太った中年

日本男児たるもの

選挙談義

2009-08-31 | weblog

昨日っていうのかさっきまでマンション管理組合と自治会の会合があって宵の口から近所のオッサン、ジイさん連中とズーと一緒だった。両方とも選挙の話で持ち切りだった。で、話を聞いていて感じたのがローカルなごく普通の選挙民は、「政権選択選挙、民主圧勝」っていうマスコミの事前報道通りのことしか話題に出来ないことだった。まあ、選挙なんて予定調和でそんなモノだろうな。ただ、話の中であるオッサンは、前回小泉郵政選挙のとき、女房が全国注目の隣の選挙区片山さつき選挙事務所へ行き、当選直後のテレビ・インタビューをたまたま受けて「これで改革がより一層進みます」って答え、味をしめて今回もまたまたテレビインタビュー狙いで隣の選挙区の、今度は迷った挙句民主党候補者の選挙事務所へ行ったと言った瞬間、テレビで城内クンの当確がでた。「目立ちたがりの女房にはマイッタナ]と照れくさそうに言っていたのがウケた。メマイがする自慢話だった。

 

自民党大物議員の落選こそが選挙の花だと主張いていた。

我が静岡8区では

当 斉藤進 民主党 新  123547

落 塩谷立 自民党 前  114677

文科大臣の落選はニュースにもなりゃしない。

自民大物落選を詳報、政権交代に関心…中国報道(読売新聞) - goo ニュース

アリャマ、中国が関心を示すとはね。今年、中国にGDPで追い抜かれるのは必至なワケで、そうした日中間の経済競争を問題視する政治家は誰一人いなかった。由々しき問題だ。

 

公明・太田代表、北側幹事長が辞任表明(朝日新聞) - goo ニュース

太田、北側、冬柴各氏の落選は信心が足りなかったことが原因。


2人の暇人

2009-08-30 | weblog

まさかの③連チャンで友人Hがやってきた。と言っても、午後、車の保険のことで来たから仕事だと言えなくもない。用事はすぐ終わり、Hはソファで寝そべり、アイスコーヒーを飲みながらダラダラと夕方まで事務所に居た。もうこれと言って話すことはないから困ったものだ。そうこうして2人の暇人が一緒にいるとより一層ヒマで退屈になる法則を発見した。それを手掛かりに、ではこの退屈な日常をどのように過ごすのかをテーマに会話をしようと試みたが口数は少なかった。実は昨年末、不況対策について話し合った。そのときはとにかく経費削減、ムダな出費を抑えること。それにはナニもしないでジィーとしているのが一番だという結論に達した。Hの場合、不況の中心である自動車産業の末端内需、中古車屋だから事態は深刻で、昨年秋より売上げが激減し、来年末まではダメだろうという大方の景気予想に準じている。そしてとうとうジィーとしているのが限界に達し、精神的に不安で苦痛になったのだろう。不安には、例えば前エントリーの、死に対する不安は誰にもあるワケで、だから不安を解消するためにナニかをする、Hの場合は犬を飼い家庭菜園をしている、そうした行動を促す効用がある。仮に死に対する不安がなくなれば犬も家庭菜園も必要なくなって、退屈で干からびた日常を過ごすことになる。しかしながら今回は不況による退屈な日常を不安に過ごしているのだからジレンマだ。不安の効用は機能しない。2人の暇人が一緒にいるとより一層ヒマで退屈になる法則は云わば2人の暇人による不安のチキンレース、ゲーム理論でいうところの囚人のジレンマに相当する。従って不安の抑止として暇なときはなるべく会わない方がいいということでお互い納得した。物事をアレコレ考え、話し合ったところでどうにもならない時代なのだ。

囚人のジレンマ


輪廻転生

2009-08-29 | weblog

バリ・ヒンドゥー

輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう)

1.輪廻のこと。
2.転生のこと。
3.1と2をあわせた言い方。
 
転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャなど世界の各地に見られる。輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。

「輪廻」と「転生」の二つの概念は重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合も多い。この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)、転生の一語のみの用法は人間の形に限った輪廻転生(チベット仏教の化身ラマなど)を指すニュアンスで使われることが多いといえる。また、キリスト教などにおける「復活」の概念は「一度限りの転生」と見なすことも出来よう。ただし、復活の場合はより狭く、生前と同じ人格を保ったままの転生である。

(以上、Wikipediaより引用)

 

Hがまた我が家へ来た。近くの仕事帰りだと言っていた。ウソツケ。

 

