太った中年

日本男児たるもの

孔明の妻

2009-12-31 | weblog

United We Soar

 

諸葛孔明の妻

人は見かけによらぬもの

三国志で有名な天才軍師諸葛孔明は、風采も堂々とした体つきのたくましい八尺男であった。しかし、孔明の妻は歴史にも名だたる醜女であって、その醜さは、史書に記され、その結婚を冷やかす歌が歌われていた。

孔明の妻となる黄氏は、恩師の黄承彦(こうしょうげん)の娘で、最初二人の結婚は、当時の人々の笑いの種となり、郷里では「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらうはめになるぞ」と言う諺が流行ったと言う。

黄夫人は色黒で赤毛の醜い女だが、奇人孔明との相性は抜群で才能に満ち溢れた人物で、孔明が初めて彼女に出会った時からその天才的な才能は、現されていたという。

ある日、孔明はご挨拶に黄府へ行った。扉を開けた途端、2匹の獰猛な犬が面と向かって飛びかかり孔明をびっくりさせた。黄府の女中がすぐに犬の頭をたたき、2匹の獰猛な犬は直ちに動かなくなった。よく見ると、2匹の精巧に創られた木のからくり犬だったのだ。 

孔明は、このからくり犬の独創的な発想を大賞賛した。恩師の黄承彦は微笑みながら「これは、うちの娘が暇な時、遊びに作ったものにすぎない」と言った。そして孔明は大広間の壁にかかっている『曹大家宮苑授読図』というきわめて精緻な絵を目にして賛嘆を禁じ得なかった。すると、黄承彦はまた「これも娘が自分流に描いた下手な作品だ」と言った。このような多芸多才な黄氏に孔明は深く心服せずにはいられなかったのだろう。

黄氏が諸葛孔明に嫁いだ後、家の中の事は全て一手に引き受けていたので、諸葛孔明は何の心配もなく、国事に専念することができた。彼女は物事を適切に処理し、人に接する時とても親切で優しかった。孔明の友たちも彼の家で暖かい接待をよく受けた。月日がたつにつれて、彼女に抱いた『醜い女性』との印象は尊敬の気持ちに切り換わり、みんな諸葛孔明の非常に優れている目に敬服し、聡明で才徳兼備な良い妻をめとったことに羨望するようになった。

范成大『桂海虞衡志』によると、黄氏は突然大勢の客が訪れても待たせないで食事を速やかに準備することができたという。その俊敏な身のこなしに驚いた客は、調理場に行ってのぞき見すると、いくつかの木のからくり人形が手伝っていたのだ。後に、彼女のこの発明が、孔明の大きな助けとなったという。この技術に基づいて発明された『木牛流馬』という新たな輸送手段は、なんと十何万の大軍の食糧を運ぶ問題を解決でき、孔明が自ら兵を率いて魏を攻める北伐の時にはさらに、『連弩』という殺傷力の最も高い新兵器を発明し、魏国将軍の張部もこの武器に撃ち殺されたと言われている。

黄氏は主人の孔明に対しても非常に配慮をし、孔明が夏に南方に出征した時は恐ろしい伝染病に出会うことを心配して、万一病気にかかった時に備えて『諸葛行軍散』と『臥龍丹』という薬も調合したという。

人は見かけによらぬもの、諸葛孔明の妻、醜いどころか、美しく感じる。人の美しさは外見ではなく内面にあるのではないだろうか。こんなにも聡明で賢く美しい妻、今まで見たところでは、諸葛孔明賢者とお似合いの女性は彼女しかいないのでは。

「孔明の妻は歴史にも名だたる醜女」、大晦日を飾るに相応しい衝撃的ニュースだ。でも、女房にするなら見た目よりも気立てつーからね。あと、ブスでも健康でセックスがよければそれでいいんじゃないのかな。

そんなワケで奥さん、今年一年太った中年に付き合ってくれてありがとう。

 

100兆円超の需要創造=成長戦略、400万人を新規雇用-政府(時事通信) - goo ニュース

政府は30日、臨時閣議を開き、鳩山政権の新たな経済成長戦略「輝きのある日本へ」の骨格となる基本方針を決定した。2020年までに環境、健康、観光の3分野で100兆円超の需要を創造して400万人以上の新規雇用を創出する目標を提示。基本方針の冒頭で、政治的リーダーシップで新成長戦略を実行する決意を「新需要創造・リーダーシップ宣言」として掲げた。

今後、目標達成に必要な施策の具体化作業を進め、実行計画となる行程表を作成。複数年度予算を視野に入れた中期財政フレームの策定と合わせて来年6月をめどに新戦略をまとめる。

鳩山由紀夫首相は、臨時閣議に先立って開いた成長戦略策定会議で「日本はこの道を進めば大丈夫だという自信、希望を(国民に)持っていただく。『人間のための経済』に変えていかないといけない」と述べた。

新戦略は、地球温暖化、少子高齢化という二つの課題を解決する対策を、需要と雇用を生み出す機会と位置づけた。日本の技術やシステムを輸出してアジアの経済成長を後押しし、外需を獲得していく方針も示した。その上で、「環境・エネルギー」のほか、「健康」「アジア」「観光・地域活性化」「科学・技術」「雇用・人材」を戦略分野と位置付け、20年までの達成目標と主な施策の方向を示した。

経済成長率については、年平均で名目3%、物価変動の影響を除く実質で2%以上を実現し、20年度の名目GDP(国内総生産)を現在の1.3倍超の650兆円程度へ高めることを目指す。国民の「幸福度」を表す新たな指標も開発する。

今年最後のニュース。

で、今年最後の噛みつき亀

 

「失われた20年」が終わる - 池田信夫 blog

 

やはり鳩ポッポに噛みついていた。

 

【Web】蓮舫議員のサイトがツイッターそっくりに(産経新聞) - goo ニュース

民主党の蓮舫参院議員の公式サイトがツイッターそっくりのデザインに“衣替え”した。淡い水色と緑色、白を基調としたサイトの中央に、日誌風の書き込みがある。プロフィルなどへのリンクもツイッター風に掲載。蓮舫議員はネット系ニュースサイトの質問に対し自身のツイッター上で「Twitterと真面目に向かい合いたい」と動機をつぶやいている。年内だけ試験的に実施。本人のツイッターには2万人を超えるフォロワーがいる。

蓮舫のホームページ 

これは冴えている。池田信夫blogも噛みついているだけでなく、少しは見習ったほうがいい。


ゆく年くる年

2009-12-30 | weblog

A Boat Boy

 

心正則筆正

心正しければ筆も正しい。

柳公権(リュウ・ゴンチェン)は字が「誠懸」中国歴史における著名な書道家(紀元778~865年)で、唐代後期の政治家でもある。柳氏の書は、構造がしっかりしており、清らかで晴れやかな雰囲気に包まれ、勇ましさの中に麗しさがあり、柔らかな味を帯びた美しさもある。また、一字一字丁寧に書かれ、決していい加減なところはない。著名書道家・顔真卿と共に「顔・柳」と呼ばれ、歴代書道の手本となった。

柳公権の書は唐の時代当時、すでに、「柳の字は、一文字で千金に値する」ほどの高い名声を得ていた。歴代書道家も柳公権を高く評価していた。宋の時代の大文豪兼書道家の蘇東坂(スゥ・ドンプォウ)は、柳氏の書道は「新しい意が備わり、千金に値するとは虚言ではない」と称えた。また、同じく宋の時代の書道家・米芾(ミ・フ)は、柳氏の書道は、「深山の道士の如く、すでに修養が成就し、神気が清らかで穏健であり、世俗のものは一切ない」と高く評価した。

柳公権は書道が歴史に名を残した他に、「心正則筆正(心正しければ、筆正し)」の「筆の諌め」も後世に伝えられている。ある日、穆宗皇帝は柳氏に書道をうまく書く秘訣を聞き、柳氏は、「用筆は心にあり、心正しければ筆正し」と答えた。人としての品格が足りなければ、筆もうまく運べないことを示唆した。実は、当時の穆宗皇帝は朝政を怠っており、柳氏は書道創作への態度を説明しながら、皇帝に対して巧妙に諌めたのだ。以降、「心正則筆正」が後世に伝えられ、書道倫理の基準の1つとして教えられている。

いわゆる、字はその人の如く、事実上、書道、文学、絵画等の芸術作品は相当の部分で作者の性格、修養を表しており、作者の思想感情をもその作品によって体現されている。柳公権は剛毅で正直な性格と高尚な品格や素養を兼ね備えているからこそ、同人の書も清らかで力強く紙に表現できている。後人は柳公権の書道を尊重、重視するだけではなく、その人格を敬慕することから、柳公権の書と彼自身が永久不滅に後世まで残されるのだ。

面白くないから中国の故事成語もそろそろ終わりにするか。

さて奥さん、以下、英フィナンシャル・タイムズの今年を振り返って。

 

今年の重大イベントに見る不穏な流れ

2009年に関して最も奇妙なことは、それがいかに当たり前だったか、ということだ。年初には、世界的な経済危機が各国の首相官邸や大統領府でまだパニックを引き起こしていた。多くの政治家は、心配そうに1930年代を振り返っていた。

食糧配給所やファシストの行軍が散見されるような世界に戻るのではないかという不安は、結局、過剰反応だったことがはっきりした。

ドイツ経済は、9月までの1年間に5%以上縮小した。だがその月、ドイツ国民はそれでもアンゲラ・メルケル首相――感情を表さない中道派の良識の縮図そのもの――を再選した。

その1カ月前に行われた日本の選挙はもっと劇的で、戦後ほとんど途切れることのなかった自民党支配に終止符を打った。だが、日本が国として本当に変わったかどうか判断するのは時期尚早だ。

というわけで、日本の選挙もドイツの選挙も、筆者が作成する今年の最も重要な5つの出来事の年間リストには入らない。代わりに、筆者が選ぶ2009年の上位5つの出来事は、次の通りだ。

1月のバラク・オバマ大統領の就任 最も熱心なオバマ信奉者は、今年の最も重要な5つの出来事は、すべて新しい米国大統領が行った演説だったと言うかもしれない。

就任演説があった。そして、核兵器のない世界を提唱したプラハでの演説、イスラム世界に手を差し伸べたカイロでの演説、スピーチでは世界の問題は解決しないと述べた国連での演説、「悪」についてと戦争の必要性について語り、米国の保守派を驚かせ、喜ばせたノーベル平和賞の受賞演説。

この中でも就任演説は――恐らく最も記憶に残らない演説だろうが――米国初の黒人大統領が国家の再生と国際平和の期待感を抱かせたという意味で、最も重要な瞬間だったと言えるだろう。

6月のイランの大統領選挙 イランの大統領選は同国が変化するのではないかという期待を抱かせ、そして打ち砕いた――だがそれは、イラン政府の不安定さと不条理さという永く消えることのない印象を残した。

マハムード・アフマディネジャド大統領の再選が不正操作されたという広く行き渡った仮説は、一般市民の大規模な抗議行動を引き起こし、デモは武力で鎮圧されることになった。

この弾圧が、イランの核開発計画の明らかな加速と相まって、イランへの関与を自らの外交政策の最重要課題にするというオバマ大統領の望みを実質的に葬り去った。

9月のG20サミット ピッツバーグで開催されたG20サミットでは、世界規模の経済問題を議論する主要な場所として、新たなG20が古いG8に取って代わることが正式に発表された。この決定は、西側に支配された世界から、新しい多極的な世界秩序への移行に、はっきりとした形を与えた。

G8は、北米と欧州の国々と日本のための会合だった。G20には新興大国――中でも中国、インド、ブラジル――が含まれる。だが、この新しい、より規模の大きなグループ分けが実際に効果的であることを証明できるかどうかは、まだかなり議論の余地がある。

12月のアフガニスタン増派決定 数カ月にわたる苦悩と熟考の後、オバマ大統領は自らの決断を発表した。米国は、アフガン戦争を戦うためにさらに3万人の軍隊を派遣する――オバマ大統領が当選後間もなく派遣した追加の約1万5000人に加えて――。

その結果、アフガニスタンの外国部隊のほぼ3分の2が米軍になる。そして、オバマ大統領の運命はこの戦争の結果によって決まるかもしれない。

少し前のハーミド・カルザイ大統領の再選を巡る茶番劇や引き続き強力なタリバンの反政府活動を考えると、これはとても勇気づけられるような展望ではない。

12月のコペンハーゲンの気候変動サミット コペンハーゲン・サミットを前進させようとする様々な政治家の勇気ある努力にもかかわらず、この会議は大失敗に終わった。

温室効果ガスの排出量に対する法的拘束力のある上限を承認できなかったことは、サミットが曖昧な趣意書と大差なかったことを意味しており、地球温暖化と戦ううえでは、ほとんど何の役にも立たない。

この際、気候変動に懐疑的な人々(低温の1年が経過する間に勢力を拡大した)が正しいことを期待しよう。さもなければ、我々は全員蒸し焼きになるかもしれない。

さて、このリストから欠けているものは何だろうか。そう、欧州で起きたことは何一つ、筆者の上位5つの出来事の中に入っていない。だが、リスボン条約がようやく成立したことや、ヘルマン・ファンロンパイ氏が欧州連合(EU)の新大統領に任命されたことは、今年の最も重要でない5つの出来事のリストに入るかもしれない。

大きな経済的な出来事もない。これは、1945年以来最大の世界的景気後退から立ち直るための各国の取り組みが主役となった1年としては奇妙なことのように見えるかもしれない。だが、今年の主要な経済ニュースは、プロセスであって出来事ではない――世界経済に徐々に回復を取り戻すというプロセスだ。

筆者が挙げた5つの出来事を結びつける要素は何かあるだろうか。残念ながらあると筆者は思う。2009年の大きなテーマは、オバマ大統領の当選を取り巻く国際的な高揚感が徐々に消散したことだ。そうした高揚感は、恐らくオバマ氏が大統領に就任したまさにその日にピークに達していたのではなかろうか。

近頃では、どんな米国大統領も――いかに天賦の才に恵まれ、カリスマ性があっても――指をパチンと鳴らして世界を変えることはできないということが次第に明らかになってきたため、そうした高揚感は就任以来ずっと衰退の道のりを辿ってきた。

イランからアフガニスタン、G20、そしてコペンハーゲン・サミットの失敗に至るまで、2009年という年は、地球規模の問題の解決困難な性格や米国の力の限界について長々と教示してくれたのである。

「2009年という年は、米国の力の限界について長々と教示してくれた」

なるほど、太った中年は下半身の限界を感じた、そんな年だった。

以下、ゲンダイネットの年明け景気予想。

 

景気は正月からどうなるのか

民主党政権本格突入とこの国のこれから

国と国民生活は激変する世界の中で果たしてどうなっていくのか
デフレスパイラルで2番底の恐怖――。日本の景気の先行きにそんな暗い見通しが強まっている。

09年は「100年に一度の危機」からの脱却を目指し、世界各国が巨額の財政出動や金融緩和で、なんとか大崩壊を免れた。ところが、ドバイ・ショックが発生、再び世界経済は激震に見舞われた。その第2弾が襲う。

「危機対応に巨額の資金供給とゼロ金利政策を行った米国は、深刻な財政赤字に陥っている。無理な危機対応のひずみが表れ、その後始末に追われることになります。政策金利の引き上げを機に株が暴落する場面も予想される。ユーロ圏も危うい。特にPIGSと呼ばれる、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン各国の財政赤字が懸念材料になっています。いつ、第2のドバイになってもおかしくありません」(東海東京証券チーフエコノミスト・斎藤満氏)

民族問題や雇用不安を抱える中国経済もいつ減速してもおかしくない。再び世界経済が大混乱に陥れば、ただでさえ脆弱(ぜいじゃく)な日本経済はひとたまりもない。
「09年7―9月期のGDPが大幅に下方修正されましたが、生活実感に近い名目GDP成長率はもっとヒドくて年率換算で3.4%のマイナスです。まさにデフレの深刻化を裏付ける結果となった。先行き不透明のなか、企業は設備投資も給与アップもしない。だから内需は冷え込んだ状態が続く。セールの前倒しばかり繰り返す百貨店の惨状を見れば歴然です。日本経済は辛うじて新興国向けの輸出でしのいできたが、これとていつまでも続く保証はありません」(経済ジャーナリスト)

民間シンクタンクの10年の実質成長率予測は平均1.1%だが、アテにしない方がいい。

「1―3月期まではなんとか今の水準でいくが、それ以降は心配です。所得の落ち込み、失業率の高止まり、期待はずれの景気対策などが相まって、内需は冷え込むばかりでしょう。欧米や新興国経済の悪化で頼みの輸出がダメになれば、デフレスパイラルが進行、年度後半に2番底の可能性があります」(斎藤満氏=前出)

給料カットどころか、倒産続出で失業者が街にあふれる。若者も2人に1人は職に就けない状況に追い詰められる。絶望と困窮の一年になりそうだ。

景気2番底へ突入、皆そう思っている。来年もジッと我慢の年なのだ。

 

前田日明氏参院選出馬、民主から比例代表(日刊スポーツ) - goo ニュース

おお、来夏の参院選で前田が出馬か、これは注目。北朝鮮問題も下記のように解決してほしい。

 

前田は在日コリアンで外国人参政権反対。朝鮮総連、民団の在日組織を批判している。

議員になったら在日問題について腹を割って取り組んでくれ。

あと、これは面白い

浅草キッド推奨対談「百瀬博教×前田日明」


宇宙遊泳

2009-12-29 | weblog

Rolling Sun

 

才高八斗 

文才が非常に優れていることの喩。

謝霊運(シェリンユン)は中国晋・宋時代の詩人で、また「謝康楽」とも後世の人々に呼ばれていた。謝氏は東晋の時代から宋の時代にわたる名門の弟子で、幼い時から英才教育を受け、才能と学問は共に優れており、早くから高く評価されていた。謝氏は成長してから、政界で成果を挙げようと意欲満々だったが、才能が抜群であっても志が遂げられなかったため、却って自分の才を頼りに衆人を眼中にもおかないような態度を現わすようになった。

謝氏はかつて、天下の文才を一堂に集め、その才能の総合を1石(現在100リットル)とすれば、曹子建氏(曹植、曹操の3番目の息子)の文才は1人で8斗(80リットル)を占め、自分が10リットルを占め、他の全員で10リットルを占めると高言した。

