goo blog サービス終了のお知らせ 

空と無と仮と

沖縄・日本史・ミリタリーなど、拙筆ながら思ったことをつれづれと、時には無駄話、時にはアホ話ってなことで…

1990年代の沖縄旅行 「ひめゆり」戦跡巡り① 南風原陸軍病院①

2020年04月27日 00時04分12秒 | 1990年代の沖縄旅行 「ひめゆり」戦跡巡り編
私事で恐縮ですが、
沖縄にハマったそもそもの原因というのは、
ミリタリーオタク、
軍事オタクですゆえに沖縄戦もそうなのですが、
やはりインパクトが一番強かったのが「ひめゆり」でした。
「ひめゆり」を中心に戦跡巡りをしていたとも言えますね。

それに東京で沖縄出身の友人ができて、
その友人が沖縄に帰ったことが功を奏したからか、
いろんな意味で行動範囲も広くなったような気がします。
それが自分の1990年代でした。
時に20代…実に楽しかったですね…

というわけで、今回からは「ひめゆり」ゆかりの戦跡を、
自分なりの説明で紹介したいと思います。

といってもタイトル通り1990年代でありますから、
2020年現在からすると、
かれこれ20年くらい前のお話になります。

そういうわけでありますから、
「ひめゆり」をはじめとする戦跡の「今」を、
もっともっとお知りになりたい方や、
沖縄に行ったことがない方、
これから行ってみようとしている方は、
インターネット・ブログ・Youtubeなどなどで、
他の方の情報を検索してくださいな。
そちらのほうが豊富な情報が満載ですよ。




南風原陸軍病院跡に訪れるときは、
いつもレンタカーか友人の車でしたね。
駐車場や駐車スペースがなかったんですよ。
だから、まず「旧南風原文化センター」に行って、
そこの駐車場を利用していました。

現在の文化センターは2009年に移転したものです。
そういうわけですから1990年代は、
南風原小学校の道路を挟んだ向かい側にありました。




参考がてら、当時実際に使っていた地図をアップロードしときます。
現在地とは違う場所だったことがわかります。
南風原道路も建設中ですね。

現在の南風原文化センターはまだ新しいせいか、
立派で大きな施設なのですが、
旧南風原文化センターは、
なんというか、その…
いい意味でも悪い意味でも「ショボかった」です。

一地方自治体で町立なのですから、
予算の都合上、仕方がないかもしれません。
しかも入場無料ですからね。

ただ、展示物はいつも「これだけ?」って感じで…
壕内を再現したコーナーもあったのですが、
なんだか職員さんの慣れない手作りって感じ…

何度も何度も訪れては「リニューアルしたかな?」
なんて、ささやかな期待を込めていましたけども、
結局同じでしたね。
施設自体も現施設より小規模だったような気がします。

それに観光客や平和学習のグループといったものは、
ここではほぼ会いませんでしたよ。
ほとんど自分一人か施設の職員さんか、それくらいでした。
賑わっていなかったことだけは確かです。

もっとも、1990年代の戦跡なんて、
「ひめゆりの塔」や「海軍壕」みたいな観光名所以外は、
いつも閑散としていたという印象が残っております。
ホント、誰もいないんですよね。

ただ誠に勝手ながら、自分はそのような雰囲気が大好きでした。
なんたってゆっくりじっくり観察できますからね。
誰にも遠慮せずに好きなだけですから…

いろんな戦跡が本格的に整備されはじめたのは、
2000年代に入ってからだと思いますよ。
その前は野ざらし状態だったのが普通でした。


次回以降に続きます。

ティッシュやトイレットペーパーの教訓を全く理解していない小池大先生

2020年04月24日 19時33分16秒 | 新型コロナウイルスについて
 スーパー「3日に1回」要請から一夜、朝から買い物客が列…主婦「日持ちする料理作る」

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、東京都が買い物を「3日に1回程度」に減らすよう求めてから一夜明けた24日も、都内のスーパーでは朝から買い物客が列を作った。

 「ナショナル田園」(東京都世田谷区)では、午前10時の開店前から、店前の駐車場に約2メートルごとに置かれたコーン標識に従って、約30人が開店を待った。同店では今月6日から、密閉、密集、密接の「3密」を避けるため、一度に入店する買い物客を20~25人に制限。使用済みの買い物かごやカートの消毒を行っている。

