太った中年

日本男児たるもの

岩上×平野対談

2010-03-31 | weblog

ジャーナリスト岩上安身さんと小沢さんの知恵袋平野貞夫さんのUST対談

http://www.ustream.tv/recorded/5824183

面白い、文句なく面白い。

 

対談は最初から最後まで視聴した。

平野さんは生方問題に触れ「小沢さんではなく閣僚への嫉妬」と分析。

太った中年と同じ見立てだったと自慢する。


果てしなき戦い

2010-03-29 | weblog

二見伸明氏のコラムを以下、転載

*

名宰相それとも暗君? ―― 「黒い勢力」との死闘は続く

「生方解任」騒動は小沢幹事長の決断で一件落着した。これを「蟻の一穴」にして、5月頃には「土手っ腹」に大穴を開けようと目論んだ検察や一部のマスコミなどの反・非改革勢力は、肩すかしを食って、当てが外れたけれども、一度くわえ込んだ「生方」という餌をとことんまで利用し、党内の似非改革派と連携して、小沢の政治生命を断ち、「国のかたち」を「生活第一」「政治主導」に180度転換する、日本が近代国家になって初めて取り組む大事業そのものを潰す意図を、貫徹しようとするだろう。

状況は、16年前の細川内閣が崩壊した時に似通っているが、今回の方がはるかに凄まじく、陰険で、執拗である。

巨大で陰湿な「改革潰し勢力」と真っ向から戦ってきたのは、小沢だけだ。カレル・V・ウォルフレンは、中央公論4月号で、「検察とメディアにとって改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうな些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す」と警告している。

私自身も、自由党総務委員長の時、公安関係者に「カネと女」を重点に身辺を探られたことがある。私がそのことを知ったのは、私を担当した者が、たまたま、知人だったからである。

後日、「職業とはいえ、あなたの身辺を探るのは嫌だった。預貯金も調べた。何も出なくて、ほっとした」と彼は言った。自民党の全盛時代、衆議院予算委員会理事をしていたとき、野党の某理事に「爆弾質問をするときには、身辺をきれいにせよ。私が爆弾質問をしたとき、瞬時に預貯金が調べられ、二、三日後、不倫関係の女性まで分かってしまった」と忠告されたことがある。

「いざ」という時、脅しにでも使うのだろう。この文を書いている時、テレビが中井国家公安委員長の女性問題を報じていた。ウォルフレンの指摘は的確である。

小沢は、20年以上、自民党政権と戦うだけでなく、「闇の権力者」とも死闘を演じてきたのである。大改革を志す者は、暗殺されることも覚悟しなければならない。鳩山総理にその覚悟ありや。検察とマスコミに煽られて、小沢批判を繰り返す議員などは、本当の修羅場では、我先にと逃げ出すだろう。

「生方問題」を検証しよう。不満のない者はいない。不満は大別して二つある。将来を考え、現実を変えなければならないという、論理と歴史観に基づく良心からほとばしるものと、「好き嫌い」「恨み」「ジェラシー」「自己の利害損得」など、個人のさもしい感情から出るものである。

「生方問題」は、「良心」か「個人的感情」かの格好の教材を提供してくれたが、同時に、「古い政治家」と「新しい政治家」を分別する機会も与えてくれた。

生方は、火付け役の新聞インタビューで、まず、「民主党に元気がないのは『政務調査会』と『部会』がないからだ」と、その復活を主張した。これは、民主党改革の基本原則を真っ向から否定するものである。

自民党の化石のような古い政治手法の一つが、政務調査会と総務会の承認がなければ、政府は法律を作れず、新しいことは何も出来ないシステムである。

官僚は政調の部会長に自らが作った法律案を根回しし、その法律で利益を得る業界は部会長のもとに日参する。「部会」が政官業癒着の現場なのだ。「部会長」という役職は、それはそれは、「美味しい」ものだそうである。民主党は、と言うよりは、小沢改革は、その悪弊をなくすとともに、政治責任の所在を明確にするために、政務調査会を廃し、政策を内閣に一元化した。

そして、内閣に入れない議員が、自己の識見や有権者の意見・要望を政府の政策・法案に反映させ、より良いものに仕上げる場として、議員なら誰でも参加できる「省庁政策会議」を設けた。本来であれば、政務三役が率先して議員の意見を聞く、あるいは、常任委員会筆頭理事が与党委員を集め、政務三役を呼びつけて議論するべきなのである。

ところが、政務三役自身が未熟なこともあり、理想どおりに機能はしていないこともたしかであって、議員の中に不満が出てくるのは理解できる。内閣制度発足以来、初めて作ったシステムなので、試行錯誤を繰り返しながら、良い形にする努力が必要である。

生方がその努力もしないで、「自由な論議」という俗受けする理屈を振りかざして、構造汚職のシステムである「政調会」「部会」の復活を主張する真意がわからない。

政務三役になれなかった「恨み」か、あるいは、「美味しい」ものが食べたいのか、どちらかであろう。マスコミは小沢を古い政治家だと決めつけようとするが、それは、為にするもので、むしろ、小沢の主張は、半世紀に及ぶ「自民党族記者」体験と「記者クラブという談合制度」に毒され、錆びついたマスコミの「脳力」では理解出来ない、最も新しい政治家の発想である。

生方を担ぎ回っているマスコミは、古い、自民党的な汚職のシステムの復活を望んでいるのだろうか。マスコミ各社に、「政調会」について、それぞれの考えを表明することを求める。

生方も、生方の主張を支持した枝野行政刷新相も、本音は、内閣一元化に反対する時代錯誤の古ぼけた政治家なのだろうか。本来であれば、鳩山総理が、枝野にこそ厳重注意すべきなのだ。

「国民は小沢さんが不起訴になったから全部シロだとは思っていない」と生方は言う。私は1月23日から3月23日の会見まで、小沢幹事長の記者会見を全て見た。「4億円」など、検察が捜査の中心に据えていた問題を、小沢は丁寧に説明した。NHKが生中継で放映していれば、多くの国民は「ああ、そういうことか」と納得しただろう。

生方が小沢の説明を精査し、疑問と思う点を指摘し「この点はシロでも、検察がこの点をシロと判断したのはおかしい。全部シロだとは思っていない」と発言するのであれば、責任をともなった議論のしようがある。それを、「国民が」という意味不明で具体的実体のないものを隠れ蓑にして、国民を扇動するだけの非難中傷は、「天皇」の名を使って、世論を煽り、政敵を追放し、日本を戦争の苦しみに追い込み、しかも、何らの反省もしなかった「官僚」と同じである。

こんな無責任・卑怯が、「社会正義」の仮面をかぶってまかり通るのは、新聞の社説と「永田町」、そしてテレビの時事風をよそおったお笑い番組だけである。

生方の不満のぶちまけ方は異様である。副幹事長といえば、企業に例えれば「部長」である。部長が部長会議では何の発言をせず、マスコミに不満を漏らせば、解雇されてもしかたがない。

しかも、高嶋副幹事長とのやりとりを録音し、マスコミに流すなど、陰険で、社会人としても失格である。彼が親しくしているJR総連(革マル系)の知人は「彼の言動は陰険で、支持出来ない」と語っていた。

鳩山内閣の支持率が低下し、改革の行く手の信号が黄色に変わりそうにになっても、大臣は責任を感じようとせず、議員も大局観に立った判断ができないのはなぜか。

旧民主党時代、党中枢の一人から「民主党は、議論は好きだが、結論は出さない。や(野)党でもなければ、よ(与)党でもない。ゆ(党)だ」と愚痴られたことがある。私は、旧民主党は、一部の歴戦の勇士を除き、パフォーマンスと街宣だけすれば、小選挙区で落選しても比例で復活できると思っている議員の、気楽なサロン政党だったと思っている。

「政権を獲ったら、あれをやろう、これをしよう」とおしゃべりは達者だが、それだけで自己満足して、選挙で過半数を獲りに行く戦略も胆力も馬力もない政党だった。しかも、自民党の公認が取れなかったので、民主党に来たという官僚とエリート社員くずれが多く、「霞が関」に切り込むという発想も度胸もなかった。

大半の議員は、いうなれば、代議士を職業とするサラリーマンだった。現在の民主党内の反小沢派とは、香水がわりに高いIQの匂いを振りまきながら、バーチャル・リアリティに浸っていた「紳士・淑女」が、生活の匂いを部屋一杯に撒き散らした小沢に「さあ、政権を獲りに行こう。のんきに、お茶を飲んでいないで、外に出て、一人でも多くの支持者をつくろう」と叱咤されて、戸惑い、「そんな、汚ならしい、古くさいことを」と違和感をもった者の集まりだ。

生方の選挙観は「党が風を起こせばいいので、支持者獲得に汗を流す必要はない」というものだそうである。

小沢は政権を獲るため、選挙の最前線で指揮を執った。「自民党流の古い手法だ」とマスコミや反小沢派の嘲笑を浴びながら、黙々と農村地帯を歩き、人と会い、企業、団体を訪ねて、「改革」を訴えた。

3月23日の記者会見で、彼は、ガチガチの自民党支持の「団体、企業が、自民支持から無党派になった」と語った。自民党一辺倒だった全国農政連は、参議院選では自主投票になった。仙谷、前原、枝野には逆立ちしても出来ることではない。政治家の格と力量と責任感が、けた外れに違いすぎるのだ。

選挙こそ政党の主張を実現する民主主義、民主政治の原点中の原点である。これは世界の政治史を通読すれば簡単に理解できる、政治学のイロハである。これを軽視する学者・評論家は「曲学阿世の輩」だ。。

3月8日、ニューヨークタイムスは「U.S. Reaches Out to Tokyo's Real Power」 (アメリカは東京の真の実力者に手を伸ばしている)と、長文の記事を掲載した。それによると、ワシントンは小沢を「王座の背後にいるリーダー」と評価し、「昨年夏の日本政治の歴史的変化により、数十年にわたる話し合いのチャンネルが壊れた」ので、「アメリカからの自立(more independence from the United State)を主張してきた新しいリーダーとのコミュニケーションを改善する」ため、「4月の出来るだけ早い時期に、オバマ大統領との会見も含め、訪米するよう交渉している」と書いている。また、これは、「リーダーシップの弱さを指摘されている鳩山総理の権威を侵すことにもなりかねない」との懸念の声も載せている。

1月、アメリカでの世論調査で「世界に影響を与える政治家」は、一位、胡錦涛中国国家主席、二位、オバマ大統領。そして、三位は小沢幹事長だった。昨年3月にはアメリカの週刊誌「TIME」が小沢を「マーベリック」(独立自尊の男)と名付け、「アメリカにとって、手ごわいパートナー」と評価した。

小沢は、日米関係を「従属から対等」に転換・深化させるキーマンである。党内外から、妬みに狂って「訪米阻止」の動きも出てくるかもしれない。それだけに、マスコミには、重箱の隅を突っつくような視野の狭い、次元の低い問題に執着するのではなく、マスコミに本来的に要求されている、日本の将来を見据えた高い次元の論説・主張・報道を期待したい。

小沢も、われわれと同じ「叩けば埃の出る」欠陥だらけの人間だ。しかし、その理想は純粋で、壮大である。2009.8.30は、国民が民主党に「国を変えよ」と命じた記念日である。鳩山総理は、日本の最高権威者である。小沢には命を捨てる覚悟が出来ている。「今」を逃して「国を変えるチャンス」は、二度とこない。鳩山総理は、小沢としっかり腕を組んで、日本のため、国民のために「命を捨てる覚悟」をしてもらいたい。


政治と金の問題

2010-03-27 | weblog

以下、田原総一郎と細野豪志の対談の一部を掲載

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田原 それはね、小沢さん、認めますよ。評価しますよ。この間の衆議院選挙で、小沢さんほどね、全国を細やかに回った人はいないですよ。 その新しく立候補した候補者に全部つきそって教えてあげた。ぼくはそういう意味じゃ、民主党の選挙のプロ、最大のプロは小沢さんですよ。

細野 はい。自分の反省を込めて申し上げますと、例えば私は静岡県ですが、県内はわれわれ何人かキャリアのある人間が、 若手を含めてめんどうみる、あるいはお隣の神奈川県は神奈川県、愛知県は愛知県でそれぞれが面倒をみて、 ほんとに弱いところだけ党として集中してやるというかたちをとっていれば、小沢幹事長があんなにお金を集める必要なかったんですよ。

田原 そこなんです。

細野 秘書を何十人も雇って派遣をする必要は、われわれに力があったら必要なかったはずなんですよ。

田原 そうです。それをね、民主党の中から「小沢さんは金を集めてけしからん」と批判するけど、何言ってるんだと。 あなたたちがだらしないから彼がやらなきゃならなかったんでしょう。それはありますよね。

細野 ええ。小沢幹事長が、ほんとはみんなが背負わなきゃいけない荷物を一人で背負ってきたというのはある。それは身近に見てますから、私はそういう面であまり安易に小沢幹事長を批判する気にはならないんです。

*

昨年の西松事件以来、マスコミによる反小沢キャンペーンに便乗、小沢批判をしている田原総一郎は論外として、小沢さんが批判される政治と金の核心は集めた金を何に使ったか、だ。上記によれば小沢さんの場合は民主党議員へのモチ代、政治活動費に集めた金を使った。したがって前回衆院選で金も人もない大量の新人議員を当選させ民主党は歴史的な政権交代を果たすことができたのである。細野豪志のように自らの非力を自覚している議員ならともかく救われないのは小沢さんに距離を置いて政治と金を批判する議員たちだ。

そんなことを踏まえて以下、フリージャーナリスト岩上さんのツイート。

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史上初めての官邸におけるオープン記者会見。その高揚感もひかないうちに、また新たなミッションが! 急にまた、アクセスから連絡。今日、出てくれと。ゲストはなんと、あの生方民主党副幹事長。1対1です。マスメディアが、こぞって生方擁護、というより、小沢バッシングに走った異様を突きます。

続き。行動の動機を、新聞の世論調査に還元する生方氏の話を聞いて、そういう幼稚な理屈が大手を振ってまかりとおる世の中にしたのも、結局は新聞なのだなと、今日の歴史的な首相会見のオープン化と重ね合わせながら、新聞の権力の濫用がどれほどこの国をゆがめているのだろうと、慄然としました。

生方氏に怒るような気持ちはないけれど、ただただ「残念」な人、と思う。小沢氏は、「いやな感じのする「ワンマン上司」だろうが、1対1で話せないから、と言って、いきなり新聞記者に不満をぶちまける? 録音をとって、外部に流す? そういう人と、一緒に組んで仕事ができるだろうか?