謝氏の言葉は、表面上では曹植の文才に及ぶ人はいないと尊敬しているようにみえるが、実際には天下の全ての文才を集めても自分1人に勝ることは出来ないと風刺した。後世では「才高八斗」は文才が非常に優れていることの喩になった。

文才溢れるハテナの人気ブログ平民新聞を発見したのが昨年末だから1年経つのは早いものだ。

その平民新聞もこのところパワーダウンしている。ヒットを打ち続けるのは並大抵でない。

さて奥さん、以下、文才に欠けた視野の狭いブログ記事。

 

小沢一郎と李克強と中国原発利権

原発利権をめぐる「民主 vs. 自民」のエネコン対決が起こっている。
この原発利権には小沢一郎の中国人脈も関わっている。

本ブログではこのようなことを繰り返し主張してきました。
それでは、その実体を解き明かしてみましょう。

10月31日の日経新聞朝刊1面にこんなことが書かれています。

「1985年3月に来日し小沢の地元、岩手の自宅で3日間過ごした北京大生は24年後、ポスト胡錦濤の有力候補に育った。副首相の李克強(54)。92年に来日した折にも小沢宅に滞在した。」

小沢の中国人脈の要となっているのが李克強副首相(Li Keqiang)。
若き日の李克強が岩手の自宅で過ごしたことはよく知られた話。

この李克強は「原子力産業新聞」では有名人。
中国の原発絡みの記事で再三登場しているからです。

つまり、李克強は中国の原発政策を取り仕切る人物だということ。
いかに原発に熱心であるかは画像を見れば一目瞭然。

一方、小沢は民主党内部の反原発派を強引に捻じ伏せて、マニフェストでこう明記。
「安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む」
そして、「温室効果ガス25%削減」と「東アジア共同体」の波状攻撃。

地球温暖化で中国を刺激し、中国原発建設ラッシュに導く。
中国原発利権をちらつかせながら自民寄りの原子力産業界を分断し、取り込むことが狙い。

あくまでも国内の金と票がお目当て。
国際感覚なんてまるでなし。

「東アジア共同体」も実際には「東アジア原発共同体」。
米国排除で中国原発利権独り占め。米国が怒るのも無理はない。

小沢の李克強人脈を見込んで突き進む鳩山政権。
その小沢は12月10~12日の日程で中国を訪問。
小沢主宰の「大長城計画」は李克強人脈を通じて中国原発利権へと誘う。

小沢訪中団に原子力産業界も興味津津か。
とはいえ、東芝などは「東アジア原発共同体」における米国排除で困り顔。

李克強とてこんなことを呟いているとか。
「オバマのスマートグリッドは魅力的。中国は米国と組むアルヨ。」

寒気度120%の「友愛」含め、見ていて恥ずかしくなるほどに空振り続く鳩山外交。
これで原発ジャパンの敗北はほぼ確実か。
独り善がりの日本原発祭は一気に終焉を迎えることになる。

上記コラムは日経新聞の中国原発関連のニュースから推論したもの。産経新聞と同じく反民主党のバイアスが掛りすぎていて粗雑な内容になっている。「自民寄りの原子力産業界」とはおかしな表現で、日本の原子力産業は読売の正力松太郎によって推進され自民党が支配してきた。また、政治絡みの中国利権は日中国交回復を成し遂げた田中角栄から譲り受けた旧経世会が独占した。小泉政権になると日中関係が悪化、小泉さんは対中国ODAをカットして旧経世会の中国利権を分断したのである。そして自民党から民主党へ政権交代した。それによって利権構造そのものが変わるのは当たり前の話。そんなことさえ理解していない記事だった。

それから以下、産経新聞による亀ちゃんのインタビュー、これはパワフルだ。

【単刀直言】国民新党・亀井静香代表「数だけが力じゃない」

民主党も自民党も国民新党の政策にすべて寄ってきている。マスコミは素直に認めないけどね。(国民新党は与党内で少数だけど)数だけが力じゃない。どれだけの地力を出すかなんだ。数だけあったって、どうしようもない。自民党がいい例だ。289人ぐらいいたがダメだった。安倍晋三(元首相)も福田康夫(元首相)も1年の短命だった。

民主党だって308人いるって威張ってるけど、数に安住して国民新党を軽視したらおしまいよ。国民新党と社民党を外したらどうなるとか、政治の社会ってのはそんなもんじゃない。

政治を死にものぐるいでやれば(他党は)付いてこざるを得ない。民主党は郵政民営化見直しに賛成じゃなかった。それが同調した。小泉純一郎(元首相)のやったことを国民新党が全部、ぶっ壊しちゃう。

今年を漢字で表せというから「乱」と答えたが、来年も「乱」だ。人心が収まらないだろう。産経新聞みたいな新聞が幅を効かせてるからだ(笑)。

だからといって、参院選では国民新党が独り勝ちする展望はない。国民は相当数いかれているので国民新党にばーっと支持が集まる可能性はない。

でも、その政党が今や政治を動かす。あんたたち(マスコミ)に「しっぽが頭を振り回している」と悪口言われながら。来年もまっしぐらに政局を、政治を動かしていく。経済が「乱」にならないよう、ちゃんとした経済対策をやれと言い続けるよ。

小沢(一郎民主党幹事長)さんの力は今、最高の状況にある。何百年に1人の政治家であるのは間違いない。わが道を行き、絶対に妥協しない。幹事長としてちゃんと民主党内を押さえている。

オレは鳩山(由紀夫首相)に言ってやった。「小沢さんの力が強いから影響を受けているとマスコミに書かれておるけれど、気にしなさんな」と。中曽根内閣だって約5年やったけれど、最初は(田中角栄元首相との)「田中曽根内閣」だったんだよ。

(鳩山政権を)二重権力とか言うけれども、小泉政権こそ米国との二重権力だったじゃないか。

鳩山内閣は長期政権になる。あいつ(首相)は宇宙人だから、些事(さじ)構わずみたいなところがある。宇宙を遊泳して、宇宙の視野でやっているんだ。

永住外国人に地方参政権を付与する法案には国民新党は反対する。そもそも(与党党首級の)「基本政策閣僚委員会」がオーケーしないものは閣議にかけられない。(推進派が)議員立法で出そうとしても民主党内に賛否があるから、参院選前に小沢さんはそんなことしないよ。

残っている自民党議員の中では谷垣(禎一総裁)や大島(理森幹事長)はベストの人物だが、あの党が息を吹き返すのは難しい。気力がなくなっている者に気力を持てというのは、犬に木を上れということと同じだからね。

今の自民党に足りないのは何が何でも政権を奪い返すという気迫だ。だから展望がない。

鳩山さんの献金問題だが、国民はお金持ちや「ロイヤルファミリー」にはおおらかなんだ。俺(おれ)みたいな貧乏人の小せがれだった政治家には厳しいんだよ。

政治資金規正法は事件のたびに規制を強化して現実無視のテクニカルな法律になっている。その法律が犯罪者をつくって検察の餌食にさせている。対応の仕方がまずかったから代議士に責任とれと言うなら、みんな(議員)バッジを外すことになる。

相当数のいかれた国民は「亀井けしからん」と言うかもしれないが構わん。オレは今、国民やマスコミによく思われようなんて気は全然ない。本当だよ。

亀ちゃん、来年もひとつがんばってくれ。

「あいつ(首相)は宇宙人だから、些事(さじ)構わずみたいなところがある」

タイトルを宇宙遊泳に変えよう。


かぶき者

2009-12-28 | weblog

Baroque

 

梨園弟子

1300年前の唐の時代に国を統治していた唐玄宗は音楽を好み、音律にも精通し、作曲も得意であった。唐玄宗は唐の宮廷楽団を「立部伎」および「座部伎」に分け、「立部伎」は立ったままで演奏し、室外で行う比較的に規模の小さいもの。「座部伎」は室内で座って演奏し、規模は比較的大きく、豪華さと迫力を重んじるものだった。

唐玄宗は、梨園で選び抜いた300人に自ら音楽を教え、間違いがあるとすぐに指摘し正すなど厳しく指導していた。その場所には、梨が多く植えられていたことから「梨園」といわれている。唐玄宗の指導を受けた300人は後に、梨園弟子と呼ばれた。演出に参加した数百人の女官も梨園弟子と呼ばれた。

かつて、玄宗が寵愛した楊貴妃のために建てられた「華清宮」は、外国の使節を迎えることにも使用されるようになった。迎賓大使が天子の聖旨を捧げ歩いてきて、梨園弟子が奏でる雄壮な古楽が鳴り響くと共に、8人の雄雄しい旗手が厳かに貴賓を迎える。そして、6人の女官は綺麗な衣装を身にまとい、宮灯を手に青銅製の鏡を献上し道案内する。梨園弟子はしなやかに舞い始め、迎賓を迎える豪勢な儀式を繰り広げる。大唐天子の最高威儀が表現できる。

後に「梨園」は、劇場または演劇界の別称になり、「梨園弟子」は歌曲、演劇、舞踊等を行なう芸人を指すようになった。

日本で梨園は歌舞伎界を指す。歌舞伎に興味はない。しかし、ルーツは面白い。

かぶき者 - Wikipedia

かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596~1643)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。

茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。

当時男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通だった。しかしかぶき者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好んだ。他にも天鵞絨(ビロード)の襟や立髪や大髭、大額、鬢きり、茶筅髪、大きな刀や脇差、朱鞘、大鍔、大煙管などの異形・異様な風体が「かぶきたるさま」として流行した。

多くは徒党を組んで行動し、飲食代を踏み倒したり因縁をふっかけて金品を奪うなどの乱暴・狼藉をしばしば働いた。自分の武勇を公言することも多く、それが元で喧嘩や刃傷沙汰になることもあった。辻斬り、辻相撲、辻踊りなど往来での無法・逸脱行為も好んで行い、衆道や喫煙の風俗とも密接に関わっていた。こうした身なりや行動は、世間の常識や権力・秩序への反発・反骨の表現としての意味合いがあった[要出典]。

彼らは、仲間同士の結束と信義を重んじ、命を惜しまない気概と生き方の美学を持っていた。1612年(慶長17年)に捕縛・斬首されたかぶき者の巨魁大鳥居いつ兵衛(大鳥一兵衛、同逸兵衛、逸平などとも書く)は、厳しい拷問を受けながらも仲間の名は最後まで吐かず、代わりに全国の大名の名を書き出してみせた。彼はまた、刀のなかごに「廿五まで 生き過ぎたりや 一兵衛」と死を恐れぬ心意気を刻んでいた。

かぶき者になるのは、若党、中間、小者といった武家奉公人が多かった。彼らは武士身分ではなく、武家に雇われて、槍持ち、草履取りなどの雑用をこなす者たちで、その生活は貧しく不安定だった。彼らの多くは合戦の際には足軽や人足として働きつつ、機をみて略奪行為に励み、自由で暴力的な生活を謳歌していたが、戦乱の時代が終わるとともにその居場所を狭められていった。そうした時代の移り変わりがもたらす閉塞感が、彼らを反社会的で刹那的な生き方に駆り立てたという側面があった。

かぶき者たちは、一方で乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつ、一方ではその男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいた。武家奉公人だけでなく、町人や、れっきとした武士である旗本や御家人がかぶき者になることもあった。寛永期頃から江戸に現れる旗本奴・町奴といった無頼集団もかぶき者の一類型と見られる。また、1603年(慶長8年)に出雲阿国(いづものおくに)がかぶき者の風俗を取り入れたかぶき踊りを創めると、たちまち全国的な流行となり、のちの歌舞伎の原型となった。

かぶき者の文化は慶長期にその最盛期をみるも、同時にその頃から幕府や諸藩の取り締まりが厳しくなっていき、やがて姿を消していくが、その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢たちに、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれていく。

歌舞伎のルーツは中国の故事とはまったく異なる、簡単に言えば頭のイカレた人だった。

さて奥さん、かぶき者の異様さではないが、鳩ポッポの目つきが尋常でないことを釈明会見のときに気づいた。まあ、目つきの異様さなら保毛尾田ホモ男そっくりの石破茂が政界No.1。かぶき者だって大トカゲのような目つきで睨まれたらイヤだろう。そんな目つきの石破さんはブログで鳩ポッポの釈明会見に激怒している。

鳩山総理の政治資金

石破 茂 です。

昨夜の鳩山総理の会見は何だったのでしょう。

母親から2002年以降、12億6千万円の贈与を受け、6億円もの税金を免れていた人物が総理を務めていることに対し、強い批判の声が上がらないのは一体何故なのか。「全く知らなかった」などということがもし事実だったとすれば、どのようにして自分の政治活動が可能であったと思っているのか。

かつて当選一回生の頃、鳩山氏も中核メンバーであった「ユートピア政治研究会」が公表した政治活動費報告の中で、同氏はダントツ一位の年間1億8900万円を支出し、収入も1億9649万円であったのですが、当時我々は「由紀ちゃんのところは選挙区が広くて大変だね」などと同情するとともに、「政治にカネがかからない仕組みを作ろう。かかるカネはなるべく透明な方法で調達でき、二世でなくても、官僚やタレントでなくても政治家になれる制度を作ろう」と誓い合ったものでした。

年間それだけのカネがかかることを知っていながら、それがどこから入ったか全く知らないなどということが本当にあるとはとても信じられません。明らかに嘘をついているとしか思えない。世の中を舐めているにも程がある。

仮に知っていたとすれば(そうに違いないと私は確信していますが)、一体その巨額のカネを何に使ったのか、「入りと出」の「出」の部分も明らかにする責任があるはずです。

政治資金報告書に虚偽の記載をすることは、「政治とカネ」の本質に関わる重大な犯罪です。税金さえ払えば、汚れたカネでなければ、それでいいというものでは決して無い。バレたら税金を払えばいい、ということが総理大臣に許されるのなら、誰が真面目に税金など払うものですか(激怒×10)。


検察も、世論も、税務当局も、すべてが明らかにどうかしています。

こんなままで年を越すことは、あまりに口惜しい。自民党はこの問題を追及するに足る立場を持たねばなりません。「自民党だって同じじゃないか」と言われるようなことがあってはならないのです。

そのためには自らを捨てる覚悟が必要であり、自民党内には今その危機感が横溢しつつあるように思えます。我々執行部として、決然たる姿勢を示すべき時が来ているのではないか、そう思えてなりません。

相変わらずホモ的な語り口同様、非常に丁寧な文章であるから激怒するには迫力に欠ける。やはり石破さんは異様な目つき、顔つきがウリ。映像セットでないと商品価値は著しく低下することを考えたほうがいい。また、批判対象が表面的な「政治とカネ」に向けられている。凡庸だから「強い批判の声が上がらない」のだ。

釈明会見について極東ブログが以下、政治家とカネの本来的な問題に触れ、鳩ポッポを批判している。

鳩山首相政治資金問題会見、雑感

長い文章なので記事の転載は割愛。簡単に言えば、鳩ポッポの釈明記者会見で「私服をこやしていない」と弁明したことに焦点を当て、「私服をこやす」政治家を肯定し、逆説的な批判を展開している。つまり、政治はきれいごとで成り立っているワケではないから、政治家は私服をこやすことのできる度量、器量が求められる。逆に清廉潔白を信条とする政治家は、泥にまみれている自責感に欠け、危険だというのが前半の論旨だ。後半になるとイザヤ・ベンダサン、山本七平を登場させ、鳩ポッポを「乃木無能」に例えて真空エネルギーを論じている。飛躍し過ぎる感じもするけれど、鳩ポッポの目つきが空虚な不気味さであることが分かった。反対に石破さんの目つきは爬虫類エネルギーと保毛尾田ホモ男パワーが充満しているのだ。

 

「江戸城はふさわしくない」 亀井氏、陛下に移転進言(朝日新聞) - goo ニュース

国民新党の亀井静香代表は27日、24日の宮中昼食会で天皇陛下に会った際、「権力の象徴であった江戸城(現皇居)にお住まいになられるのは、お立場上ふさわしくないと申し上げた」と明らかにした。皇居を離れ、かつての天皇が住んでいた京都か自身の出身地である広島へ移ることを進言したという。

27日のテレビ朝日の番組での、天皇の政治利用をめぐる討論の中での発言。

サンプロでの亀ちゃん発言。田中康夫も同席していたからデキレースの確信犯。

これはロラン・バルトの「表徴の帝国」、権力の象徴記号ってこと。

で、京都遷都は陛下が望んでいるってことだ。

奥さん、極東ブログの山本七平「真空エネルギー」はバルトのパクリですがな。

そうだった、我がフィリピン人妻は石破さんの目つきがかぶき者であることを瞬時に理解した。


景気二番底

2009-12-27 | weblog

Angels In Stone

 

狐假虎威

権勢を笠に着て威張り散らす。

昭奚恤(ヅァウ・シーシュ)は戦国時代の楚国の将軍で、天下に威名を轟かせていた。楚宣王は朝廷中の大臣らに「北方の諸侯らは昭奚恤を恐れていると聞いたが、真か?」と問うた。全員が黙っている中で、江一(ジャン・イ)が口を開いた。「虎はいろんな動物を捕殺して食する習性、ある日、虎は狐を捕まえた。その時、狐は「私を殺してはならなりません。私は神に派遣され、『百獣の王』になるために来たのです。あなたが私を食べてしまえば、神の意に背くことになります。信じなければ、私があなたの前を歩いてみせましょう。あなたが私の後ろについて来てご覧なさい。周りの動物は私を見ると逃げないものはいないのでしょう」と提案した。

虎はそのまま信じて狐の後ろについて行った。すると、全ての動物が彼らの姿が現れると恐れて逃げてしまった。虎は動物たちが狐を恐れて逃げたと思ったが、実は動物たちは虎である自分を恐れて逃げたのだった。

江一は、楚宣王は現在5千里の領土を持ち、百万の大軍を所有しており、昭奚恤に軍権を握らせているだけであるとし、諸侯らは昭奚恤を恐れているのではなく、楚宣王の軍隊を恐れており、まさに動物たちが虎を恐れるのと同様だと明らかにした。

この物語は中国『戦国策』に記載されたもので、中国語のことわざ(熟語)「狐假虎威」がこの故事から演化した。即ち、権勢を笠に着て人民の頭上にあぐらをかいて威張り散らす喩である。

虎の威を借る狐は有名。

さて奥さん、以下、経済コラムマガジンの「今年を振返って」

 

日本だけは二番底へ?