 店を訪れた近くに住む主婦(63)は、買い物の頻度を減らすことについて、「日持ちする料理を作り置きして対応したい」。同店の店長(49)は、「色々な状況のお客様がいるので、可能な範囲でご協力いただきたい」と話していた。

2020/04/24 12:56 読売新聞オンライン


皮肉なもんですね、

「密閉・密集・密接」を避けるためなのに、

東京都自らそれを提供しちゃうのですから…


小池都知事がスーパーマーケットでの入場制限を要請した時点で、

なんか怪しいなと思いましたよ。


そりゃ~さぁ~、

「外食するな」「自宅にいろ」「どこも出歩くな」状態なら、

誰だって食料品がいつもより多くなるに決まってんでしょうに…


そこへきて入場制限だの「アルファベット」順だのしたら、

混乱が混乱を呼ぶだけだっていうのが、

あのティッシュやトイレットペーパー騒動と同じどころか、

更なる大騒動になりかねないって、

あの時から学習していないのでしょうかね?

お店側にも余計な負担がかかるし、

かといって東京都は何もしないんでしょ?

「要請」ばっかりでね…


勿論、感染拡大を防止する手段だということは、

百も承知しております。


しかしこのままだと、

物流や流通さえ止めてしまいかねないような、

そんな勢いがあるんですよね…小池大先生のそこが怖いんです。

もしそうなったら…考えるだけで背筋が凍ります。


オリンピック開催のためか知りませんが、

小池大先生は視野が狭いような気がしてなりません。

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 中編④

2020年04月23日 00時01分39秒 | 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い
「沖縄戦」から未来に向かって 第2回③


 太田氏と曽野氏の論争だけにとどまらず、対立する「鉄の暴風」と「ある神話の背景」全体の矛盾点には空白があり、その空白を埋めない限り矛盾は解消できないと前述しました。そしてその空白とは、集団自決のキーパーソンである渡嘉敷村長の存在であることも提示しました。
 また曽野氏もこの第2回では直接的ではないにしろ、「鉄の暴風」の取材時に元渡嘉敷村長が含まれていた以上、元村長の存在や言動が最重要であるとの認識がうかがわれます。
 そういった曽野氏の主張に対する太田氏の反論は、残念ながら元住民の中に渡嘉敷村長がいたということを「思い出した」だけで、より具体的な内容はまったく提示しておりません。

 提示した矛盾や空白を解消するために、本来であれば太田氏自身の反論、あるいは元渡嘉敷村長や太田氏への直接的な取材等が有効な手段ではありますが、ご両人とも既に亡くなられており、事実上不可能な状態となっております。
 そういったわけで、残された作業は複数ある史料を駆使して空白を埋め、仮説を提示することだけしかありませんので、前回は「元村長は自決命令を聞いていないが、自決命令が出たという噂やデマは信じていた」という仮説を提示しました。

 今回はその仮説を前提にして「鉄の暴風」と「ある神話の背景」に生じた矛盾を解消していきたいと思います。

 集団自決において渡嘉敷村長がキーパーソンであることは、この論争が行われていた以前から既に分かっていたことでした。
 村長であったという公的な立場でありますが、集団自決が決行される直前に村長や村の有力者と思われる人物が集まり、具体的な内容は不明ながら何らかの相談をして、その後村長の「天皇陛下万歳」という号令で手榴弾の起動操作が始まっているのです。
 これら一連の行動は元村長や当事者の証言で複数確認されておりますので、明らかな事実と認定しても間違いはないと思われます。

 つまり渡嘉敷村長はその一部始終どころか、最初から最後まで村長を中心にして集団自決が決行されたといっても過言ではありません。
 ただし決行直前はどうだったのか、ということに関しては実のところ、元村長自ら具体的な証言や史料を残しておりません。残していないがゆえに、今回のような矛盾や論争が起こったともいえるのですが、これ以上は追求いたしません。

 そのような人物が「自決命令は聞いていないが、命令が出たという噂やデマを信じた」ということなのですから、ここからさらにもう一つの仮説を導き出せることが可能になると思われます。
 それは渡嘉敷村長と同じ考えが決行直前の「共通認識」だったのではないか、という仮説です。つまり村長までもが「信じた」のだから、他の住民も「信じてもおかしくはない」ということであり、集団自決を実行に移した要因の一つではないか、ということにもなるでしょう。

