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空と無と仮と

沖縄・日本史・ミリタリーなど、拙筆ながら思ったことをつれづれと、時には無駄話、時にはアホ話ってなことで…

1990年代の沖縄旅行 あるものがなかった頃のバクナー中将慰霊碑

2020年11月29日 00時09分40秒 | 1990年代の沖縄旅行 いろんな場所編
今回は糸満市真栄里にあるバックナー中将の慰霊碑です。

この周辺には戦跡が多いですから、
ここも比較的有名な場所かもしれません。
だから特に詳しく説明をすることはしませんが、
アメリカ第10軍司令官の、
サイモン・B・バックナー中将が戦死した場所です。

ただ、
第二次大戦中で唯一の戦死者でもあります。
中将という将官クラスで戦死してしまったのは、
ヨーロッパ戦域を含め、
このバックナー中将だけなんですよね。

また、
米軍の公式見解では砲弾の爆発で破砕したサンゴ礁が、
胸にあたって亡くなったというものですが、
興味深いことに、
日本軍側の証言には狙撃したというのもあります。

現在の「山形の塔」あたりから狙ったというものですが、
本当かどうかはちょっとわかりません。

ただし、
「山形の塔」からこの場所までは、
直線距離にして500メートルぐらい。
現在は樹木や建物で直接見えることはできませんが、
沖縄戦当時の写真を見る限り遮蔽物はなく、
しかも高台で目立つ場所ですから、
理論上は可能かもしれません。
ま、ちょっとしたミステリーですね。

当然のように慰霊碑も高台の上にありますから、
階段を登っていくことになります。
すぐに長方形の石碑が見えるのですが、
1990年代当時はなかった石碑ですね。





奥のほうにあるの慰霊碑類は、
現在も変わらずにありますね。







ちょっとわかりにくいかもしれませんが、
「サイモン」ではなく「シモン」と書かれています。
建立も古いのではないのでしょうか。
ま、英語の読み方は時代によって変わりますからね。

昭和20年代の新聞や書物なんか、
「マッカーサー」を「マックアーサー」
って表記していましたから。





景色がとてもいいものだから、
思わず海を撮影しときました。
右下の日付は96.7.2ですね。
遠くの島は渡嘉敷島です。

しかし、
2020年現在と比べると「写っていないもの」があります。
それが何なのか、お分かりになるでしょうか?

撮影日は前述のとおり1996年ですから、
これがヒントになるかもしれませんが、
ま、地元の人にはすぐにわかってしまうかもしれません。

この当時はまだ糸満市に「潮崎町」がなかったのです。

潮崎町は遠浅を埋め立てた土地なのですが、
この当時はまさに、
これから埋め立て工事が始まろうとしている時期でした。
住宅は当然ながらありませんし、
糸満市役所もありませんでした。

遠浅がまだ残っている風景は、
今となっては二度と見ることのできないもの、
となってしまいましたね。
時代の流れを感じてしまいます。




それが沖縄のヘイトスピーチ規制なのですか?

2020年11月26日 18時11分52秒 | いろんなこと日記
沖縄のヘイトスピーチ規制の条例制定を考える 専門家「すぐに条例作って」

 沖縄のヘイトスピーチ規制条例制定を考える「ヘイトスピーチ・セミナー」が23日、那覇市のタイムスホールで開かれた。国内のヘイト対策を前進させてきた師岡康子弁護士が講演。那覇市役所前の街宣を明白なヘイトだと非難し、「これだけ繰り返し被害を出している。他の条例(の先例)もある。すぐに条例を作ってほしい」と行政側に求めた。  
 新型コロナウイルス感染者や医療従事者への差別を禁じる条例は、すでに全国20自治体で制定されたと報じられている。「やる気になれば数カ月でできる。条例は時間が掛かるという話ではない」と強調した。 
 ヘイトスピーチは単なる誹謗ひぼう中傷と違い、「差別の問題」と説明。人種や性的指向など、変えることが難しい属性を理由に攻撃し、個人と集団の両方を傷つけると述べた。  