「それから、以前、Hとともにバリ島現地の友人宅へ行ったことがあった。」

前エントリーよりそのときの話がまたまた話題になった。

 

友人Hとバリ島現地の友人宅へ向う途中、火葬の儀式があって通行止めに遭い迂回して行った。Hの現地友人はサーファーガイドで日本語も上手い。家に到着するや家族を交えて火葬の話題になった。

暫くしてHが「死ぬのはコワイよなぁ」と言うとサーファーガイド君は一瞬キョトンとした表情になり「コワイ?ナゼ」と聞き返して笑い始めた。「死ぬのはコワイ」ことを家族に伝えるや一家全員が笑った。

逆にHが「ナゼ、ワラウ?」と問うと、サーファーガイド君はバリ・ヒンドゥーの輪廻転生について説明し、死は神様が決めること、死ぬのは当たり前で、死を怖れる日本人が可笑しくてならないと言った。

Hはいたく感心し、傍で聞いていて「なるほど土着信仰とはこういうものか」と興味深かった。サーファーガイド君の家は海辺の小さな村落にあり、寡黙な親父は漁師でそこの村長さん。毎朝早く漁に出て必要以上の魚は獲らない。それは輪廻転生の教えから成っているそうだ。

Hが熱心に家庭菜園を始めたのは、実はサーファーガイド君の親父の質素で素朴な暮らしに影響を受けたからだった。独身中年男Hは、輪廻転生を言葉では理解できるけど、バリ島で生まれ育ったワケではないから今更信仰を持つことはできない。つまりは死に対する不安は解消できない。少しでもそれを紛らわせるため犬を飼い家庭菜園を始めた。これは耳にタコが出来るほど聞かされた話だ。

h:「オレには犬の世話と畑仕事がある、もうキャバクラへは行かない」

h:「テレマカシー」(ありがとう)

b:「サマサマ」(どういたしまして)

キャバクラへ行くと思ったら、またまたキャバ禁宣言して帰った。一体何度目だ。

おそらくHの来世はキャバクラの店長に輪廻転生するだろうな。

それにしてもHはヒマなヤツだ。


ブンクス

2009-08-28 | weblog

突然、友人Hが芋焼酎を片手に我が家へやってきた。正しい夫婦生活の指導をするためと言っていたが、キャバクラへ行くまえにハズミをつけたかったのはミエミエだ。いつもながらの寂しい中年独身男。

b:「生活指導ったってフィリピン人妻だぞ、それにオマエ、バツイチじゃないか」

h:「ん?オマエ、彼女と付き合って何年?」

b:「デキチャッタ結婚で1年半、夫婦生活は1ヶ月半」

h:「バーカ、バツイチ後オレはバリ島の女と10年付き合ったんだぞ」

h:「バツイチというのはそれだけ女の辛苦を舐めたってことだ、若輩者」

b:「ハハァー、バツイチ閣下、おみそれ致しました」

そうだった、友人Hはバリ島渡航歴15年で50回以上を誇るバリフリークスだった。何度か一緒にバリ島へ行ったとき、Hは時々現地妻のアパートに泊まった。彼女はコーマン(次女の意)っていう神をも畏れぬ名だった。バリ島には神々の棲むアグン山を臨むキンタマーニ高原もある。それはそれとして家事をマメにする妻との夫婦生活にこれといって問題はない。強いて言うなら妻の野菜嫌い。

 

h:「アノネ、そんなもの放っておけ。コーマンなんて10年間一度も野菜を食ったことはない」

以後、芋焼酎でエンジンの掛ったHの独壇場と化し、衝撃の真実が次々を浮かび上がった。掻い摘んで言えばコーマンとフィリピン人妻はまったく同じライフスタイルだったのだ。田舎から出てきて繁華街で暮らし、掃除、洗濯、アイロン掛けをマメにやり、料理はダメ、一日2度の食事も同じだった。

h:「タベモノ アシタ ウンコ ナル」

h:「ソレヨリ クツ カッテ」

h:「クソになるものよりクソにならないクツだとさ」

b:「おお、それは偉大なる真実」

繁華街に住むバリ人の一般的な食生活は、屋台でライスと鶏のから揚げを一緒に油紙で包んで持ち帰るブンクスと呼ばれるスタイル。日本円で50円位、それを毎日2回食べ続けるワケだ。Hがコーマンを食事に誘っても受け付けないから、食事に人生の重きを置いてないのだろう。

