「関西」には最初からうらみがこもっている・・・

2024-09-04 20:11:18 | 日記
忘れないため、以下に記す。『関西とは京阪神都市圏とその後背地のことをさす。ただ、コトバとして独立性をもたない人文地理用語ではないかと。いうまでもなく、関東の対語である。関東とは主として首都とその後背地のことだろう。関西ということばが日常語として定着するのは、関西が日本経済に対する圧倒的な主導力を東京にうばわれた明治後のことである。当然ながら関西というコトバには、最初からうらみがこもっている。かっての栄華や伝統文化への自賛と現状についての卑弱感、あるいは中央への隷属意識というひらきなおった優越感、さらには甘ったれた孤立感もあれば、行儀作法のルーズさまでふくめてさまざまな感情の音響がこめられている。関西の可能性はこの複雑な音響のなかにあるといえる。そこへゆくと、関東(あるいは東京)という語感は、関西という対語の基準があるだけに、色でいえば単色であり、単色のもつ力づよさがあり、ときに力そのものである。愛憎並存(アンビバレンス)の心理から、いたけだかな優越感のあらわれとしてもつかわれる。ある場合にはしおれた草花のようにくびをたれている。かとおもうと、他の場合では豹のように草原を走っている。ことばそのものが病気にかかっているようだ』(司馬遼太郎が考えたこと⑫より)と。これまで「関西」は単なる地域を示す表現だと思っていたが、さすが司馬遼太郎氏の慧眼に敬服した。きょうの楽しかったことは、○H局職員研修「マネジメントとメンタルヘルス対策」(13:15~17:00)進行シナリオで設定した時間通りに進行できたこと、○Netflix配信『LOST』(米2010)シリーズ③~⑤展開が早くて面白い作品。○研修終了後、自分への褒美としてビール&鮨、うまかったことだ。(9,800歩)

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