もし、古巣の読売の社員として、ナベツネさんの独裁が気に食わないからと、同じことをするか、という問いかけは、見事にスルーされました。聞いていた方々は、気付かれただろうか? 生方氏が、小沢氏とナベツネ氏の権力のどちらを真に恐れているかを。小沢氏は怪物ではなく、叩きやすい手頃な人物。

手法だけでなく、動機も残念。党内で自由にものが言えないとか(言いたければ、言えばいい。殺されるわけでなし。言論の自由とは、もともと命がけのものだったはずだ)、党内事情優先の話で、国民生活や、重大な公益にかかわる話ではない。それを私が指摘するまで、ご本人が気づいていた節がない。

言論の自由も大事だが、政治家は、言論の覚悟も求められるはずだ。政治家には、「政局をつくる自由はある」と、私は言ったが、「そんなつもりはなかった」だなんて…。政治家なら、真の意味で勝負を挑め、と言いたい。後半、脱力していた時、なぜか亀井さんの顔が浮かんだ。天と地の差だな、と。

*

>党内事情優先の話で、国民生活や、重大な公益にかかわる話ではない。

>それを私が指摘するまで、ご本人が気づいていた節がない。

小沢さんに距離を置く民主党議員たちに是非とも考えてもらいたいものだ。

*

タイトルを変えた。生方はもういいや。


生方君もみんなと仲良く

2010-03-23 | weblog

閣僚ら「生方問題」発言集(産経新聞) - goo ニュース

鳩山由紀夫首相「生方君のことは残念なことになった。いろいろと党内で意見があることは、民主主義の国だから大いに結構だ。ただ、党の中では黙って、党の外でさまざまな声を上げると党内の規律は守れない。副幹事長なら中でしっかりと議論すべきだ」

平野博文官房長官「(党内論議が)制限されているとは思わない。自由に党内でものを言えばいい。(自由な議論を)誰が制限しているんですか?」

渡部恒三元衆院副議長「41年間、国会議員をやっているが、ちょっと執行部の批判をしたからクビになったなんて話は聞いたことがない。党内で自由にものが言えない雰囲気になったら党が暗くなって困る」

菅直人副総理・財務相「自由闊達(かったつ)に議論することは必要だと思うが、党がしっかりとまとまっていくことも同時に必要だ」

枝野幸男行政刷新担当相「直ちに辞めないとならない部分がどこにあったのか。副幹事長を代われ、という話にどうしてつながるのかがよく分からない。党や政権の支持率にプラスに働かないのは間違いない」

前原誠司国土交通相「言論封殺はあってはならないが、組織人として一定のルールもある」

仙谷由人国家戦略担当相「ノーコメント」

平田健二民主党参院国対委員長「執行部の一員として、執行部批判は辞めてからするのが普通の人の考えることだ。党の役員が反論しても、皆さん方(マスコミ)が喜ぶだけ。沈静化には黙っとくのが一番」

亀井静香国民新党代表「うちの党の連中はしょっちゅうオレを批判しているだろ? いちいちクビを切ったら、何個クビがあったって足らない」

福島瑞穂社民党党首「社民党は割と自由に意見を言える。(民主党も)政党の中での自由な言論は保障されるべきだ」

谷垣禎一自民党総裁「あそこの党の運営はきわめて強権的、独裁的だと思っていたので、その表れなのかなという印象だ」

鳩山邦夫元総務相「民主党は民主集中制という社会主義政党の手法をとっている。上を批判したらクビが飛ぶ独裁主義の表れだ。小沢一人独裁は怖い」

渡辺喜美みんなの党代表「信念に基づく発言を封殺するのは問題だ。独裁体制に反旗を翻す方が出てきたのは結構なことだ」

太った中年「なんで政治家になったの?」

 

*

マスコミによる「反小沢キャンペーン」の最中、反民主党の産経新聞で小沢さんへ「権限と財源が集中する」と批判し、副幹事長職を解任、一躍時の人となった生方議員の顛末。面白いので取り上げる。

まず、生方議員が解任された原因は上記発言集に見られる「小沢独裁批判」のように思われているが問題になった産経新聞のインタビュー記事を読むと小沢さんとは別に以下、ヤバイことを言っている。

 

北海道教職員組合の問題は、これも一番上は(出身母体が日本教職員組合の)輿石さん(東・参院議員会長)ですからね…。(民主党議員は)組合からあまりお金をもらっちゃいけない。組織内候補といわれる方の献金額は常識的な額ではない。参院選への影響は、政治ですから何があるか分かりませんけど、要するに言い訳から入る選挙は勝てませんよ。

 

具体的な根拠を示さず、小沢さんとウマが合うと言われる輿石参院議員会長の名を上げ、民主党が組織ぐるみで北教組から違法な献金を受けていることを内部告発するかのような微妙な言い回し。本来なら反党行為の上記部分を問題視すべきで、生方議員は離党して産経のインタビューに応じるべき性質の発言だろう。

また、生方議員が特定組織からの献金が問題と言うなら以下の指摘がある。

【生方幸夫氏 特定の経営者から献金1000万】

叩けば自分自身だってホコリが出てくるモノだ。で、生方議員が小沢執行部批判でマスコミから脚光を浴びたのは、辞任をめぐる高嶋筆頭副幹事長との会話を生方議員がICレコーダーで盗聴録音してマスコミに流したからだった。これが面白い。生方議員は「突然呼ばれて辞任を迫られた」と言っているが、「んじゃ何故ICレコーダーを用意していたんだ」とツッコミたくなる。昔、川口浩探検隊つー人気テレビ番組があって「人跡未踏の地へ川口隊長が初めて足を踏み入れる」テーマにビートたけしが「先にカメラが入ってんじゃないか」とツッコンだのと同じノリである。つまり、生方問題とはヤラセ、過剰演出だった。

生方議員は小沢独裁の被害者を装い、党改革の旗手としてマスコミに数日間だけ振る舞った。しかし、生方問題の本質が川口浩探検隊であるから小沢独裁と深謀遠慮で権力闘争をしたワケではない。読売出身の政治家としてテレビへ出演するようになり、勘違いしてズに乗ってしまっただけなのだ。

そんな無邪気な生方議員を電波芸者田原総一郎が放っておくワケがない。以下、田原のツイート。

 

生方副幹事長を解任とは、民主党は共産党と同じ、民主集中制なんだなあ。

今日は、民主党の生方、細野、小宮山、安住さんたちに、生方さんの副幹事長解任問題についてサンプロに出演してもらった。最初は執行部の細野さんが孤立して、袋だたきになるだろうと思っていた。ところが番組中では、生方包囲網ができてしまった。いまの民主党のあり方が露呈した。

民主党は、これでも参議院選挙に勝てると思っているのだろうか。それとも参議院選挙のことなど考えている余裕もないのだろうか。

もうすぐ文化放送の生放送だ。今、浜松町駅地下街で食事中。今日は生方問題をテーマに話をしたいと思う。生方さんがマスコミで話した事が問題ならば、小沢さんが直接生方さんを呼んで、こう言う事はするな、と言うべきである。いきなり副幹事長をクビにするとは如何なものか。

namatahara

 

生方議員の発言は小沢さんに対する直接批判というより、輿石さんや高嶋さんの名を出している如く、小沢さん取り巻き議員への妬みであり、小沢さんへのカマッテ君なのだ。嫉妬に駆られた人間はトチ狂ったことをするものである。生方議員は会議に出席せず党執行部批判に明け暮れ悦に入った。

そしてあっけない結末を向かえる。

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小沢氏「生方君もみんなと仲良く、職務に全力を」(読売新聞) - goo ニュース

民主党の小沢幹事長は23日夕の記者会見で、生方幸夫衆院議員が執行部を批判したことについて「ひとさまのことを論評しない。自分の職責を一生懸命やると信じている」と述べた。

副幹事長解任を撤回したことについては「参院選も控え、党の団結と協力が大事なときでもあるから、ぜひ、生方君もみんなと仲良く本来の副幹事長の職務に全力を挙げてくれと言った」と説明した。

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小沢さんは生方議員をカマッてあげたのだ。

それにしても生方議員HPの政策欄が工事中なのには笑える。早く工事を終えてくれ。

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おまけ田原ツイート

 

小沢さんが、副幹事長の留任を決めた。クビにするのは当然だと言った。鳩山首相や細野さんを全くコケにするやり方だ。鳩山さんや細野さんを人間だと思ってないのだろうか。

 

香ばしいな、もう生方ネタでメシが食えなくなった恨み節。

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生方問題が削除されたようだ。僕は慣れてないのでどういう事なのかわからない。でも、ハッカーのようなツイッター破りが起きてるな面白い。

ウソツケ田原、自分で削除したくせに。


桃ラーの快楽

2010-03-17 | weblog

運よくイトーヨーカドー浜松宮竹店で桃ラーを購入。

さっそく桃ラーごはんを試食、これはハマる味覚と食感だ。

てなワケで奥さん、またいつか会おう。


桃ラーの苦しみ

2010-03-16 | weblog

 

ツイッターで頻繁に登場するキーワード、「桃ラー」。

 

ワケもわからず気にしてなかったんだけどフト調べてみる。

 

辛そうで辛くない少し辛いラー油

 

桃屋の新しい調味料のようだ。

 

さらにツイッターで調査を進める。

 

Togetter - まとめ 「桃ラーについて」

 

なんでも口コミで売れ過ぎてCMを自粛したそうだ。

 

「怒髪天」 『辛そうで辛くない少し辛いラー油』うまい!!篇

 

食いてぇ・・・

 

昨日今日と近くのスーパー3か所へ行ったが「桃ラー」はない、売り切れ。

 

てなワケで「桃ラー」で苦しんでいる今日この頃。

 

ブログはカッタルイんでホント今日で最後。桃ラー食ったら再開。

#momora


日本のソフトパワー外交に向けて

2010-03-15 | weblog

青木保氏×ピーター・バラカン対談最終回

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日本のソフトパワー外交に向けて

もし国際間の交流が経済交流だけだったら、その関係は硬直したものになるでしょう。しかし、文化交流によって、その硬直が解れる場合があります。そうした柔軟な“文化外交”を展開するためには、日本人自身が自国文化や異文化の理解に前向きになり、企業や個人が想像力・創造力を発揮できる土壌を耕して、トータルの“ソフトパワー”を充填してゆくことが必要です。

クリエイティビティを育む土壌をつくろう

青木 バブルが崩壊した90年代以降は、いわば経済の停滞期です。でも、その時期に日本のアニメをはじめ、現代日本文化が海外に展開したんですよ。最近の経済不況の中でも、文化関係は任天堂をはじめ大きな利益を上げています。世界の日本文化の支持も増えています。

問題はいま日本社会全体に、何か新しいものをつくり出していこうという意欲が、失われているように見える。これはバラカンさんがしておられるように、外からどんどん刺激を与えていただかないと駄目です。そういう点では、文化や芸術のモデルというのは、やはりクリエイティビティだと思う。そのモデルをよく認識して新しいものを創造するという社会の力をもっと養わなくてはなりません。創造力と想像力を育てるのが最大の課題だと思います。