それから、以前、Hとともにバリ島現地の友人宅へ行ったことがあった。そこは小さな漁村で現地の友人の親父は漁師。「メシを食っていけ」と言われ、出された食事は不気味な魚の丸揚げとライス。パーム油で揚げていたので臭くて食べられなかった。毎日同じ食事だと現地人は言っていた。

b:「あんな油っこいメシが毎日なら早死にするのでは」

h:「バリ人の平均寿命は60~65歳位」

h:「あと、野菜の代りに果物はよく食べる」

h:「時間だ、キャバクラへ行く」

b:「テレマカシー」(ありがとう)

h:「サマサマ」(どういたしまして)

Hによればバリ・ヒンドゥー教の教えからバリ人は人生50年と考えている。そして宗教儀式が人生で最も重要であり、儀式は特別な果物を供物にするそうだ。だから食生活も宗教的な慣習に支配され「日本人のグルメとは全然違う感覚だ」と意味深いことを言って、キャバクラ夢遊病者のHは旅立った。


挫折の検証

2009-08-27 | weblog

長期的関係の呪い

きのうの記事の続きだが、日本の自殺率がなぜこれほど高いのかというのは、かなり深刻な問題だ。それが「失われた20年」に増えたことから考えても、いま日本社会が直面している変化を象徴しているように思われる(テクニカルで長文)。

(池田信夫blog 以下、長いので省略)

上記は池田センセが日本の自殺率の増加について論じたモノ。日本は一度失敗すると二度と立ち直れない社会的規範=強固な村八分社会であることを指摘している。ホリエモンが仮に最高裁で有罪判決を受けた場合、嘗てIT産業の寵児だったことは消し去られ、残りの人生は犯罪者としての烙印を押されるワケだ。それを踏まえて、前エントリー、タガログ語によるマルチプライへの投稿は一度も投稿することなく挫折した。手間が掛って面倒なだけでタガログ語の学習にならないことがよく分かった。ストレスが溜まっただけだ。村八分社会なのでもう二度と立ち直れない、と自分に言い訳をしたところで、以下を検証。

 

挫折:事業や計画などが途中で駄目になることや、そのために意欲をなくすことを指す。

 

挫折をチャンスに変える5つの心得 - All About

挫折にあったら、冷静に自分の人生を見つめなおそう

挫折を契機にその後の人生をプラスに転換させるのも、マイナスの底に埋没させるのも、あなた次第。では、プラスに転換するには、どんな具体的にどんなことに注意すればいいのでしょう。以下の5つのポイントを参考にしてみましょう。

その1) あわてて行動を起こそうとしない
挫折にあったときには、しばらくはむやみに動こうとしないことが大事。つらくても動向を見ながら、この逆境から何を学ぶべきなのかを考えます。

その2) 憎しみを引きずらない
誰かによって挫折に陥れられた場合、いつまでもその人を恨まないこと。また、自分より成功している人をねたまないこと。憎しみの気持ちを引きずっていると、この逆境から何を学ぶべきか、どう対処したらいいのかが、見えなくなります。また憎しみをバネにして行動を起こそうとしても、長い目で見ると幸せは得られません。

その3) 見直すべきポイントをチェックアップする
挫折に陥ったのは、自分に何らかの非があった証拠。見直すべきポイントは何かを、洗い出します。このとき、自分を反省することなしに、人や境遇、環境のせいにしてばかりいると、それ以上の成長は得られません。

その4) 次の挑戦のために研鑽する
自分に足りないところがわかったら、それをどう克服できるか、考えてみましょう。また、それと同時に自分なりの魅力を発見し、伸ばしていく努力も必要です。

その5) 十分磨かれてからチャンスに生かす
自分が十分に磨かれてきたら、それを生かすチャンスを待ちます。十分に成熟していないうちに生かそうとしても、大きな飛躍はできません。あせってすぐに結果を出そうとしないこと。また、チャンスが見つかった後も、自分を磨く努力は怠らないことです。

(引用以上)

ガイドの大美賀直子さんをプロフィールで見る限り一番苦手なインテリオバサン。だからってワケじゃないけど上記5つの心得はそう上手く役立つのかな。その1とその2はまあいいとして、問題はその3。「自分を反省することなしに、人や境遇、環境のせいにしてばかりいると、それ以上の成長は得られません」は冒頭池田センセの「二度と立ち直れない社会的規範=強固な村八分社会」の考え方が欠落している。果たして環境のせいで自殺に追い込まれるような挫折の場合、5つの心得に有効性はまったくない。「イヤ、そんなことは想定していない」と言われればそれまでだが、5つの心得で挫折による最悪の事態を回避出来ないのなら結局それは気休め程度の取るに足らないモノだ。さらに、どうでもいいような太った中年の挫折も最後の「自分を磨く努力は怠らないことです」なーんて歯の浮いたことをアンタみたいなブスなオバサンに言われたら、役に立つどころか余計にストレスが溜る。これってホントだぞ。


