空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 最終回

個人的総評

 この回でもって最終となりますので個人的「総評」と、少々大げさなタイトルをつけましたが、あまり堅苦しいものにはしたくはありません。そうでありますゆえに、この論争を全て読み終えた「感想」を述べさせていただきます。


 まず、以前から再三指摘しているように、太田氏曽野氏の双方から差別的と指摘できるような「感情的もつれあい」が多発していた、という残念な結果になってしまったことが挙げられます。
 もともとは論争なのですから、根本的な意見が食い違うのは当然のことであります。そういった意味では「ケンカ」の様相に発展してしまう可能性が高く、また、そうなってしまうことについては不思議だと思いません。特に討論やディスカッションといった、人と人とが直接対面する場面においては、人それぞれの個性的な性格によって怒鳴りあいどころか、殴り合いにまで発展してしまうことは、普段の日常生活であっても起こりうるものではないかと思われます。

 論争や討論にて「感情的なもつれあい」や「ケンカ」が起こることによる最大の懸念は、議論すべき物事の本質から完全に外れてしまい、無駄に無意味にあらぬ方向へ飛んでしまうことだと思います。その結果、当人同士が本当に述べたかったことが中途半端になるのは自明の理で、相手は当然のこと、傍観者的立場の第三者までその真意が伝わらなくなります。
 今回は新聞というバーチャル的な紙面上の論争ですから、お互いの「殴り合い」までは発展しなかったということになります。
 それでも「感情的もつれあい」によって、太田氏曽野氏双方の真意、あるいは本当に書きたかったことがお互いだけではなく、この論争を読む側まで伝わっているのかどうかという懸念があり、仮にそういう事態が発生しているとすれば、すこぶる残念でならないと同時に、せっかくの「直接対決」なのに非常に勿体なくなってしまいます。
 しかも「感情的なもつれあい」の延長線上にあるのかどうか判断がつきませんが、単なる「具体例」に過ぎないものに対して、「具体例」そのものを否定するといったような、本筋から外れた場外乱闘まで起こっている事態が散見されます。また、「言った」「言わない」というような水掛け論に陥ってしまう状況も見られますがゆえに、より一層の懸念が浮かび上がってきます。
 とにもかくにも、以上のような懸念が杞憂であってほしいものです。
 

 次に論争そのもの、第一は曽野氏に関するものです。
 太田氏が合計15回に対して曽野氏は合計6回の連載ですから、紙面数からすれば圧倒的に不利な状況でした。
 そういった意味からすれば、曽野氏の主張は太田氏の主張に比べ限定的となっています。それが原因かどうかはわかりませんが、「ある神話の背景」の内容と同じ主張の繰り返しに終始しているような気がしてなりません。別の言い方にすれば、「ある神話の背景」から発展し拡大した主張がなかったのではないかというような、あるいは「ある神話の背景」では語られることのなかった要素が、今回の論争で出てこなかったということが気にかかります。
 例えば赤松大尉の「自決命令は出していない」という件に関しては、当事者の証言として非常に貴重な史料には間違いありませんが、その史料に対して補完するような状況証拠というか、バックグラウンド的なものが提示されておりません。辛らつな表現になりますが、「本人が言っているのだから間違いはない」という範疇からは、残念ながら抜け出せていないとも思えるのです。
 勿論、それらが全くないわけではなく、知念少尉といった他の軍人の証言もあるのですが、あくまで軍人という同じ境遇の側であり、太田氏からすれば「共犯者の立場」でありますので、状況証拠としての補完・補填という観点からすれば弱いのではないかと思われます。
 
 これに対し、太田氏はこの論争にて「鉄の暴風」では語られることのなかった、誰からの証言を得たのかというような具体的なものや、太田氏側からみた赤松大尉の「自決命令」に関するバックグランド的な要素を、その正誤や是非は別にして再三提示しておりますから、その点に関していえば真摯に対応しておられます。