 沖縄独自の論点として、米軍批判をどう考えるかも分析した。「米軍は出て行け」は、「米国人だから排斥する」という趣旨の発言ではないと解説。「ヤンキーゴーホーム」は、米国籍や米国ルーツの人々に向けた場合はヘイトスピーチである一方、基地反対の定型句として使われる場合は該当しないと述べた。  
 国のヘイトスピーチ対策法が外国ルーツの国内居住者を保護するのに対し、中国人旅行者につきまとって怒鳴るような事案が起きている沖縄では、旅行者も対象に含めるべきだとも提言した。「中国人旅行者に言うのは、中国人居住者も同様に侮蔑しているということだ」と語った。 
 主催した沖縄カウンターズのメンバーも登壇し、毎週水曜日に那覇市役所前に集まることでヘイト街宣を27週連続で止めていることを報告した。高野俊一代表は「カウンターを永遠に続けるわけにはいかない。行政の力をぜひ借りたい」と、条例の早期制定を県に望んだ。 

沖縄タイムスプラス 11/24(火) 5:01



不正受給の進展がどうなったかなぁ~っと、
時々見ている沖縄タイムスプラスですが、
「沖縄のヘイトスピーチ」について、
なんか腑に落ちない記事を見つけました。


米軍は出て行け」は、
「米国人だから排斥する」という趣旨の発言ではないと解説。
「ヤンキーゴーホーム」は、
米国籍や米国ルーツの人々に向けた場合はヘイトスピーチである一方、
基地反対の定型句として使われる場合は該当しないと述べた。  


これはどういう意味なのでしょうかね?
「米軍」という「組織」はOKで、
「アメリカ人」という「一個人」はNGってことですかね?
なんか、基準がよくわからんなぁ…

そもそも「米軍は出ていけ」というフレーズは、
「職業差別」じゃないのですかね?
「職業差別」はヘイトじゃないのですかね?

さらに「ヤンキーゴーホーム」の「ヤンキー」というのは、
アメリカ人の総称であると同時に、
アメリカ人個人を指すものだと認識しているようですが、
「基地反対の定型句」って言われても、
それはあくまで「言った側の論理」ですよね。

これは「言われた側」即ち被害者の論理ではないと思います。

なぜかというと「言われた側」が彼らの都合のいいように、
今回の場合を例にすると「基地反対の定型句」だと認識する、
あるいは感じるとは限らないからです。

もしこの「ヤンキー」がアメリカ人からして、
「言われた側」即ち被害者として、
「侮蔑だ」「差別だ」と認識され、
「お前たちはレイシストだ!」と言い返されたら、
彼らはどういう反応をするのでしょうか。

これは決して絵空事ではなく、
「ヤンキー」が個人を指すことを常識的に考えれば、
そう思っても不思議ではないと思っています。

要は「被害者側の立場で考えていない」ってことなんですよね。
差別をなくそうっていうこのご時世、
これは致命的なことだと思いますよ。


「中国人旅行者に言うのは、
中国人居住者も同様に侮蔑しているということだ」

なるほど、
言いたいことはわかりました。

それならば、
「米軍は出ていけ」というその意味合いは、
その家族や基地内従業者も含むのですかね?
あの場所は兵隊さん以外も多数居住していますから…
ま、従業員は日本人もいますけどね。

もし含んでいるのであれば、
正に「米国人だから排斥する」として、
それこそ彼らのいう「ヘイトスピーチ」になるのではないのですかね。
「米国人だから排斥する」という、
彼らがいうその趣旨に直結するのではないでしょうか。

米軍でないとすれば「米国人」なわけだし、
兵隊さんの子供たちも「米国人」なのですからね。
米軍ではないのでありますから、
沖縄にいる「米国人」だけの理由で、
彼らに「出ていけ」って言ってるようなものです。
これこそ「ヘイト」だと思いますよ。

つまり、
「米軍に言うのは基地居住者も同様に侮蔑しているということだ」
ってなるはずですよね?