本誌は今週号が本年の最後であり、ちょっと今年を振返ってみようと思う。色々とあった中で、一番のトピックスは、やはり政権交代と個人的にはそれに伴って亀井さんが金融・郵政担当大臣に就任したことである。

亀井静香氏は、自社さ政権の画策者や自・自連立、自・自・公連立の中心人物の一人と目されている。世間にはこのような政権工作が得意で、政局の人と思い込んでいる人々がいる。しかし筆者は、亀井さんは政策の政治家と思っている。自民党時代の政調会長や今の閣僚と言ったポストが似合っている。今、本人も生き生きと活躍している。

亀井大臣は、手際良く臨時国会で債務返済猶予法案(中小企業金融円滑法案)と日本郵政改革法案を仕上げた。特に債務返済猶予法案は臨時国会での成立は無理ではないかと危惧されていた。筆者も、せいぜい金融庁の検査マニュアルを年内に見直す程度と思っていた。

ところで今後この法律が実効を上げるかが注目される。実効が上がらない場合は手直しも必要であろう。筆者は保証協会の保証割合が4割になっているのが気になる。4割程度で本当に銀行が債務返済猶予に応じるかということである。

保証割合が4割と低くなった背景には、新銀行東京の乱脈融資が影響している気がする。審査能力のない新銀行東京が返す気がない者にどんどん融資を行い、不良債権を大量発生させた。このことをきっかけに、信用保証協会の保証割合が10割から8割に引下げられたと聞く。また保証付き借入の申請書類の作成が大変になったようである。もし返済猶予法案の実効が上がらない場合は、保証割合を引上げることも検討する必要があると考える。

次は今年の日本経済を振返る。やはり昨年9月のリーマンショック以降の異常な消費の減少によって、世界的な急速な経済の落込みがあった。日本でも昨年10~12月さらに今年1~3月のGDPは二桁のマイナス(年率)を記録した。3月までの在庫調整は過去にちょっと経験したことがない規模であった。

さすがに4月以降はこの反動が起り、また新興国から経済の復興が始まった。さらに各国が財政と金融の両面から対策を講じたため、世界経済は最悪期を脱出した。少なくとも9月までは世界の経済は回復を示している。日本も麻生政権の景気対策と輸出の持直しによって7~9月は低いながらプラス成長に転じた。

問題は10月以降の経済の動向であり、はたして二番底があるかということである。11月に米国の対前月の物価変動がプラスに転じ、金融緩和政策の転換が早まるのではないかという観測が流れている。しかし筆者は、これは米ドル安によるものであり、米国経済はまだ底を這っていると見ている。中国などの新興国の経済が力強く回復しているといっても、最終需要国である米国の存在は依然として大きい。新興国の経済発展に期待する声が大きいが、これらの国の経済規模は決して大きくない。

今後も米国の経済動向が世界に及ぼす影響が大きいのに、米国経済を軽視する論調が大きいのが気になる。筆者は、日本を除き他の国の回復は鈍るか、あるいは米国のように底を這うことになると見ている。しかし日本だけは二番底に向かって再びマイナス成長に戻る可能性が高いと感じている。

景気ウオッチャー調査

筆者は、直近の経済の状況を一番適切に伝えてくれる情報は景気ウオッチャー調査(街角景気)と見ている。同じ内閣府の発表する景気動向指数やGDPの速報値より、筆者はこちらの方を信頼している。特にGDPの速報値は、集計が遅過ぎること、また設備投資のブレが大き過ぎることなど問題が多すぎる。しかし社会的にはGDPの速報値が一番重要視されている。ところでGDPの速報値は実質値ばかりが注目されているが、デフレが続く日本では名目値がもっと重視されるべきであろう。

12月8日公表された11月の景気ウオッチャー指数は33.9と前月から7.0ポイントも低下した。これは調査開始以来、最大の下落である。しかし科学性に劣るという理由なのか、景気ウオッチャー調査は軽視されている。同日に公表された10月の景気動向指数の一致指数の方は7ヶ月連続の上昇を示している。しかし景気ウオッチャー指数は数カ月前から既に足踏みから下落傾向を示していた。

景気動向指数は、権威はあるが景気ウオッチャー調査(街角景気)に比べ経済の動向を正しく示しているとは言えないと、筆者はずっと思っている。景気動向指数のデータは、過去から経営が継続している優良企業から得られたものと考えられる。このような企業は経営基盤がしっかりしており、悪い数字がなかなか出てこないのである。

日銀などの調査にも言えるが、継続してデータを取れる企業は決して平均的な企業ではない。ところがこのような優良企業のデータを元にした経済数字は良く見えるので、政府や与党にとって都合が良かったのであろう。しかしこのため政府の経済対策が常に遅れるのである。世間の実感からかけ離れたこれらの数字を信じて経済を語っていたから、自民党は支持者を失ったのである。

筆者は、10月あたりから、再びかなり急激に日本経済は落込み始めたと見ている。前段で日本経済だけが二番底に向うリスクがあるという根拠の一つは、この景気ウオッチャー調査(街角景気)の結果である。

日本では、ケインズ経済学上では考えられないことが起っている。給与や賃金が下落しているのである。ケインズ経済学は賃金の下方硬直性を指摘している。一方、新古典派経済学では労働への需要が減れば、賃金が下がることによって失業が発生しないことになっている。これに対してケインズ経済学では賃金には下方硬直性があり一定以下には賃金は下がらず、失業が発生するとしている。

ケインズの指摘は、当時の英国で大量に出ていた失業者の発生メカニズムを説明するものであった。ケインズのこの失業理論は欧米では程度の差はあるが今日でも有効である。ただ日本だけが例外となってきたのである。

今年、日本では、給与やボーナスのカットが平気で行われた。賃下げは公務員の俸給にさえ及んでいる。一方、失業率は依然先進国の中で一番低い。これらの現象を見ていると、日本の労働市場だけが、新古典派経済学の理論が適用される世界になってしまったと見られる。

20年前までは考えられなかった給与やボーナスのカットが公然と行われるようになって(ボーナスはカットされることがあっても、給与がカットされることはなかった)、国民の可処分所得が大きく減っている。日本経済が二番底に向かうのではないかと筆者が考えている二番目の根拠はこれである。景気ウオッチャー調査にもこれがいち早く反映されている可能性が高い。しかし失業率があまり大きくならいことに安心しているのか、民主党連立政権は「国債の発行44兆円の死守」なんてのんきなことを言っている。

日本だけが景気二番底へ突入。奥さん、アーアアーとターザンの雄叫びを上げるのだ。

 

小宮悦子、テレ朝「サンプロ」後番組司会に(サンケイスポーツ) - goo ニュース

フリーキャスター、小宮悦子(51)がテレビ朝日で来年4月にスタートする日曜午前の報道番組(タイトル未定)の司会を務めることが25日、分かった。

同局によると、放送中の「サンデープロジェクト」(日曜前10・0)は3月末に終了。89年4月の番組開始以来、キャスターを務めてきたジャーナリストの田原総一朗氏(75)は降板する。

小宮は同局系「スーパーJチャンネル」(月~金曜後4・53)を担当しているが、新番組に合わせ卒業。「スーパー-」の後任は調整中という。

電波芸者田原は75になるのか、サンプロも見なくなったなぁ。

自民党マンセーのヤラセ演出も飽きられて終了。

その自民党は離党者が相次ぎ凋落著しい。それを象徴するブログ記事を見つけた。

 

今年最もおもしろかった政治文書

 

来年改正される党綱領のことだが、以下、一部転載すると

 

3.政治理念・政策の基本

 

(1)品性ある国民、品格ある日本

(イ)頑張れるものは頑張る

(ロ)それでもだめなら皆で助ける

(ハ)自律と秩序ある市場経済

(ニ)地域社会と家族の絆の再生

(ホ)「和」のこころや「温かさ」の回復と共生

 

自民党新綱領の政治理念はほとんど小学校の道徳教育レベルに劣化している。

でもまあ、ネトウヨが自民党支持層であることを考えれば強ちハズレでもないだろう。

 

バリ島の観光地クタ 日本人女性、遺体で発見 殺人か(朝日新聞) - goo ニュース

インドネシア・バリ島の在デンパサル日本総領事館は27日、観光客が多く集まるクタ地区に住む日本人女性が26日夕方、遺体で発見されたことを明らかにした。腹などに刺し傷があり、地元警察は殺人事件とみて捜査している。

地元メディアや関係者によると、女性はシマダ・ヒロミさん(41)と見られる。

またバリ島で殺人事件。上記によれば現地在住の日本人女性のようだ。


ヒトラー亀

2009-12-26 | weblog

Dragon Boats

 

推心置腹

誠心誠意を持って人に接すること。

中国西漢の末年、王莽(おう・もう)は当時の王位を簒奪し「新朝」を創り皇帝になった。王莽は政策の改革を行なったが、煩瑣で厳しい政令で人々の生活はさらに困り苦しんだため、新朝政権を覆そうとする民衆が各地で反乱を起こし、劉玄(りゅう・げん)を擁立し「更始皇帝(こうしこうてい)」にした。当時、「邯鄲(ハンダン)の戦」で王莽の軍を破った慎重な性格で評判のあった劉秀(りゅう・しゅう)の戦績を称え、更始皇帝・劉玄が劉秀に「蕭王(しょう・おう)」の称号を与えた。

その後、劉秀がさらに強力な敵「銅馬軍」を破り、その他の群雄割拠をも次々と破り降参させた。劉秀は降参した敗軍らを自分の部隊に組み込み、降参した元リーダたちに官職を与えた。しかし、敗軍の将たちはこれまで劉秀とは敵対した相手だったことから、劉秀はいずれ自分たちを殺害すると不安と疑心の日々を過ごしていた。

一方、劉秀も彼らの内心の不安を察し、彼らが率いていた元の軍隊に戻し、自分は僅かな人員だけを連れて各軍営を巡視することにした。敗軍の将たちは自分たちに全く警戒しない上、信用してくれた劉秀に対して、「蕭王は自らの誠心を他人の腹に置いてくれている以上、わが身を顧みずに尽力するほかならぬ」と思うようになり、全員が安心して劉秀に服従するようになった。

劉秀は王莽による簒奪後の後漢時代の混乱を統一し、漢の王朝を再興し、後漢王朝を建て漢光武帝になった人物だ。

後人はこの物語から「推心置腹」を諺とし、後世に伝えた。即ち、誠心誠意を持って人に接すること。

 

誠心誠意を持って人に接することなどないと思われる噛みつき亀の池田信夫blog。

以下、相変わらずの噛みつき亀が亀ちゃんに噛みついている。しかし、少しトーンが変調している。

財政赤字はフィクションか

亀井金融担当相が、「来年度予算は92兆円では足りない。95兆円に増やせ」と吠えている。彼は記者会見で「財政赤字はフィクションだ」とのべ、「日本のように外国からの借入金がほとんどない国は世界にない」とその優位性を強調したそうだ。

これは財政学の初歩的な練習問題だが、宮崎哲弥氏のような半可通にありがちな間違いで、対外債務と政府債務を混同している。たしかに日本国債の債権者の93%は日本人なので、外国に対して債務不履行を起こす心配はない。個人金融資産は1400兆円あるから、900兆円の政府債務が国内でファイナンスできることも事実だ。

しかし国債を償還するには増税が必要だ。IMFの試算によれば、プライマリーバランスの赤字を半減させるだけでGDPの14%以上の増税が必要になる。これを消費税だけでまかなうと、40%以上の税率になる。それは論理的には可能だが、消費税率を5%から引き上げるだけで大騒ぎする国で、そんな税制改正が国会で通る可能性はゼロだ。つまり日本の政府債務は、すでに政治的には返済できない状態なのである。それを歳出削減で解決することも不可能であることは、今回の予算編成で明らかになった。

バラマキ財政派の人がよくいうのは、「財政危機なら、誰も国債を買わなくなって金利が上がっているはずだが、日本の金利は低いじゃないか」という話だ。これも一見もっともにみえるが、国債のほとんどを買っているのは個人ではなく邦銀だ。彼らの調達金利はゼロに近いので、長期金利が1.2%でも1%以上の鞘がとれる。「まずデフレを止めよ」とか騒いで過剰な金融緩和を求める人々が、国債バブルを膨張させているのだ。

しかし今のような金余りがいつまでも続く保証はない。高齢化によって家計貯蓄率は急速に低下して2.7%になり、低金利で資本流出も急増している。資金需給が逼迫すると金利が上がり、邦銀はキャピタルロスを抱えるので、彼らが国債を売却するとさらに金利が暴騰(国債価格は暴落)する・・・という悪循環が起こる。井堀利宏氏もいうように「市場が将来のデフォルトを予想して金利が上昇し始めたら、そのときにはもう手遅れ」なのだ。

今週のニューズウィークにも書いたことだが、このように長期的な財政危機を考えないでバラマキ福祉を続ける「短期決戦」志向は、日本軍以来の伝統だ。兵站などの計画的な準備をしないで場当たり的に戦力を逐次投入する作戦は、補給の途絶によって餓死が戦死を上回る悲惨な結果をもたらした。バラマキを戦闘、財政を補給と考えれば、同じ構造であることがわかるだろう。

外国の侵略や植民地支配を受けたことがなく、内戦も少なかった日本では、長期的な戦略を立てて戦争に備える必要がないので、強い指導者はきらわれ、ボトムアップの決定を尊重する調整型リーダーが好まれる。中には石原莞爾のような戦略家もいたが本流にはなれず、中枢を握ったのは東條英機のようなその場の「空気」を読んで大勢に迎合する人物だった。意思決定を各閣僚にゆだね、自分では何も決めない鳩山首相は典型的な東條型リーダーだ。

財政赤字は、先送りしていると確実に大きくなる。かつての不良債権問題が、1998年に信用不安という形で爆発したように、国債バブルも遠からず崩壊するだろう。大増税も歳出削減も不可能な以上、残された道はインフレ(による実質的な債務不履行)しかない。Reinhart-Rogoffも示すように、経済の破綻した国で財政が破綻するのはありふれた現象で、そのときハイパーインフレが起こることも珍しくない。

考えてみれば、ハイパーインフレで戦争のように人命が失われるわけでもない。老人の資産が消滅して世代間の不公平がなくなり、実質賃金の切り下げによって新興国との賃金格差もなくなる。チェ・ゲバラを尊敬して「革命的政策」を求める亀井氏が、そういう日本経済の「自爆」を求めているとすれば、意外に正しいかもしれないし、それしか道は残されていないような気もする。

普段なら「オレの意見が正しい。それを理解できない学者、政治家、評論家、その他はどうしようもないバカだ」つー傲慢不遜な態度でイヤミタップリの語り口が池田センセの芸風。ところが上記コラムでは悲観論、終末論を漂わせている。どうしたのだろう、ナニか悪いものでも食ったのか、ちょっと心配だ。

 

亀井氏「撃ち方やめだ」 弱る首相に配慮、予算では沈黙(朝日新聞) - goo ニュース

総額7.2兆円の緊急経済対策の取りまとめでは最後まで増額を求めた国民新党の亀井静香代表が、来年度予算編成では一転してダンマリを決め込んだ。米軍基地問題をめぐる混乱や偽装献金事件で鳩山政権の支持率が急落しており、「首相に相当気を使った」(周辺)ようだ。

「撃ち方やめだ」。首相が偽装献金事件の釈明会見を開いた24日、亀井氏は同党幹部に92.3兆円の来年度予算案を受け入れるよう指示。95兆円の予算を組むよう主張していたが、すんなり譲歩した。

なんだ亀ちゃん、池田信夫blogを読んでいるのか。そんなに心配しなくていいぞ。

 

離党また離党…自民に危機感 参院選の勝算も立たず(朝日新聞) - goo ニュース

自民党の現職の参院議員3人が年末に相次いで離党の意向を表明し、1993年の野党転落時の再現を恐れる声が広がっている。党支持率が低迷し、来夏の参院選の勝算が立たず、党再建の道筋が見えないことが、議員の不安をかき立てている。

離党第1号は来夏に改選を迎える田村耕太郎氏(46)=鳥取選挙区=だった。現職を公認する場合も、党員による信任投票を実施しようとした県連との関係が悪化。最後は県連が折れて11月下旬に田村氏の公認を申請したが、田村氏は「変わろうとしない党には従えない」として、一方的に離党を表明した。

>1993年の野党転落時の再現を恐れる声が広がっている

というのかすでに再現している。

 

ヒトラーの経済政策 - 池田信夫blog

鳩山首相の政治生命も、秒読みになってきたようだ。1年もしないうちに首相がコロコロ変わる「ワイマール症候群」が続くと、国民の中にヒトラーのような「強い指導者」を望む群衆心理が出てくるのは、古今東西を問わない。日本ではそういう心配はないと思っていたが、「100兆円の国債の日銀引き受け」を主張する亀井静香氏が鳩山氏の次の首相候補に擬せられるのを見ると、万が一のリスクも考えたほうがいいのかもしれない。

ナチは一般に思われているように大資本の利益を代弁したわけではなく、その正式名称「国家社会主義ドイツ労働者党」が示すように、労働者の党だった。ヒトラーはユダヤ人に代表される大資本を攻撃して弱者のルサンチマンに訴え、短期間に権力を掌握したのだ。彼はメーデーを国民の祝日として労働組合を統合・強化し、「生活に困っている者をまず助ける」という経済政策の原則を掲げた。これは「生活が第一」という民主党と似ているが、類似はそれだけではない。ヒトラーが実施した政策は、次のような徹底したポピュリズムだった:

公共事業で失業問題を解消

中小企業のモラトリアム

ユダヤ人(大資本)に増税して労働者には減税

生活保護の拡大と(派遣村のような)救貧活動

老人福祉の大幅な強化

有給休暇や健康診断などの労働者福祉政策

自動車税の減税

高等教育の無償化

母子手当による少子化対策

大規模店舗の規制

高利貸しの追放

価格統制

ヒトラーはアウトバーンを初めとする大規模な公共事業によって600万人の失業問題を解決し、これは世界で初めての財政出動による雇用創出政策といわれる。経済政策を立案したシャハト経済相は銀行家で、ケインズの理論も知っていたと思われるので、これはニューディールより早いケインズ政策である。これによってドイツの工業生産は、ヒトラーが政権を掌握した1933年から5年間で倍増した。そして何よりも大きな失業対策は、軍需産業への莫大な投資と兵士の動員だった。