バラカン そうね。個人主義社会の中でだったら、誰でもクリエイティビティを発揮しやすいけれど、日本のような、ちょっと悪く言えば「出る杭社会」では、ドロップアウトしないことには、自由にものをつくることはなかなか難しいかもしれない。

青木 確かに。だからアニメとかマンガの世界は、みんな小さな集団でやっている。

日本の家電製品も会社の組織が小さいときは、トランジスタラジオをつくったりして世界を驚かし、一躍発展の機をつかんだ。でも、それが巨大化し、平均化して鈍化してしまうと、創造力が失われてしまう。残念ながら、今われわれが置かれているのはそういう状況です。クリエイティブな力をどうやってつけるのか、その土台をどうつくるかというのが一番大きな問題でしょう。

バラカン アメリカの言い方で、「Thinking outside the box」と言うんですよね。箱の外で物事を考える。ソニーの創業者・盛田昭夫さんについて面白いエピソードがある。小さなトランジスタラジオをつくったときに、それをシャツのポケットに入るサイズにしたかった。でも、そこまで小さくできなかったから、盛田さんは何て言ったと思います?「だったらシャツのポケットを大きくしろ」と。それって最高じゃないですか! 企業人はこの発想じゃないと駄目だよ。

―― そういう発想ができるような土台というものが教育、その他のなかでできていないんですね。

青木 むしろ日本は、芸術・文化のモデルをいま手本にすべきではないと思います。アニメや漫画だけではなく、回転寿司やカラオケでもそうだけれども、おもしろい工夫を思いついて、それが全世界で受け入れられているという現実もある。そういう発想をして具体化するのは、小さな芸術集団のようなところだったりする。だから、独創力をもつアーティストたちをもっと尊重する必要があります。同類的な思考になると、創造性が発揮できない仕組みになってしまうから。

バラカン 現代日本の文化を特徴付けている漫画だって、ほとんどの場合は、最初はその存在が誰にも気付かれない。描き手が好き勝手にやっているんです。それが大きな漫画フェアみたいなものからどんどん広がっていって、世界的に知られるまでになる。

青木 すごい人口ですよね。それから、いまでは『源氏物語』を漫画にしたり、『資本論』を漫画にしたり、古典などを理解するための一つのツールになっている。

バラカン 把握しにくいことを取りあえず漫画を読むことによって頭にいったん入れておくというのは、とても有効な手段だと思いますけどね。

青木 今まで漫画というのは、一般にはどうしても低級な娯楽作品、子供のためのものと捉えられてきていた。でもいまやきちんと文化として位置付けて評価しなければならない。アートには娯楽から高級な芸術までも含まれる。

バラカン 僕は日本に来たばかりの頃、相撲に興味を持ってテレビで相撲を見始めたんですけど、技の名前も分からないし、しきたりのことなんかも分からなかった。そうしたら、会社の同僚が、ちばてつやの『のたり松太郎』 という相撲取りの漫画を薦めてくれたんです。読みだしたらもう面白くて、面白くて。ちばさんの絵も緻密だし、せりふも面白いし。あとは秋山ジョージさんの『浮浪雲』も好きだったなあ。『浮浪雲』を読んでいるうちに、江戸文化の面白さが分かってきた。

どちらも教育的なものではないのに、自然と教育されている。そういう効果があるわけですね。

青木 そういう意味では、漫画は広く受け入れられる21世紀の文化であると同時に、基本的な知識獲得の手段だと思うんです。漫画を一つの表現の手段として、知識獲得の手段として認めて、文化としてきちんと位置をつける時代がきたと思います。これは大げさに言うと、日本が先鞭をつけた全世界的な欲求なんです。

日本は、浮世絵もそうですが、育てる文化的な伝統と土壌がある。芸術(ハイカルチャー)としての市民権を得てないとしても、サポーターはものすごく多いわけです。ドラえもんからポケモンから何から多彩な表現が生まれてくる。このバラエティーの広さというものは、アメリカやフランスのコミックにはないんですからね。

大切なのは、文化の価値を感じること

―― 日本人が自国の文化をあまり知らないのが現状だとしたら、もっと自国の文化を知った上で外国の人たちと交流をしていくということが、これからの時代に大事ですね。文化的土壌を大切にしていくことの必要性ついて、お二人にお伺いします。

バラカン そのためにどうしていけばいいかを具体的に言うと、親が子に伝える。学校の中でも伝える。マスメディアが関心を持って、分かりやすく伝える。この三つが必要だと思います。つまり、教育が鍵だと思う。いま漫画やアニメをきっかけに日本がかっこいいと、あこがれ始めている諸外国の人たちにとっても、日本文化全般に興味を持つきっかけになるかもしれません。

そういう人たちが伝統工芸に触れ、「これは素晴らしい。何? 後継者がいない? では、私がなってやろうじゃないか」という人も既に出てきていますし。これからますます多分僕は増えると思います。でも、日本人の皆さんが、自国の伝統工芸が外国人の手によって受け継がれていくことがいいのかどうかを考えたほうがいいと思う。経済成長ばかりを追いかけて突き進むよりも、日本文化を後継する職人になることのほうが、立派な決断だと思います。

青木 僕は、まず文化の価値を感じることだと思う。文化に触れ、そのいろいろな表現から“歓喜”する、感動を得るという経験をすることから始めるのが一番大切じゃないかと。

「文化教育」といっても、単にこういうものがありますと教えているだけではつまらないから、やはり生徒みんなが、「これは素晴らしい」と思うような形でプレゼンテーションしなくちゃいけない。その面白いと思わせる仕掛けが、どうも日本人は弱い感じがする。

バラカン そう。日本に限った問題じゃないですけど、テスト中心になっちゃうからね。

青木 単に「これがありますよ」と押し付けるのではなく、感性を磨くような形で伝授することをもっと考えるべきですね。

バラカン 特に子ども相手のときは、紹介する人間自身が興味を持たなければ伝わらないね。熱意を持っていると、それが自然と伝わるから、何も努力しなくても相手が面白がるんですよね。僕なんか、たかだかポピュラー音楽をラジオで紹介しているだけだけど、自分の好きなものを自分で選んで紹介するから、不思議とその熱意がみんな伝わるんですよ。すごく簡単なことです。

青木 教育の場でもそうですし、日本も世界との関係においてはやはり日本文化だけでなく異文化をよく勉強して、そのうえで世界とどういう関係を持つかということを考えなくてはいけない。経済的な交流だけででは、やはり国際関係が硬直する。特にアジア諸国やロシアとか、日本の周囲には複雑な異文化をもつ国や地域がいっぱいありますからね。文化をこちらがきちんと理解しているということを示すことによって、初めてうまく経済進出とか経済交流もできる面も大きいと思います。まあ、こうしたこと全体が日本の「ソフトパワー」の強化につながるわけですね。

―― 文化を自分たちの財産として大切にし、それを外に向けてうまく発信していくためには、まず日本人自身が文化に触れて学ぶことが大切ですね。

今日はいろいろと文化に関するお話を伺いました。どうもありがとうございました。

バラカン 話は尽きないですが、こういう話題はいつまでも議論したいですね。

青木 いつもテレビなどを見て、「日本文化に通じたすごい人がいるぞ」と思っていたんだけども、今日初めてご本人と話せて本当に楽しかったです。

青木・バラカン ありがとうございました。

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4日間ありがとうございました。

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さっきからツイッターが不安定。これってネットの意味性を解体する=無意味にするパフォーマンス。

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坂本龍馬をやりたい…鳩山邦夫氏、新党結成意向(読売新聞) - goo ニュース

自民党の鳩山邦夫・元総務相は14日、フジテレビの番組で「覚悟は完全にできている。新党がいかに大変か経験しているが、その苦労をもう一回やってみようと思っている」と述べ、自民党を離党し、新党を結成する意向を表明した。

結党の時期は「参院選を堂々と戦えるタイミング。連休前でしょうか」として、大型連休前の4月末を示唆した。政党助成法で定める政党要件を満たす国会議員5人の参加のメドは立っているとし、「与謝野(馨・元財務相)さん、舛添(要一・前厚生労働相)さん、みなが一緒になれるよう、私は坂本龍馬をやりたい」とも強調した。新党結成の理由は「自民党は賞味期限切れだ。いまだに派閥政治をしている」と説明した。

この後、福岡県久留米市内で記者団に「民主党のポピュリズム(大衆迎合)政治では、景気、財政は悪化する。政界再編の力を借りないと、日本を安定軌道に戻せない」と語り、民主党との連携は否定した。

鳩山邦夫氏は1993年に自民党を離党、94年の新進党結党に参加し、96年には兄の鳩山由紀夫氏(現首相)とともに旧民主党を結成した経歴を持つ。今回の発言について、自民党の谷垣総裁は14日、沖縄県名護市内で記者団に「外に向かってこういうたぐいの発信をするのは極めて遺憾だ」と、不快感を表明した。

一方、同じフジテレビの番組で、みんなの党の渡辺代表は、邦夫氏との連携に否定的な考えを示した。

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沈みゆく泥舟から逃げ出すタイミングを考えているって感じだな。


職人たちを守る、文化教育の大切さ

2010-03-14 | weblog

青木保氏×ピーター・バラカン対談第3回

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職人たちを守る、文化教育の大切さ

いま、さまざまな伝統工芸の継承者が途絶えつつあります。たとえば着物職人。国宝級の技術をもった職人であっても、その賃金は時給に換算するとファーストフードよりも安いと言います。このままでは、日本の伝統文化は衰退の一途をたどることでしょう。
このような状況を引き起こした要因は何か、今後日本の文化教育はどのような方向性を保てばよいのかについて、議論いただきました。

青木 一番いけないと思うのは、小学校や中学校、高校の公教育のなかで、日本の文化についてほとんど教えないことですね。大学では専門研究はありますけど、一般の学生はほとんど何も知らないと言っていい。日本の文化だけではなく、他国の文化でもきちんと教わっていない学生が政治家になったりして日本を動かしていくわけですから。文化教育が欠けていることは、本当に残念なことです。だからバラカンさんの番組のように、日本文化をきちんと発見していただくのは本当に大切なことです。中にいると分からないことが、他者の目であればき ちんと分かる面がありますから。バラカンさんのおやりになっていることは非常に貴重な観察であり、記録であり、啓蒙なんです。

大体文化というものは、その中に育った者にとっては言葉と同じように、無意識に当たり前のものとして接しているものですからね。だから、バラカンさんが見ると、これは重要だとか、これは当たり 前じゃないとか、見えてくるわけで、これがやはり文化をさらに鍛える材料になると思う。だから、他者の目というのが必要で、われわれも例えばパリに行って「これは面白い」なんて言うと、それは実はパリの人たちが気が付いていないところだったということもあるわけです。だから、お互いに観察しあうことが文化の保存にも維持にも発展にもなる。

バラカン 極端に言えば、伝統工芸の後継者がどんどん いなくなっているでしょう。よくそういう人たちと話していると、「いや、もうこの代で終わりですよ」と、もうあきらめのような感じで言われることが多くて、僕なんか自分でやっているわけではないけれど、危機意識を持ってしまいます。

以前知り合いの着物商人の方と話していたら、今京都には、国宝級の職人が、もうほとんどいなくなっているんだそうです。聞くところによると、国宝級の職人でも仕事を時間給に換算すると、ファーストフード店で働いたほうがましだと言うんですよ。着物というのは目の玉が飛び出るような高価なものもあり ますが、職人に入るお金は少ないそうです。要するに、生計が立たないから後継者がいなくなるわけですよね。

日本の文化教育に足りないこと

青木 確かに人材育成が一番大切なんですよ。今はスピードの時代だから、職人世界のような、研修の時期、言うならば下積みの生活がものすごく長いものは敬遠されるでしょう。徒弟的な仕事を何年もして技術を得、一人前になっていくのに、その過程で挫折しちゃう。もっと違うところに行ったほうが楽ですから。それに、社会が伝統的な文化を維持する技術者やアーティストに対してあまり敬意を払っていないように思います。これは恥ずかしい。

バラカン うんうん、そうですね。

―― 伝統工芸を維持するために補助金を入れたとして も、急場をしのぐということでは意義があるかもしれませんけれども、根本的な解決にはならないですよね。そうすると、消費者としての日本国民、日本だけで なくマーケットは世界でもいいと思いますが、消費者側でそういったものに対する尊敬や手に入れたいという気持ちを取り戻して、ニーズを回復していくのが根 本策かな、と思ってしまいますね。

青木 政治と同じで、伝統をきちんと築いていくのはやはり国民というか、一般の人たちの文化に対する尊敬の気持ち、文化の継承は絶対必要だ、と伝統の価値を守るような態度を持たないと難しいですね。

