空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 中編⑤

「沖縄戦」から未来に向かって 第2回④


 前回は「当事者たちが変換した」場合と、「編集スタッフが変換した」場合という仮説を提示しました。今回はそれぞれをもう少し深く掘り下げてみたいと思います。

 「当事者たちが変換した」場合についてですが、変換した瞬間というよりも、変換した時期といったほうが適切ではないかと思われます。つまり、「自決命令」の噂やデマが事実に変換された時期がいつだったか、ということになります。

 「移動しなさい」「避難しなさい」「集合しなさい」といった軍や村からの命令または指示が、何らかの作用によって「自決せよ」という噂やデマになり、渡嘉敷村長以下村民の誰もがそれを信じた現象そのものを特定するのは、その性質上非常に難しいことであり、未来永劫不明のままになってしまうかもしれません。
 ただし「鉄の暴風」という観点を主軸にした場合は、その前後にポイントを絞ればいいのでありますから、比較的簡単に仮説を提示することが可能だと思われます。

 「鉄の暴風」が製作される前に噂やデマが信じられていたのならば、その影響がノンフィクションという体裁であるはずの「鉄の暴風」にも反映されているはずです。一方で「鉄の暴風」製作後であるならば、「鉄の暴風」自体によって、あるいは「鉄の暴風」が原因となって「変換」されたゆえに、「鉄の暴風」自体が噂やデマについて何らかの影響を与えているとも言えるのです。


 「人々の認識を無意識のうちに変えたと思われる、その後に起こった価値観や規範の変化に影響されて歪められている可能性があることも考慮に入れなければならない」(ポール・トンプソン 酒井順子訳 「記憶から歴史へ オーラルヒストリーの世界」青木書店 2002年)


 上記の引用はオーラルヒストリーについて、聞き手が注意しなければならない点ということになります。ちなみにオーラルヒストリーというのは「歴史研究のために関係者から直接話を聞き取り、記録としてまとめること」(Wikipedia)ということです。

 集団自決の直前には「自決せよ」といった噂やデマと同時に、他者からの命令等とは別に自ら進んで実行しようという雰囲気も確かにありました。集団「自決」なる所以でもあるということだと思われます。
 そのどちらにウエイトが占められていたのかは全く不明ですが、沖縄戦終了から数年後である「鉄の暴風」の取材時期には、上記引用のような現象が知らず知らずのうちに当事者たちに起こり、結果的に「自決せよ」や「自決命令が出た」ということのみが残ってしまった可能性を示唆できるのではないでしょうか。つまり赤松大尉の自決命令が当事者たちの間で、上記引用の理由、すなわち年月の経過により無意識に既成事実化されてしまったのです。

 取材時において当事者たちが自決命令の既成事実化を、それぞれの意思や言動で表明し、かつそれが共通認識になっていたとなると、ノンフィクションであるはずの「鉄の暴風」に反映されるのは、当然のごとく「赤松大尉の自決命令」となるのではないでしょうか。現にそれが明記されております。

 「当事者たちが変換した場合は誤認である」というは、当事者間によって何らかの作用で噂やデマが事実になり、それが「鉄の暴風」の取材スタッフによって具現化されたもの、という仮説が成立するということです。これは集団自決直前だとしても数年後の取材時でも変わりはないと同時に、変換された時期を特定できることは不可能なことではないかと思われます。
 また、噂やデマを「信じてしまった」責任を当事者たちに追及するものではありません。そもそも、責任を負わそうとすること自体がナンセンスだと思います。ただし、当事者が意図的に虚偽をしていた場合は別です。

 次は「編集スタッフが変換した」場合についてです。

 繰り返しになりますが、赤松大尉からの自決命令が「でたかもしれない」「でたようだ」というような噂やデマがあったと同時に、命令の有無に関係なく自ら率先して実行しようという意見、あるいは雰囲気があったというのが、集団自決実行直前の状況だったと思われます。
 そういったことをふまえて、当事者たちにも命令の有無が不明だという共通認識が、実行直前だけではなく、数年経過した戦後も続いていたという仮定が適用されるのであれば、それは「鉄の暴風」の取材時でも状況は変わらない可能性が高いのではないでしょうか。
 つまり戦後になっても「自決命令を信じていた」や「命令があったかもしれない」という曖昧模糊な状況が、当事者たちの基本的な共通認識だったにもかかわらず、何らかの作用や理由、あるいは独断による取材スタッフの判断によって、赤松大尉が自決命令を出したと明記したのではないか、ということになるのです。命令が出たことを「信じて」いたとはいえ、結果的に命令が出たかどうか当事者にもわからないのに、命令が出たと勝手に「変換」してしまったということです。

 事実ではないことを事実と明記すれば、それは間違いなく捏造であることは、特に論ずるまでもありません。
 「鉄の暴風」の取材時期に「自決命令があったと信じた」や、「あったかどうかわからない」というような、集団自決に対する不明瞭な当事者たちの証言があったのならば、ノンフィクションという体裁を維持する以上、その不明瞭さを明記すべきです。しかし「鉄の暴風」には赤松大尉の自決命令が明記されております。

 自決命令の証言について不鮮明や不明瞭さがあったのが事実ならば、という条件付きになるのですが、そういったものを第三者的な存在である取材スタッフが、どのような理由であれ「命令が出た」と恣意的に「変換」した場合は、事実ではないことを事実として認定してしまったということになります。常識的に考えれば、それは捏造ということになります。
 そういうことになるのであれば当然のことながら、この場合は「鉄の暴風」側が訂正やその周知・通知という責任を負わなければなりません。


 曽野氏と太田氏の論争、あるいは「ある神話の背景」と「鉄の暴風」における最大の争点である「自決命令の有無」や、キーパーソンである渡嘉敷村長の置かれた状況に空白がある点を鑑みた仮説を二つ提示しましたが、そのどちらかが適切なのかは判断ができません。少なすぎる史料からの仮説や推測で成立しているのでありますから、後日新史料の登場等によって、これら以外の仮説が複数提示できるかもしれません。

 今ここでいえるのは自決命令に対するデマや噂が、どんな理由であれ既成事実となった瞬間や時期が重要であり、誰がそれを「変換」してしまったのかという疑問があるということです。また曽野氏と太田氏の論争では、それが核心部分に繋がることでもあるということと、デマや噂について個人的見解である二つの仮説を提示するだけにとどめます。

 以上をもちまして個人的な見解を一旦終了し、曽野氏と太田氏の論争に関する考察へ回帰したいと思います。


次回以降に続きます。

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