こうしたバラマキ財政の財源は国債で調達されたが、シャハトが帝国銀行(中央銀行)の総裁を兼務していたときは、国債の発行にも歯止めがかけられていた。しかし戦費の調達に迫られたヒトラーはシャハトを解任し、帝国銀行を国有化して大量の国債を引き受けさせ、財政が破綻して戦争にも敗れた。ハイパーインフレが起こらなかったのは価格統制をしていたためだが、敗戦によってヒトラー政権の発行したライヒスマルクは紙切れになった。

ナチの赤字財政がうまく行った(ように見えた)のは、ヒトラーの絶対的な権力があったからだ。国債とは課税の延期に過ぎないので、徴税能力がその担保なのである。ヒトラーなら消費税を80%にすることもできるだろうが、普通の政権には不可能だ。そういう政策をとれるのは、亀井氏ぐらいのものだろう。日本郵政の社長人事のような暴挙を簡単に許す民主党政権では、あっというまに全権委任法が成立する可能性もゼロではない。いやな世の中になってきたものだ。

追記:リフレ派が亀井氏を賞賛しているのも不気味だ。経済問題を「簡単に解決できる」というカルト的な教義は恐い。

ちょっと目を離したら噛みつき亀が弱気の亀ちゃんに噛みついた。ヒトラー亀は笑える。

そうだ、タイトルを変えよう。


謎の習近平

2009-12-25 | weblog

Beach

 

一諾千金(いちだくせんきん) 

史記・季布伝の物語から、男子が一度承知したことは千金にも換えがたい価値があるということ。約束したことは必ず守るべきことのたとえ。

漢の時代、楚国の人で季布(きふ)という者がいた。季布は人を助けることを楽しみとし、「諾」と一言いった以上、その約束は必ず実行したことから、評判が高かった。

一方、同じく楚国の人で曹丘生(そうきゅうせい)という口の達者な男がいた。曹丘は、権力欲・金銭欲が強く、時の皇帝であった景帝の母方の叔父にあたる竇長君の許に親しく出入りしていた。

曹丘は季布が高官になったと聞き、竇長君に季布を紹介するよう依頼した。竇長君は、季布が曹丘のことを嫌っていることを知っていたため、会いに行くのを断念するよう勧めた。しかし、曹丘はしつこく季布への紹介状を書くよう依頼し、竇氏は難色を示しながらも引き受けた。

曹丘はすぐさま紹介状を持って季布に会いに行った。曹丘は、季布が現れると深々と礼をし、「楚国に、『季布の承諾の一言は、黄金百斤より勝る』という諺があります。あなたの名声が梁(りょう)、楚(そ)の一帯に広まったのは、すべて私が吹聴したからです。もともと、私とあなたは同郷人であり、私があなたのことを天下に吹聴して回れば、あなたはますます有名になりましょう」と話した。それを聞いて、初めは曹丘を嫌っていた季布も、すっかり喜んでしまった。

季布は曹丘を賓客としてもてなし、数カ月も家に引き止めた後、帰る時には曹丘に手厚い贈り物を渡した。その後、弁の立つ曹丘は季布のことを遊説し続け、季布の名声はますます天下に伝わった。

後に、「季布の承諾の一言は、黄金百斤より勝る」という言葉から「一諾千金」という諺が生まれた。一度承諾したことは千金の重みがあり、約束を重んじなければならないことのたとえとなった。

武士に二言はない、武士道ですな。

 

以下、ニューズウィークより日本中を騒がせた謎の習近平(奥さん、シー・チンピンだよ)について。

ポスト胡錦濤、習近平のスゴ腕

次期国家主席の本命に躍り出た「無骨な田舎者」は、元副首相の息子で地方の経済改革を先導してきた党内の人気者。

少し前の中国なら、習近平(シー・チンピン)上海市党書記(54)が共産党の次期最高指導者に選ばれる可能性はゼロだったはずだ。

習はいわゆる「太子党」の一人。「関係(コアンシー)」(縁故や人脈)を使って甘い汁を吸う鼻持ちならない特権階級として、庶民から忌み嫌われている高級幹部の子弟だ。それに習が市場経済に習熟していることも、共産主義イデオロギーの純粋性という観点からみれば有利な条件ではない。

事実、1992年と97年の共産党大会で党中央委員会委員候補に初めて名前があがったときは、習の評価は高くなかった。

だが、慎重に作り上げられた習の庶民派イメージは、徐々に党指導部の注目を集めるようになった。習は農村暮らしの経験があり、自家用車よりバスでの移動を好む。過去に担当した地方の行政や党務でも着実に実績を上げてきた。

第17回党大会(10月15~21日)の直前、党指導部は極秘に党内世論調査を実施した。結果は、習が「最多得票だった」と、政治評論家の李大同は言う。

そして10月22日、習は党中央委員会総会で正式に政治局常務委員に選出され、次期最高指導者の本命候補に躍り出た。この抜擢を意外な人事と受け止める向きも多い。胡錦濤(フー・チンタオ)総書記(国家主席)は、自分と同じ共産党青年団出身の李克強(リー・コーチアン)遼寧省党書記(52)を後継者に選ぶと思われていたからだ。

先週、党指導部が行った党内序列の見直し作業は、ぎりぎりまで熾烈な駆け引きが続いたらしい。結局、胡は李の政治局常務委員昇格と、目の上のたんこぶ的存在だった曽慶紅(ツォン・チンホン)国家副主席の引退とを勝ち取るために、後継者の指名を断念したとみられる。

その結果、習は李と同じ政治局常務委員ながら、党内序列では1ランク上の地位に立った。このままいけば現指導部が引退する12年には、習が党総書記に昇格し、李は温家宝(ウェン・チアパオ)首相の後任になる。

習が一足飛びに党指導部入りを果たしたことは、党内政治の本質的な変化を物語っている。多くの消息筋によると、習が抜擢された理由は二つある。一つは、党責任者を務めた沿海地方の二つの省で経済運営に成功したこと。もう一つは、党内部での高い人気だ。

中国の指導者にとって、大衆的人気は必要条件ではない。だが、現在の党指導部は世論調査を通じて慎重に民意を探り、その結果を人事に反映させる「党内民主」の強化に力を入れはじめている。

目標を必ず達成する男

経済的手腕は、従来の中国では最高指導者に必須の資質ではなかった。むしろ95年に朱鎔基(チュー・ロンチー)が首相に就任して以来、経済のプロはトップの補佐役が指定席だった。

総書記兼国家主席に求められる条件は、少なくとも二つの省で実績を上げていること、イデオロギー的に穏健であること、一族の内部にスキャンダルをかかえていないことの三つ。過去の人事で「経済面での実績が判断基準になったことはない」と、政治評論家の李大同は言う。

若いころから独創的なアイデアマンだった習の昇進は、そんな党内の人事基準が様変わりしたことを示している。父親の習仲勲(シー・チュンシュン)元副首相は文化大革命期に批判されて失脚。息子の習も15歳で陝西省の人民公社に「下放」され、肉体労働に従事した。

だが、ここでの働きぶりが農民たちから高く評価され、習は村の党責任者に就任。さらに地元の推薦を受けて大学に進学した。「当時としては前代未聞の出来事だった」と、80年代から習をよく知る元党関係者は言う。

名門・清華大学で工学を学んだ習は、82年に河北省正定県の党副書記に就任する。ここは発展の遅れた地域だったが、習は国営テレビ局・中央電視台の長編ドラマ『紅楼夢』のロケ地になったことを利用して、撮影セットを人気観光スポットに仕立て上げた。

当時の中国はまだ中央統制経済が色濃く残っていた時代。このような起業家的発想の事業はほとんどなかった。「故宮を別にすれば、観光施設はないも同然だった」と、前出の元党関係者は言う。

その後も習は、経済改革の道を突き進んだ。文革後に復活した父親の習仲勲は、中国初の資本主義の実験場となった「経済特区」の創設に大きく貢献した。習近平は85年、狭い海峡をはさんで台湾と目と鼻の先にある福建省アモイの副市長に就任。それから17年間、習は「今すぐやろう」をスローガンに掲げ、台湾との両岸貿易を大幅に増加させた。

02年には、同じ沿海部にある浙江省の党副書記兼省長代理に転身。ここでも起業家精神を発揮して、揚子江デルタ地域の企業経営者の連携を図る組織を立ち上げ、民間企業主導で経済発展をめざす「浙江モデル」の旗振り役になった。

地元の民間活力を刺激する改革を推し進めた結果、浙江省は20年連続で年13%以上の経済成長を実現。「習は中国の経済改革の最前線に身を置いていた」と、地元・温州大学の謝健(シエ・チエン)教授は語る。

民間部門が経済全体の4分の3近くを占める浙江省の旺盛な活力は、外国の要人からも注目を浴びた。ヘンリー・ポールソン米財務長官は06年9月の訪中の際、真っ先に習と会って夕食を共にした。「目標に掲げたことは必ずやりとげる男だ」と、ポールソンは習を評している。

汚職と闘うミスター・クリーン

こうした外国からの称賛は、以前なら出世の足かせになったかもしれない。だが今は違う。共産党は次期総書記の最有力候補に、党内初の現代的政治家である習を選んだ(党員や民衆の間で習の人気が高いのは、人気歌手・彭麗媛<ポン・リーユアン>の夫だからでもある)。

それでも欧米人の目から見ると、習はどこかあか抜けない印象を受ける(ネット百科事典ウィキペディアの英語版には「武骨な田舎者」という表現が載っているが、中国国内では閲覧できない)。先日の党大会では、椅子にふんぞり返り、短めのズボンのすそから安物の白いソックスをのぞかせる映像が流れた。

今も謹厳実直を好む傾向が強い党の内部で、太子党という特権階級の一員である習が高い人気を得られるのは、この泥臭いイメージのおかげでもある。若いころに農村部で苦労した経験があるので、貧しい地方の党官僚だった胡錦濤からみても受け入れやすい。

一方で、高級幹部の息子という生まれと経済発展の著しい沿海部で実績を積んだ経歴は、今も隠然たる影響力をもつ江沢民(チアン・ツォーミン)前総書記を中心とする「上海閥」にもアピールできる。

習には、高級幹部の汚職問題が大スキャンダルに発展した上海市と福建省で組織の立て直しに尽力した経験もある。習は上海市党書記に就任早々、幹部たちを呼んで資産の公開を命じたという。

その結果、「習はとてもクリーンな人物とみられるようになった。民衆はもう汚職はこりごりだと考えている」と、上海に拠点を置くある欧米企業の首脳は語る。

中国の民衆は、汚職の代わりに習近平を手に入れた。中国らしい部分を残した現代的な共産党のニューリーダーを。

習近平副主席の「謎」を解く手紙

中国の次のリーダーと目される習近平・国家副主席が今年9月、その登竜門とされるポストに選出されずに憶測を呼んでいたが、その謎を解く手紙の存在が明らかになった。

中国の習近平(シー・チンピン)・国家副主席は胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席の最有力後継者だが、なぜか今年9月の共産党の会議でその登竜門とされる中央軍事委員会副主席に選ばれなかった。世界のチャイナウォッチャーの間に中国政治の奥の院、中南海で権力闘争が始まったとの憶測が広がっていたが、その謎を解くカギが明らかになった。

中国軍と近いとされる香港誌「鏡報」が最新の12月号で、習が9月の会議の前に「しばらく軍事委副主席に就任したくない」と求める手紙を胡あてに出していた、と報じた。習は「自分は党中央で働いた時間がまだ短く、経験も浅い」「(軍事委員会主席でもある胡錦涛が)軍の内部で高めた権威をまだ揺るがせたくない」といった理由を挙げたという。

中国の政治家にとって、人民解放軍を指導する軍事委員会ポストは権力を掌握するうえで不可欠とされる。小平や江沢民(チアン・ツォーミン)は、最高指導者の座から引退した後もしばらく軍事委委員会主席にとどまった。

胡錦涛も「院政」を始める?

習の手紙について、中国人政治学者の趙宏偉(チャオ・ホンウエイ)は「軍事委副主席への就任を1、2年遅らせ、自分がトップに就いた後もその同じ期間だけ胡錦涛に軍事委主席の任期延長を認める、というメッセージでは」と推測する。「胡も『院政』を始めるかもしれない」

07年の党大会では、胡と同じ共産主義青年団(共青団)出身で有力後継者と見られていた李克強(リー・コーチアン)副首相と、元副首相の父をもつ「太子党」でもある習の序列が大方の予想と逆転。以後、共青団出身者の「団派」と、太子党の間で次期トップ人事をめぐる抗争が起きていると言われてきた。

だが習が胡に「院政」を容認する手紙を出したとすれば、少なくとも習と胡の間に争いはなく、習の次期トップ就任は動かないことになる。現に習は12月14日から、胡の前例にしたがい「トップ就任3年前の日本訪問」に出発。胡と同様、天皇にも会見する。

今回の手紙は軍事委をめぐる人事だけでなく、いまだに謎に包まれた習という人物を読み解く一つのヒントになるかもしれない。

習は「第2の小平」か

習の父親の故・習仲勲(シー・チョンシュン)は文化大革命で迫害され、文革後の78年に「復活」した後は経済特区構想を押し進めたリベラル思想の持ち主として知られている。だが習自身は今年2月、メキシコ外遊中に「腹がいっぱいになってやることのない外国人がわれわれの欠点をあれこれあげつらっている」と、激しい言葉で一部の外国を批判した。

今年10月の建国60記念周年パレードで、胡は現役の国家主席であるにもかかわらず、自らの写真を毛沢東、小平、江沢民に続く歴代指導者の1人として高々と掲げさせた。

習は胡の中で生まれつつある権力への執着を敏感に読み取り、自らの権力継承をスムーズにするため「院政容認」という一手を打ったのかもしれない。だとすれば老獪な人物だ。メキシコでの発言も、共産党内の保守派に配慮した可能性がある。

習はこれまで主に福建省や浙江省、上海市など経済が発達した沿海部の地方トップとして実績を積み、北京の「政治」とは無縁だった。「政治的には保守派でもリベラルでもなく『無色』だ」と、政治学者の趙は言う。「父親もリベラルな政治家というよりむしろ優秀な実務家だった。習自身も実務家タイプで、政治改革より経済発展を優先する可能性がある」

「老獪」な「実務家」──中国の次のリーダーは体型こそ毛沢東のように大柄だが、中身は「第2の小平」なのかもしれない。

日中新時代を告げる小沢大訪中団も奸臣羽毛田の策略で天皇特例会見のバカ騒ぎとなり、習近平(奥さん、シー・チンピンだよ)が去ると国賊小沢の大合唱だけが残った。さて、来日するまで謎の人物だったシー・チンピンはニューズウィークによれば党内ベンチャーの旗手、党内民主化の人気者、老獪な実務家だった。奥さん、イヤだと言っても、小沢さんが去っても米国の凋落、中国の発展を考えれば日本はこの先シー・チンピンと付き合って行かなければならないのである。何故ならそれが米国の世界戦略でもあるからだ、シー・チンピン。


政治的覚醒

2009-12-24 | weblog

Manila Skyline

 

捷足先登

行動の早い者が先に目的に達する。

「捷」とは敏疾であること。「捷足先登」とは、行動の早い者が先に目的に達すること。 早い者勝ち。

紀元前200年頃の秦朝末期。各地の豪傑たちが天下を争い、動乱が絶えなかった。当時、最強の武将・劉邦には韓信という優秀な部下がおり、韓信の活躍で次々とライバルの城を攻め落とした。功を成した韓信は、劉邦から「斉王」に称せられた。

その時、韓信の策士・荊通(かいとう)は、韓信に劉邦を離れてライバルの項羽と手を結び、天下を分割して、将来自らが王になるよう勧めた。しかし、韓信は、劉邦の恩義に背くことはできないといって、劉邦と共に項羽を攻めた。長い戦いの末、韓信の活躍により劉邦が天下を取った。

その後、漢帝国を築いた劉邦は、韓信に対して疑念が芽生え始め、あれだけ功のあった韓信を淮陰侯に降格した。韓信はそれを不服として立ち上がったが、密告されて誅殺された。

死に臨んで韓信は、「当初、荊通の進言を聞き入れなかったのは、最大の過ちだった」と嘆いた。これを聞いた劉邦は荊通がかつて韓信に謀叛を勧めたことを知り、手下に命じて荊通を捕まえ、殺そうとした。

韓信に謀叛を進言したかと尋問する劉邦に荊通は、「秦が力を失った後、英雄たちは皆が天下を取ろうとしていました。当然、才の高い、行動の素早い者が勝つわけです。才のある者なら、皆王になろうとするものですが、彼らをことごとく殺すことができましょうか?それに当時、韓信は主であって、臣である私はただ主のために全力を尽くしただけなのに、何の過ちがあるのでしょうか?」と劉邦に反問した。劉邦は道理がないわけではないとも感じ、荊通を赦免した。

その後、このエピソードから「疾足先得」という熟語ができ、後に「捷足先登」に変わった。「行動のもっとも早い者が勝つ」ということだ。

早い者勝ち、そんな時代ではない。しかし、いつの時代も早い者が勝つというパラドックス。

 

さて奥さん、以下、ちょうど一年前の田中宇のコラム。長いので抜粋転載。

 

世界的な政治覚醒を扇るアメリカ

民主党の外交戦略家の重鎮で、オバマ新大統領の外交顧問をしてきたズビグニュー・ブレジンスキーが、12月16日に興味深い論文を発表した。「世界的な政治覚醒」(The global political awakening)という題名で、米国が指導力を失う中、環境・社会・経済などの分野で起きる世界的な問題に対する論争が活発化し、世界的な政治覚醒が起きると予測している。

ブレジンスキーは、次のように書いている。「歴史上初めて、人類のほとんど全員が、政治的に活発になり、政治的に覚醒し、政治的に相互連携する」「世界的な政治活動によって、これまで植民地支配や帝国的支配によって抑制されてきた、文化的な尊厳や経済成長の機会を求める動きが、世界的に勃興するだろう」「これまで500年間、世界の中心は大西洋諸国(欧米)だったが、中国と日本の新たな台頭によって、その状態は終わる。その次にはインドやロシアも勃興するかもしれない」

ブレジンスキーは、以前から「世界的な政治覚醒」という言葉を、予測として発し続けてきた。彼が2003年に出した「孤独な帝国アメリカ」(原題:The Choice)という本にも、同じ分析が出ている(同書の日本語訳の解説は私が書いた)。今回も、以前と同じ予測の繰り返しだ。

しかし今回、彼の言葉に特に重みがあるのは、彼がオバマの顧問であるということに加えて、来年にかけて世界では、米国の覇権衰退や欧米中心体制の崩壊、イスラム世界や中南米などでの反米的な政治運動の盛り上がり、米国や世界各地での暴動などが予測され、世界的な政治覚醒が起こりそうな感じが現実的に強まっているためだ。

中国と日本の台頭が米英支配を崩す??