―― そこは価値観にも結び付く話ですから、答えは一つじゃないと思いますが、どの辺から手を着けていくのがいいのかな、と迷ってしまいます。

青木 確かに、国レベルでは人間国宝指定や、重要文化財指定もやっているんだけど、それはあくまでもごく一部です。もっとすそ野が広がらないと。いろいろと努力は役所もしているのですが、何しろ文化事業が少なく文化への関心が低い。

バラカン 価値観というのは、人間誰でも自分の親から 気が付かないうちに影響を受けるものが一番大きいと思うんですね。もちろん親以外にも、その周りにいる大人たち、あとはマスメディアですよね。しかし、マ スメディアの価値は、残念ながら今はほとんどないと言ったほうがいいかもしれない。これは、日本だけの問題ではありません。だから、一人一人、子どもを持 つ親がはっきりと自分の子にどういう価値観を持ってほしいか考えないと、気が付いたときにはもう遅いと思うんですよね。

青木 そういう点では、家庭教育、それもしつけや礼儀作法なども含めてほとんどなくなってしまっていますから。それから、少子化で、子どもが一人しかいないと、大事にし過ぎるでしょう。子に対する期待が大きいと、子どもにとってはうっとうしい。親の愛情も社会の期待も分散されたほうがいいかもしれません。

バラカン それに子どもは遊ばないことにはうまく育たないからね。人間関係の勉強は全部遊びから身に付けるんだから。

青木 文化と教育の話とか、今のしつけの話とか、それから、どういうことを教えたらいいのかといった、家庭や学校だけじゃなくて、社会での子どもの位置付け。そういう議論がほとんど出てこないでしょう。

政治の世界では、党派問わず教育の議論はいっぱいあるでしょう。だけど、文化についてはほとんど触れない。日本の文化をどう伝えるかということに ついても議論されない。それから、もう一つは、家庭も社会も含めたものとしての教育や、子どもをどう位置付けるかという議論もないですね。

バラカン そう。日本の文化について楽しく何か伝えたほうがよっぽどためになると思う。

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>社会での子どもの位置付け

太った中年の場合、なんたってフィリピン人との二重国籍だからなぁ、難しい。

で、妻が4月に里帰りして6月に子供と一緒に戻ってくる。子供の出国がちょっと面倒だ。

【1】在マニラ日本国大使館で子の旅券(パスポート)の取得

【2】DSWD(フィリピン社会福祉開発省)出国許可証の取得

この2つを妻はしなければならない。

【1】の必要書類

①一般旅券発給申請書(5年用)
②戸籍謄本または抄本1通
③出生証明書(Birth certificate)1通
④旅券(パスポート)用写真1枚

【2】の必要書類

①DSWD備え付けの出国許可申請書
②旅券(パスポート)オリジナル
③出生証明書(Birth certificate)1通
④子の申請用写真2枚(2×2)

他、子供が病院で受けた予防接種の証明書が必要。

日本の文化をどう伝えるかは後々の問題となる。

「寝る子は育つ」という言葉に頼ろう。


日本文化はミックス文化

2010-03-13 | weblog

青木保氏×ピーター・バラカン対談第2回

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日本文化は“ミックス文化”?

現代の私たちの生活を振り返ってみると、食事ならば朝はクロワッサン、昼はそば、たまの夜にはフレンチ、といった具合に、各国の文化が混在しています。またさまざまな宗教を信じる自由があり、寺院の近くに教会が建っている、という地域も少なくありません。しかし一方で、日本の伝統文化においては継承者減少の危機を迎えるなど、長らく伝統を保ってきたさまざまな職人たちが消えつつあります。

果たして、現代の “ミックス”文化は日本文化にとって吉と出るのでしょうか、それとも凶と出るのでしょうか。日本の“混成文化”とその中での軸足について議論していただきました。

―― 明治維新で「江戸時代を否定し、西欧列強に伍していくためにいろいろな文物を取り入れて、西欧化しなくてはいけない」という国是が据えられたときに、文化については、じわじわ、キノコのように反映させていくのではなくて、ちょっとラジカルにやってしまったんでしょうか。

青木 ええ。明治時代に皇室令が定められ、そのなかで服装令もつくられています。公の場でも天皇陛下の衣装は洋装。これは非常に大きいですよね。

バラカン 僕から見ると、日本人はみな同じ服を着ているように見えます。ビジネススーツでも、結婚式やお葬式でも。だから、“自分は何を着ても自分である”というヨーロッパ的な民主主義が浸透するとよいと思うんですが。

やはりみんな一人ひとりが隣の人と違う格好をしてもおかしくない、恥ずかしくないという概念が根付くまでは、本当の民主主義は日本には多分来ないと思うんですよ。いかがでしょう?

青木 日本社会というのは、まだそういうタイプの社会じゃないですね。民主主義のあり方も、おそらくヨーロッパスタンダードから見れば、違和感があるんだと思いますが、日本はやはり同類的な原理に立っています。だから、これがある程度開かれてきて、異質なものを入れてもやっていけるような集団になっていかないと、これはおっしゃるようなものにはいかないと思いますね。

バラカン そうでしょうね。

青木 日本はアジアの国と比べても、国家が厚く個人を保護している。集団そのものが同類性に拠って成り立っていますから。それが創造的に開かれていかないと、日本社会の今後の展開は難しいだろうと思います。いろいろなものを入れながら、しかも集団性は維持して、社会がやっていけるかどうかですね。

バラカン そうですね。日本人も自分たちの社会はどういうものなのか、自分できちんと認識して、その上で将来をどのようにしたいかを考えなきゃいけない。今、ますますその必要性が高まってきているような気がするんですね。民主主義というと、どうしてもアメリカや西ヨーロッパと同じようなものとおぼろげに思い込んでいる人はおそらく多いと思うんです。でも、本当は全然違う。青木さんがおっしゃるように、日本は集団意識が非常に強い国ですから、それならそれで、この国なりの民主主義の形を模索しなければならない。

青木 外から見ると、高層ビルがあったりして、他の先進国と同じようにも見える。でも一歩中に入るとやはり違った原理で、人間関係、社会関係が動いています。

日本文化がもつ強みとは?

―― 日本文化全体に看取できる特質というと、ほかにどのようなものが挙げられるでしょうか?

青木  現代の日本文化が世界に受容されている大きな理由の一つに、階級がないことが挙げられます。平等主義的で、誰でも受け入れられるものばかりですから。つまり、文化のほうが相手を選ばない。だから、子どもから老人まで通用するし、あるいは国籍や民族も問わない。それから、宗教的・民族的メッセージが希薄ですから、何語に翻訳されても通用しますよね。なぜ、日本文化にそのような特色があるかといえば、戦後の日本では、都市の中間層が中心になって社会をつくっているからなんです。それを僕は「中間社会」と呼んでいます。ですから、エリート文化ではないんです。庶民のポピュラーな文化が中心。

バラカン そうか、そうか。

青木 ヨーロッパの文化がヨーロッパ以外で受容されている場合は、だいたいは高級文化として受容される。ブランド商品、クラシック音楽、文学などみなそうですよね。

バラカン 60年代以降は変わってきていますが、ヨーロッパでは国家単位で文化を保護する場合、対象となるのはクラシック、オペラといった高級文化になってしまう。日本でもそうかもしれない。でも、ロックンロール以降は、アメリカの影響を受けたヨーロッパのポピュラー文化もみんな庶民的なものなんですけどね。

青木 1970年代初めにアメリカのファストフードが日本に入ってきたでしょう。70年の万博のとき初めてケンタッキーフライドチキンが万博会場でオープンして、これが第1号なんですよ。1971年に初めてマクドナルドが入ってきて、日本での最初の店舗は、銀座三越の店内にできたんですね。そのときのマクドナルドの日本における商法は、“高級食品”として売っていた。

だから、アメリカでは「Fast food」なんだけど、日本では「First food」だったんです。だから三越みたいな高級デパートの一角から売り出した。だけど結局、外でも食べられる手軽な食事、というので、急速にはやりましたけど。

われわれは当初、アメリカで売っている「Fast food」としてのハンバーガーとは全く違う感じで受け取っていました。同じものを食べるんですけど、そこにある種の文化差があるんです。

バラカン 日本に来た74年頃、「舶来物」という言葉を毎日のように聞きましたよ。「舶来物=高級な」、というニュアンスです。そういえば、当時「舶来物」とセットになっていた言葉に、「外人コンプレックス」があった。これも全く今は聞きませんね。70年代にはみんな日常的に使っていた言葉ですよ。

青木 「舶来物」に対するという意味では同じかもしれないね。輸入したものは高級なものだというのがあった。

バラカン ええ、似ているところがありますね。

80年代に入って日本は著しく変わりました。工業製品のデザインの良さも、80年ぐらいを境に、まるっきり別世界です。そう思いません?

青木 そうですね。いわゆるバブル経済的な日本の高度成長は、80年代にピークを迎えていますから。

バラカン 西欧的な感覚で言えば、日本の普通の家電なんかは、80年ぐらいを境にみんなかっこよくなっちゃった。

青木 そう。それまでは “いいもの”をつくればよかった。“いいもの”っていうのは、壊れないもののことです。でも80年代に入って、デザインを重視するようになる。トヨタがイタリア人のカーデザイナーなんかを採用するのだって80年代以降ですよね。だから、トヨタの車もかっこよくなってきて、レクサスみたいのができた。

―― 日本企業が海外市場に出ていくために、アメリカ、ヨーロッパに受けるものをつくっていこうという考えにシフトし始めたのでしょうか。

バラカン そうだと思います。70年代まではいいものは外から輸入する。80年代は、逆にそれに負けないものを国内でつくって出そうじゃないかという発想に変わっていったという、そういう印象を受けましたね。

青木 もう一つは、それまでは日本の輸出車というのは小型車ばかりだった。小型車で性能が良くて、壊れない。でも小型車だけでやっていると、利幅が薄い。それでトヨタなどもいろいろな高級車をつくるようになるんです。そのときにデザインの問題が出てきました。それで北米市場もヨーロッパ市場も飛躍的に売上げが伸びたんですよ。

バラカン レンタカーから変わっていきましたね。アメリカのレンタカー市場は大きいけど、ほとんど日本車になりました。

―― 車、家電製品のような工業製品が、「日本製のものはかっこいいね」と受け入れられたことも、日本の文化を外国で受け取ってもらえることにつながっていくんでしょうか?

バラカン デザインセンスがいいと、その国のイメージが良くなることは間違いない。だから、今ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアあたりで日本にあこがれをもつ若者が多いのは、やはり日本のデザインが大きな役割を果たしたんじゃないかという気がしますね。

青木 70年代ぐらいから、三宅一生のような日本のファッションデザイナーが世界に出るようになった。彼らが活躍した80年代、90年代と、日本の家電や自動車のデザインが良くなってきたのは大体一緒の時期です。

バラカン 80年代の日本の家電は、あまり色を使っていないですね。黒、グレーとかメタル仕上げとか。ファッションも同じで、三宅一生、川久保玲、山本耀司にしても、あの時期国際的に高く評価された3人のデザイナーの共通点は、モノトーンが多いこと。それから、とくに初期はだぼっとしたラインのデザインで、着物の要素をかなり強く取り入れていた。日本にしかあり得ない個性を打ち出していました。要するにヨーロッパのデザイナーと全く同じものをつくっていれば、あそこまで注目されなかったと思います。

自意識過剰になって日本的なものをつくる必要はないんですけど、自然と日本人でなければ持ち得ない感覚が出ていたことは、良かったんでしょうね。

青木 日本のファッションは、パリコレなんかでアヴァンギャルドだと受け入れられ、モテたんですね。面白いと思うのは、逆に言えば、そういうふうにしか出ていけなかったとも言える。その背景には、ヨーロッパ社会やアメリカ社会の上流社会の変容があるんです。これまでは伝統的な衣服を纏っていた人たちが、アヴァンギャルドを受け入れるような雰囲気。日本的なファッションが面白いと思えば、たまには着てみようとかね。だから、ある種大衆化したんですね。

バラカン そうそう。だから、本来パリコレといったらオートクチュールの世界なんですけど、徹底してプレタポルテのほうにシフトした。プレタポルテにしては高級なものだったかもしれないけど、日本のファッションは、そういうふうに概念を変えるのに貢献したんじゃないかな。

―― 日本のファッションデザイン、服装がヨーロッパでも受け入れられつつある一方で、当の日本人はサラリーマンのスーツ姿のように、日常は洋服を着ているわけです。ことほどさように、日本人自身は日本文化を体現した生活をあまりしていない。そうすると、現代は日本文化の発信力が弱まっていってるんじゃないかという気がするんですが。