Multiply

2009-08-26 | weblog

Multiply

Multiply(マルチプライ)は、アメリカのソーシャル・ネットワーキング・サービス。日本語版は、2006年6月にリリース。

Multiplyは、写真、ビデオ、ブログ等のメディアを、実際の知り合いとのネットワークと、共有することを重視したソーシャル・ネットワーキング・サービスである。Multiplyでは、ユーザーのネットワークは、直接の知り合いのみでなく、その知り合いの知り合いとつながりの近い人が含まれる。また、ユーザーは、他の人との関係を明確にすることを促し、友人、家族、仕事上の関係者など、近いつながりのある人とのネットワーク全体とコンテンツを共有することやを可能にする。

コミュニケーションを重視するSNSで機能が充実しており、更にブログ、写真、動画、音楽など様々なコンテンツの投稿が可能。Multiplyに投稿した写真が表示されるというスクリーンセイバーもある。また、インポート機能が充実しており、livedoor、Blogger、LiveJournal等からのブログ、Flickr、photobucket、shutterfly等からの写真、YouTube、Google Video等からの動画といったコンテンツのインポートのほかに、Gmail、Hotmail、Outlook、mixi等からインポートしたコンタクト先に向けて招待できる機能もある。

(Multiply - Wikipedia)

妻の希望でフィリピンにいる家族や友達のコミュニケーションのため、上記マルチプライで妻のアカウントを作成、ブログ、写真、動画をアップ、サポートした。Taggedとは違い、使い勝手は抜群。で、今後のエントリーはタガログ語の学習も兼ねてマルチプライでアップすることにした。大いなる向学心。

【自民党ネットCM】ラーメン篇

ネガティブ・キャンペーンが人気らしいけど面白くにゃいぞ。

首相「金がねえなら結婚しない方が」 官房長官は釈明(朝日新聞) - goo ニュース

おお、こっちは面白い。麻生さん、珍しい正論。選挙目前の勇気ある発言。

太った中年は結婚したとたんに金がねえ。フィリピーナとの結婚は慎重に。

帰れない二人 井上陽水・忌野清志郎

NHK-Eで井上陽水の特集を見る。故忌野清志郎氏と名曲「帰れない二人」をデュエット、最高だ。


bc

2009-08-25 | weblog

(フィリピン ビコール地方)

bc

bc(ビーシー)とはフィリピン人がよく使う表現で”忙しい”の意。busyの略語で慣習的に使われている。そして、フィリピン人から見た日本人がビーシー。その場合、単に仕事で忙しいばかりでなく、早歩きや時間厳守も含めたトータルな印象で用いられる。なーんてことで、目下、そんな感じでタガログ語を学習している、けどねぇ、年も年なんで思うようにイカない。例えば「私は忙しい」を辞書で調べると「Abala ako アバラ アコ」になっている。ところが妻は「ビーシー」しか使わないからそこでヤル気をくじかれるのだ。大体、タガログ語フィリピン語(ピリピノ、フィリピノ、Filipino)とまあ、言語の呼称からしてこうだから面倒だ。さらに地域によってセブ島を中心にしたセブアノ語(セブ語、ビサヤ語)ってのもある。また、妻の故郷は首都マニラから南方400kmのビコール地方でそこはビコール語を話す。もはやピン中オヤジにとってイジメ以外のなにものでもない。クッソー、フィリピンめ、よってたかってピン中オヤジをバカにしやがって。でも今後のコミュニケーションを考えればティムポ以上に言語学習はヤル気をおこさなくてはイケナイ。あーとっ、そういえば前にも同じようなことをエントリーしていた。奥さん、しなびたティムポはあるけど進歩がないなぁ、まったく。

フィリピン語をはじめよう

 

