人物観察法については、言志録に「初見の時に相すれば人多く違わじ(=初めて会った時によくその人を観れば多くは誤たぬもの)」と。孟子の人物観察法に「人の眼によってその人物の如何を鑑別するもので、心情の正しからざるものは何となく眼に曇りがある。心情の正しいものは、眼がはっきりとして淀みがないから、これによってその人の如何なる人格であるかを判断せよ」と。つまり、人の眼をよく観ておきさえすれば、その人の善悪正邪はたいてい知れるものだと。孔子の人物観察法は、「その以いるところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞ瘦(かく)さんや」と。要するに、「人を真に知ろうとするには、視、観、察の三つをもって人を識別せねばならない。視は単に外形を肉眼によって見るだけのこと、観は外形よりもさらに立ち入ってその奥に進み心眼を開いて見ること。簡略的に言えば、まず第一にその人の外部に顕われた行為の善悪正邪を相し、それよりその人の行為は何を動機にしているものかをしっかり観て、さらに一歩を進めて、その人の安心はいずれにあるか、その人は何に満足して暮らしているか等を知ることに詰めれば、必ずその人の真人物が明瞭になるものだ」と。言い換えれば、如何に外部に顕われる行為が正しく見えても、その行為の動機になる精神が正しくなければ、その人は決して正しい人であるとは言えないと。まず人の眼を見て、言動を視て、その動機を観て、察することで人物を判断することなのだ。きょうの楽しかったことは、○水月公園梅林エリアに白梅、紅梅、枝垂れ梅などにぎやかに咲きはじめたこと、○YouTube講談師神田伯山「寛永の宮本武蔵伝」1~17席まで2日間で鑑賞、さすがに面白かったこと、○幕の内弁当、うまかったことだ。(13,340歩)