空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 後編⑤

「土俵を間違えた人」第1回⑤


 前回までは「手榴弾の管理」に対するものでしたが、今回からはもう一つの主張である「無理心中」についてです。以下にその要点を列記します。

  • 集団自決と名付けたのは太田氏本人
  • 集団自決は一種の無理心中である
  • 集団自決の本質は玉砕である。

 名付け親が太田氏本人だったことはともかく、太田氏自身はそれが誤っていたことを告白しています。以下に引用します。


 「「集団自決」の「自決」という言葉は、(自分で勝手に死んだんだ)という印象をあたえる。そこで、(住民が自決するのを赤松大尉が命令する筋合いでもない)という理屈も出てくる。「集団自決」は、一種の「心中」または「無理心中」である。


 「自決命令」が出されたとするのが太田氏の根本的な主張でありますから、「自ら決する」のではないという考え方に結びつくのは妥当だと思います。ただし、多少気になる主張もおこなっているので、以下に引用します。


 「しかし「心中」は、習俗として、沖縄の社会では、なじまないものである。まれではあるが、自殺はある」


 これはどういうことなのでしょうか。そういったデータか何かが、この論争がおこなわれた1985年当時に存在したのでしょうか。
 個人的見解として、このような「習俗」が沖縄や琉球の伝統的な慣習・習俗なのかもわかりません。民俗学的観点などからこのようなもの、あるいは論考といったもので、沖縄の特徴として見出されているのかもしれませんが、これ以上の考察は本筋から離れてしまうので省略します。

 「沖縄の習俗になじまない」はずの無理心中が現におこなわれたということは、それは外部からの強制しかありえないということである。そして外部というのはこの場合日本軍に間違いないのだから、強制は「玉砕」と同義語である。
 以上が今回の太田氏による主張ではないかと思われますので、この点について以下に引用します。


 「渡嘉敷島のあの事件は、じつは、「玉砕」だったのだ。「玉砕」は、住民だけで、自発的にやるものではなく、また、やれるものでもない。「玉砕」は、軍が最後の一兵まで戦って死ぬことである。住民だけが玉砕することはありえない。だが、結果としては、軍(赤松隊)は「玉砕」しなかった。PW(捕虜)になって生還した。軍もいっしょに玉砕するからと手りゅう弾を渡されたと思われる」


 正誤はともかくも、赤松大尉が自決命令を出した理由と、手榴弾の配布の意味や、強制された集団自決の発生原因が一連の流れとなるというような、太田氏の論理展開が垣間見れるものとなっています。

 自決命令や配布を含んだ手榴弾の管理について、個人的見解として何度となく異議を提示しておりましたが、無理心中が「強制」だったことに関しては、概ね同意できるものであると考えております。
 無理心中というのは「する側」と「させられる側」といった二つの側面が厳然とあり、その「させられる側」からすれば、正に「強制」だということになるからで、文字通り「無理強い」になるからです。これは集団自決に限らず戦争中に限らず、残念ながら現代でも同じであるということになってしまうはずです。この点太田氏は「する側」も玉砕という名目で「強制」させられたということを強調しています。

 ただ、太田氏の主張するように無理心中が「強制」だったか否かに関しては、「する側」の論理と「させられる側」の論理が相反するものがあり、それぞれが個別のテーマとして取り扱うべきものではないかと考えます。さらには親が子を子が親を殺めるその行為自体が、悲壮で重厚なテーマとなってしまう可能性も多々あります。
 無理心中というものは、そもそも簡単に簡潔に検証や分析できるものではなく、全く別のテーマなってしまうのであるがゆえに、この論争からの範疇をはるかに超えてしまう事態が想定されます。
 集団自決の実像を考察するうえでは「無理心中」の論理や心理も重要であります。しかしながら、今回は太田氏が何を主張したのかについてのみ掲示し、集団自決における無理心中についての詳細な考察は、太田氏曽野氏の論争という範疇を大幅に凌駕してしまう可能性を秘めているため、これ以上は控えさせていただきます。


次回以降に続きます。

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