今回のブレジンスキー論文で気になるもう一つの点は「中国と日本の台頭(傑出)によって、大西洋諸国(欧米)の500年間の世界支配は終わる」と書かれていることだ。米英に代わって日中が世界を支配する時代が間もなく来ると言わんばかりである。

実際の日本がとっている姿勢は、ブレジンスキーの予測とは正反対だ。日本政府は、1日でも長く対米従属を維持したいと考えている。たとえ今後米国の覇権が崩壊しても、日本政府は今のところ、世界の多極化には貢献したくないようだ。政治鎖国的な傾向をとりつつ米国が復活するのを待つ方が良いというのが、今の日本の姿勢である。米国の財政破綻が近いというのに、日本政府は09年度予算で「米軍再編協力費」の名目で米軍にあげるお金を3倍に増やした。外務省は「これで米国に貢献できる」と喜んでいる。米国の傀儡国の傾向をむしろ強めるのが、今の日本国の方針である。

ブレジンスキーは1970年代から「日本は国際政治に関与する気がないので、永久に米国の属国であり続けるしかない」と言って日本を侮蔑してきたが、日本政府は侮蔑されても喜々として対米従属を堅持している。今回のブレジンスキーの「中国と日本は」というくだりは「中国」だけが本質的な主語で「日本」は、ブレジンスキーの中国偏愛を読者に悟られないようにするための当て馬にすぎないのかもしれない。

今回の日中に関する指摘を詳しく説明したものを、ブレジンスキーはすでに1997年のフォーリンアフェアーズ論文「ユーラシア地政学」で書いている。この論文は、ユーラシア大陸を「地政学的な巨大なチェス盤」にたとえ、米国がどうやってユーラシア大陸を支配するかを書いたことで有名になった。だが、世間で取り沙汰された好戦的なイメージとは裏腹に、論文が掲げた目標は「NATOにロシア、中国、日本を入れて全ユーラシア安保体制を作る」という、世界安定化であり、その目標達成のために米国は中国との協調が必要だという話になり、1998年にクリントン大統領が、日本に立ち寄らずに中国を訪問して「中国重視・日本軽視」を見せつける「ジャパン・パッシング」につながった。

この論文は11年前のものだが、この11年間で世界は、共和党ブッシュ政権下でいったん過激に好戦的になったのが大破綻し、今またブレジンスキーに頼る民主党政権になろうとしており、再びこの論文が有効になる事態に戻ろうとしている。その意味で、ブレジンスキーの97年の論文は、08年の今回の論文につながっている。「全ユーラシア安保」は「NATO」+「上海協力機構」+「北朝鮮6カ国協議が発展したもの」として実現していく道筋ができつつある。

日本に再要求されそうな「米中日三角外交」

ブレジンスキーは97年の地政学論文で、日本は米国の同盟国であり続けるのが良いと書いたが、その一方で、日米同盟は反中国同盟であってはならない、日本を中国敵視の不沈空母にしてはならないとも表明している。同時に、米国のユーラシア戦略の中では日本より中国の方が重要なコマであり、米中日の安定した三角関係を築くことが重要で、日本は中国が民主化するまでのつなぎ役として意味があるとも書いている。

実際のところ米国の上層部は、中国が共産党独裁体制のままで北京五輪の開催を許しており、中国を民主化させる努力をほとんどしていない。ブレジンスキーはカーターの大統領補佐官だったが、カーターは初めて訪中したニクソンの後を受け、米中国交を正常化した。カーターの親中国政策の裏にいたブレジンスキーは、ニクソン・キッシンジャーと同様、中国を大国化へと誘導する先鞭をつけた。

97年の論文で「米中日の三角関係」が望ましいと書かれたことは、日本の政界にも影響を与え、小沢一郎や加藤紘一が日本の国家戦略として「米中と等距離の正三角形外交」を打ち出すことにつながった。01年の911後、ブッシュの米国は単独覇権主義を掲げたが、日本側はこれが実は隠れ多極主義であると裏読みせず、真に受けたため「米中等距離外交」の構想は姿を消し、日本は反中国の対米従属一本槍に走り、加藤紘一の実家は右翼に放火された。

しかし今、ブッシュの単独覇権主義は全崩壊し、オバマ新政権はブレジンスキー流に、表向きは「強い米国の復活」を掲げるが、MGI報告書などでは多極化を容認する姿勢を強めている。おそらくオバマ政権は、日本に対し、97年論文にあるような、日中の接近による米中日三角戦略の再生を隠然と求めてくるだろう。

米国の促しに応え、日本が中国との関係を強化し、ロシアとの関係も改善して、多極型の新世界秩序に即した国家姿勢に転換していくなら、それがブレジンスキーの言う「中国と日本の台頭によって、大西洋諸国の世界支配が終わる」ことになる。逆に、もし日本が、中国との関係強化を拒否し、従来の対米従属のみに固執した場合、オバマの米国は日本を軽視する傾向を強め、米中2国のみで太平洋を協同支配する態勢を強めるだろう。

無意味になる対米従属

今の日本では、対米従属は古来不変の国是であるかのように感じられる。しかし現実には、日本の対米従属戦略の根幹にある要件は「米英が世界最強であり、米英に逆らうものは原爆を落とされ、破滅する」という、第二次大戦から得た政治教訓と「世界最大の市場であり、技術力や金融財政技能の源泉である米国と親密である限り、日本経済も安泰だ」という戦後の経済戦略である。そして、これらの政治的・経済的な要件は今後、米国の覇権衰退とともに失われていく公算が大きい。

今の日本経済は、ドルと米国市場ばかりを見ている。経済人はドル高円安を歓迎し、米国の消費市場を最重視している。ニューヨーク株式市場が下がれば、翌朝の東京株式も下がる。しかし今後、ドルが崩壊して決済通貨・備蓄通貨として使いものにならなくなり、米国の不況が悪化して米国が消費大国でなくなったら、日本経済にとってのドルや米国の価値は大幅に下がる。ドルと米市場が崩壊したら、その後の日本は、ドルではなく円を使って貿易決済した方が良い状態になる。日本製品を輸出する最重要市場は、米国ではなく中国になる。日本人が最重視すべき為替相場は、円ドルではなく円人民元になる。日本は、円を含む多極型の通貨体制を認めざるを得なくなり、中国にも人民元を切り上げて多極型通貨体制に入るよう求める必要が出てくる。

政治的にも、米国覇権の衰退は、日本の国是を根幹から揺るがす。米国の不況の深化は、暴動や反政府活動など、米国内政治の混乱に結びつきそうだが、その状態が長引くほど、日本は米国に頼れなくなる。在日米軍の空洞化も強まる。

その一方で、日本国内の政治も、09年以降、混乱や政界再編が激化すると予測される。今は自民党と民主党という二大政党は、いずれも対米従属を基本方針としているが、米国の崩壊と同期して起きそうな今後の日本の政界再編によって、対米従属ではなく米中等距離の外交戦略を掲げる大型政党が日本に登場し、政権をとるかもしれない。小沢一郎が民主党で米中との正三角形の外交戦略を復活し、政権党になるかもしれない。

日本の官界では、外務省は最期まで対米従属を貫きたがるだろうが、財務省はドルが崩壊したら「円の国際化」をやりたがるだろう。すでに官界では、昇格した防衛省が中国との関係緊密化を模索し、対米従属一本槍の外務省との間で摩擦を生じさせている。

日本人が覚醒しうる好機

今後予測されるこのような政治転換の中、日本人は、どこかの時点で「そもそも日本の対米従属は、米国が圧倒的に強い覇権国だったから採用していた戦略だ。米国が弱くなり、経済的にも軍事的にも日本が対米従属する利点がなくなった以上、日本は対米従属をやめた方がいいのではないか」という思いにとらわれるだろう。このような思いが日本人の中に広がっていくと、国民の間で「ならば日本はどうすべきか。世界の中でどう振る舞いたいか」という考察が始まる。

これは、ブレジンスキーがいうところの「政治的な覚醒」となる。日本人は、戦後60年間、自分たちを拘束してきた対米従属の呪縛から解放される機会を得る。対米従属の呪縛は、戦後の日本が再び対外野心的な戦略をとらないようにするための「瓶のふた」だったが、すでにこの「ふた」は破れかけ、裂け目から青空がのぞいている。日本人にとっての「アメリカ以後」が迫っている。

日本は、米英との戦争に大敗北したから、戦後は対米従属した。戦前の日本は、国際的な野心の強い国だった。日本人は勝手に「自分たちは戦後、全く変わったんだ」と思い込んでいるが、もしかするとそれは、過去を簡単に忘れる民族的特技を持つ日本人の幻想でしかなく、ブレジンスキーは日本人自身より良く日本人のことを知っていて「米国の覇権が崩壊したら、中国と日本が台頭して世界支配に乗り出す」と書いたとも考えられる。

日本は、対米従属をやめた後は、対中従属するという未来像もあり得るが、日本人のほとんどは、中国に従属するなど真っ平だろう。日本人は、敗戦しなければ対米従属すら望んでいなかったはずだ。中国に従属するぐらいなら、中国に負けないように必死で頑張った方が良い、と多くの日本人が考えるはずだ。

従来の日本は、対米従属することで冷戦型の中国包囲網の一翼を担っていることになるという、お気楽な対中戦略をとっていた。米国覇権衰退後の日本には、そんな贅沢なお気楽さは存在しない。独自の力で、中国の台頭に対応せねばならない。

しかし、悲壮感にさいなまれる必要はない。中国は日本と同様、経済的な繁栄を維持することで、国を安定させており、この先20年ぐらいは、この状態は変わりそうもない。中国が日本と戦争したら、中国の経済繁栄は失われ、不安定になる。中国は日本と戦争してもメリットがない。日中は対立関係を続けるかもしれず、小競り合いぐらいはあるかもしれないが、全面戦争にはなりにくい。日中とも安定重視である以上、折り合いをつけて安定的な日中関係を模索する可能性の方が大きい。

そして、米国の覇権が衰退している中で、いったん日中で話がつけば、次は日中協同でアジアや世界の安定化を模索しようという話になるかもしれない。「欧米の支配は終わり、日中が世界を支配する」という、今はまだ奇異に感じられるブレジンスキーの予測は、意外に先々の現実に即したものかもしれない。

2009年から日本でも大不況が深刻化し、当分は失業したり減給したりして、日本人の生活も大変になるだろうが、この不況は日本人を対米従属から解き放ち、政治的覚醒につながりうる。日本にとって敗戦以来の大転換となりうる、政治的な好機がやってくる。

田中ウータンは中東大戦争さえ予言しなければいい男なのに残念。上記コラムはオバマを操る外交顧問ブレジンスーの論文を分析して日米中の正三角形外交戦略を示唆した。民主党が政権党になり対米自立、親中路線を歩んでいる現実を考えればその分析予想がほぼ正鵠を射ていることに驚かされる。ただ対米従属の意識は外務省だけなく日米関係の危機を煽ったマスコミも酷く、政治的覚醒には程遠い。

しかし、のりピーは覚醒していた。

のりピーは隠れ多極主義者だった。


翼賛状況

2009-12-23 | weblog

Golden Sunset

 

安歩当車

節倹勤勉、富貴をむさぼらず、貧しくても心の満ち足りた人のこと。

「安歩当車」という言葉は、車で運ばれる代わりにゆっくりと歩くという意味だが、後人の口伝えで熟語となり、節倹勤勉で、富貴をむさぼらず、貧しくても心の満ち足りた人を喩えるようになった。

顔ショクは戦国の時代、齊国の賢人で、名利に無関心、博学多識で、人品と道徳が高尚で、日常生活は更に質朴であった。

ある日、顔ショクを慕ってきた齊宣王が、顔ショクを引見した。顔ショクを見た齊宣王が「顔ショク、前に出なさい」と言ったところ、思いがけず、顔ショクは同じ口調で「大王様、こちらにいらしてください。」と言い返した。

顔ショクの言葉に、齊宣王はとても腹を立てた。齊宣王の身辺の大臣も異口同音「王は主君で、あなたは臣。なぜそのような無礼なことを大王に言うのか」と顔ショクを叱責した。顔ショクは「もし私が、大王様のおっしゃる通りに進みでましたら、私は権勢と富貴をむさぼり求めて、へつらうにすぎませんが、逆に、王様がいらっしゃることができるなら、王様こそ賢者(学者)を礼遇した素晴らしい明君ではないでしょうか」と答えた。

顔ショクの話に怒りが治まらない齊宣王は、大声で「読書人が君主より尊いと言うのか」と問いた。顔ショクは落ち着きはらって次のように説明した。「読書人はおのずと尊いわけです。これには歴史的な根拠があるのです。昔の秦王は、齊国を攻撃する時、『賢者の柳下惠の墓地から50歩以内で柴を切る者は、すべて死刑に処する』と命じ、『齊王の首級を討ち取ってくる者は、諸侯に封じ、大金を与える』と命じたのです。つまり、君主の頭は、賢人の墓にも及ばないのです」

齊宣王は言い返せなくなり、栄耀栄華で顔ショクを引きとめようとしたが、顔ショクは婉曲に断った。「私は、質素な生活に慣れてきた者ですので、おいとまさせていただきますよう願います。私は、ゆっくりと歩くことで、車で運ばれているように感じ、空腹になってから食べることで、肉を食べているような気持ちになるもので、静かで心の満ち足りた生活を望んでおります。臣下として言うべきことは語り尽くしましたので、おいとまさせてください」と齊宣王に別れを告げて、その場を離れた。

その後、車で運ばれるよりゆっくりと歩くという意味の「安歩当車」という言葉は、後人により、節倹勤勉で、富貴をむさぼらず、貧しくても心の満ち足りた人を喩える熟語に派生していった。

節倹勤勉は昔から日本人の美徳とする価値観。

 

天皇は超法規的存在ではない - 池田信夫 blog

中国の習近平国家副主席と天皇の会見が、大きな政治問題に発展している。特に小沢一郎氏の記者会見が反発を呼び、「天皇の政治利用だ」とか「戦前の軍部と同じだ」といった批判が、産経から赤旗までそろって出てくるのには驚いた。特に週刊文春の見出しは、「小沢と鳩山は天皇に土下座して謝れ」。文藝春秋は、菊池寛が戦争協力の先頭に立った栄光ある歴史をもっているが、その反省もないのだろうか。

問題の「1ヶ月ルール」なるものは、法律でも政令でもなく、閣議決定さえ行なわれていない。このルールは法的拘束力のない慣例にすぎず、首相の指示がそれに違反したからといって、内閣の下部機関である宮内庁が指示を拒否することはできない。小沢氏がゴリ押ししたとかしないとかいう話は、手続き的な瑕疵がない限り、拒否の理由にはならない。法治国家とはそういうものだ。

過去にも1ヶ月ルールに反して会見が行なわれた前例があり、20分ぐらいの会見が天皇の健康に実質的な影響を与えることは考えられない。中国の国家副主席が天皇と会見するのは普通で、胡錦濤氏も1998年に副主席として来日したとき会見した。それを政治利用というなら、天皇の国事行為はすべて政治利用である。

むしろ私は、宮内庁の羽毛田長官の態度に軍部と共通するものを感じる。いったん面会を了解しておきながら、記者会見で首相を公然と批判するのは、他の官庁では考えられない。それは「天皇に関する慣例は憲法より上位にある」という戦前の感覚なのではないか。軍部はこのように天皇を超法規的存在にまつり上げ、「統帥権の干犯」を理由にして拒否権を発動し、陸軍大臣を引き上げるなどして内閣を倒し、暴走したのだ。

小沢氏の記者会見は、たしかに傲慢な印象を与えるが、その内容は論理的には間違っていない。首相が天皇の国事行為に「助言」することは、憲法にもとづく行為である。会見が国事行為ではないとしても、宮内庁は治外法権ではなく、天皇も法の支配に服すのだ。こんな当たり前のことを忘れて、すべてのメディアが「口のきき方が悪い」といった感情論で小沢氏をたたく翼賛状況は恐い。

 

噛みつき亀の池田センセのことだから小沢叩きに便乗して小沢さんに噛みつくのかと思ったら意外に冷静なコラムを書いていた。感情論に振り回され小沢叩きに執心した程度の低い右翼人間というのは、いつの時代も救い難い人たちだ。また、小沢叩きを翼賛、世論誘導をしたマスコミも同質である。

池田センセは奸臣羽毛田を戦前の軍部に擬えているが、天皇が超法規的存在ではなく憲法に規定されるつーのはまさに美濃部の天皇機関説だ。終戦までの明治憲法は天皇大権を有していた。しかし、昭和天皇は天皇機関説を支持し、天皇機関説を排撃した軍部、右翼の国体明徴声明を憂慮した。

右から左までの小沢叩き翼賛状況は何を生むのだろうか、暫くチェックしたほうがいい。

 

核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認(読売新聞) - goo ニュース

沖縄返還交渉を巡り、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で交わされたとされる有事の際の核持ち込みに関する「密約」文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。

密約の存在を裏付ける決定的な証拠が発見されたことになる。

外務省はこれまで文書の存在を否定してきた。日米間の密約の存否の検証を行っている外務省の有識者委員会の判断にも大きな影響を与えるのは必至だ。

佐藤家で発見されたのは、ワシントンで行われた日米首脳会談で極秘に交わされた「合意議事録」の実物。読売新聞社が入手した「合意議事録」の写し(英文2枚)は、1969年11月19日付で、上下に「トップ・シークレット(極秘)」とある。文末には佐藤、ニクソン両首脳の署名がある。