 見方によっては赤松大尉の証言と軍人等の証言しか掲示されていない「ある神話の背景」と、批判されてもおかしくはなく、現にその点については批判されている部分もあるのですから、この論争にてその批判に対抗するような、あるいは払拭するような主張や史料等を提示していただければ、より建設的な議論がなされていたかもしれません。個人的見解として、残念ながら曽野氏の主張には物足りなさを感じてしまいます。
 ただし、この論争は1985年になされたものでありますから、それ以後に関するもの(新たな史料の提示等)については、個人的見解が一切当てはまらないということを付言します。

 第二は太田氏に関するものです。
 紙面数が多いのが原因かどうかはわかりませんが、個人的見解にての反論が多かったのは太田氏の主張でした。
 勿論、個人的見解が正しく、太田氏の主張が間違っているということを宣言する気は一切ございません。個人的見解はあくまでも仮説の提示であり、仮説はあくまでも仮説でありますので、正しいか間違っているかというジャッジをする審判の役目ではなく、太田氏の主張以外も「あり得る」という立場であることを強調いたします。

 しかしながら「土俵を間違えた人」の第4回にて、太田氏から非常に重要な主張がなされました。すでに当ブログ「「土俵を間違えた人」第4回 および第5~6回」にて個人的考察をしておりますが、ここでもう一度取り上げたいと思います。
 詳細は重複となりますので省略しますが、要は知念少尉が「慟哭し、悲憤し、軍人であることを痛感した」と「鉄の暴風」では描写されており、太田氏がその場面を「創作した」と自ら吐露しているということについてです。
 少なくともその部分は「虚偽」であることが判明し、執筆者という「当事者」によって「虚偽」であると「保証」されたことにもなります。繰り返しとなりますが理解しやすいように、該当部分を「鉄の暴風」から引用させていただきます。


 「赤松大尉は「持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食料を確保して、持久体制をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛感した」


 一部が「嘘」なのだから、その全てが「嘘」であるといった、稚拙で短絡的な断定は厳に慎まなければなりません。

 しかし今回の場合、赤松大尉の「自決命令」に関する他の事実等と、知念少尉の件とを突き合わせて考察したのならば、拭いきれない疑念が生起するのも事実だと思われます。
 ここで提起する他の事実等とは以下のものです。

  • 「鉄の暴風」に描写された赤松大尉の「自決命令に関する文言」は、当事者である赤松氏の「命令は出していない」という証言があると同時に、防衛隊員を含む元軍人や住民の証言や史料には、その「自決命令に関する文言」を聞いたというものが全くない(2021年現在) 
  • 住民への「自決命令」が出されたとされる地下壕は、防衛隊員を含む元軍人や住民の証言といった史料から考察するに、集団自決前ではなく集団自決以後に完成された可能性が非常に高い

 なお、これらの件に関する詳細については、当ブログ「誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」」にて考察しております。ご参照なさってくださるとありがたいです。

 上記の事実と仮説と太田氏の創作とを列挙した場合、地下壕における赤松大尉の「自決命令」について、一般的常識的に考慮すれば描写そのものに対し「それは本当のことなのか?」という疑いが浮かんでくることは、特に違和感はないかと思われます。
 
 すなわち「鉄の暴風」で描写された「赤松大尉の自決命令は事実なのか?」という素朴でいて重大かつ根源的な疑問が、1950年の発行年から71年も経過した2021年の現在となっても、こうして厳然と残っていることが判明したということです。少なくとも問題提起として掲示しても、決しておかしくはない状況がいまだに続いていると思っております。

 さて、皆様はどのようなお考えになるのでしょうか。


 これで「曽野組と沖タイ連合の仁義なき戦い」の最終回とさせていただきます。結果的に長文となってしまいましたが、最後までお読みいただいた方々へは感謝の気持ちしかございません。

誠にありがとうございました。

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