青木 やはり「混成文化」が日本の強さだと思います。日本には、古来からの神道や農耕文化を中心としたものはきちんと残っている。でも、インド、中国の影響をたっぷり受けながら、さらには近代に入って国家体制、宗教、文字に至るまで、西欧文化を受けてもいる。この三つが混ざるって、実は非常に難しいことなんです。中国や他のアジア諸国では、なかなかうまくいかない。日本の家庭では、おすしも食べれば中華も食べるし、朝はクロワッサンだし、そういうことをやっているわけです。グローバリゼーションの流れ中で、どこもいろいろな文化の影響を受けながら変わってきているわけですが、そのなかで、日本文化って折衷文化の強さというか、何かケロリとしている。これは非常に奇妙だけれども面白いですね。戦後の60年ぐらいの間に日本人がやってきたのは、そういううまいミックスです。オリジナルがないとか言われながらも、ミックスすることがオリジナル。日本の場合、宗教があまり強くないですから、ミックスしやすい土壌なのかもしれません。

バラカン 僕はここ6~7年、NHKワールドで「Begin Japanology」という番組に出演しています。日本の伝統文化を色々な形で紹介するというものです。もともと、海外向けの番組ですから英語でつくっているんですけど、二次的に国内放送もしていて、よく日本人から、「あの番組は面白いね、ためになるし、知らないことばかりだ」と言われます。もう最近は慣れましたが、日本人の皆さんは、そんなに自分の国のことを知らないんだな、という実感がすごく湧いてきました。なぜ知らないかと言えば、学校でも教わっていないし、日常的にメディアからも伝わってこない。まじめくさって伝える必要はなくて、もっと娯楽風に工夫してでもいいから伝えることはできるはずなんですけどね。それがすごく残念だと思う。だから、ミックスになるのは構わないんだけど、“日本”としての部分がどんどん薄れてくるのは非常に残念です。

―― 背骨は背骨としてきちんと残っていたほうがよい、と。

青木 そうですね。特にバラカンさんが「Begin Japanology」で紹介しておられるような日本の伝統文化は、一般の日本人にとってはほとんど未知の世界になってしまうね。

バラカン 実際そうなってきましたね。

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日本はミックス文化ってことでスクリッティ・ポリッティのクラブミックス

 

Scritti Politti - Absolute clubmix

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坂本龍一さんら19人、芸術選奨大臣賞に(読売新聞) - goo ニュース

文化庁は12日、2009年度の芸術選奨文部科学大臣賞と同新人賞の受賞者を発表した。

文部科学大臣賞には、音楽家の坂本龍一さん(58)、評論家の西部邁さん(70)ら19人、同新人賞には、映画監督、脚本家の西川美和さん(35)ら11人が選ばれた。贈呈式は19日、東京都千代田区の旧文部省庁舎で行われ、賞状と賞金30万円が贈られる。

 ◆受賞者は次の通り。(敬称略)

◇芸術選奨文部科学大臣賞【演劇】俳優 嵐圭史(69)、演出家 鵜山仁(56)【映画】編集技師 川島章正(59)、美術監督 種田陽平(49)【音楽】尺八演奏家 三橋貴風(60)、箏奏者 吉村七重(60)【舞踊】ダンサー 岩田守弘(39)、日本舞踊家 三代目花柳寿美(68)【文学】作家 稲葉真弓(60)、歌人 柳宣宏(56)【美術】彫刻家 長澤英俊(69)、日本画家 山本直彰(59)【放送】プロデューサー 塩田純(49)【大衆芸能】音楽家 坂本龍一(58)、落語家 四代目林家染丸(60)【芸術振興】財団法人たんぽぽの家理事長 播磨靖夫(67)【評論等】編集者 斎藤慎爾(70)、評論家 西部邁(70)【メディア芸術】東京芸術大学大学院映像研究科長・教授 藤幡正樹(53)

◇同新人賞 【演劇】作家 前川知大(35)【映画】映画監督 西川美和(35)【音楽】バイオリニスト 庄司紗矢香(27)【舞踊】日本舞踊家 山村若有子(53)【文学】作家 川上未映子(33)【美術】写真家 津田直(33)【放送】ディレクター 黒崎博(40)【大衆芸能】ジャズ・バイオリニスト 寺井尚子(42)【芸術振興】演出家 中島諒人(44)【評論等】東京文化短期大学教授 岩切信一郎(59)【メディア芸術】アニメーション映画監督 細田守(42)


異文化に憧れたとき

2010-03-12 | weblog

前エントリーコメントで暇な奥さんより指摘して頂いた文化人類学者の青木保氏。

以下、ウェッジでピーター・バラカンと対談しているのでそれを今回より4回に分けて転載。

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異文化に憧れたとき

すばらしい文化との出会いは、その国のイメージをも良くすることがあります。結果、そうしたイメージが、現代の多文化世界における国家間の関係を好ましいことにすることもあるでしょう。

文化人類学者としてアジア諸国をフィールドワークし、タイにおいては僧修行まで経験している青木氏と、日本のポップミュージックに憧れて来日したバラカン氏は、それぞれどのようなきっかけで海外文化に興味をもったのでしょうか? まずは、お二人にその体験を伺いました。

異なるものへの憧れ

編集部(以下――) おふたりに伺いますが、最初に他国に興味を持ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

バラカン わたしが生まれたイギリス以外の国に興味を持ったのは、最初はアメリカでした。きっかけは、アメリカの映画だったり、ポピュラー音楽だったり。まさにソフトパワーと言われるものですよね。ただ、当時のアメリカのソフトパワーというのは、軍事力があってこそのソフトパワーでした。戦後のアメリカは、圧倒的な軍事力を持っていたということと、文化の力が一体となって切り離せなかったように思います。でももちろん、子どもの頃はそんなこと意識しませんでした。物心がついたときからそういうテレビや音楽に接していましたから。だって、うちが初めにテレビを買ったのは、僕が5歳ぐらいのときなんです。まだうちにテレビがない頃も、近所にテレビを持っている家があって、ときどき見に行ったのを覚えていますね。何を見ているかといったら、「ローン・レインジャー」なんです。要するにカウボイものの連続テレビドラマ。

「ローン・レインジャー」に代表されるようなアメリカの番組が、一世を風靡した時代だったんです。ほかにも、「ルーシー・ショー」だとか。当時のテレビ番組といえば、ほとんどアメリカ発だったんですね。イギリスでもつくっていましたが、1950年代は圧倒的にアメリカのものの輸入。僕なんかはその影響を受けています。

青木 私はバラカンさんとは一回りほど年が違いますから、戦争が終わったときには小学校1年生くらいでした。当時、東京から地方に疎開していて。その時に接した異文化って、最初はやはりアメリカ文化でした。アメリカ軍がジープに乗って地方の村にも来る。最初は怖かったんですが、兵隊がニコニコしていてね。それでチョコレートとかチューインガムとかをくれるもので、だんだんなついていった。それから、当時のアメリカ兵は態度が非常に良かったんですよ。アメリカ軍の兵隊が日本に駐留したり占領したりしている。本当は脅かされるかと思ったら、逆ににこにこして感じが良かったものですから、そのときはすっかりアメリカが好きになりましたね。

それから、だんだんアメリカの映画やポピュラーミュージックが盛んに流されてきましたから、それを見てアメリカを知るようになりました。アメリカのことを知ると、そのうちヨーロッパもあるしとなる。でも、日本の近代は、ヨーロッパとアメリカの影響ですから、逆にアジアの情報はほとんど入ってこなかった。

バラカン なるほど。

青木 今で言う歴史問題は当時もあったんだろうけど、日本人が中国や朝鮮半島でどういうことをしているかなんて全然情報が入ってこなかったですから、そういう情報が入ってくるのは、戦争が終わってかなり経ってから。敗戦日本の混乱から立ち直るのが精一杯でした。中国とも国交回復もしていませんでしたしね。だから、情報は文化に関してもアメリカ、あるいはヨーロッパのものばかり。僕個人は、文化人類学を研究しようと思って、1960年代当時は東南アジアに行く人はほとんどいなかったものですが、タイなどに行くようになったんです。

日本人の一般的な体験としては、戦後はアメリカ文化からの圧倒的な影響があった。それは、一種の“モデル”みたいに感じられていました。ほんの半年ぐらい前まで「鬼畜米英」なんて言っていたのに、敗戦で一度に変わっちゃったわけです。実際に私が見た兵隊たちは、非常にまじめな態度で感じが良かったですね。アメリカは軍事力が強かったし、今でも世界で一番強いですけど、軍事力というハードパワーの使い方というのはあって、一つは、もちろん武器で戦争したりするような、本当の物理的な力ですけど、もう一つは、軍事力であっても、やり方によってはソフトパワーに変わることがあると思うんです。自衛隊も、例えば今や災害救済の力として評価されていますね。

―― 「態度が良かった」というのは、アメリカ文化が日本人に受け入れられた前提のひとつということでしょうか?

青木 その文化がいかに素晴らしくても、やはり持ってくる人の態度が悪ければ反発しますからね。ですから、後になって日本でも『日本の黒い霧』(松本清張著、文春文庫)に描かれているように、アメリカ占領については闇があることも分かってきたけれど、少なくともわれわれが接触した最初の兵隊さんは、非常に態度が良かった。また当時アメリカ文化は輝いていました。ハリウッドにジャズに豊かな生活と明るさ。

バラカン 当時の日本は、もう戦争が終わっていたということもあるかもしれませんね。

青木 そういえば、いつだったかオーストリアのウィーンに行ったんです。コンツェルトハウスに行って、アルバン・ベルクのコンツェルトを聴こうと思ったら、すでにソールドアウト。そうしたら受付のおじさんが「今晩いいのあるぞ」と言う。何かと思ったら、ジャズコンサートで、これがウィーンのグレン・ミラー楽団なんですよ。

バラカン へえ。

青木 行ってみると、オーストリア人によるグレン・ミラーが件の演奏会でした。G.I.の帽子をかぶってミラー・サウンドを出している。第2次世界大戦後、ウィーンも米英仏ソによって4分割されたでしょう。その中でウィーンの人たちにも、アメリカに対する好感、信頼といった感情があったんじゃないかと思う。

バラカン 演奏者は年配の方なんですか?

青木 そうです。全体が同好会のような感じといえばいいかなあ。パリ開放のときに米軍のジャズバンドがスイングジャズを街頭で演奏すると、解放に沸く街で市民が熱狂するというような。たとえばトミー・ドーシー、ベニー・グッドマンなどのビッグバンド・ジャズ。アメリカジャズ文化が一種の平和のシンボルとなっていた。アメリカのまさに「ソフトパワー」の影響ですよ。21世紀になっても残っている。アメリカについては大きな批判もあるけど、大学も含めたその文化にはみな惹かれている。

クリントン国務長官が先般の来日時に、明治神宮を参詣し、お神酒を飲んだ。「日本文化への尊敬」と言っていました。21世紀は文化が中心となる時代。グローバル化の中に「文化」がある。それを強く認識しなければならない。

バラカン あの時代、アメリカは自由のシンボルですからね。当時、例えば「カサブランカ」みたいな映画なんかを見てもそう。

青木 今では一種のノスタルジーなんだけど、当時はそうでした。

バラカン そうなんですよね。

青木 アメリカは、おおむねいいイメージで日本を占領したと思うんです。「日本文化論」で、ルース・ベネディクトの『菊と刀』(講談社学術文庫)という本があるでしょう。これは、戦時中、アメリカ軍が日本をいかに占領するかのマニュアルをつくるため、アメリカの人類学者などを動員してワシントンD.C.で始められた研究会の報告書が元になっているんです。そうした当時の戦略プロジェクトで研究をしたベネディクトが、その成果を自分の本としてまとめたのが『菊と刀』なんです。

バラカン でも、当時のアメリカは、日本がどこまでコロリと変わるかということは見込んでいましたかね?