文書では、米側が「日本を含む極東諸国防衛のため、重大な緊急事態が生じた際は、日本と事前協議を行ったうえで、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする。米国政府は好意的回答を期待する」とし、有事の際の沖縄への核持ち込みを両首脳が合意したことが記録されている。日本側は「そうした事前協議があれば、遅滞なくその要求に応える」と明記されている。また、「米国政府は重大な緊急事態に備え、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち嘉手納、那覇、辺野古、及びナイキ・ハーキュリーズ基地をいつでも使用できる状態に維持しておく必要がある」と記している。

文書は2通作成され、1通は日本の首相官邸、もう1通は米国のホワイトハウスで保管するとしてある。佐藤氏は首相退陣後、自宅の書斎に私蔵していた。

佐藤氏が75年に死去した際、東京・代沢の自宅にあった遺品を遺族が整理していたところ、書斎机の引き出しから見つかった。

机は首相在任時、首相公邸に置かれ、退任後は、自宅に持ち運ばれた。関係者によると、元首相は生前、文書の存在について寛子夫人(故人)も含めて家族に漏らしたことはなかった。佐藤元首相の二男の佐藤信二元通産相は「(元首相は)外遊の際はアタッシェケースに書類を入れて持ち歩いていた。69年の訪米の際も、帰国してその文書をアタッシェケースから書斎机に移したのだと思う」と証言する。

密約の存在は、返還交渉で密使を務めたとされる若泉敬・京都産業大教授(故人)が1994年に著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)で暴露した。

沖縄への核持ち込みは公然の密約。日本側からの要請だった。

 

普天間、5月までに結論=日米首脳会談までに-平野官房長官(時事通信) - goo ニュース

平野博文官房長官は22日夜の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先を決める時期のめどについて「(来年)5月は一つの大きな判断(時期)かもしれない」と述べた。平野長官は、来年の日米首脳会談までに結論を出す必要があるとの認識を表明。来年6月にカナダで主要国首脳会議(サミット)が行われることを念頭に、その際の日米首脳会談までに移設先を決めるべきだとの考えを示した。

また、日米首脳会談までに結論を出すことに関しては「基本的には(与党3党の)共通認識だ」と強調。米側は早期結論を出すよう求めているが、日本側が結論を出すめどは「(5月で)変わらない」と強調した。

普天間移設問題はノラリクラリ先延ばしにしたほうが有利。


立憲君主制

2009-12-22 | weblog

Striped Sun

 

破鏡重円(はきょうじゅうえん・ちょうえん)

「破鏡重円」は、「離散した夫婦が巡り合う」とか「離婚した夫婦が再び元の鞘に収まる」という意味の中国のことわざである。これは、ただ単なる美しい愛の物語ではなく、そこには自らを犠牲にして他人を助けるという美徳も反映されている。

このことわざの由来となった物語は九世紀の中国で起きた。当時の中国は、北方で強大な勢力を持つ隋朝に対して、南方には小さな国がいくつかあった。建康(今の南京)を都とする陳国はその一つで、随朝は南方の国々の統一のために、陳を虎視眈々と狙っていた。

陳の皇太子の侍従官・徐徳言(じょとくげん)は、皇太子の妹で才色兼備の楽昌(らくしょう)を妻に娶っていた。当時、陳はちょうど衰退し、時局が乱れており、今にも滅びそうであった。そこで、徐徳言は妻に、「そなたの優れた才華と美貌であれば、たとえ国が滅んでも、きっと権力のある裕福な人の家に入ることができるに違いない。私たちは永遠に離れ離れになるかもしれないが、もしも私たちの縁がまだ終わっていなければ、必ずまた会えるだろう。そのときのために、しるしとなる物を用意しよう」と言うと、銅の鏡を二つに割って、夫婦がそれぞれ片方ずつ持つことにした。そして、「必ず毎年正月の十五日に鏡を市で売りに出してほしい。もしそれを見かけたら、私は必ずそなたを探しに行くから」と、妻と約束した。

ほどなく、隋朝は陳を滅ぼすと、隋の皇帝・文帝は、褒美として楽昌を大臣の楊素(ようそ)に与えた。楊素は彼女を非常に寵愛した。

徐徳言は路頭に迷いながらも、やっとのことで都に着いた。すると、なんと本当に、正月の十五日に市で片割れの鏡を売っている老人がいたのである。その鏡はとても値段が高く、売れないでいた。徐徳言は、老人を自分の家に連れて帰り、事情を聞いてみると、その老人は、果たして、楽昌の家の使用人であった。徐徳言は自分の経歴を老人に語ると、自分の持っていた半分の鏡を出し、老人の鏡と合わせると、鏡面に「鏡と人はともに去って行った。今鏡は帰ってきたが、人はまだ帰らない。まるで月に嫦娥(じょうが)がいなく、ただ明月の輝きだけが残っているようなものである」と書き記し、老人に持ち帰らせた。

楽昌はその詩を読むと、泣いてばかりで食事も取れない。楊素は本当のことを知って、非常に悲しんだが、侍従に徐徳言を連れてこさせると、妻を彼に返し、多くの金品を与えた。

楊素はまた、徐徳言と楽昌のために送別の宴を設けた。そこで楽昌は詩を書いて、自らの気持ちを表した。「今日までの移り変わりを思い出し、今二人の夫が顔を合わせているのを目にすると、笑うことも泣くこともできず、今まさに、身を持することの難しさを知りました」。

徐徳言と楽昌は、一緒に江南に帰ると、ともに白髪になるまで、ずっと一緒に添い遂げたということである。

       ◇

一般論として別れた夫婦ってのはこうはイカンでしょうな。

 

       ◇

日中関係:中国が旧敵に歩み寄る理由

(英フィナンシャル・タイムズ)

2012年に胡錦濤・中国国家主席の後を継ぐ最有力の後継者候補と見られている習近平副主席は今週、日本の天皇のもとを訪れた。こうした訪問は通常数カ月前からお膳立てされるが、中国政府は数日前に通知しただけだった。

これは、皇室の作法からすれば、午前3時に隣人の家のドアをドンドンと叩き、コップ1杯の砂糖を貸してくれと頼むようなものだった。

このような短期間の通知でも拝謁を許可するよう求めた鳩山由紀夫首相の要請は、国内の一部、とりわけ右寄りの人々に批判された。彼らは一連の出来事の中に、中国政府にこびへつらうことを厭わない中道左派の新政権の姿を見て取った。

皇室の予定を管理する、厳格で秘密主義の宮内庁では、普段は控えめな長官さえもが、天皇を外交の道具として使うべきではないと公然と異議を唱えた。

小泉時代とは様変わり

このちょっとした騒動は、より重要な事実を覆い隠してしまった。それは、仮にも天皇との面会が実現したという事実である。習副主席は、お辞儀はしなかった(バラク・オバマ大統領と違って)。だが同氏は、明らかに全く準備なしの即興的な発言の中で、相手の気に入るような甘い言葉をかけた。「私の訪問が両国の友好的協力の発展に寄与し、両国民の友好を促進してくれることを期待します」と語ったのだ。

トーンの変化がいかに驚くべきものであるかを理解するには、数年前の状況を振り返るだけで十分だろう。

小泉純一郎氏が首相を務めた6年近くの間(小泉政権は2006年に終了)、両国は、台本が用意されたこまやかな配慮をやり取りするよりも、外交的な非難を浴びせる可能性の方がはるかに高かった。

小泉氏が、中国政府が忌み嫌う靖国神社の参拝にこだわる姿勢を示していたことは、事実上、同氏が中国に足を踏み入れることを禁じられていることを意味していた。

2005年には、日中関係は危険な領域に入った。国連安保理事会の常任理事国入りを目指した日本の(失敗に終わった)努力がきっかけとなり、3週間にわたる反日デモが起き、中国全土で日本の商業施設や外交施設が攻撃されたのだ。

反日カードが効きすぎた? 安倍政権下で歩み寄り

こうした集団抗議行動は中国政府に、反日カード――天安門事件の後、長年愛国心を育てるのに役立った――が行き過ぎたと思わせたのかもしれない。

共産党指導部は、小泉氏の後に首相に就いた安倍晋三氏が前任者以上にあからさまな国家主義者だったにもかかわらず、同氏に対して和解の意を表すのに尽力した。

相互互恵関係を構築するという両国の約束が一気に多くの外交行事を引き出し、細心の注意を払って演出された胡錦濤国家主席と温家宝首相の訪日も執り行われた。

注目すべきことに、こうした緊張緩和――具体的な行動によって築かれたというよりは、美辞麗句で織り上げられたもの――はそれ以来続いており、花開いてさえいる。これを、この地域の他の重要な関係のお粗末な状況と比べてみるといい。

中国とインドは、領土と地政学的影響力を巡る一段と険悪な論争で膠着状態に陥っている。普通なら太平洋で一番仲のいい友人同士である日本と米国でさえ、同盟関連の争点、特に沖縄の米軍海兵隊基地の移設という10年がかりの計画の承認を渋る鳩山首相の抵抗によって仲違いしている。

中国が日中関係の改善を望む理由

それに比べると、日中関係はかつてないほど良好だ。これは主として、中国政府がそうあってほしいと望んでいるからだ。だが、なぜだろうか。

理由の1つは、日本との関係改善は、中国の台頭が脅威ではないということを世界に納得させるための宣伝活動の役に立つことである。また中国は、なお中国が学ぶところが多い戦後日本の発展のいくつかの面を称賛している――そしてそれを小声で囁いてもいる。

実は日本に憧れる中国人

環境を例に取ってみよう。40年前、日本の大気や河川は今の中国とほとんど同じくらい有害だった。以来、日本は公共政策と技術的解決策を総動員して、世界で最もきれいで最もエネルギー効率の良い国の1つになった。中国政府は、その方法を知りたがっている。

一般大衆のレベルでも――その関係はまさに心からの憎しみによってこじれてきた――、日本は驚くほど大きな影響力を持っている。我々は中国人が米国のライフスタイルに憧れていると思っているが、実際には彼らの憧れの多くは日本に向けられている。

多くの中国人は寿司や鉄板焼きを食べ、新幹線で旅行し――今中国のあちこちで敷設が進んでいる――、日本のファッションを真似したがっている。

日本も、数年前から最大の貿易相手国となっている中国から得るものは沢山ある。中国は、高コストで技術的に進んだ成熟経済が必要とするものをすべて持っている。巨大で安価な労働力や、大きくて拡大している消費市場などだ。両国が互いにうまくやっていこうと思わない理由があるだろうか?

実際、アジアという文脈の中に自国をより強固に組み込むための戦略の一環として、中国にさらに接近することは、鳩山政権がはっきり打ち出した政策目標である。だが、アジアで最も刺々しい関係の1つだった日中関係から、永久に刺が抜かれたと宣言するのは早すぎるかもしれない。

再び反日カードを切る可能性も

こと、本質的な問題――争点になっている海底ガス田を巡る境界線紛争の解決を図ろうとする長年の取り組みなど――になると、具体的な進展はほとんど見られない。美辞麗句は、歴史的な傷跡を癒やすうえで限界があるのである。

また、日本政府に対して行儀よくするよりも意地悪くする方が中国政府にとって役に立つ時が来る可能性もまだ残っている。共産党がいつか国内問題から注意をそらしたいと思ったら、その時はまた反日カードを切る衝動に駆られるかもしれない。

 

       ◇

天皇特例会見は日中新時代のエポックメイキングとなる現象であり、官僚病の羽毛田ジイによって引き起こされた国民の記憶に残る事件だ。上記、フィナンシャル・タイムズでは政治利用を些細な騒ぎとして習近平(シー・チンピンだよ奥さん)との会見実現こそが大事であるという。第三者的な立場の英国から見ればそのように映るのだろう。なるほどジャーナルとしての報道は大切だ。しかしそれ以上に奸臣羽毛田の放った香ばしさは格別なもので、それによって女性週刊誌の皇室報道レベルで大騒ぎをしたマスコミのバカさ加減は忘れがたい。

そのバカなマスコミに向け小沢さんは「君は憲法を読んでいるか」とブチ切れ発言をしてスッカリ悪役になってしまった。これは福田チンパンの「あなたとは違うんです」には及ばないもののかなりイケてるフレーズだ。「君はお経を読んでいるのか」とダジャレても面白くないがひょっとして英国人にはウケるかもしれない。繰返すがフィナンシャル・タイムズは奸臣羽毛田の策略を皇室へのマナー違反程度にしか思っていないので小沢さんのブチ切れをまったく理解していない。フィナンシャル・タイムズは日本国憲法を読んでいるか、と恫喝する。

       ◇

さて奥さん、なぜ小沢さんは記者会見でアソコまでブチ切れてマスコミを敵に回したのかナゾである。そのことを類推する前にあのホリエモンが日本国憲法を読んでいるかと言えば、ちゃんと読んでいた。

 

「今の世の中、ネットの普及で変化のスピードが速くなっているから、どの組織でもリーダーが強力な権力を持っていないと対応していけないと思うんです。日本が明治時代に英国の立憲君主制を導入したのは、たまたま天皇がいたからで、国家の経営を考えたからではないじゃないですか」

「だいたい憲法が『天皇は日本の象徴』というところから始めることに違和感がある。 天皇は実際のところ象徴だけ。別に権力があるわけじゃないし、(国民は)誰も気にしてないでしょう。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分右翼の人たちが怖いからだと思う」

 

上記はホリエモンが時代の寵児であった2005年の郵政解散総選挙で立候補した際、外国人記者会見での発言である。ホリエモンはちゃんと日本国憲法を読んでいた。しかし、大統領制導入を暗にほのめかす余りに稚拙なその見解に外国メディアから失笑を買い、選挙も落選してしまった。

「日本が明治時代に英国の立憲君主制を導入したのは、たまたま天皇がいたからで」はなく、立憲君主制の理念を礎とする明治憲法を制定し、幕藩体制から欧米列強に対抗できる近代国家を作らなければならなかったからである。また、「天皇は実際のところ象徴だけ。別に権力があるわけじゃないし、(国民は)誰も気にしてないでしょう」とは恣意的な天皇不要論であって国民の支持を得られるワケがない。

ホリエモンが目指した米国のような大統領制国家は、欲望が剥き出す市民社会の国家であって、「多数」だけに支配される。つまり、「勝ち組」ホリエモンや村上ファンドのように品格に欠けた国家像なのだ。

小沢さんはマスコミや羽毛田のテクニカルな憲法解釈の無知にブチ切れたわけではなく、憲法の礎となる英国式立憲君主制の理念、「君臨すれども統治せず」への無理解に怒ったのである。君主である天皇は代々立憲君主制を守ってきた。しかし立憲である政党政治、民主主義は未だ未熟なのである。


昼寝

2009-12-21 | weblog

Advances

 

朝秦暮楚 (ちょうしんぼそ)

朝は北方の秦国に居り、夕は南方の楚国に泊る。

しっかりした考えがなく、ふらふらした態度をとる。また、居所が定まらないという意味。

秦国はもとは西周成王が伯益に与えた封土で、今の甘粛省天水にあったが、秦庄公の時、大丘(今の陝西省)に遷り、首都を咸陽に定めた。楚国はもとは西周成王が熊繹に与えた封土で、今の湖北省にあり、首都を丹陽に定めた。戦国時代に秦、楚ともに七雄(斉、楚、燕、韓、趙、魏、秦)の一つになった。当時、秦楚間の争いがもっとも頻繁で、各国の諸侯が自国の利を優先させるために、時に秦を助けたり、時に楚を助けたりしたので、各国の政客も自身の利害を大事にし、常に自分の政治主張を変えた。

出典:北宋・晁補之「晁無咎詞・北渚亭賦」

       ◇

なーんだ、ふらふらした態度か、ならば奥さん、昼寝だよ。

       ◇

昼寝は体に有益である

午前中の活動を終え、昼休みには心をリラックスさせることが、プレッシャーを軽減させる作用があると明らかになった。研究で適度の昼寝は夜の寝不足を補い、体内のホルモン分泌バランスを平常にし、新陳代謝を緩和し、消耗エネルギーを減少させ、老化を遅らせる作用があることが分かった。エクアドル共和国の北部山区は世界でも有数の長寿地区の一つである。ここの住民はみな昼寝をする習慣がある。医学専門家は実験の中で、毎日30分間の昼寝をすることによって冠状動脈性心疾患の発病率が30%減少出来ることを発見した。

イギリスのある研究項目によると、毎日昼寝を10分間することによって疲れが取れ、また、それは夜2時間多く寝るよりも遥かに効果が期待できる。他の研究でも15分間の昼寝は普通の睡眠の2時間に相当することが分かった。フランスでは政府が昼寝を推進している。そのため、人々の睡眠の質が改善された。この企画は企業が自由に参加することができ、企業は職員の昼寝を15分以内に制限している。米国ノースウェスタン大学の生物学の教授で睡眠と昼夜リズム生物学の主任は、もし、昼寝が出来ない場合はなるべく神経を使う仕事は避け、慣行的な仕事をしたほうが良いと言っている。

昼寝は個人の体質、睡眠状態、年齢、疾病等と密接に関係している。およそ、夜に眠れず睡眠不足になっている人は体が弱く多くの病気を患っているため、昼寝をしたほうが良い。

もし、夜に重要な宴会や活動がある場合は就寝につく時間が遅くなることがある。その時は予備に昼寝をしておくと良い。

健康的な昼寝をするために、必ず守らなければならないことがある。それは、昼寝前に食べ過ぎてはならない。食後30分後に昼寝をする。時間は30分以内にする。理想的な昼寝姿勢は仰向きや横向きがよい。出来れば頭を高く、足を低くすると良い。また、右向きに寝ると良い。机に伏せて寝る場合、頭部への血液供給が減少する。そのため、目覚めた後、めまい、目のかすみなどの症状が出る。また、眼球圧迫で目の病気の原因になる可能性がある。同時に、うつ伏せに寝ることによって胸部への圧迫や呼吸を妨げ、血液循環と神経伝導で両手の痺れや痛みを伴う症状が出る。そして、寝る時はお腹にタオルや布団を一枚かけておくと冷気が入ってくるのを予防できるので非常に良い。

       ◇

こう科学的に分析してアレコレウンチクされると昼寝の快楽も半減する。

 

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渡部恒三氏「小沢君、非常に普通の人になったな」(朝日新聞) - goo ニュース

民主党の渡部恒三・前最高顧問は20日のテレビ朝日の番組で、同党の小沢一郎幹事長について「ここ1週間、表舞台に立ってうれしそうに頑張っている。非常に普通の人になったな」と評した。中国に大訪問団を引き連れ、来年度予算編成にも関与を始めた小沢氏の「変節」を指摘したものだ。

