空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 後編⑧

「土俵を間違えた人」第4回 および第5~6回


 この第4回では「鉄の暴風」と「ある神話の背景」における論争の中で、最も重要だと思われる主張が太田氏からなされております。
 まずはその該当部分を以下に引用させていただきます。


 「鉄の暴風」の中で、私が知念少尉について同情的なことを書いたのは、つぎのような事情からである。渡嘉敷島の直接体験者たち(古波蔵元村長一人だけではない。たしか十数名)の話を聞きながら、沖縄出身の知念少尉は、軍と住民の間にはさまれて、苦しかったのではないか、とふと思った。そこで、そのことを質問してみた。すると「そう言えば、知念さんが、そういうことで悩んでいたような話を聞いたことがある」といった意味のことを、証言者の一人が言ったので、「鉄の暴風」のなかの、あの表現となったのである」


 「同情的なことを書いた」と「あの表現となった」については、どちらも同じ箇所を指しているので、理解しやすいように「鉄の暴風」から引用させていただきます。


 「赤松大尉は「持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食料を確保して、持久体制をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛感した」


 当事者である知念氏は「ある神話の背景」にて、悲憤も慟哭も痛感もしていないどころか、マスメディア等のインタビューさえ受けたことがないという証言をなさっております。これは結果的に上記の主張とも合致するものであり、太田氏によってある意味保証されたものでありますから事実だと断言できます。

 つまりは、知念少尉の「慟哭・悲憤・痛感」に関するものについては、太田氏が自ら「創作した」エピソードだということを、自ら吐露しているということになります。別の言い方にすれば、本来は「ノンフィクション」であった「鉄の暴風」なのに、少なくともこの該当部分は「フィクション」であると言明しているのです。

 しかも直接体験者が該当部分を証言し、それを太田氏らに話したのではありません。直接体験者が知念少尉の「慟哭・悲憤・痛感」を実際に見たというわけでもなく、聞いたとしても噂程度の範疇でしかないといったものなのです。


 「「そう言えば、知念さんが、そういうことで悩んでいたような話を聞いたことがある」といった意味のことを、証言者の一人が言ったので」


 上記の引用からわかるように、直接体験者の一人から得られた、あくまでも「推測」や「噂みたいなもの」でしかない不確定で不明瞭な事象を、太田氏は自らの考えによって「事実」へと変換しているということになります。

 虚偽と誤報は全く違うということを先述しましたが、直接体験者たちが知念少尉の「慟哭・悲憤・痛感」を、正誤は別としてそれなりに見聞し、直接体験者たちが太田氏らにその内容を「そのまま」証言し、それが太田氏らによって「鉄の暴風」に「そのまま」記載されたと仮定するならば、根本的な情報自体が間違っているのですから、結果的に「誤報」ということになると思われます。

 しかし今回の場合は「悩んでいたような話を聞いたことがある」という、直接体験者とはいえ推測の域を出ることができない、不確実で不確定で不明瞭な内容の証言を自ら勝手に加工し、自ら勝手に創造し、ノンフィクションとして事実認定を自ら行っている、ということになる行為だと思われます。
 これはたとえ直接体験者の証言が元になったとしても、あるいは同情といった善意から生じた結果だとしても、執筆者という、明らかに当事者ではない第三者が情報自体に手を加えることになりますから、これは決して誤報というものではなく「虚偽」ということになります。そして様々な視点や様々な考察、特にマスメディアやジャーナリズムの観点からすれば、太田氏の行為は「捏造である」として、当人やノンフィクションであるはずの「鉄の暴風」にとどまらず、マスメディアを生業とする沖縄タイムス社までもが糾弾されかねない行為でもあるのです。

 さらには「沖縄出身の知念少尉は、軍と住民の間にはさまれて、苦しかったのではないか、とふと思った。そこで、そのことを質問してみた」という内容がありますが、これは俗にいう「誘導尋問」的な行為に当たるのではないかと思われます。
 つまり自分が考えた答え、あるいは自ら設定した結果に沿った証言を得るため、質問内容によってそこへ誘導するといった行為です。具体的にいえば「苦しかったのではないか」という、自らの考えに沿うような質問を意図的にしたのではないか、と思われます。それが結果的に虚偽となった「知念少尉の慟哭・悲憤・痛感」につながるということになります。
 「オーラルヒストリー」の観点からすれば、自らの考えや思惑に合致するように、質問の内容によってそこへ誘導する行為は、いわゆる「禁じ手」となっており、してはならないこととなっています。なぜそうなるかについての考察は主旨から外れてしまうと思われるので、詳細に説明することはいたしませんが、当事者の意思に反して、質問した側の意図的であり恣意的な答えを導いてしまう、という懸念があることだけを明記するにとどめます。


 これらの状況によって「鉄の暴風」はノンフィクションではなく、執筆者の手によって加工され創造されたフィクションが、少なくとも「集団自決」の項目に混ざっているということが明らかになりました。それは執筆者という当事者によって厳然と保証されたものなので間違いはなく、事実であることが確定したことになります。
 
 そういった意味でもってして、この第4回は非常に重要なものであると確信しております。


 なお、太田氏の再反論は第5回と第6回へと続くのですが、その内容は「ある神話の背景」および曽野氏への反論を、「住民処刑」や「スパイ視」を含め、今までと同じような論調を繰り返すものだと判断いたしました。従って、重複を避けることをふまえて割愛させていただきます。

興味のある方は各自お読みなっていただきたいです。


次回以降に続きます。

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