青木 いや、それは見込んでなかったと思いますよ。当時の沖縄では、激しい抵抗戦があったわけですから。

バラカン さかのぼってみると、戦前・戦後で日本文化の様相が変わったのは、やはり1945年に敗戦したことが出発点のような気がしてしょうがないんです。

青木 文化はだいぶ変わりましたね。ただ、戦前からもちろんアメリカのダンスミュージックは入ってきますし、日本人のプレイヤーがジャズもやっていました。

そういう意味では、戦争の一時期、1930年代後半から45年までが「鬼畜米英」と言ったりして反発を強めていた時期ですが、その後は、戦前の状態にまたつながったような気がします。明治以降、西欧の悪口を言っても西欧崇拝がある、という二重構造があって、このことは大きいですね。逆に、アジア、とくに現代アジアに対して日本人はほとんど関心がない。中国の古典とか、朝鮮の焼き物、陶器、古典文化・伝統文化に対してはみんな関心を持っていますけど、現代の文化に対してはほとんど関心がない。それでも、21世紀になってだんだん変わってきました。

バラカン やはり明治維新以降の日本がもう西欧の一員になろうと一生懸命になったことがきっかけなんですか? 要するに自分はアジアの国なんだけど、多くの面でヨーロッパに追いつき近代国家になろうとした、というような。

青木 列強と同じような力を持ちたいということです。ですから、教育制度から軍事まで、当時の列強大国に倣っている。

バラカン だから、植民地主義に走ったというのも、ある意味ではヨーロッパのようになろうという流れでしょう。ヨーロッパがなぜ強いかといったら、植民地を持っているから強いという要素もある。ヨーロッパのように強くなろうと思ったら、植民地を持たなきゃいけない。これは極めて合理的なプロセスかもしれません。ただ、そのやり方が急すぎて失敗したというのは、もちろん歴史を見れば誰にでも分かる話なんです。

青木 当時の日本人が持っていた感覚というのは、明治から大正にかけての、片一方でヨーロッパやアメリカがモデルとしてあるわけですけど、同時に中国大陸まで列強の植民地化が進んできているし、片一方では、ロマノフ王朝のロシアには、南進というのがありましたからね。そういう中でまだまだ未熟な状態の中から近代国家をつくらなくてはいけないというのは、想像以上に大変だったと思うんです。今ではいろいろな批判も出てくるんですが、当時としては列強攻勢の中で何とか国の独立を保って、かつ、西欧列強みたいに力をつけなければ負けてしまうという強い思いがありました。

日本文化の特徴は「混成」

―― 日本文化の歴史をふりかえると、中国の文化や南蛮文化をうまく受け入れて、そこを日本流にアレンジして、日本文化を変容させてきています。でも、明治時代以降というのは、欧米のシステムや文化をまるまる受け入れてしまっているような感じがします。それまでのスタイルであった、いったん受容して変容させるやりかたと、変わってしまったと考えられるでしょうか?

青木 いや、そうじゃないと思う。僕は日本文化を「混成文化」っていうふうに呼んでいるんですけど、日本はもともと土地に根付く神道文化があり、天皇制の基盤にもなっています。そして、アジア大陸から儒教、道教、それから律令体制、仏教の影響も大きく受けてきた。その後明治になって、今度は西欧やアメリカの影響を受けた。だけど、だからと言って神道文化がなくなるかといったら、なくなっていない。これはずっと現代でも天皇制を含めて存続している。今でも全国どこを歩いても、お寺もあれば鳥居もあるし、キリスト教の教会やイスラム教のモスクまであるでしょう。日本人は取捨選択が結構うまい。これを「混成文化」と呼んできました。中国やインドの影響を受けていても、中国やインドになったわけではないし、そういう欲望もなかった。いいものはきちんと受け入れるけれども、自分では受容できないなと思うものに対しては、積極的に受け入れない。

徳川時代があったから、逆にその選択がうまくいっていたのかなと思います。16世紀以来、ポルトガルが来て、オランダが来て、イギリス、フランスが来て、日本はあれこれ取捨選択する暇もなく、時間もなく、西欧のいろいろなものを受容せざるを得なかった。

バラカン でも面白いのは、僕はその後の鎖国時代だと思うんです。長崎の出島みたいな、オランダ人や中国人が出入りするところもあったけど、ほとんど海外からの影響が途絶えたその間が、いろいろな庶民文化がジュワーッと醸し出された時代だった。

よく音楽の世界でも、下手にいろいろな人の影響を受けすぎると、自分のアイデアがわかないということが言われます。もちろん、誰でも最初は誰かの影響を受けながら自分の個性をはぐくんでいくものですが、その辺のバランスがうまくいったのではないでしょうか。

青木 そういうこともあるかもしれませんね。でもその後、江戸時代が終わって、明治政府ができたでしょう。それは、ある意味では江戸時代を否定したということなんです。それで、江戸時代の文化についての記憶も薄れてしまった。

現代になって、この20年くらいは「江戸学」として新しい光が当たっています。「江戸文化にはすばらしい点、現代人が見習うべき点がたくさんある」と主張する人たちもいます。江戸時代の芸術や文学も素晴らしいし、いろいろな趣味の世界も深いものが蓄積され、庶民の文化にも厚みが加わり社会に広がったんですね。それまでは宮廷とか、よくても武士階級までだった文化が庶民に広がり、独自の文化を生み出した。

この20年ほどで、明治政府が否定した江戸時代の生活スタイルを見直そうという気運も出てきている。

―― 江戸時代に鎖国をして、300年間海外との交流を制限していた中で庶民文化が花開いたという事実や、バラカンさんが音楽の例でおっしゃったように、あまり影響を受けすぎるとかえって自分が何者かが分かりにくくなるということを考えると、文化が成熟していくのには「時間」が必要なのでしょうか。

バラカン もちろんそうです。英語で言うカルチャーというのは、例えばキノコのようなイメージなんですよね。

最初は一つの固まりだったものがじわじわと地を這って広がっていくような、そういうものをカルチャーと言うんです。文化とはそういうものだと思うんですね。計画を立てて伸ばしていくものではなく、自然培養で何百年もかかって、目に見えない発展を遂げるものだと思っています。

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ピーター・バラカンはトークボックスの魔術師ザップ&ロジャーの大ファンで趣味が一致する。

 

Zapp And Roger - I Wanna Be Your Man (LIVE)


イルカと鳩に噛みついた

2010-03-11 | weblog

 

ドキュメンタリー賞 『ザ・コーヴ』 イルカ漁批判に地元反発

和歌山県太地町のイルカ漁を題材にした米映画「ザ・コーヴ」が長編ドキュメンタリー賞を受賞したことに、地元の太地町では反発の声があがる一方、イメージダウンを心配する声も聞かれた。

「ザ・コーヴ」は米国の環境保護活動家の撮影チームが太地町へ潜入した映像を中心にした、イルカ漁を告発する映画。漁師や警察の制止をかわして立ち入り禁止の浜へ強引に入り込んで撮影した。イルカが殺される場面もあり、漁師を「ジャパニーズ・マフィア」として描いている。

公開された欧米で「イルカ漁は残酷だ」との声があがり、同町と姉妹都市提携しているオーストラリア・ブルーム町議会は内外からの抗議に耐えかね、提携の一時中止を議決。その後、「異文化を認めるべきだ」との住民運動が起き、議会で提携を復活させたいきさつがある。

三軒一高町長と同町漁協の水谷洋一代表理事組合長は、「科学的根拠に基づかない虚偽の事項を事実であるかのように表現しており、遺憾。食文化については地域における長年の伝統や実情を理解した上で相互に尊重する精神が重要」というコメントを発表した。

また、捕鯨の町としての歴史を紹介するテレビ番組上映会を先月開いた町公民館の宇佐川彰男館長は「ザ・コーヴ」も見た上で「アカデミー賞も地に落ちた」と憤る。「われわれは、海の恵みに感謝し、毎年慰霊祭も行っている。文化が違うのかね」と首をかしげた。

・顔ぼかして公開

「ザ・コーヴ」は国内では五~六月に公開が予定されている。地元からの抗議を受けて配給元の「アンプラグド」(東京都)は、「肖像権の侵害にならないよう地元の一般住民の顔にはぼかしを入れる」と話す。

また、作品が「イルカの肉が水銀に汚染されている」「イルカ肉を鯨肉として販売している」と主張している点については、映画の最後で「水銀値の調査結果にはばらつきがある」「町は反論している」との字幕を挿入するという。

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まずは顔にボカシは屈米根性だぞ、と一喝する。

では奥さん、以下、池田センセもアカデミー賞"The Cove"に噛みついた。

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エコロジーという自民族中心主義

和歌山県のイルカ漁を撮影した映画"The Cove"がアカデミー賞を受賞した。私はその映画を見ていないが、受賞の言葉で「日本人はイルカを食うべきではない」などと語っているのを見ると、その政治的意図は明らかだ。この種の過激派は、グリーンピースやシーシェパードなどよくあるが、アカデミー賞を受けたとなると、その影響は無視できない。

イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。デリダもいうように、高等動物と下等動物の区別には意味がなく、人間と動物の境界も恣意的なものだ。たとえば新生児を殺したら殺人だが、妊娠3ヶ月で中絶するのは犯罪にはならない。逆に、かつては老人を「姥捨て山」に遺棄することは犯罪ではなかった。殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。

ところがキリスト教文化圏は、すべての人類に普遍的な倫理があると信じる特異な地域だ。さらに人間が神の姿に似せてつくられたという特権意識をもち、すべての動物は人間のために殺されるのが当然だと考える人間中心主義が強い。「イルカは賢いから殺すな」という主張の根底には、黒人などの「劣った民族」は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。

これが昂じると、「地球を守れ」という倒錯したキャンペーンになる。冷静に考えればわかるように、人間が自然の中心として地球を守るという思想は、天動説にも等しい。地球上の生物の圧倒的多数はバクテリアであり、人類が死滅しても地球上の生態系にはほとんど影響しない。太古のままの地球を守ることが環境保護だとすれば、そんな自然はすでにほとんど存在しないし、それを守ること自体には何の意味もない。環境保護は、あくまでも人間の問題なのである。

ホルクハイマー=アドルノも指摘するように、自然を支配の対象と考える啓蒙的な合理主義が自然破壊をもたらしたが、それによって近代社会は歴史上、類のない豊かさを実現した。啓蒙が反自然的だという批判は正しいが、それを否定するなら、自然を搾取する産業社会を捨て、すべての動物の肉を食うのをやめ、化石燃料をやめて山の中で隠遁生活をするしかない。

いいかえれば、無数の生命を虐殺し、自然を破壊することは近代人の原罪であり、この罪から無縁な人間はいないのだ。それを認識しないで、CO2の削減が「文明の転換」だなどという経済学者は、西洋文明への無知をさらしている。欧米人が彼らの自民族中心主義を信じるのは自由だが、そういう偽善を無批判に輸入して「地球のいのちを守れ」と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。

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上杉くんとのライブトーク後、カツマーに噛みついて以来の久しぶりの噛みつき亀。

今回は勢い余ってイルカばかりか鳩ポッポまで噛みついた。相変わらず畏るべき食欲だ。

 

>「イルカは賢いから殺すな」という主張の根底には、黒人などの「劣った民族」は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。

欧米エコロジー思想の根底にレイシズムがあるってことなら批判するためにわざわざデリダやアドルノを持ち出すまでもない。有色人種差別意識が変形して環境保護が生まれたのなら、人種差別の歴史を超簡単にまとめた太った中年の過去エントリー「アイバンラーメン」を再読すれば充分だ、奥さん。以下、抜粋。

 

・肥沃なアフリカで最初の人類黒人が誕生

・暫くしてアルビノ現象により白人が登場

・黒人は白人を差別して痩せた北部へ追いやる

・その太古の経験が白人による黒人差別の伏線となる

・白人はその後、エジプト帝国で奴隷として差別される

・差別を逃れ逃亡した白人奴隷はユダヤ教をつくる

・ユダヤ教の中で差別された一派がキリスト教をつくる

・ローマ帝国はキリスト教を差別する

・ところがキリスト教は革命を起こしローマ帝国を乗っ取る

・キリスト教のローマ帝国はヨーロッパを植民地化する

・こうしてヨーロッパ民族は西洋史初の被差別階級になる

・まだまだ差別は続く

・キリスト教はカトリックが主流になる

・カトリックはプロテスタントを差別する

・プロテスタントの中のピューリタンは差別に耐えかねて新大陸へ逃亡

・以上のような差別連鎖のどん詰まりで人類に最も恨みを抱く米国人が誕生

 

*

人類に最も恨みを抱く米国人は自由と正義の名のもとに新大陸で先住民インディアンを殺しまくった。現在、年3500万頭の牛を殺す米国人であるが、インディアンを殲滅するにあたり、まず一種の経済制裁として彼らの生活の糧であるバッファローを殺害したのだ。経済制裁をして弱体化させてから他国へ戦争を仕掛けるセオリーはこのときから始まった。イラクもわが日本もそうだった。で、冒頭「ザ・コーヴ」のタイトルフォトなんてキリストと使徒「イルカ」そのものだろ。頭のイカレタ米国人につける薬はない。

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こうした米国=人類の現象は死ぬまで続くワケでね、なんかいい知恵があったらコメントください。


日米チキンゲーム

2010-03-10 | weblog

以下、岩上氏のツイッターより普天間移設問題を転載。日米関係の本質を突く秀逸なツイート。

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先ほど、帰宅。孫崎さんのお宅にお邪魔すると、ついつい話にのめりこんでしまい、長居をしてしまう。孫崎さんも、奥様も、お風邪を召しているのに、ご好意に甘え、失礼をしてしまった。いかん、いかん。さて、普天間問題だが、今日は、もう一度、改めて、この問題について解説してもらった。