渡部氏は「小沢君は昔から力があった。しかし(昔は)見えない所で人の嫌がる仕事をやって、最後の表舞台は誰かを立てるのが小沢君だと思っていた」と振り返った。

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渡部ジイさんの嫉妬。人はいくつになっても嫉妬の感情に振り回されるのだ。

 

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内閣支持率急落、民主党幹部も「モタモタしすぎな感じ」(朝日新聞) - goo ニュース

内閣支持率が急落したことについて、平野博文官房長官は20日夜、朝日新聞の取材に「数字は数字として真摯(しんし)に受け止め、政権運営に生かしていきたい」との受け止めを示した。ただ、危機感はすでに政権内を覆っている。

首相官邸の高官は「政権全体が最終的にものを決められないことに対する不安感があると思う」と指摘。閣僚の一人は「普天間も予算も財源も難しい話だが、首相がこうすると言えば済む話なのに言わない。『大丈夫かこの人は』と思われている」。民主党幹部も「ちょっとモタモタしすぎな感じがする」と語り、首相の指導力に疑問を投げかけている。

       ◇

鳩山さんは『大丈夫かこの人は』と思われているらしいが、鳩ポッポは想像以上に曲者だ。

 

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福島消費者相が橋下知事に「あなた法律家でしょ」(読売新聞) - goo ニュース

消費者問題で大阪府庁を訪れた福島消費者相と橋下徹知事が21日、改正特定商取引法を巡ってちょっとした応酬を繰り広げる場面があった。

議論となったのは、自治体が配布している「訪問販売お断り」シール。消費者庁は「シールは業者の訪問を拒む意思表示には当たらない」との見解を示している。

橋下知事は「高齢者らを悪質な訪問販売から守るには、法律上、シールの有効性を担保すべきだ」「消費者庁は業者の味方。悪徳弁護士の代表と言われた僕が、人権派弁護士と言われていた福島大臣と入れ替わっている」と皮肉交じりに批判すると、福島消費者相は「あなたは法律家でしょ。適用するには法改正しないとダメ」と応酬した。

「え~」とまゆをしかめた橋下知事は「歯切れがいい福島大臣らしくない」とたたみかけ、福島消費者相はようやく「法律改正が必要かどうか、現場の声を聞いて検討します」と、その場を収めた。

最後に米軍普天間飛行場の移設問題で県外・国外移設を主張する福島消費者相が「沖縄県民の負担軽減も頑張りましょう」と水を向けると、橋下知事もうなずいていた。

       ◇

なんかアレだ、言葉が出ない。


石破茂です

2009-12-20 | weblog

TimeZone

 

意気消沈

元気がなく、しょげる様子。

六朝の晋の大司馬※桓温が晩年の時に、突然一人の尼僧が遠方から来て、桓温に旦那となってもらい、屋敷に逗留した。この尼僧は学才も挙動も常人とは違っていたので、桓温は鄭重にあつかい、屋敷内に住まわせた。

ところが尼僧は、入浴の時にはいつもきまって長い時間をかける。桓温が不審に思って、覗いてみると、尼僧は裸になって刀を持ち、腹を裂いてはらわたを取り出し、首を切り落として手足をこまかくきざんでいた。桓温はあっと驚いて引き返したが、部屋に帰ったころ、尼僧は浴室から出て来た。姿はもとのとおりになっていた。

桓温が正直に見たままを話すと、尼僧は答えた。

「お上(かみ)に取って代わろうなどとする者は、きっとあんな姿になってしまいますよ」。

ちょうどこの時、桓温は帝位を奪おうとたくらんでいたところだったので、尼僧の言葉を聞いて意気消沈した。この為に行動をつつしみ、臣下の本分を最後まで守り通したのであった。

「意気消沈」は、今、自分の思うように上手く行かないとか、または何か失敗すると、すぐ意気込みがくじけることを形容する。

※大司馬:本来は軍政の最高責任者であったが、六朝では、宰相に相当する地位となった。

出典:六朝・陶潜「捜神後記」

       ◇

意気消沈が浴場のノゾキから発生したとは意外だ。

「尼僧は裸になって刀を持ち、腹を裂いてはらわたを取り出し、首を切り落として手足をこまかくきざんでいた」ってホント中国人はグロテスク趣味だなぁ。ノゾキなら我が国にも神がいる。元気だろうか。

 

 

       ◇

対義になる意気軒昂

元気で意気込みの盛んなこと

中国では、「意気」と「軒昂」が別々に成語となり、四字熟語としての用例はない。

1.意気の由来・・・斉の宰相だった 晏嬰 ( あんえい ) の馬車の御者が、得意そうに馬に鞭を打って意気盛んであったことから。 

晏嬰 ( あんえい ) の御者の妻が、ある日夫の仕事ぶりを見る機会があった。 すると、夫は宰相の御者として、四頭立ての馬に鞭を当て、意気揚々として非常に満足した。妻は、帰ってきた夫に、「晏嬰さまは、背が六尺(約138センチ)しかないのに宰相になられて、しかも態度は謙虚でいらっしゃいます。一方、あなたは、身の丈が8尺(184センチ)もありながら、人に使われる御者に過ぎず、それなのにいかにも満足げです。あなたには、失望しました。どうかお暇をください。」と言って、離縁を願った。

凡人なら妻に当たり散らして終わりになる。ところが、この夫、妻の言葉を真摯に受け止め、その行為を素直に詫び、次の日からすっかり態度を改めて御者として仕えるようになった。

これには晏嬰も驚き、彼に理由を尋ねたところ、以上のことだと言うので、彼の妻を誉め、その忠告を受け入れた彼をも認めて大夫に登用した。


2.軒昂の由来・・・後漢末期、 董卓 ( とうたく ) は、反乱軍討伐の命令を受けたが、知らぬ振りをして軒昂(気持ちの奮い立つ様)であったこと。 

出典:史記「管晏列伝」

       ◇

意気消沈に比べて凡庸な故事だった、つまんね。

故事成語まんまの記事タイトルも以下からパクッて変えた。

 

       ◇

民主党政権の本質: 石破茂(いしばしげる)ブログ

石破 茂 です。

日本国は一体何処へ向かうのか、大きな不安のうちに年の瀬を迎えようとしています。

国民の選択なのだからやむを得ない、と諦めてしまってはどうにもなりません。

しかし内閣支持率がいくら下がっても、政府与党が解散しないと決めてしまえば、この状態が四年間近く続くのです。もっともそれはかつての自民党政権時も同じで、我々の「早期解散すべし」との主張に説得力が欠ける結果となっています。私は麻生内閣の一員として、任期満了近くの解散ではなく、麻生総理の判断で適切な時期に解散すべきと主張したのですが、もっと強く訴えるべきだったと悔やまれてなりません。

自身こそ正確な知識を欠いていながら「君は憲法を読んでいるのか!」と恫喝的に言い放ち、天皇陛下のご活動まで思い通りになると増長し、予算編成に当たって「これは全国民の要望だ」と(決してそうではないにもかかわらず)総理に迫る小沢氏の姿、そしてそれに唯々諾々と従う鳩山総理の姿こそが民主党政権の本質です。

敢えて言いたい。自民党政権に反省すべき点は多々あったが、このような「多数を取ればなにをやってもいい」などという不遜なことを考えたことは一度も無かった、と。

さきほど丸の内で街頭演説を終えました。

土曜日は地元、日曜日はサンデープロジェクトに出て、憲法論・「小沢論」を、今や小沢氏の側近となった細野民主党副幹事長と闘わせる予定です。

体力的にも精神的にもかなり限界に近いなと思ってはいますが、ここで手を緩めることはできません。

自民党のためでも、もちろん自分のためでもなく、現在と将来の日本国のためだと思っています。

       ◇

>「多数を取ればなにをやってもいい」などという不遜なことを考えたことは一度も無かった、と。

小泉さんの郵政解散はどうだったの?と突っ込んでおいて

石破さんはアメポチの軍事オタクなんだけどホント文章は巧いなぁ。

でもなんで人望がないんだろう。やっぱりホモ顔かな。

角川春樹BOTツイッターが保毛尾田ホモ男似だと指摘してからマイブーム。

サンプロはチェックしよう、それから友人H宅で忘年会だ。

細野豪志と小沢論か、ついでに保毛尾田論もやって欲しいがそりゃ冗談。

参考までに 小沢主義 - 太った中年

       ◇

細野豪志は訪中団の事務総長、モナを捨てて中国美女を食ってやがった。

石破ホモ男、ちょっとキレが悪いな、細野豪志をもっと睨みつけろ。

ノーパンしゃぶしゃぶ羽毛田の奸計にみんな引っ掛っていて面白くなかった。

田原が首になるワケだ。

そう、石破さんの丁寧な話し方が保毛尾田であることがわかった。

石破茂でした。


朝令暮改

2009-12-19 | weblog

Boats

 

朝令暮改 (ちょうれいぼかい)

朝命令を下し、夕方にそれを変える。

法律がしょっちゅう改められるので、どれに従ったらいいかわからない。

また、制度や主張がくるくる変わること。

西漢文帝の時、地主や商人の勢力が強くなったため、多くの農民が破産して、よそへ逃れて乞食の生活をせざるを得なかった。このような深刻な情勢を見た政治家・晁錯が漢文帝に「今、農家は耕地も収穫も少なく、また労役に服し、年中休みなしで、行く者を見送り、来る者を迎え、死者を弔問し病人を見舞う。家族を養わねばならないのは言うまでもない。ただ、こんなに勤勉なのに、水害や干害の被害まで受けている。今の政治は暴虐で、租税もしきりに徴収され、法令は朝出されたかと思うと夕方にはもう改められる。農家は租税を完納するために、高金利の借金をせざるをえなくなり、商人はそれに乗じて暴利をむさぼる」と上書した。

出典:東漢・班固「漢書・食貨志上」

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以下、傑作YouTubeで鳩山総理、朝令暮改 を語る。

鳩山由紀夫vs.鳩山由紀夫? クローンの攻撃

 

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小沢幹事長が天皇陛下の国事行為について触れた15日の記者会見について、ちょっとした解釈論争になっている。

日本国憲法の第7条10項に「儀式を行ふこと」とある。これをもって外国のお客様に会うとする解釈、学説をとる法律家、憲法学者もいる。

それからすると、小沢幹事長の考えは間違っていない。決めつけた物言い、判断は危険であり、公平性を欠く。冷静な議論をして戴きたいものである。

「30日ルール」と羽毛田宮内庁長官は言うが、それならば過去に30日を切って受けた例はなかったのか。是非とも国民に真実を明らかにして欲しい。

先月のオバマ米国大統領にしても、決まっていた日程が直前になって変更されたものの、粛々(しゅくしゅく)粛々と行われた。今回の件にしても、天皇陛下とのご引見が決まってから、羽毛田長官は何の意図があって記者会見をしたのか。

「自分は天皇陛下をお守りする立場にある」と話していたが、それならば職を賭して、身体を張って「日程は受けられない」と断固突っぱねるべきではないか。

天皇陛下に日程を説明しただけでも、尊皇精神に欠けている。口では「お守りする」と良いながら、官僚の自己保身が透けて見える。

「何のために会見したのか、羽毛田長官は国民への説明責任がある」という多くの声があることをお知らせしたい。

(ムネオ日記)

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鈴木宗男さんは羽毛田長官を「尊皇精神に欠けている」と怒っているが、まったくその通り。

太った中年はいち早く奸臣羽毛田がノーパンしゃぶしゃぶ狂いの変態ジジイであることを指摘し、それだけでも不敬罪なると断罪した。奥さん、念のため確認しておくけど、嘗て官僚接待に使用され日本中に衝撃を与えたノーパンしゃぶしゃぶとは、単にノーパンのウェイトレスがしゃぶしゃぶを運ぶだけでなく、個室でスカートにミニ扇風機で風を当てたり様々な趣向を凝らして、クライマックスはウェイトレスによるしゃぶしゃぶリップサービスを受ける高級飲食店のフリをした風俗店なのである。そこに羽毛田はハマっていた。

羽毛田は厚生族の小泉元首相の下僕として厚生省から宮内庁へ天下り、小泉さんの女系天皇容認、皇室典範改正の世論作りを画策し、過去何度も意図的な皇室情報をリークしていた。ところが悠仁親王のご誕生で皇室典範改正は吹っ飛んでしまった。調べてみると紀子妃ご懐妊のニュースはNHKのスクープ報道で後から宮内庁が正式な発表をしている。つまり、秋篠宮と陛下は皇室典範改正を画策する羽毛田には知らせず紀子妃ご懐妊を極秘裡にしていたのだ。羽毛田の「陛下をお守りする」とは口先だけで陛下は羽毛田を信用していない。

それにしてもよく分からんのが小泉さんの女系天皇容認、皇室典範改正への異常な執着。万系一世の皇統を破壊する野望ではないにしろ宮内庁絡みで考えられるのは靖国神社のA級戦犯合祀問題。日中間で政治問題化した靖国参拝について国会質疑で「気に入らない人が祀られているから参拝しないのは如何か」と答弁して暗に陛下を批難したことがある。ならば天皇特例会見で羽毛田の「尊皇精神に欠けている」無礼な行為も合点がいく。鳩山内閣はさっさと奸臣羽毛田を首にすべきだ、と言っても出来はしないだろう。

 

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[霞ヶ関・天下り問題] 天皇会見の火ダネ~宮内庁のデタラメ実態

天皇の特例会見問題がドロ沼化の一途だ。もう会見は終わったのに、自民党は「天皇の政治利用だ!」と相変わらず大騒ぎしている。しかし、その火ダネを作った宮内庁の羽毛田信吾長官(67)は、エラソーに言える立場なのか。

処分歴もある“スネ傷”官僚

「天皇陛下のお努めのあり方を守るというのが私の立場。辞めるつもりはない」――。
官房長官の要請をバラし、内閣の方針を公然批判しながら、ポストにしがみついている羽毛田長官。民主党の小沢幹事長はきのう(15日)も、「辞めてから言うべき。政権交代して政治主導になったのに、頭が切り替わっていない」とカンカンだった。

羽毛田長官が居座りを決め込む理由はハッキリしている。こんな声がささやかれているのだ。

「羽毛田長官は1965年に京大法卒業後、厚生省に入省。老人保健福祉施設局長、保険局長などを経て、99年に事務次官に上り詰めた。01年に宮内庁次長に横すべりし、05年から現職を務めています。次官時代は年収2500万円でしたが、宮内庁長官はその上を行く。国家公務員特別職で、副大臣や官房副長官と同等です。俸給月額145万円に諸手当を含め、年収3000万円に迫るでしょう。厚労省を辞めるまでの給与・退職金が約5億円なので、宮内庁での上積み分を考えると、生涯賃金8億円は下らないでしょう」(霞ヶ関事情通)

絵に描いたようなキャリア官僚だが、96年には岡光序治(おかみつ・のぶはる)らとともに、飲食接待問題で処分された“スネ傷”官僚でもある。何より、年金や医療など日本の厚労行政をぶっ壊した“戦犯”だ。国民からすれば「フザケルナ!」だが、羽毛田長官の今回の“暴走”には、クビをかしげる向きもある。

関係者が言う。

「彼は典型的な官僚気質のイエスマンですよ。おとなしくて政治的野心も強くない。一連の発言には驚きました。小泉政権時代の05年4月に宮内庁次長から長官に昇進したが、誰かに言わされているのではないか」

犯罪者ゾロゾロ、宮内庁のデタラメ実態

この一件で、宮内庁という特殊な役所にも注目が集まっている。職員は総勢約1000人。長官や侍従長ら特別職52人のほか、987人の一般職員がいる。「数が多すぎる」という批判もあるが、宮内庁は予算を含めて“アンタッチャブル”。そのトップが「自分が偉い」とカン違いしたって不思議ではない。

「宮内庁では事務をあずかる長官官房や管理部は通称『オモテ』、皇室を世話する侍従職や東宮職などは『オク』と呼ばれ、互いに『あっちがやっていることは知らない』と保身に走りがちです。また、長官官房には他省庁からのキャリア出向組が多く、彼らはみんな腰掛け感覚。一般職員との間に溝もある。そもそも長官からして、厚労省や警察庁など旧内務省系官庁の天下り指定席です。組織がグチャグチャだから、事なかれ主義が横行しています」(皇室ジャーナリスト)

閉鎖的で浮世離れしているせいか、不祥事もゾロゾロだ。今年8月にも都内で警官を殴った職員が逮捕されたばかりだが、昨年は本を万引きした職員が捕まっている。01年には、ひき逃げした相手を死なせた職員、04年もひき逃げで老人にケガを負わせた職員が捕まった。06年には職員が無免許運転で事故を起こし、処分も公表されなかったと週刊誌に報じられた。

職員数1000人にして、この犯罪率の高さは異常だ。トップの羽毛田長官は皇室のことを考えるなら、まず組織改革に心血を注いだらどうか。

(日刊ゲンダイ)

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>トップの羽毛田長官は皇室のことを考えるなら、まず組織改革に心血を注いだらどうか。

そんなこと変態ジイには無理だって、税金の無駄遣いの極み、人件費を使いまくりなんだから。

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天皇特例会見 - Wikipeda

ウィキは当初の情報リークがすべて羽毛田変態ジイの手中にあったと記さなければならないぞ。

産経新聞なんか2ちゃんねるを見て記事を書いているからな。


四面楚歌

2009-12-18 | weblog

Early Catch

 

四面楚歌 (しめんそか)。

四方から楚の歌が聞こえてくる。

敵の中に孤立して、味方がいないこと。周囲が敵(または、反対者)ばかりで味方がいないこと。孤立無援。

中国秦代末、楚の項羽の軍は、垓下で劉邦(のちの漢の高祖)に包囲され、垓下の城壁に篭城することになった。兵は次第に少なくなり食料は尽きてしまった。そのとき、劉邦は深夜、四方を取り囲む漢軍に楚国の歌を歌わせた。項羽はそれを聞いて、「漢はすでに、楚の地を全て自分のものにしたのだろうか。敵陣に楚の人が何と多いことか。楚の民はもはや漢軍にくだったのか」と驚き嘆いた。

