太った中年

日本男児たるもの

輪廻転生

2009-08-29 | weblog

バリ・ヒンドゥー

輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう)

1.輪廻のこと。
2.転生のこと。
3.1と2をあわせた言い方。
 
転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャなど世界の各地に見られる。輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。

「輪廻」と「転生」の二つの概念は重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合も多い。この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)、転生の一語のみの用法は人間の形に限った輪廻転生(チベット仏教の化身ラマなど)を指すニュアンスで使われることが多いといえる。また、キリスト教などにおける「復活」の概念は「一度限りの転生」と見なすことも出来よう。ただし、復活の場合はより狭く、生前と同じ人格を保ったままの転生である。

(以上、Wikipediaより引用)

 

Hがまた我が家へ来た。近くの仕事帰りだと言っていた。ウソツケ。

 

「それから、以前、Hとともにバリ島現地の友人宅へ行ったことがあった。」

前エントリーよりそのときの話がまたまた話題になった。

 

友人Hとバリ島現地の友人宅へ向う途中、火葬の儀式があって通行止めに遭い迂回して行った。Hの現地友人はサーファーガイドで日本語も上手い。家に到着するや家族を交えて火葬の話題になった。

暫くしてHが「死ぬのはコワイよなぁ」と言うとサーファーガイド君は一瞬キョトンとした表情になり「コワイ?ナゼ」と聞き返して笑い始めた。「死ぬのはコワイ」ことを家族に伝えるや一家全員が笑った。

逆にHが「ナゼ、ワラウ?」と問うと、サーファーガイド君はバリ・ヒンドゥーの輪廻転生について説明し、死は神様が決めること、死ぬのは当たり前で、死を怖れる日本人が可笑しくてならないと言った。

Hはいたく感心し、傍で聞いていて「なるほど土着信仰とはこういうものか」と興味深かった。サーファーガイド君の家は海辺の小さな村落にあり、寡黙な親父は漁師でそこの村長さん。毎朝早く漁に出て必要以上の魚は獲らない。それは輪廻転生の教えから成っているそうだ。

Hが熱心に家庭菜園を始めたのは、実はサーファーガイド君の親父の質素で素朴な暮らしに影響を受けたからだった。独身中年男Hは、輪廻転生を言葉では理解できるけど、バリ島で生まれ育ったワケではないから今更信仰を持つことはできない。つまりは死に対する不安は解消できない。少しでもそれを紛らわせるため犬を飼い家庭菜園を始めた。これは耳にタコが出来るほど聞かされた話だ。

h:「オレには犬の世話と畑仕事がある、もうキャバクラへは行かない」

h:「テレマカシー」(ありがとう)

b:「サマサマ」(どういたしまして)

キャバクラへ行くと思ったら、またまたキャバ禁宣言して帰った。一体何度目だ。

おそらくHの来世はキャバクラの店長に輪廻転生するだろうな。

それにしてもHはヒマなヤツだ。