続き。嫌な顔ひとつせずに、丁寧に解説してくれる孫崎さんには、頭が下がる思い。なのに…このわたくしときたら。インタビューの途中、バッテリーが切れてしまい、予備のバッテリーを持ってくることを忘れたことに気づき…。ああ、痛い。というわけで、ビデオは途中まで。

続き。でも、インタビューは続行。孫崎さんは、何事もなかったかのように話し続けてくださった。映像は途中までだが、音声は録れているので、アップします。これは、YouTubeより、Podcastのほうが、いいのか? 検討します。さて、取材の結果ですが、結論から言うと、希望をつないだと。

続き。最近の動きを見ていると、米国に余裕がなくなっていると感じるという。もともとグアムなどに移転することを計画していた米軍だが、財政難のため、日本の思いやり予算を当てにしようとする姿勢が強まっている。ちなみに、普天間に駐留する海兵隊は、極東有事のために存在するのではない。

続き。海兵隊だけでなく、在日米軍は、仮に中国との間で、尖閣諸島をめぐって紛争が起きても、介入はしない。「抑止力」として機能するというのは、幻想。海兵隊は、日米安保ではなく、05年以降に規定された「日米同盟」のために存在する。この「同盟」は、米国の国益追求のために締結されている。

続き。安保と同盟の違いについては、私のHPの孫崎氏インタビューを参照のこと。海兵隊のグアム移転も、戦略的な必要性からではなく、隊員とその家族の慰安のためである。沖縄で過ごすのは、必ずしも海兵隊員にとって、安楽なわけではないからだ。何とも気の抜けるような話であるが、それが現実。

続き。それなのに、今、キャンベルなどが、辺野古移転案にしつこくこだわって見せるのは、先に触れたとおり、米国の財政難が一段と深刻化して、グアムなどへの移転の予算が捻出できないため。もちろん、これはディールであり、チキンゲームである。ゲームから、岡田、北澤両大臣と、平野長官も降りた。

続き。チキンゲームから降りていないのは、鳩山首相だけになっていた。さすがに首相一人では、しのぎきれないかも、と思っていたら、沈黙していた小沢氏が、沖縄県内への移転に対して否定的な意向を示した。希望をつないだとは、このこと。小沢氏は、米国とのチキンゲームから降りてはいなかった。

続き。解決への時間がかかっていることを、日本国内では、誰もが非難する。特にマスメディアは非難一色だが、期限を区切って急がせているのは米国。日本のマスメディアで、真の国益を考えているところは見当たらない。日本の長期的な国益を考えたら、期限を区切らずにしぶとく交渉する手もあった。

続き。そうは言っても、期限を区切るように追い込まれてしまったのだから、それは仕方ない。だが、世間の評価とは反対に、鳩山政権が、解決を急がずにいることを、外交の専門家として高く評価する。それは米国の圧力にまだ屈していないことを意味するからだ。ここに日本の自立の可能性を見る。

対米従属保守と、空想的非武装左翼しか、存在できないように、巧妙にコントロールされてきたのが、戦後の日本の歪な言論空間だった。自立し、民主的で、ノーマルな安全保障論議は、それを望む良識ある人々が存在しても、政治勢力として存在できなかった。

続き。いうまでもなく、それは宗主国たるアメリカの意向である。と、ここまでは、僕自身のかねてよりの持論。最近、孫先さんにお会いして、同じ考え方をされていると知って、嬉しく、また、心強く思った。

リアリストの論議の続きは、あとでこれも、検察権力や、記者クラブメディアの現実の話と同様、戦後日本で、タブーとされてきたテーマです。政権交代がなければ、表に出せなかったテーマ。右も、左も、先入観をもたずに聞いていただきたい。嫌ならスルーを。暴言、厳禁。のちほど。

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普天間移設問題が日米間のチキンゲームつーのは言いえて妙。

>対米従属保守と、空想的非武装左翼しか、存在できないように、巧妙にコントロールされてきた

そうだよなぁ、普天間移設問題はリアリストの論議をすべき

で、以下日刊ゲンダイのリンク記事。

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辺野古を買っていた「政界9人リスト」が問題化

対米従属保守土地転がし政治家「9人リスト」のイニシャルをあてはめると

自民党

1 防衛庁長官経験者 N→額賀福志郎
2 防衛庁長官経験者 K→久間章生 
3 防衛庁長官経験者  I→石破茂 
4 特命大臣沖縄担当 T→高市早苗
5 官房長官経験者   N→野中広務
6 小泉首相の秘書官  I→飯島勲

民主党

7 現役閣僚       M→前原誠司
8 現役閣僚       K→北澤俊美

国民新党

9              S→下地ミキオ

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てなところか、飯島秘書官がまたまた登場。このおっさん、なんとかならないのかね。


偽メール事件の犯人と小泉家

2010-03-09 | weblog

前エントリーに続いて松田ツイッター。以下、偽メール事件について。

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どらえもんと@tuesugiくんは、あの男のおかげで危うく例の「偽メール事件」の犯人にされるところでした。あの男が知り合いの記者を呼びつけては「犯人は民主党議員の秘書だったジャーナリスト」とガセネタを流したおかげです。以来、@tuesugi君とは「被害者同盟」を結成してますが。

個人攻撃の「ガセネタリーク」は、あの男にとっては、常套手段なのです。どらえもんや@tuesugiくんの「被害者同盟」に、さらにひどい形で加わったのが、村木厚子さんということになります。

ちなみに、あの男が偽メール事件でガセネタを流した時の模様は、被害者同盟の@tuesugiくんがブログに記録してくれているので、参考まで。゛http://www.uesugitakashi.com/archives/50347212.html 

引き続き@tuesugiくんのブログから「被害者同盟」結成のくだり。 http://www.uesugitakashi.com/archives/50347813.html ここまで読んでいただくと、あの男とわれわれの歴史もおわかりいただけるはず。

どらえもんのところにFTV記者が「○○秘書官がどらえもんが偽メール持ち込んだ犯人だと言ってますよ。本当ですか?」と聞いてきたので、「ウソウソ。真犯人は、山口組系のヤクザの下っ端のNってヤツ。中川秀直とその××組の若頭が銀座で飲んでたって言うから調べてるんだ」と答えたっけ。

 @tuesugiくんのブログでは、配慮して伏せてあるけど、どらえもんは取材に対しては、「あの日は原口さんの予算委質問作りでずっと一緒にいたから、アリバイは原口さんに聞いてよ~。永田議員の質問は一度も作ってないし、どらえもんが作ったらこんなドジな質問しないよぉ」と答えてきました。

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てなワケで@tuesugiくんは上杉隆氏、あの男はもちろん飯島元秘書官。

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どらえもんは、小泉、安倍、福田の3代の首相について、脱税宰相だと週刊誌に書いてきました。それについて、一度も訴えられたことはありません。すべて収支報告書に書かれた事実や小泉家の家政婦の証言テープをもとに事実をできるだけ客観的に伝えるように心がけてきたからです。

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小泉さんが金にクリーンなイメージを喧伝したのも飯島元秘書官だった。

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続いて小泉さんの家系をツイート、面白い。

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小泉元首相の実家は、「小泉組」という曾祖父が作ったヤクザ組織。背中に龍、全身に刺青をしていたことで知られる祖父又次郎は、国会議員になる前に小泉組の3代目を継がされました。当時、現在の稲川会の母体である横須賀一家と小泉組の間に抗争があり、二代目の長男が殺されたためです。

当時、又次郎は、上野のあたりで職を転々として、家出状態。今でいうフリーターでした。それを跡取りがいなくなった曾祖父が連れ戻し、「堅気の商売ができなように」と手下に又二郎を押さえこせて全身に刺青を掘ったという逸話が「小泉又次郎伝」に記されています。

小泉家では、なぜか三代目を襲名したあとの又次郎は、「長男」として扱われました。名前に「次」を入れた通り次男であったことは、「小泉又次郎伝」にも書かれていますが、衆議院議員になってからの公的な資料では、又次郎は「長男」という届け出になっています。なぜなのか、調べました。

小泉家の関係者の証言によると、二代目の長男の名前は死亡とともに戸籍から消され、又次郎を長男に繰り上げる更生手続きがとられたのだといいます。つまり、ヤクザの抗争に敗れて死んだ長男は、小泉家の歴史から消されたのです。小泉家の菩提寺を隅から隅まで探しても、長男の墓はありませんでした。

どらえもんは、横須賀とかつて小泉家があった横浜市金沢区を歩き回って、関係者を取材しましたが、「長男」の名前すら誰も口にしようとしませんでした。それだけ、「小泉組二代目」のことは、タブーになっているということです。

小泉組三代目を襲名した又二郎は、ヤクザ稼業が性に合わないと二年余りで三男の岩夫に小泉組の家督を譲り、再度上京して東京毎日新聞の記者になります。記者時代に上野公園で聞いた岩倉具視の自由民権演説に心酔して政治家を志したのは、有名な話です。

小泉組は、元首相の大伯父にあたる4代目当主岩夫の時代に大きく発展します。横須賀港に入る貨物の荷揚げ屋から運送業、建設業へと事業を拡大。ついには海軍お抱えの業者として、台湾に海軍が軍港を作る際には、工事の一切を小泉組が仕切るまでになったと横須賀市立図書館の昭和初期の蔵書にあります。

小泉組4代目の小泉岩夫は、日露戦争当時、横須賀界隈の篤志家から寄付を募り、戦勝を祈念して成田山新勝寺に「戦勝祈念碑」を建立した。現在もその横に小泉岩夫の胸像が立っている。新勝寺境内に隣接した公園を少し入っていくと見つけることができる。

成田山新勝寺の「日露戦争戦勝祈念碑」建立から100年経った2005年春。3メートルほどの高さの塔の脇に腰の高さほどの「建立100周年碑」が立った。除幕式には出席しなかったが、ひときわ大きな文字で彫られた名前は「内閣総理大臣小泉純一郎」。防衛族宰相のルーツは軍の政商・小泉組だった。

小泉家の秘密シリーズは、ここでいったん中断して、あの男の話。あの男の「郵政民営化利権」の全貌を解明するため、政権交代前からもう半年以上にわたって郵政公社化直前からかんぽの宿まで処分された4000件以上の郵政物件の全登記簿を精査中。こんなことしてるのは、どらえもんだけでしょうね。

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松田ツイートは最高だ。あの男の話はまたエントリーする。


郵便不正事件、松田ツイッター再開

2010-03-08 | weblog

以下、郵便不正事件の松田ツイッターが再開。どらえもん氏は暫く体調を崩していたそうだ。

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村木さん冤罪事件は、あの男が支配した「郵政民営化利権」のごく一部を元自民党秘書会の同僚だった倉沢被告に「おすそわけ」したのが真相というのが、どらえもんの調査による結論です

倉沢被告からあの男に何がしかの利益供与があれば、あの男を収賄罪で捕まえることもできるかと調べましたが、それらしき事実は確認できませんでした。つまり、この郵便不正事件で、あの男を逮捕することはできないと判断し、つぶやくことにしたわけです。

むしろ、どらえもんの情報網には、当時、倉沢被告があの男の別荘の入手の裏情報で、あの男を脅していたという話も入っています。うるさいハエを追い払うには、障害者向け第三種郵便認可というアメをめぐんであげたということなのでしょう。

しかし、大阪地検が第三種郵便の不正事件で政界にも捜査の手を伸ばしはじめたことに慌てたあの男は、塩田元部長と口裏合わせをして、村木さんを犯人にでっち上げたのです。村木さんを守ろうと塩田元部長に法廷で真実を証言するよう直接働きかけた厚労省幹部も「塩田さんはでっちあげを認めた」と。

あの男の意図ははっきりしていて、自民党政権の存続が危機を迎えた時期、民主党の石井参院議員が関与して不正が行われたかのような事件をでっちあげ、「調書はとるな。捜査には協力する」と言葉巧みに大阪地検特捜部の検事を騙して、自分の「共犯関係」を覆い隠したのです。

大阪地検特捜部は、どらえもんが昔所属した大阪司法クラブの記者の間では「トイチ」と呼ばれていました。10年に1度しかまともな大事件をあげられないということで、検事も東京では使えないレベルだと。タイガースの優勝と特捜部の活躍は、どちらが次に来るかと話題になるのが大阪。

永田町の修羅場をくぐってきたあの男にしてみれば、大阪の特捜部レベルの検事を騙すのは、簡単でしょう。特捜部長は、三井環氏を逮捕した主任検事ですしね。現に、現場の検事は、あの男が見せた「石井事務所秘書倉沢」の名刺にすぐに飛びついて、今回の村木さん冤罪事件となったわけです。

真犯人のあの男が指差した方向を捜査して、無理やりでっちあげた供述で、村木さんを「犯人」に仕立て上げようとした大阪地検特捜部は、公判が進んで裁判が維持できなくなるまで、自分たちが騙されたことに気付かなかったのかもしれません。事実は、小説よりもサスペンスドラマよりも奇なりです。

大阪地検が被害者なわけありません。冤罪被害者は、あくまで村木さん。「トイチ」の大阪特捜が、またドジを踏んだということ。 QT @tetsumah 大阪地検も有る意味被害者?