項羽はこの垓下の戦いで大敗し、四面楚歌の中を脱するも、呉の直前の烏江で自害した。一方、劉邦はその後、中国全土を掌握し、漢を建国し、高祖としてその名を歴史に轟かせることとなった。

出典:司馬遷「史記」

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四面楚歌は漢の軍師張良による項羽の戦意を挫くために策略。

人は追いつめられると項羽であろうとも冷静な思考が出来なくなって策略にハマるのだ。

 

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ビザのために日本人男性と結婚した中国人女性、その心の内は?―日本華字紙

2009年10月27日、日本の華字紙・日本新華僑報は、日本での長期滞在ビザを得る目的で日本人男性と結婚した中国人女性の手記を掲載した。

東京・池袋で暮らしていた筆者は、間もなく迎えるビザの有効期限に頭を悩ませていた。追い詰められた筆者に残された道はただ1つ。それは「日本人男性との結婚」だ。筆者は斡旋業者の紹介で相手の男性が住む石川県の能登にやって来た。男性はかなり年上で寡黙な人。数日間の滞在で分かったことは男性がほぼ1日中、本や新聞を読んで過ごしていることだけだった。しかし、筆者は「他の日本人男性を選んでもあまり変わらない」と自分に言い聞かせる。多くの友人は「とりあえず3年間の滞在ビザを取るまでの辛抱。その後にゆっくり別の人を探せば良い」とアドバイスしてくれた。

しかし、筆者はこの結婚を単に生きるためのものにはしたくない。どちらにせよ残りの人生にゆっくり結婚相手を探す時間の余裕がないことは分かっている。だったら、穏やかで教養があり、経済的にも余裕があるその男性との結婚生活を楽しめばよい。共に暮らすうちにやがて情も湧いてくるだろう、と筆者は今、思っている。

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中国関連のlivedoorニュースを見ていたら上記を発見。滞在ビザ目的で偽装結婚する女は大体ビザ取得まで我慢して離婚するのがオチ。現在、フィリピンパブで働くフィリピン人女性はそんなのバッカリ。

そういえば昔、友人Hが中国人パブで知り合いになった女と一緒に副業で結婚斡旋業を短い期間やっていた。その子もやはり斡旋業者の紹介で地元大手企業のサラリーマンと結婚、数年して離婚した。

ある日Hの事務所へ行ったときHは急な用事で出掛けていて中国人の女が一人でいた。

事務所でしばらくHを待っていると突然その中国女が語りかけてきた。何を言うのかと思えば、「昔、日本は中国に酷いことした、中国人を大勢殺した」と江沢民時代の反日教育を話出して驚いた。

結局、その子は中国へ帰りHは結婚斡旋業をヤメたのだが、聞けばHにもことあるたび反日教育を語っていたそうだ。東南アジアのビザ目当てで偽装結婚する女たちとは根本的に異なると思った。

 

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日米関係、楽だった結婚が三角関係に変わってしまった(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース



最近の東京は、眉間に皺をくっきり寄せたアメリカ人だらけだ。アジアにおけるアメリカの優越性が、中国の台頭に脅かされている。バラク・オバマの政権は、アジア地域における中心的存在としての地位を守ろうと、大戦略を探し求めている。そんな中で今度は日本が、長きにわたり続けてきた米政府との安全保障同盟について、内容の再検討をアメリカに要求しているのだ。

アメリカが懊悩する直接的な原因は、沖縄の米軍基地移設を巡る議論だ。しかし紛糾する議論の背後には、両国のものの見方が乖離しつつあるという事情が横たわる。はっきり言えば、日本で新たに政権を握った新世代の政治家たちは、米政府が自分たちに割り振った従属的な役割を拒否しているのだ。

鳩山由紀夫代表率いる民主党の勝利は、自民党による約半世紀にわたる一党支配に終わりを告げ、日本政治に革命をもたらした。日本の政治権力が、アメリカの忠実な仲間だった自民党から対抗勢力に移ってしまったことの重大性を、米政府は把握しかねている。

自分たちを取り囲む地政学的な情勢変化にどう対応すべきか、両国の考え方は食い違ってきている。基地問題をめぐる議論はいわば、その食い違いの避雷針のようなものだ。日米両政府が直面する戦略課題は、台頭する中国の地域的野心をいかに抑制しつつ、いかに中国と関係を結んでいくかというもの。日米はこの同じ課題を抱えているのだが、実際にどうするかというのは難しい問題だ。

これまでの日米関係を形作ってきたのは、まずは進駐米軍による占領行為、続いて冷戦下での同盟堅持の必要性、そしてつい最近まで圧倒的に続いていたアジアにおける米国覇権だった。しかし世界は変わり続ける。日米夫妻の寝室にいつしか中国が入り込み、あんなに居心地のいい結婚生活がぎくしゃくした三角関係に様変わりしてしまったのだ。

50年も続く日米安保条約を破棄しろなどとは、誰も言っていない。米軍のプレゼンスと核の傘は、核武装した北朝鮮から日本を守っているし、近代化し続ける中国軍を前に日本の安全を保障している。さらにこの同盟関係を通じて中国は日本の意図を把握するし、同時にアメリカは東アジアに巨大な軍事的存在感を示すことができるのだ。

しかし日米同盟はそもそも、中国が台頭する以前の世界の心理状態をもとに作られたものだ。世界の現状と合わなくなってきていることは、基地問題の紛糾ぶりからも明らかだ。鳩山氏は、普天間の海兵隊ヘリ基地移設合意を再検討すると公約して選挙戦を戦った。そして鳩山氏は今のところ、その公約を守っている。おかげでワシントンは落胆しているのだ。

合意は可能だと考える日本政府関係者はたくさんいる。日本の防衛相は、総理とは違うことを言い始めて、心配する米政府を安心させようとしている。とある日本政府高官は私に、オバマ大統領と鳩山首相がコペンハーゲンの国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)に出席した際に、合意妥結があり得るかもしれないと話した。しかし米政権の不器用な外交努力は、もっと深い対立を浮き彫りにしてしまっている。米政府は日本の民主党政権に対して、自国民への有権者よりも、前政権がワシントンと交わした約束を優先しろと要求。これでアメリカは恥知らずな覇権国家に見えてしまっている。加えて、ロバート・ゲーツ国防長官の上からしかりつけるような口調は、マッカーサー将軍の戦後統治を連想させる。

カート・キャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)などそのほかの米政府関係者は、それに比べるとまだ穏やかだ。オバマ氏も訪日中に日本を安心させる発言をした。しかしその一方で米政府関係者は水面下で、民主党のやっていることは日米同盟を脅かすとほのめかし、強圧的な態度に出ているのだ。

おまけに鳩山氏は日本政府にもっと「対等」な発言権を与えるよう日米関係の再調整を求めており、おかげで米政府はますます苛立っている。鳩山氏はアメリカ式の「市場原理主義」が世界的金融危機のきっかけだったとも批判し、欧州の方がより良い社会・経済モデルを提供しているとの考えを示した。加えて、在日米軍に与えられる特権をめぐり日本人がかねてから抱いていた不安や不満が、普天間基地をめぐる議論を機に再燃しているのだ。

民主党政権はさらに、アフガニスタンにおける米軍主導の多国籍軍にインド洋で給油する自衛隊の活動を停止すると宣言。代わりにアフガニスタン復興への金融支援を増やして穴埋めをすると発表している。

しかし米政府はどうやらアジアにおける新しい多国間関係を探る議論に鳩山氏が提起した内容に、何よりも慌てたらしい。鳩山総理が提言した東アジア共同体は中国と日本を中心にし、アメリカを除け者にするかのような言説だった。対して米政府は、除け者にされることを好まない。

アメリカで教育を受けた鳩山氏は、反米論者ではない。裕福なエスタブリッシュメント一族に生まれた鳩山氏は、生まれついての過激主義者でもない。鳩山氏の曾祖父も祖父も父も皆、そろいも揃って政府の要職を務めている。日本政治は依然として相当に世襲的なシステムなのだ。

また鳩山氏は、日米両政府の同盟関係を根本的に弱体化させようなどと提案しているわけでもない。東京財団と米ジャーマン・マーシャル・ファンドが共催した公開フォーラムにこのほど参加した私は、鳩山氏は詳細な政策を提示しているというよりは、自分が直感的にこう思うという内容を思う付くままに口にしているだけだという印象を受けた。

鳩山氏は(支援者の間でも)大風呂敷を広げる政治家と言う評価を得ている。細かいディテールには関心がないし、自分の言うことに一貫性がなくても気にしない。日本政界のエスタブリッシュメントにおいて、民主党支配はしばらく続くだろうが鳩山氏自身の存在は流れ星のようなもので、今のきらめきは一瞬にして過ぎ去る類いのものだろうと言う人は大勢いる。

しかしたとえどうであれ鳩山首相は、避けがたい戦略的な転換を言語化しているのだ。つまり中国の台頭によって日本は好むと好まざると関わらず、西洋的な国家である度合いを減らして、今まで以上にアジア的な国家にならなくてはならないのだ。日本は中国を恐れている。しかし同時に、米政府に対して前ほど従順ではなくなっている。鳩山氏がどういう形の新しい日米関係を考えているのか曖昧ではあるが、その基本概念は間違っていないはずだ。

日米中の三角関係において、アメリカと日本はすでに自分たちの役割についてそれぞれ違うことを考えている。アメリカは日本との同盟関係に加えて中国と戦略的な関係を築き、それによってアジアの均衡勢力になろうとしている。一方で日本は、自分たちが米中の間の橋渡しを担うという別の在り方を求めている。こうした単純な図式はもちろん、現実にはなかなかあり得ない。それにはそもそも日中関係が、過去の暗い歴史の影から抜け出さなくてはならない。しかし物事は今まで通りではいられない。アメリカ人の眉間の皺は、当分なくならないだろう。

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「アメリカは日本との同盟関係に加えて中国と戦略的な関係」とは日中国交回復で毛沢東と田中角栄が会談した際、毛沢東の方から戦略的な関係を築こうと提案したことを米国がG2体制でやろうとしている。

毛沢東の戦略とは1974年、国連で小平が演説した「三つの世界論」であり、それは米ソ冷戦時代、米国とソ連の二超大国を第一世界、ヨーロッパと日本の先進国を第二世界、アジア・アフリカ・中南米の発展途上国を第三世界と規定し、第三世界が団結し、第二世界を味方につけて第一世界に対抗するというものだ。

その後、田中角栄は毛沢東の戦略に沿った形で米国によって支配されているエネルギー資源を独自で獲得するため世界の油田を渡り歩き、米国の怒りを買い、ロッキード事件で失脚するワケだ。しかし今、田中角栄の弟子である小沢さんが田中角栄と毛沢東ができなかった戦略的な日中関係を米国より先に築きつつあるから歴史の因縁を感じざる得ない。もし小沢さんが失脚すればそれは米国の陰謀だろう、歴史は繰り返すのか。

戦略的な日中関係はフィナンシャル・タイムズも指摘しているように「過去の暗い歴史の影」がネックであり、友人Hの中国女もそうだったけど江沢民時代の反日教育は末代まで尾を引くだろう。

 

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習近平副主席訪日の天皇特例会見のこと - 極東ブログ

さすが、終風ジイ様、中国側の権力争いに踏み込んだ読み応えがある記事。

字数制限があるので転載できないから興味のある人はクリックしてチョンマゲ。

中国に恩を売った小沢さんの見返りに終風ジイ様は興味を示しているが、それは中国美女でござる。


一敗塗地

2009-12-17 | weblog

Manila Bay

 

一敗塗地

一敗地に塗(まみ)れる。

戦いに負けて肝臓や脳が飛び出し、あたり一面に飛び散ることから、失敗して収拾がつかなくなること。

秦二世元年(209年)、秦朝の統治に抵抗するために、陳勝・呉広が大澤郷でむしろ旗を立ち上げ、他に多くの郡県の民も蜂起していた。沛県知事も蜂起しようと思い、沛県の山中に身を隠している劉邦(後の漢の高祖)を呼ぶつもりであったが、後に考えを変えて、劉邦が町に入ることを阻んだ。劉邦は県民に手紙を書いて、県知事を殺すように示唆したので、県民は知事を殺して、劉邦を迎え、さらに県知事になるように頼んだのである。

劉邦は「世はまさに乱れて、諸侯がてんでに蜂起しているだけに、ここで、もしも適当でない人物を選んだら、一敗地に塗れることになるから(完全に叩きのめされて収拾がつかなくなる)、やはり他の能力のある人材を選んでもらいたい」と謙遜して言った。しかし、県民の意向で、結局劉邦が沛県知事になったのである。

出典:西漢・司馬遷「史記・高祖本」

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戦いで脳ミソや臓モツが辺り一面飛び散るとは映像的にグロテスクで強烈なインパクトがある。

なるほど失敗したら収拾がつかなくなる。

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さて、一連の陛下特例会見騒動は奸臣羽毛田が日本人の嫌中感情を巧みに利用したって感じだ。

では、羽毛田に政治的野心があるのかと言えばそれはない。あるのは自己保身という官僚病だけ。

なにしろ羽毛田はノーパンしゃぶしゃぶに狂っていた変態ジイさんだからな。

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異例の陛下会見 中国:「最高級儀礼で中国に親近感 日米同盟を破滅へ」

大紀元

政府は11日、外務省の記者会見で、中国胡錦濤国家主席の最有力後継候補とされる習近平国家副主席(56)が14日から3日間の日程で日本を公式訪問し、鳩山首相との会談、ならびに天皇陛下との会見を行うと発表した。習近平国家副主席と天皇陛下との会見は、15日に慣例を踏まずに急きょ決定した。この異例の会見に、国内で「政治的な利用」であるとの批判が高まっている。

一方、中国側は、「日本政府が天皇の儀礼原則を破り、習近平国家副主席を温かく接待することになった」と報道、「民主党政府が日米同盟を破滅への道に追い詰めながらも、中国に最高級の礼儀を提供することで、中国に親近感を示す姿勢である」と大きく宣伝している。

「天皇陛下との会見の申請は(慣例では)1か月前までに行う」とする内閣の取り決めを破り、中国・習近平国家副主席との会見が設定されたことで宮内庁に危機感が広がっている。宮内庁・羽毛田長官は11日、記者会見で、天皇陛下の政治的利用につながるのではとの指摘に、「大きく言えばそういうことになる」と不快感を表明した。平野官房長官から直接、「ルールは理解するが、日中関係の重要性にかんがみ、ぜひ」と2度も電話で強く要請された経過を明かし、「陛下の国際親善は政治的な重要性や判断を超えたところにあり」、「天皇陛下の役割について非常に懸念すること」とつらい思いを語った。

これに対して岡田外務大臣は、「1か月ルールは、陛下の健康を考えて設けられていると承知している。その陛下の健康に支障がないということで、今回の決定がなされた」と述べた。

鳩山首相は11日、「諸外国と日本との関係をより好転させるためで、天皇陛下もできれば(会見)との話で、『政治利用』という言葉はあたらない」と述べたが、会見を特例的に実現するよう指示していたのは民主党の小沢幹事長で、首相側に会見実現を強く要請していたという。

一方、中国側の情報筋の話によると、天皇陛下との会見が実現できなければ、習近平副主席の面子(メンツ)を損なうことになるので、関係者が責任を問われることになる。そこで、民主党の小沢幹事長のルートを通して、鳩山首相に働きかけ、今回の会見が実現できたという。

対外宣伝を趣旨とする中国の政府報道機関「中評社」12日の報道によると、中国側の関係者の話では、今回の会見は慣例を破っていることを中国側が自覚していながら、外交部王光亜副部長が今月初め、北京の日本大使館幹部に、習近平副主席の日本訪問の成功は、天皇陛下との会見が実現できるかどうかにかかっていると圧力を掛けた。それを受け、小沢幹事長が8日、鳩山首相に電話で、「面会しないといけない」と話したという。

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中国は「日米同盟の破滅」と報道したらしいが大袈裟。米国は占領国をそう易々とは手放さない。

 

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「小沢さんこそ憲法よく読んで」志位委員長(読売新聞) - goo ニュース

共産党の志位委員長は15日、民主党の小沢幹事長が天皇陛下と中国の習近平国家副主席との会見を天皇の国事行為だと指摘したことについて、「憲法をよく読むと国事行為として厳格に定められている項目があり、外国の賓客との会見は入っていない。公的行為だ。小沢さんこそ憲法をよく読んでほしい」と批判した。

都内で記者団に語った。志位氏はさらに、「政府がこの問題に関与したことで、政治的性格を与えてしまった」と語り、会見実現を宮内庁に求めた鳩山首相や平野官房長官らの対応も問題だとした。

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憲法秩序に反しているのは宮内庁

国事行為の憲法論議については上記を参照することにして、党綱領で将来、天皇制廃止を掲げている共産党委員長が「国事行為ではなく公的行為だ、憲法をよく読んでほしい」と言ったのは笑える。

そもそも明治憲法下の共産党は憲法の礎となる英国を手本とした立憲君主制をブルジョワ君主専制と曲解、天皇制なる言葉を作り出し、それを打倒してプロレタリアート独裁を訴えていた。新憲法になっても共産党は天皇に政治権力を持たせるとまた侵略戦争を始めるから天皇の政治利用を監視しなければならない、天皇制=反民主主義=悪だという考え方だ。共産党が「憲法をよく読んでほしい」と言うまえに立憲君主制を学習しろ突っ込みたいが、それは無駄。今回は中国共産党の次期主席との特例会見だから微妙な立ち位置だったのだろう。

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ホントは立憲君主制について深い考察をする予定だったけど山本一太のツイッターだ。

http://twitter.com/ichita_y

角川春樹が消滅してしまった。つなぎで一太だ。一太のブログはツマランがツイッターはイケル。

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沖縄にカジノ特区を=国民新・亀井氏(時事通信) - goo ニュース

国民新党代表の亀井静香金融・郵政改革担当相は16日、党本部での記者会見で、沖縄振興のため、国内で禁止されているカジノを沖縄に限って認めるよう政府内で検討すべきだとの考えを示した。亀井氏は「カジノを特区でやればいい。一大レジャーランドになって、世界中からわんさと(人が)集まって、県民所得が上がる」と語った。

同党幹部によると、亀井氏は11日に鳩山由紀夫首相と会談した際、この構想を伝え、首相も賛意を示したという。

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亀ちゃんのこの発想はイケテル。実現してほしい。