしき山を思いやるかな」

なんか良いなあ、、と、しみじみ思えてしまう




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次々と出てくる故障など

2024年12月13日 09時19分29秒 | ダイアリー

今年は電化製品の不調が続いている
まずは3年ほど使用したiPhoneが突然作動しなくなるようになった
そこで、今の生活では高機能は必要ないので
一番廉価モデルのSEを購入した

次は9年目の車検で、クーラントの不足が頻繁に起こることを伝えると
どこかに穴が空いていて漏れるとのことで
その修理に笑えないほどの金額を要した

その他にもオートマの変速時にショックが大きいので見てもらうと
変速機の機械的な不調が見つかり、これも載せ替えして
多くの渋沢さんと別れれることになった

これで一段落と思いきや、今度はテレビ画面が急に二重に見えるようになった
色もおかしい
このテレビは8年くらい前に購入したものだが
見れれば良い!と言う感覚で少しばかり廉価のものにしていたのだった
結局、それなりの価格のものを購入する羽目になった

3週間ほど前には、17年使い続けている床暖房の部品(リモコン)の
3つのうち一つが何の反応もしなくなった
急いでメーカーの問い合わせてサービズの方が来られて
チェックすると不意に普通に作動するようになった
どうやら接触不良だったようだ
しかし、屋外機器も長年使っているから、そろそろ故障するかもしれないし
修理するにも部品がないかもしれない!
との恐ろしい言葉を聞く羽目になった

もう一つの屋外機器、エコキュートも17年使っているから
いつ不調になっても不思議ではない(怖い怖い)

そして次は
実はこれが一番ショックが大きいかもしれないのだが
レコードの再生時に全く音が出なくなった
CD再生時には音が出るので、レコードの周辺機器に原因がある
怪しいのはフォノイコライサーだ
これももう10年以上頑張ってきている
ということで、今日はオーディオショップに修理等の相談に

どういう理由か、こうしたものはバトンリレーのように次々と現れてくる
たまたま機械的な寿命が重なっただけかもしれないとしても
なんかショックだな

ついつい、こうした状況と自分の体調の不良を重ね合わせてしまう
相変わらず腰はイマイチだし、腰から来る股関節関係もどこか違和感がある
記憶力も目もなんだか怪しくなってきてるし
瞬発力なんてものは運動機能も思いつきにも見られなくなっている

全部、仕方ない、、と思うしかないのだろう
時間が経過するというのはこういうこと
そんなことを気にせずにいられるのは、それだけで幸せなことかもしれない


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