どらえもんは、当初から村木さんは冤罪だと思っていました。最初から、あの男が雑誌の記者に倉沢の石井事務所秘書時代の名刺を見せて回っているという情報は入っていましたから。あの男の世論操作のおかげで、何度もひどい目に遭っているので。

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真犯人のあの男とは小泉さんの飯島元秘書官。結局、巨悪は捕まらない。


思考解剖・小沢一郎

2010-03-07 | weblog

以下、ウェブマガジンG2より佐藤優氏と魚住昭氏の対談(最終回)を転載。文句なく面白い小沢論。

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国家と社会の裂け目

―帝国主義は止められないが、その内容を変える程度のことはできる?

佐藤 その可能性に賭けてみる必要があります。小沢さんを考える場合、もう一つ忘れてはいけないのは西松建設献金事件です。日本の保守政治家はマルクス主義の影響を受けていないから、国家と社会が一体化している。例外的に国家と社会の裂け目を意識する人は検察にやられた人だけなんです。自分が国家の側にいる間は国家というのは、少なくとも自分との関係においては、守ってくれる暖かいもので、その本質が暴力装置だということは気付かない。ところが小沢さんや鈴木さんは、それに気付かざるを得ない状況に置かれてしまったんです。

国家と社会。私の解釈では「社会」は「世間」に近い概念で、「国家」は官僚機構に支えられた「政府=議会」だ。「国家」は「社会」の上に乗っかっている装置に過ぎないのに、日本では往々にして社会と国家が混同される。ジョン・ロックが、政府の圧政に対して人民の革命権を対置したのも、その基底に国家と社会(市民社会)は別物という考えがあったからだ。

さて、社会に国家が介入する場合の最も象徴的なことは何だろう。文芸評論家の柄谷行人の『近代文学の終り』(インスクリプト・〇五年刊)から援用しよう。〈国家というものは(中略)収奪によって成立する〉。収奪とは国民や法人、つまり社会に対する課税のことだ。〈しかし収奪を継続するためには、再分配をしなければならない。つまり収奪する相手を保護し育成する〉。これが社会福祉政策であり、かつての護送船団方式による企業の保護、統制だったといえる。佐藤のいう社会や共同体は、官僚機構と一体化した国家とは別の論理で自律的にまわっているか、自律的であろうとする者たちの集合体だと解してもいいだろう。

―そういえば「参院のドン」といわれた村上正邦さんもKSD事件で小沢氏や鈴木氏と同じような経験をして、変わりましたよね。

佐藤 そう。その経験がない限りは国家と社会は一体なんですよ。

―『改造計画』では国家と社会に加えて小沢さんの自我も一体化している。小沢自民党幹事長個人の湾岸トラウマがそのまま日本国家・社会のトラウマとみなされている。

佐藤 そう思います。だから今の小沢さんに『日本改造計画』を書けと言ったら、こういうふうには書けない。何故ならば検察が自分の方に牙をむいてきたから。一年前の小沢さんだったら同じ書き方をした。その意味で西松建設献金事件以前と以後の小沢さんは、別の人ですよ。だから私は、そこに期待がある。

―なるほど。それは良くわかる。

佐藤 だから小沢さんが事件後に言い出した企業・団体献金の禁止を、みんなはこんなものはカムフラージュじゃないかと言っているけど、そうではない。彼が一律禁止を言い出したのはやっぱり西松建設献金事件の意味を深く考えたから。と同時に、国家の暴力性を彼自身はヒシヒシと感じ始めた。田中角栄や金丸信が受けた仕打ちが何だったか、初めて皮膚感覚でわかったということなんです。

―私も小沢という政治家に本当に興味を持ち出したのは、あの事件からですね。

田中派への弔辞

―とすると佐藤さんが最初に言われた、小沢さんは普通の経世会の政治家と大して変わらないということと矛盾しないですか。

佐藤 いや、例えば橋本龍太郎の経済同友会三原則の中でのユーラシア外交は米国一辺倒ではなく、勢力均衡論に基づいている。金丸信の自民・社会両党訪朝団による、北朝鮮の国交正常化プロセス。あれも東アジアにおける戦力バランスの変化を目指している。それから田中角栄の日中国交正常化、あるいは田中・ブレジネフ会談によるシベリア開発の試み。経世会は一貫して、スマートなやり方じゃないんですが、日米関係の見直し、つまり帝国主義的な再編を試みています。冷戦構造下でも、それ以後でも戦後の大きな流れの中で日米安保体制に異議申し立てをしているのも、常に経世会です。清和会は戦後レジームの脱却と言いながら、実は全然その方向で動いていない。

―外交だけでなく、内政面でも経世会の敷いた路線は非エスタブリッシュメント出身者たちによる「土着的社会主義」あるいは日本的社民主義の色合いが濃い。外向けの帝国主義と、内向けの社民主義がセットになっている。常識的には、経世会より清和会のほうが帝国主義的なイメージは強いですけどね。

佐藤 帝国主義的イメージは強いけど、実際はアメリカのアンブレラの中での発想しかない。それは清和会が東西冷戦期の切った張ったの時期に権力を持っていなかったから、本当の権力の文法がわからない。経世会が日米関係の見直しで行き過ぎると、清和会が軌道修正をする。田中角栄が、中国やロシアに接近し過ぎると福田政権が出てきてアメリカとの関係を強める。あるいは中曽根政権が出てきてアメリカとの関係をより強める。そして、経世会の橋本・小渕で対ロ外交がとても積極的に展開されるようになると、清和会の小泉政権が現れて、そこを締め上げて、また元の親米主義的な方向に持っていった。

―確かにそうですね。

佐藤 安倍さんが戦後レジームからの脱却と言っても、その方向性は基本的には戦後レジームの維持です。そういうことを掲げない経世会の方が、実質的なところで日米関係を動かしていますよね。経世会というのは胃袋で考えるグループです。それに対して清和会は頭で考えるグループですよ。

―その胃袋には国内的な胃袋と国外的な胃袋があるんですか。

佐藤 それは一体化していますね。あと自分の胃袋も、政治家としての。

―なるほどね(笑)。

佐藤 経世会はその意味では唯物論的ですよ。飯を食うところ、つまり利権からスタートする。それに対して清和会は観念からスタートする。小沢さんは大きな意味で、日本国家が危険な方向に向かっている中での危険な政治家の一人です。ところが他の政治家と比べた場合、その危険を極小化する力がある。

となると何が重要かというと有識者、世論の声ですね。今起きていることを、どう見るかという分析があまりにも少ない。それから、こいつだって汚いことをしてるじゃないかというような、旧来型のスキャンダリズムに基づいた形での政治資金を巡る批判。しかしそれは、同じ基準でやった場合に、三分の二の政治家が確実に消える。では残りの三分の一は何かといったら、何の役にも立たないような政治家。企業が、献金の必要すら感じないようなレベルの政治家です。

小沢さんの抱えている問題は何かというと、それは政治と金の問題です。やっぱり田中角栄型の、最後の政治家なんです。小沢さんの歴史的な使命っていうのは、田中型政治の弔辞を読むことだと思う。小沢さんは、そこに気が付き始めた。自分自身のところに火が付いて。それが何かと言ったら、企業献金・団体献金の全面禁止。

その結果何が起きるかということになると、個人献金だけでやらないといけないと。

要するに企業献金というのは、どういうことかと言うと、上場企業だった場合には、無私の精神でやりましたと言ったら、株主に対する背任になるわけですよね。それで何かの目的がありましたと言ったら、贈収賄になるわけですよ。こういう状況から政治を解放しないといけない。そうすると田中型の構図は完全に崩れるんですよね。

では、直接的な利権システム、再分配システム以外のところで、どういうような政治を立てるかっていうことは、これは未知数です。ただ、彼はそれに成功しなければ叩き潰される。これは検察によって叩き潰されるんじゃなくて、デモクラシーによって叩き潰される。だから小沢さんにとっての最大の課題というのは、検察が言うのとは別の意味の政治と金ですよ。ただそれは歴史的に、田中派の出身者しか、この弔辞は読めないんです。

たぶん彼らの中には、どこかに知恵があると思う。そこのところを崩しても、新しい形での集金メカニズムを作って政治を継続することはできるという知恵を出す。

大衆の反逆

―最後にお聞きします。いま日本で起きているのは、良い悪いは別にしても、ある種のビロード革命だと思うんです。

佐藤 その通りです。革命です、これは。その中で、やっぱり鳩山由紀夫・小沢一郎をハブとした形で政局が動いている。

―でもチェコには大衆運動の盛り上がりがあったが、日本にはそれがないのでは。

佐藤 いや、今回の選挙の大衆的な盛り上がりは、すごいものだったと思います。選挙という形で大衆的なエネルギーが吸収された。最近の日本では、沖縄県を除いて、選挙で大衆エネルギーを吸収するメカニズムが明らかにできています。これはやっぱり小泉さんの影響ですね。二〇〇五年の郵政選挙も大衆的な盛り上がりがあった。少なくとも民主主義というフィクションは機能しているってことですよね。だから六〇年安保のような街頭活動をしなくても、選挙で一票を投じることで革命ができる。これはデカイです。特に保守層の支持者は既得権益も全部投げ捨てないと今回の政権交代はできなかった。明らかに短期的には自分達には不利な状況が生じるわけですね。にもかかわらず民主党を支持したのは、このままではこの国が壊れるという草の根の無意識が作用したからでしょう。

―その革命的な政権交代が、小沢という国家主義者を軸にして起きたのは不思議ではないですか?

佐藤 でも、チェコのビロード革命もハヴェルという、どんな状況でも権力奪取をあきらめなかった作家に指導された。彼は六八年の「プラハの春」が弾圧された後、何度も逮捕・投獄されてもあきらめずにやってきたわけです。日本のビロード革命もそれとそっくりで、どう叩かれても権力奪取をあきらめなかった小沢という人格と結び付いています。

―小沢氏のキャラクターが大衆的な危機感の受け皿になった?

佐藤 そう。より正確に言うと受け皿ができる「場」を作った。さっき魚住さんは小沢さんの理念の中身が見えないと言われたけど、確かに小沢さんの思想は「無」なんです。でも大衆の情念を右から左まで受け止める「場」を作り出す力がある。これって過去の経世会の誰かに似てませんか?

―あっ、金丸信元副総裁ですか?

佐藤 そう。アバウトで思想がなくて、自社大連立を唱えた「政界のドン」です。金丸さんは「場」を作り出す能力において非常に優れていた。小沢さんはその金丸さんの系譜を引いた政治家なんです。

今の日本では明らかに大衆の反逆が起きている。みんな疲れきっているんですよ、競争社会に。受験とか会社で業績を上げることとかに。だからどこかに回帰したい。だけど天皇とか靖国とかいう表象を自民党は消費しすぎたから、そこには戻れない。小沢さんら民主党が頭がいいのは、例えば派遣村を正面から受け止めて、村長の湯浅誠さんを内閣府参与として体制内に入れた。これは、あれが体制に対する異議申し立て運動じゃなく、居場所探しの運動とわかっているからですよ。国民一人一人にどこか居場所を見つけてあげることが国家体制の再編で必要だと分かっている。

―結局、小沢氏が目指すのは、内政でも外交・安全保障でも、帝国主義の時代に対応した国家体制の再編だということですね。彼の思想の「無」と「場」が大衆の不安や危機感を吸収しながら、ドラスティックな変革が進んでいる。ただし、その変革が他国を踏み台にして自分たちの胃袋を満たすためだけのものなら、戦前の二の舞で終わってしまうのではないかという危うさを感じます。

佐藤優の切れ味鋭い分析のおかげで曖昧模糊としていた小沢思想の輪郭が見えはじめた。私たちが彼の思想のなかに希望を見出すとすれば、それは彼が「国家と社会の裂け目」を意識し、権力を社会の側に引き寄せようとする姿勢をもっているからだ。しかし、その一方で、彼が「大きな意味で日本国家が危険な方向に向かっている中での危険な政治家の一人」であることも間違いない。

現在進行中の日本版ビロード革命は、私たちやアジア諸国の人々に再び惨禍をもたらす可能性をはらんでいる。どうしたら私たちはそれを阻み、自由と平等と平和という戦後民主主義の理念を達成できるのだろうか。小沢一郎と日本の新しい政治をめぐる旅はまだ始まったばかりである。

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