それから、奥さん、

「医食同源」でローソンとマツキヨが業務提携

コンビニへは行かないほうがいい。


ちょんまげアート

2009-08-24 | weblog

フィリピン人妻は日本のテレビ番組をほとんど見ない。しかし、唯一よく見るのが夕方5時から始まる水戸肛門じゃないや水戸黄門シリーズの再放送。そういえば前のフィリピーナの彼女もファンだった。然るに来日したフィリピーナによる肛門様じゃないや黄門様への支持はかなりのモノだと推測される。羨ましいぞ、肛門様。そして、妻はナンと言ってもジャパニーズ・クラシカル・ファッションの特にヘアースタイルに魅力を感じてやまないようだ。それが「ちょんまげ」だと教えるや、水戸のご老公が陰毛じゃないや印籠を翳して悪代官を成敗する毎度のクライマックスシーンでは「チョンマゲ、チョンマゲ」と言って応援する無邪気な妻だった。これが一日のなかで最も平和な時なのだ。さて、フィリピーナと良好な夫婦関係を維持するには1、フィリピン人の目線で物事を考える。2、夜の営みを怠らない。この2つが大切だと言われている。1については「忍耐」ってことでいつも気をつけているが、問題は2だ。なんたって50近いオッサンでしかも猛暑が続く日本の夏。愛息が元気がないのは自然の摂理である。そこで、妻とのコミュニケーションを円滑に図るため、2の欠陥を埋めるべくあるアイデアが閃いた。過日、妻がメイクアップしているとき背後から忍び寄り、しなびたティムポを愛する妻の頭上に乗せて「チョンマゲ、チョンマゲ」と囁いたのだ。ナムジュンパイクがジョンケージのネクタイをハサミで切ったパフォーマンスに匹敵する突然のちょんまげアートだ。妻が奇声を発して笑ったのは言うまでもない。素晴らしい成果だった。そしてズに乗り、数日してまたまた同じちょんまげアートを試みた。しかし、このときは妻から「イラナイ」と冷たく言われ、相手にされなかった。やはりパフォーマンスというアートは一回性の芸術であることを再認識しながら、落胆して「ソーリー」と呟き、しなびたティムポをパンツに仕舞う様は日本男児として情けないものだった。


バチ物天国

2009-08-23 | weblog

フィリピンのショッピングセンターへ行けばシャネルやヴィトンのバッグが山積みして売られている。勿論、それらはすべてバチ物(コピー商品)だ。日本人が多く利用する両替店の近くを歩けば「シャチョ、シャチョ」と物売りから声を掛けられてバチ物のロレックスを見せられる。ブランド品ばかりではない。家電製品や食品に至るまでナンだってバチ物がある。昨年、妻と出会って彼女が最初に欲しいと言ったのは滞在していたホテルの一角にあるサリサリ(雑貨店)で売っていたシャネルのバチ物バッグだった。見れば笑えるような粗悪品で値段は日本円で500円位だったように記憶している。バチ物バッグの売れ残りだろうから「ヤメタホウガイイ」と言っても妻は聞き分けがない。仕方なくそれをプレゼントしたところ妻は喜々(キキ)として愛用した。しかし、考えてみればバチ物天国のフィリピンだ。仮にフィリピーナがホンモノのシャネルのバックを身につけていたところで、それはバチ物に思われるから、まあ、バチ物でよかったのだ。さて、来日した妻は当初そのシャネルのバチ物バッグを使っていた。ところが暫くすると身につけて外出しなくなった。日本ではバチ物バッグで見栄を張ることがとても恥ずかしいつーことを学習したようだ。そこで結婚1周年を忘れたワビにTAKEO-KIKUCHIのバッグをプレゼントした。ただし、妻は一つのバッグを選ぶのにイオンで半日掛った。買い物地獄、イヤー疲れた、ホント疲れた。


風邪にスープ

2009-08-22 | weblog

「風邪かな」と思ったら…。 市販薬よりも「熱々のチキンスープ」が効く!?

妻が少し風邪気味だったんで一緒にドラッグ・ストアへ風邪薬を買いに行った。そこで妻に「フィリピンでは風邪を引いたときはどうするの?」って聞いたら「温かいスープを飲む」と教えてくれた。「へぇー風邪にスープとはシンプルでイージー、クレバーな民間療法だ」って感心した。日本では卵酒が有名。で、風邪薬のついでにJALのビーフコンソメを買って飲ませた。インスタントだけど仕方がない。ただ、妻には好評だったから、インスタントでもこれからスープを食事に取り入れようかなって考えた。またそのとき、世界3大スープのひとつである我が日本が世界に誇る味噌汁をいつのまにか飲まなくっていうのか作らなくなったことに気づいて愕然とした。妻の風邪以上に自分の食生活が病んでいたのだ。マイッタナ。

奥さん、ミソスープは日本男児の元気の素アルヨ。

 

「民主300議席の勢い」各党に衝撃(朝日新聞) - goo ニュース

総選挙のテーマが「政権交代」→「民主党圧勝」。これってなんかプログラミングされた出来レースのようでツマラン。そうなると唯一の楽しみは自民党大物議員のマサカの落選。落選こそが選挙の花、頼むぞ。