 しかし、そういった共通認識がどれぐらい広がっていたのか、どの程度の割合だったのかについて考察することは、事実上不可能であるというほかはありません。


 「村の有力者たちが協議していました。村長、前村長、真喜屋先生に、現校長、防衛隊の何名か、それに私です。敵はA高地に迫っていました。後方に下がろうにも、そこはもう海です。自決する他ないのです。中には最後まで闘おうと、主張した人もいました。特に防衛隊は、闘うために妻子を片づけようではないか、と言っていました。(元渡嘉敷郵便局長)」(沖縄県教育委員会編「沖縄県史第10巻各論編9沖縄戦記録2」 国書刊行会 1974年)


 上記の証言では赤松大尉の自決命令があったにせよ無かったにせよ、あるいは軍からの自決命令が噂やデマの類いであったにせよ、自らの意思で集団自決を実行しようという意見や、むしろ米軍と戦おうという意見もあったということが垣間見ることができます。
 このような考える時間さえ与えられない緊迫した状況のなかで、「移動しなさい」「避難しなさい」「集合しなさい」といった軍や村からの命令または指示が、いつの間にか何らかの作用によって「自決しなさい」という噂やデマになり、最終的には確固たる事実として拡散されていったのではないのでしょうか。そうでもしない限り、渡嘉敷村長や村の有力者たちをはじめとする住民たちが、赤松大尉あるいは軍から自決命令が出たことを「信じる」ことはなかったと思われます。

 噂やデマが「信じられた」ということは、別の観点からすれば何らかの理由によって事実へと「変換」されたことになったのですから、その「変換された瞬間を考察」することで、集団自決はどのようにして始まったのかという実像が解明されると思われます。
 そういった意味では非常に重要な要素ではありますが、ここでは太田氏と曽野氏の論争を中心にした考察を行っておりますので、混乱を避けるためにそのラインに沿ったものを続けたいと思います。

 噂やデマが事実に変換された「瞬間」を、太田氏と曽野氏の論争あるいは「鉄の暴風」と「ある神話の背景」の対立から見出すとすれば、赤松大尉の自決命令が既成事実として描写された「鉄の暴風」以外にはありません。
 つまりは「いつ、誰がどのようにして変換させたのか」ということになり、対立する著作物や論争の矛盾を解消することにもつながります。元々「鉄の暴風」に疑義を提示したのが「ある神話の背景」なのですから、当然といえば当然なのかもしれません。

 このように「変換した瞬間」を主軸にして考察した場合、「鉄の暴風」からは二つの仮説を提示することが可能だと思われます。

 一つ目は「当事者たちが変換した」場合です。
 二つ目は「編集スタッフが変換した」場合です。

 「当事者たちが変換した」場合は「誤認」だということが結論づけされます。
 「編集スタッフが変換した」場合は「捏造」だということが結論づけされます。


 この件に関しての詳細な考察は次回以降に続きます。

「予測不能」なコロナ危機対策を「未来予測」で批判するコメンテーター

2020年04月21日 18時36分10秒 | 新型コロナウイルスについて
現金の一律給付を批判するTVのコメンテーターがいました。

その理由として、

「結果的に将来の増税が国民を苦しめる」

といった主旨の発言をしていました。

皆さんもこのような感じで、

テレビにしろラジオにしろ新聞雑誌にしろ、

見たり聞いたり読んだりしたことがありませんか?


