「つわもの」という言葉に「「軍」と「兵」それぞれの漢字が当てはめられる、という話(5)は既にした。
斧を両手で持った形が「兵」であると言う事も述べた。それはまさに、最前線で直接戦闘を行う生々しい漢字の成り立ちを表している。武器を手に持って、並べ合わせて敵に向かう兵隊なのである。
この兵を扱う役所を古代「兵部省」と言った。中国では隋の時代以降も長官を「兵部尚書」、次官を「兵部侍郎」、定員外の属官を「兵部員外郎」などと言い、「国防省」・「防衛省」という単体とした国家を意識した呼称ではなかったのは当然と言えば当然なのかも知れないのだが。
律令の時代を待つまでもなく、大小それぞれの首長は自分の支配地域に於ける徴兵権を持ち、戦争を起こす時には自前の武器を持参させて戦にあたったのである。
集落というか国というかは別にして、支配的地位にある者が権力にモノを言わせて兵を組織したのであって、組成員自体の自発的意志で集まったものでは決してない。
擬似的な自発的様相を示すのは極々最近の事と考えなければならない。
「国」を守るのだという意識を「愛国心」というとすれば、これは一方的な押しつけであってはならない事は言うまでもない。あくまでも外部からの圧力や攻撃を受けるかといった危機感を感じるかという自体の中で醸成される筈のものなのだと考える。
気を付けるべきは愛国が偏狭な民族主義に先鋭化する「愚」をおかしてはならない事である。排他的な民族主義は独善的な専制下への道でもある。
では、この思想的な危険性を除去しつつ、日本という国家を安定的に保つ為にはどうすれば良いのだろうか。
その一つの考え方として、常に言うのだが“市民革命”なのだ。と言っても、嘗ての近代化を形成する過程でのそれではない。似ているというか、その核心の部分は「我々の手で!!」という事なのだ。
この社会とこの郷土たる国土を危機から守り救う当事者は我々自身なのではではないかと言う事なのだ。
その意識は植え付けられるものではなく、学び獲得して国民的合意の上に成立したものだという前提なのである。
なにも徴兵制を敷いて国民皆兵などと言う時代錯誤に落ち込む必要はない。永世中立という理念も時としてあり得るのだが、スイスに於いてそれを可能にしてきたのも定期的な兵役義務があってこそなのだ。
そう言う意味で、現在の日本に於いても退役自衛官の「即応予備自衛官」は勿論の事、「予備自衛官補」集団の確立と拡充と質的充実は時代の要請でもあると思うのだが、これを過激というのだろうか?
斧を両手で持った形が「兵」であると言う事も述べた。それはまさに、最前線で直接戦闘を行う生々しい漢字の成り立ちを表している。武器を手に持って、並べ合わせて敵に向かう兵隊なのである。
この兵を扱う役所を古代「兵部省」と言った。中国では隋の時代以降も長官を「兵部尚書」、次官を「兵部侍郎」、定員外の属官を「兵部員外郎」などと言い、「国防省」・「防衛省」という単体とした国家を意識した呼称ではなかったのは当然と言えば当然なのかも知れないのだが。
律令の時代を待つまでもなく、大小それぞれの首長は自分の支配地域に於ける徴兵権を持ち、戦争を起こす時には自前の武器を持参させて戦にあたったのである。
集落というか国というかは別にして、支配的地位にある者が権力にモノを言わせて兵を組織したのであって、組成員自体の自発的意志で集まったものでは決してない。
擬似的な自発的様相を示すのは極々最近の事と考えなければならない。
「国」を守るのだという意識を「愛国心」というとすれば、これは一方的な押しつけであってはならない事は言うまでもない。あくまでも外部からの圧力や攻撃を受けるかといった危機感を感じるかという自体の中で醸成される筈のものなのだと考える。
気を付けるべきは愛国が偏狭な民族主義に先鋭化する「愚」をおかしてはならない事である。排他的な民族主義は独善的な専制下への道でもある。
では、この思想的な危険性を除去しつつ、日本という国家を安定的に保つ為にはどうすれば良いのだろうか。
その一つの考え方として、常に言うのだが“市民革命”なのだ。と言っても、嘗ての近代化を形成する過程でのそれではない。似ているというか、その核心の部分は「我々の手で!!」という事なのだ。
この社会とこの郷土たる国土を危機から守り救う当事者は我々自身なのではではないかと言う事なのだ。
その意識は植え付けられるものではなく、学び獲得して国民的合意の上に成立したものだという前提なのである。
なにも徴兵制を敷いて国民皆兵などと言う時代錯誤に落ち込む必要はない。永世中立という理念も時としてあり得るのだが、スイスに於いてそれを可能にしてきたのも定期的な兵役義務があってこそなのだ。
そう言う意味で、現在の日本に於いても退役自衛官の「即応予備自衛官」は勿論の事、「予備自衛官補」集団の確立と拡充と質的充実は時代の要請でもあると思うのだが、これを過激というのだろうか?
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