互いに見る夢の中で行ったり来たり、自由に通い合うという言葉である。
離れて居てこそ、このような夢物語が叶わぬ願望として言葉が口を突いて出てくるのだ。
夢通ふ 道さえ絶えぬ 呉竹の ふしみの里の 雪の下折れ
新古今和歌集・冬・藤原有家
そのせいなのかどうかは分からないが、否定的な表現が多い。
あくまでも叶わぬ願望なのだ。
それで良いのではないかと思う。
現代のように呆気なくも、音声も映像もPCにカメラを取り付けるという工夫さえすれば幾らでも伝える事が出来るのだ。
必要が有っての事なのだろうが、そのお陰で失ったものがある。
”心を養う・魂を育てる”っていうこと。
自分の心の中で反芻し、考え、時間を掛けて大切なものを育てるという工夫と我慢をしなくても済むようになったのだ。
一見良い事のように見えるものの、その実、人が人として成長するために失ったものは大きい。
離れて居てこそ、このような夢物語が叶わぬ願望として言葉が口を突いて出てくるのだ。
夢通ふ 道さえ絶えぬ 呉竹の ふしみの里の 雪の下折れ
新古今和歌集・冬・藤原有家
そのせいなのかどうかは分からないが、否定的な表現が多い。
あくまでも叶わぬ願望なのだ。
それで良いのではないかと思う。
現代のように呆気なくも、音声も映像もPCにカメラを取り付けるという工夫さえすれば幾らでも伝える事が出来るのだ。
必要が有っての事なのだろうが、そのお陰で失ったものがある。
”心を養う・魂を育てる”っていうこと。
自分の心の中で反芻し、考え、時間を掛けて大切なものを育てるという工夫と我慢をしなくても済むようになったのだ。
一見良い事のように見えるものの、その実、人が人として成長するために失ったものは大きい。
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