残留日本兵

2009-08-21 | weblog

(フィリピン コレヒドール島)

 

花と兵隊

タイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えたにも関わらず、祖国に帰らず未帰還兵となった日本兵6人の生涯に迫るドキュメンタリー。監督は本作が劇場デビューとなる若手映像作家の松林要樹。1941年、日本軍はビルマ侵攻作戦に着手し、およそ19万もの将兵を失った。敗戦後、自らの意思で所属部隊を離れ、現地に残った兵士たちはその地で家族を作り定住している。一見幸せそうに暮らす彼らから、長年の沈黙を経て壮絶な戦争の記憶と故郷への思いが語られる。

(以上、映画資料より引用)

上記は残留日本兵のドキュメンタリー映画。「若い監督の単なる好奇心と自己満足の作品、深みがない」との映画評があり、映画を見に行く気にはなれなかった。大東亜戦争はアジアで唯一近代化に成功した日本が欧米列強のマネをしてアジアを侵略したことと、欧米列強によるアジア植民地支配からの解放という、それぞれ矛盾した側面を併せ持つ戦争だった。しかしながら、東京裁判で勝った米国が負けた日本を怨恨だけで「アジアの侵略国家」として一方的に断罪したために歴史解釈を廻る不毛な混迷は今日まで続いている。畢竟、田原総一郎が得意とする「侵略か、解放か」といった二項対立図式の考え方そのものがダメなのだ。おそらく若い監督は単純に侵略戦争の位置づけで映画を撮ったのだろう。それから、日米決戦で緒戦の半年は日本の快進撃だったけれどミッドウェー海戦の敗北を機に戦況は逆転して敗戦した。ミッドウェー以降、連合軍は輸送路を断つ作戦に主力をおいた。つまりは兵站(へいたん、兵士、武器、物資の輸送)戦に転じて勝利した。従って、先の大戦は実際の戦闘による死よりも餓死、病死で命を落とす兵士の方が圧倒的に多かった。このことは残留日本兵の戦友の死への心情を察する重要なポイントだ。さて、そんなこんなで我が妻にフィリピンより帰還した残留日本兵で有名な小野田さんを知っているのか聞いたところ知らなかった。しかしながら妻は、終戦時、妻のお婆さんが子供の頃、残留日本兵が故郷の村民を虐殺した話が飛び交ったことをお婆さんから聞かされていた。こうした流言飛語の多くは大陸の戦火を逃れてアジア各地に移住した中国人によるものだった。それにしても妻の故郷は首都マニラより400km南方にある人口数千人の小さな漁村。終戦時、そんなところにまで残留日本兵の情報が伝播していたことが驚きだった。


植民地支配

2009-08-20 | weblog

(パセオの戦い)

1896年以来スペインからの独立のために戦ってきたフィリピン人たちは、エミリオ・アギナルドの下で1898年6月12日に独立を宣言したが、1898年12月に、アメリカ合衆国は米西戦争でフィリピンの独立を援助するためにスペインを破ったにも関わらず、パリ条約において2,000万ドルでフィリピンを購入し、自国の植民地にしようとした。1899年1月1日にアギナルドが初代大統領に就任した。彼は、その後マロロスで議会を組織したが、アメリカ合衆国からは8月14日に11,000人の地上部隊がフィリピンを占領するために送られた。アメリカ合衆国はフィリピン侵略のために残虐の限りを尽くし、反抗するフィリピン人60万人を虐殺した。

(以上、米比戦争をWikipediaより一部引用)

前エントリーより妻に怒られながら先の大戦を思い巡らせ、そのとき妻はどのような歴史観を持っているのか興味があって、まずは妻の祖国フィリピンについて聞いてみた。比国の歴史を簡単にひも解けば16世紀、スペインによって占領、統治され(妻の名前はスパニッシュ系。人名、地名、建造物、その他に名残が多い)。続いて米西戦争によって米国の植民地になり、第二次世界大戦中一時的に日本が占領し、戦後、独立国家になった。妻は米西戦争は知っていたけれど、米国の植民地(コロニー)になったことは知らなかった。知らなかったいうより、コロニーという考えを持ち得なかったのである。そこで冒頭の米比戦争について教えるとまたまた夫の作り話だと取り合わなかった。まあ、米比戦争なんて全然知られていないし、その史実で夫婦間がこじれるワケではないから放っておいた。また、日本の占領を米国によって解放されたと妻(たぶんフィリピン人及び日本人のほとんど)は思っているワケだが、歴史解釈に関わるそれも妻に説明することが困難だった。外国人妻を持つ日本男児は歴史をどう説明しているのかちょっと気になった。それからフィリピン系超有名某ブログを久しぶりにみたら何気に以下のブログ記事を紹介していた。

靖国神社での田母神の演説に抗議したカナダ人が事情聴取を受ける

問題にしているYouTube動画 

bakauyo What a Shame! We Japanese are.