とまぁ、我田引水というか、
ダブルスタンダードというか、
要は自分たち都合のいいように
「ヘイトスピーチ」の基準を線引きしてるんですね。

これじゃ世の中から「ヘイト」はなくなりませんよ。
結局は都合のいいように利用してるだけなのですから…
非常に残念です。

「学校でいじめをなくそう」と提案し、
その基準までも決めてしまったのは、
実はいじめっ子たちで、
被害者の理解さえしようとしない…
こんな世の中にならないことを切に祈ります。

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 後編⑤

2020年11月23日 00時27分54秒 | 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い
「土俵を間違えた人」第1回⑤


 前回までは「手榴弾の管理」に対するものでしたが、今回からはもう一つの主張である「無理心中」についてです。以下にその要点を列記します。

  • 集団自決と名付けたのは太田氏本人
  • 集団自決は一種の無理心中である
  • 集団自決の本質は玉砕である。

 名付け親が太田氏本人だったことはともかく、太田氏自身はそれが誤っていたことを告白しています。以下に引用します。


 「「集団自決」の「自決」という言葉は、(自分で勝手に死んだんだ)という印象をあたえる。そこで、(住民が自決するのを赤松大尉が命令する筋合いでもない)という理屈も出てくる。「集団自決」は、一種の「心中」または「無理心中」である。


 「自決命令」が出されたとするのが太田氏の根本的な主張でありますから、「自ら決する」のではないという考え方に結びつくのは妥当だと思います。ただし、多少気になる主張もおこなっているので、以下に引用します。


 「しかし「心中」は、習俗として、沖縄の社会では、なじまないものである。まれではあるが、自殺はある」


 これはどういうことなのでしょうか。そういったデータか何かが、この論争がおこなわれた1985年当時に存在したのでしょうか。
 個人的見解として、このような「習俗」が沖縄や琉球の伝統的な慣習・習俗なのかもわかりません。民俗学的観点などからこのようなもの、あるいは論考といったもので、沖縄の特徴として見出されているのかもしれませんが、これ以上の考察は本筋から離れてしまうので省略します。

 「沖縄の習俗になじまない」はずの無理心中が現におこなわれたということは、それは外部からの強制しかありえないということである。そして外部というのはこの場合日本軍に間違いないのだから、強制は「玉砕」と同義語である。
 以上が今回の太田氏による主張ではないかと思われますので、この点について以下に引用します。


 「渡嘉敷島のあの事件は、じつは、「玉砕」だったのだ。「玉砕」は、住民だけで、自発的にやるものではなく、また、やれるものでもない。「玉砕」は、軍が最後の一兵まで戦って死ぬことである。住民だけが玉砕することはありえない。だが、結果としては、軍(赤松隊)は「玉砕」しなかった。PW(捕虜)になって生還した。軍もいっしょに玉砕するからと手りゅう弾を渡されたと思われる」


 正誤はともかくも、赤松大尉が自決命令を出した理由と、手榴弾の配布の意味や、強制された集団自決の発生原因が一連の流れとなるというような、太田氏の論理展開が垣間見れるものとなっています。

 自決命令や配布を含んだ手榴弾の管理について、個人的見解として何度となく異議を提示しておりましたが、無理心中が「強制」だったことに関しては、概ね同意できるものであると考えております。
 無理心中というのは「する側」と「させられる側」といった二つの側面が厳然とあり、その「させられる側」からすれば、正に「強制」だということになるからで、文字通り「無理強い」になるからです。これは集団自決に限らず戦争中に限らず、残念ながら現代でも同じであるということになってしまうはずです。この点太田氏は「する側」も玉砕という名目で「強制」させられたということを強調しています。

 ただ、太田氏の主張するように無理心中が「強制」だったか否かに関しては、「する側」の論理と「させられる側」の論理が相反するものがあり、それぞれが個別のテーマとして取り扱うべきものではないかと考えます。さらには親が子を子が親を殺めるその行為自体が、悲壮で重厚なテーマとなってしまう可能性も多々あります。
 無理心中というものは、そもそも簡単に簡潔に検証や分析できるものではなく、全く別のテーマなってしまうのであるがゆえに、この論争からの範疇をはるかに超えてしまう事態が想定されます。
 集団自決の実像を考察するうえでは「無理心中」の論理や心理も重要であります。しかしながら、今回は太田氏が何を主張したのかについてのみ掲示し、集団自決における無理心中についての詳細な考察は、太田氏曽野氏の論争という範疇を大幅に凌駕してしまう可能性を秘めているため、これ以上は控えさせていただきます。


