太った中年

日本男児たるもの

残留日本兵

2009-08-21 | weblog

(フィリピン コレヒドール島)

 

花と兵隊

タイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えたにも関わらず、祖国に帰らず未帰還兵となった日本兵6人の生涯に迫るドキュメンタリー。監督は本作が劇場デビューとなる若手映像作家の松林要樹。1941年、日本軍はビルマ侵攻作戦に着手し、およそ19万もの将兵を失った。敗戦後、自らの意思で所属部隊を離れ、現地に残った兵士たちはその地で家族を作り定住している。一見幸せそうに暮らす彼らから、長年の沈黙を経て壮絶な戦争の記憶と故郷への思いが語られる。

(以上、映画資料より引用)

上記は残留日本兵のドキュメンタリー映画。「若い監督の単なる好奇心と自己満足の作品、深みがない」との映画評があり、映画を見に行く気にはなれなかった。大東亜戦争はアジアで唯一近代化に成功した日本が欧米列強のマネをしてアジアを侵略したことと、欧米列強によるアジア植民地支配からの解放という、それぞれ矛盾した側面を併せ持つ戦争だった。しかしながら、東京裁判で勝った米国が負けた日本を怨恨だけで「アジアの侵略国家」として一方的に断罪したために歴史解釈を廻る不毛な混迷は今日まで続いている。畢竟、田原総一郎が得意とする「侵略か、解放か」といった二項対立図式の考え方そのものがダメなのだ。おそらく若い監督は単純に侵略戦争の位置づけで映画を撮ったのだろう。それから、日米決戦で緒戦の半年は日本の快進撃だったけれどミッドウェー海戦の敗北を機に戦況は逆転して敗戦した。ミッドウェー以降、連合軍は輸送路を断つ作戦に主力をおいた。つまりは兵站(へいたん、兵士、武器、物資の輸送)戦に転じて勝利した。従って、先の大戦は実際の戦闘による死よりも餓死、病死で命を落とす兵士の方が圧倒的に多かった。このことは残留日本兵の戦友の死への心情を察する重要なポイントだ。さて、そんなこんなで我が妻にフィリピンより帰還した残留日本兵で有名な小野田さんを知っているのか聞いたところ知らなかった。しかしながら妻は、終戦時、妻のお婆さんが子供の頃、残留日本兵が故郷の村民を虐殺した話が飛び交ったことをお婆さんから聞かされていた。こうした流言飛語の多くは大陸の戦火を逃れてアジア各地に移住した中国人によるものだった。それにしても妻の故郷は首都マニラより400km南方にある人口数千人の小さな漁村。終戦時、そんなところにまで残留日本兵の情報が伝播していたことが驚きだった。