「ドイツだったらあなたは逮捕される」、なんだよ、この毛唐は。

「日本だったら死者への無礼は許されない」、どこでも、誰でも。

フィリピン系超有名某ブログも紹介したブログもbakauyo What a Shame! We Japanese are としてチャンネル桜の水島さんを嘲笑している。水島さんは同郷の先輩。前エントリーの御墓の件で随分前にフィリピンでお会いして、そのとき微力ながら異国で眠る御墓、戦争跡碑修復のための寄付をした。恥ずかしいほどのお金を渡したとき、水島さんは大先輩ながら深々と頭を垂れて頂いた。バカウヨねぇ、まあ、笑いたいヤツは笑えばいい。但し、墓前での無礼は許されない。


椰子の葉かげ

2009-08-19 | weblog

(フィリピン レガスピ)

椰子の葉かげ

猛暑のせいなのか、終戦記念日をつい忘れて過ごしてしまった。ついでに結婚1周年のこともスッカリ忘れていたので妻に怒られた。やっぱりカミュの異邦人じゃないけど忘却の不条理は熱い日差しのせいだった。振り返ってみれば昨年の8月はフィリピン共和国首都マニラより南方400kmに位置する古都レガスピで僅かな期間新婚生活を送っていた。で、そのときレガスピの地図を見ていたら滞在していたアパートから徒歩圏内にジャパン・トンネルっていう表記があるのを発見した。気になって小雨の降る日に訪ねてみた。しかし、目的地のかなり手前で道が封鎖されていて生憎見学することは出来なかった。たぶんそれは大東亜戦争で旧日本軍が残した防空壕なのだろう。まさかこんなところで戦争の傷跡に出会うなんて夢にも思わなかった。そして感傷的な気分に陥った。そのとき一緒に行った妻にそれが何なのか説明する気にもなれなかった。去年のブログにもエントリーしていない。それから、そもそもここ数年、フィリピンへ頻繁に渡航するようになったのは、ある人の奨めがあって退屈な機内でフィリピン戦記の本を読み始めたことがお遊びとは別にして大きな要因だった。冒頭サイトに記されている戦争の史跡を訪ねてみたくなった。そしてマニラ裁判で処刑された本間将軍荒れ果てたお墓を訪ねたときは胸が痛んだ。未だ南方戦線の島々で椰子の葉かげで眠る英霊がいる、そんなことを妻に怒られながら思い出した。

 

日の丸切って民主党旗、候補者が陳謝(朝日新聞) - goo ニュース

小泉さんのとき近隣の野蛮国が反日デモを繰り返し日の丸を燃やした。陳謝を要求しろ。


ハロハロ伝説

2009-08-18 | weblog

ハロハロ (Halo-halo)とはフィリピンでポピュラーな冷たいデザート。日本で言うところのパフェやサンデーに相当する。

ハロとはタガログ語で混ざるという意味で、その名の通りかき氷とミルクをベースとして、各種の果物、甘く煮た豆や芋類、アイスクリーム、ゼリー、ナタデココ、タピオカ、ココナツ、プリン、米やトウモロコシの加工品など、多種多様な材料が用いられる。

ミニストップ - 夏季メニューとして、日本風にアレンジしたハロハロを販売している。

(以上、ハロハロをWikipediaより引用)