次回以降に続きます。

「100人乗ってもだいじょ~ぶ」じゃなかった従軍慰安婦裁判

2020年11月21日 00時00分50秒 | いろんな歴史いろんなミリタリー
慰安婦巡り元朝日記者の敗訴確定 最高裁、上告退ける決定

 元朝日新聞記者の植村隆氏(62)が、従軍慰安婦について書いた記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリスト桜井よしこ氏(75)と出版社3社に謝罪広告の掲載と損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は植村氏の上告を退ける決定をした。18日付。請求を棄却した一、二審判決が確定した。
 一、二審判決によると、桜井氏は、韓国の元慰安婦の証言を取り上げた1991年の朝日新聞の記事について「捏造」「意図的な虚偽報道」などとする論文を執筆した。
 植村氏は「事実に基づかない中傷で激しいバッシングを受けた」と2015年に提訴した。

2020年11月19日 20時01分 (共同通信) 


「やっぱりイナバだ!100人乗ってもだいじょうぶ~!」

イナバの物置はホントらしいですが、
弁護士100人態勢で争ってたというこの裁判は、
残念ながら大丈夫じゃなかったみたいですね。

ま、皮肉はともかく、
「植村氏が事実と異なることを執筆したと
桜井氏が信じる相当の理由がある」

というのが最高裁の判断です。
というか、地裁や高裁を支持したということですね。

しかし、ねぇ…
こういう裁判をみるといつも思うんですよね、
「どうして名誉棄損なの?」ってね。

歴史認識問題に関わらず、
歴史学全般にいえることですが、
要は「仮説と仮説のぶつけ合い」だと、
自分は思っております。

自分が提示した仮説に反する仮説を提示されたのなら、
その仮説を「叩きのめす」仮説を提示するだけですし、
そうやってお互いの主張を「ぶつけ合って」
ということを繰り返し、
そこから納得できるもの、
説得力のあるものを見いだす…
そのような切磋琢磨の繰り返しだと思っております。
余計なものがそぎ落とされていきますからね。

極論すると、
仮説をすかさずジャンジャンバリバリ出すだけでいいのです。
お互いがお互いにね。

しかし、自分の主張を「嘘だ」「捏造だ」と言われたからって、
それが「名誉棄損」や「中傷」に直結させるというのは、
そもそも「議論」というものを否定しているような気がします。

勿論、全く根拠のないものや、
「いわれなき差別」というものは別ですが、
この歴史認識問題・従軍慰安婦問題に限っては、
その根拠が笑っちゃうほどありまくりなのです。
しかもそれが数十年も続いているのですから…

でも、だいぶマシになってきたと思いますよ。
1990年代なんか、
たとえ正当な根拠があったとしても、
「強制連行」を否定しただけで物凄いバッシングがあったのですから。

特定の思想・イデオロギーに偏らなくありつつあるという、
歴史学の軌道修正みたいなものも、
ちょっとだけ垣間見れた裁判だと思います。

ついでに植村氏コメントは以下の通りです。

「櫻井氏の記事は間違っていると訂正させ、
元慰安婦に一人も取材していないことも確認でき、
裁判内容では勝ったと思います。」

この論法なら、
誰も徳川家康や織田信長や源頼朝のことなんか書けませんね…
だ~れも取材してませんからねぇ…

ま、いいか…

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 後編④

2020年11月19日 00時01分44秒 | 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い
「土俵を間違えた人」第1回④


 前回の続きです。

 誰がどのように手榴弾を住民へと提供したかについては、各防衛隊員に支給された2個の手榴弾に加えて、それ以外の手榴弾もあったという可能性が高いです。既に「鉄の暴風」でもそのことが示唆され、太田氏はそれが住民のための自決用手榴弾であると主張しております。

 結果的にそのような事態となってしまいました。しかし、ここで問題にすべきことは、手榴弾が自決用だったのか否かということではありません。

 支給された手榴弾以外のものも持ち込めるのかどうか、仮に持ち込めることができるのであれば、それはどのような経緯や入手ルートが可能なのか、という要素が重要であると考えられます。つまり、防衛隊員らが支給されたもの以外の手榴弾を入手することが可能か否か、ということです。

 そこで着目しなければいけないのが、防衛隊を含む第三戦隊が「移動」していることだと思います。
 第三戦隊の各部隊が米軍の上陸後、意図しない舟艇攻撃から地上戦への変更により、本部や各舟艇基地群の陣地から、それぞれ複郭陣地へ移動したことは特に説明するまでもなく、明らかな事実となっております。その中に防衛隊も含まれることも、説明の必要がありません。
 しかも訓練や演習ではなく米軍の攻撃に対処しながらでありますから、戦死者も出しながら移動を実施していたということにもなります。
 このような状況で各部隊が布陣した元々の陣地から、新しい陣地へ動かねばならないという事態になった場合、移動の中には武器弾薬や糧秣等の物資を移動することも含まれるということは、これも特に説明することではないかと思われます。
 問題は誰が武器弾薬を運んだのか、ということになります。