これを極端にわかりやすくすれば、

津波で流されている人を見て、

次はいつ来るかわからない津波の対策として、

「これから防波堤を造ったほうがいい」と、

高台から眺めながら話している行為だと思います。


世界中が直面している「今そこにある危機」は、

「パンデミック」も当然そうなのですが、

経済活動を止めるにとどまらず、

「人の動きそのもの」を止めてしまっていることだと思います。


自粛・休業・休校・自宅待機・テレワーク等々、

これら「人の動きそのもの」を抑止する現象が全国規模で行われたのは、

あの戦争以来、初めてのことではないでしょうか。

ま、あの時代にインターネットなんてなかったですけどね…


つまり、

今までやったことがない、

今までしたことがない、

今まで前例がないのにもかかわらず、

「今やろうとしている」こと、特に「一律給付」に対して、

数年後、あるいは十年後の「未来予測」で、

それを批判している、ということです。

これは実にバカバカしい…


ハッキリ言って「一律給付」が有効な手段かどうかわかりません。

安部政権のグダグダ政策も、

この「この先が見えない」といったジレンマが影響しているのでしょう。

それでも個人的に「一律給付」は実施したほうがいい、

と思っておりました。


ここで問題にしているのは、

「一律給付」が有効かどうかではありません。

「予測不能」な事態やその対応に対し、

「未来予測」でそれを批判する行為が問題だと思っております。


そもそも、「この先どうなるかわからない」のに、

どうして数年後や10年後を語ることができるのでしょうか?


ま、自分は信用しませんね、こんなヤツらは…

結局「今そこにある危機」を全く理解していないのですからね。

視野が広いようで、実は全く狭いったらありゃしない…

要するに使いモノにならないというわけです。


それがたとえ元国会議員でも、

社会学者でも経済学者でも大学教授でも同じです。

そいつらを嬉々として「コメンテーター」に仕立てるマスメディアも、

同じ穴の狢ですね…

「昔軍人、今官僚」は「昔も今も官僚」だと思います

2020年04月18日 15時23分24秒 | 新型コロナウイルスについて
「むかし軍人いま官僚」という揶揄がありますね。

戦前は軍人が傍若無人の振舞いだったけど、

戦後は官僚に変わってきている…って感じです。


しかし、

自分はちょっと、それは違うんではないかと思います。

戦争中は確かにそうかもしれません。

平たくいえば戦争が国家政策の中心なのですからね、

むしろ当然なことかもしれません。


でも、あのダラダラ続けた日中戦争や、

勝つことなんて100パーセント無理だった太平洋戦争といった、

あの暴走を止められなかったのは、

「陸軍省」や「海軍省」といった「軍事官僚」の責任が、

大いに大いにあると思っておりますのです。


で、ありますゆえに、

「むかし官僚、いまも官僚」

ってな感じだと思うのです。


さて、話は変わって現在の「コロナ危機」。

30万円給付や一律給付に反対していたのは、

どうやら財務省みたいですね。


省庁の特徴として「前例がない」からやらない、

あるいは「できない」っていうのがありますね。

今回もそういった意識が基盤となっているのではないでしょうか?


しかししかし、よくよく考えていただきたい。

今回の「パンデミック」は感染拡大も大問題なのですが、

その影響によって「人の動きそのもの」が停止してしまった異常事態。

これはあの戦争以来、

ホントに初めてのことなのではないでしょうか。


つまり、初めての事態なのですから、

それだけ未来予測も全くの不透明になるし、

それだけ人々の不安も大きくなるものです。


そのような状態が「今そこにある危機」として現実化しているのに、

「前例がない」という考え方自体、

狂った意識としか思えませんね。

「前例がない」からこそ、

政治や経済が混乱や混迷しているのですから…


そういう人たちが国家の「未来」を造っていると思うと、

不安で不安でなりません。

「未来を語れない」「未来を語ろうとしない」人たちが、

「未来を造ろうとしている」というブラックジョーク。


結局「頭のいい人」ではなく、

「暗記」という「特技」によって、

テストの点数が高かっただけの人たちが、

ただ集まっているようにしか見えません。


批判を覚悟で申しますが、

「暗記」は数ある「特技」の中の一つだと思っております。

高校受験大学受験のシステムを見る限り、

その「特技」という「一芸」に秀でた人たちを、

率先して選んでいるような気がします。


「特技」を生かすも殺すもその人次第ですが、

同じ「特技」だけを集めた集団・組織というものは、

同じ「特技」しかないゆえに、

機能不全を起こしやすいのではないでしょうか。


今回は「暗記」という「特技」の集団・組織ですから、

それ以外の「特技」を必要とする事態になった場合、

正常に機能しなくなってしまうのではないでしょうか。


なんか、省庁の不祥事を見聞きするたびに、

このような思いが浮かんでくるのであります。


以上、放送大学という五流大学を卒業した、

下級国民の感想文でした。