やだなぁ、奥さん、暑いからってパロパロじゃなくてハロハロ。

パロパロとはタガログ語でチョウチョのこと。花の蜜を求めてアチコチ飛び移る姿が転じて「浮気者」を意味する。これはピン中オヤジなら誰でも知っている。しかしながらフィリピンのスィーツ「ハロハロ」が日系移民によって考案されたっていうことは余り知られていない。で、時を遡ること明治時代、我が大日本帝国は国家の方針として移民政策を遂行した。但し、実際のところそれは後の八紘一宇のような確たる思想ではなく、近代国家を建設するについて貧しい農民にメシを食わせる負担よりは貧民を遠くは地球の裏側南米まで、世界各地にバラまいた方が得策だと考えた場当たり的でいい加減なモノらしい。明治政府は仲介業者に丸投げして豊かな生活の夢が叶うとばかりに宣伝、募集した。つまりは満州国建国のような政治的な移民政策ではなくて経済的な負担を回避して人口減少させるための棄民政策だった。(このことは小泉さんのとき南米移民から訴えられて政府は保証に応じた)。そして我妻の祖国フィリピンにも大量の日本国民が移住した。フィリピン南部のミンダナオ島ダバオでは人口2万人を超える東南アジア最大の日系移民街を形成したのだ。そんなこんなして、フィリピン移民は豊富なフルーツをそのまま生温く食べるよりはかき氷の中に入れ、混ぜて冷やせばウメェだろ!っていう料理の鉄人、道場六三郎もまっ青のアイデアによってハロハロは生まれたとされている。であるからミニストップのハロハロを食べることは先達の知恵と努力と勇気を偲び敬意を表すのだ。これは日本男児として、愛国者として当然の責務である。かくの如くハロハロの歴史を昂揚しながら妻に伝え、ミニストップへ食べに行こうと誘ったところ一言、「アヤウ コ (嫌い)」と言われ微塵もなくハロハロ伝説は終わってしまった。

 

「国旗切って民主党旗」首相指摘、鳩山氏陳謝 党首討論(朝日新聞) - goo ニュース

これはいけませんなぁ。国旗を切ったアホには日系移民の祖国への思いは理解できないだろ。

<金大中元大統領逝去>波乱万丈の生涯終える(聯合ニュース) - goo ニュース

アイゴーアイゴーか。金大中拉致事件は韓国諜報機関による日本の国家主権侵害。曖昧で終わり。


アイロン伝説

2009-08-17 | weblog

フィリピン人妻が来日して1ヶ月、料理の苦手な偏食妻なので食事ネタをメインにエントリーしてきた。ならば、妻としてその他の家事、掃除と洗濯はどうかつーと、これがナント完璧以上のモノなのだ。まず、到着日の夕方、空港まで迎えに行って我が家に着いたのは夜の10時過ぎだった。妻はシャワーを浴びたいと言ったので浴室の温水の使い方を教えた。掃除伝説はここから始まった。浴室からなかなか出てこないので不具合でもあったのかなと心配しながらスケベ心も手伝って覗き見たところナント妻は浴槽や壁をゴシゴシ洗っているではないか。もう遅いから明日にしてくれと妻に頼み、その日はセクースをしないで眠りについた。翌日、妻は目覚めると再び浴室から始まり、食事と買い物を除けば一日中家の掃除をしていた。その日もまたセクースをしないで眠りについた。掃除をマメによくする妻だった。続いて洗濯伝説はダウニーと仕分けネットを¥100ショップで買ってから始まった。シーツやピロケースからハンカチまで洗えるものはナンでも、洋服別に手洗いをするほどマメに洗濯をする。さらに料理がダメでも食器洗いは喜んでする妻だった。妻が特別に掃除、洗濯をよくやるワケじゃなくて、妻と付き合う前のフィリピーナの彼女もまた妻同様、食べ物の好き嫌いがハゲしく、料理がダメで掃除、洗濯はマメにしていた。フィリピンはホームヘルパー=お手伝いさんが職能として確立していて、外国にもヘルパーとして出稼ぎに行く社会だ。前の彼女はフィリピンパブで働いてお金を稼ぎ、本国に帰るとヘルパーを雇って見栄をはっていた。フィリピーナが家事をマメにするのはそうした社会的な背景にあるのではと推察される。さて、問題はタイトルのアイロン伝説だ。フィリピンでは洗濯のシワは恥の代名詞で外出用の洗濯ものはすべてアイロン掛けをすると妻は言った。日本へ来てもその習慣は変わらない。我が家にあるアイロンは旧ナショナルのレトロタイプのヤツで、妻はその使いやすいシャープなデザインが余程気に入ったのか鼻歌まじりにアイロン掛けを楽しんでいる。また、その熟練した手際のよさはプロ並み。そして噂には聞いていたけど、我がパンツにまでアイロン掛けをしてくれた。そのときはさすがにイイヨと言った。猛暑ながらシワのないパンツ姿で外出する勇気はない。こうしてアイロン伝説が誕生した。ちょっと長くなったが、最後に奥さん、ではいつ妻とセクースをしたのかといえば、そんなこと恥ずかしくて書けるワケがないだろ。ヒマなら旦那のパンツのアイロン掛けでもしてくれ。