忘れないため、以下に記す。『朝の空気を味わったのは?おいしい料理をたべたのは?裸足で草のうえを歩いたのは?青い空をながめたのは?それらはすべて、もしかしたら二度と得ることのできない貴重な経験になるかもしれない。死にゆく人たちが「もう一度だけ星空がみたい」「もう一度、しみじみ海をながめたい」というのを雑誌で読むといつもハッとさせられる。海のそばに住んでいる人はたくさんいるが、しみじみ海をながめ海を味わいつくす人はほとんどいない。ほとんどの人は空の下に住んでいながら星をながめようとしない。わたしたちはほんとうに人生にふれ、味わい、堪能しているだろうか?非凡なものを、とりわけ平凡のなかにある非凡なものを感知しているだろうか?経験すべき人生をもう一日だけ与えられたのだと思い、その一日をフルに実感できたのはいつだっただろうか?今の人生とおなじ人生は二度と手にすることができない。この生活を経験することも二度とできない。すべてはきょうの生かぎり…』と。最後にもう一度だけみたいと願うようになるときまで、待つ必要はない。ホントに一寸先は闇なのだから。きょうの楽しかったことは、○一カ月ぶりのM整形外科でのレントゲン撮影による診察とリハビリ、異常なしだったこと、○Netflix配信『ブラックベリー』(米2023)スマートフォンの発明に貢献した企業ブラックベリー社の急成長と衰退までを実話を元に描いた作品。○家人特製の鉄板焼き、ウマかったことだ。(11,360歩)