 可能性が一番高いのは防衛隊ではないでしょうか。
 その理由として、まず、沖縄戦における防衛隊員の役割が直接的な戦闘への参加というよりも、陣地構築・建設や武器弾薬の運搬といった、いわゆる後方支援がメインだったことが挙げられます。もっとも、防衛隊員が全く戦闘に参加していなかったというわけではありませんし、戦死者も相当な数になると思われます。
 こういった傾向を渡嘉敷島に当てはめた場合、防衛隊員が武器弾薬を運搬したのは勿論のこと、地元の出身という、更に適した存在だという状況でもあるということがうかがわれます。

 複郭陣地は地図上のみで選定された可能性が高いという仮説を提示しましたが、裏を返せば「場所が不明瞭」あるいは「不慣れな場所」ということにもなるかと思われます。赤松大尉も「ある神話の背景」にて、複郭陣地の「場所が分からなかった」というような主旨の証言がありますから、地図でのみ記された場所へ実際に移動することは意外と難しい、ということにもなるかと思われます。
 しかも米軍の攻撃を受けながらの移動でありますし、昼も夜も関係なく移動することにもなるのですから、より一層困難ではないかと思われます。
 そういった各部隊の置かれた状況を考慮すれば、複郭陣地に選定された未知ともいえる複郭陣地へ移動するため、そのルートや地理に詳しそうな人物に武器弾薬等の物資を運ばせようとする意志や行為は、たとえ戦争中であったとしても、あるいは常識的に考えたとしても特に違和感はないのではないでしょうか。


 「ここは危ない、と私たちは、かねて準備してあった西山盆地の後方、恩納川原の避難小屋めざして出発した」(渡嘉敷村史編集委員会編 「渡嘉敷村史 通史編」 渡嘉敷村 1990年)


 「鉄の暴風」では恩納川原で集団自決が起こったとなっていますが間違いで、実際の場所は別のところであることが判明しております。
 誤認を訂正しないのは問題かもしれませんが、それはともかく、複郭陣地付近にある恩納川原に避難小屋が作られていたという証言は、これ以外にも複数確認されています。また、この避難小屋は軍が建設したのではなく、住民が自主的に作ったものであります。そして地形の構造を把握し理解したうえで、避難小屋の場所を選定した可能性が非常に高いです。

 以上のことを考慮すれば、第三戦隊が複郭陣地と選定した場所の地理に詳しいのは、当然の帰結かもしれませんが、防衛隊員を含む渡嘉敷島の住民ではないでしょうか。そこに到達する最短ルートも、ある程度は把握していたのではないでしょうか。
 しかし、全員が詳しいというわけではありません。複郭陣地に一番遠い場所に位置する阿波連地区で生活していた住民は、その確率が相対的に低くなるのではないかと思われます。

 想定外だった舟艇攻撃から地上戦への変換による混乱に加え、正に陸海空から米軍の攻撃を受け続けながら、命令された複郭陣地への移動をしなければならない第三戦隊の各部隊にとって、武器弾薬や食料といった物資の運搬も重要な任務です。
 その運搬の任務を受け持ったのは防衛隊員である可能性が非常に高く、地理や地形に不慣れな指揮官ないし部隊のため、現地に詳しい防衛隊員はその道案内も担っていたかもしれません。
 そして武器弾薬の中には、当然のごとく手榴弾も含まれます。

 具体的にどのような運搬ルートだったのかは不明です。ただ、「鉄の暴風」で描写された「20個の手榴弾」が事実であると仮定すれば、手榴弾が20個収納された木箱、現代風にいえばロットごとを二人一組で運んでいた可能性が浮かんでくるのです。

 さて、沖縄戦では防衛隊員が部隊や戦線から、命令に背いて自主的に離脱した数多くの例が厳然としてあり、渡嘉敷島も例外ではないことを前述しました。
 このような事実を総合的に考慮した場合、支給されたもの以外の手榴弾を持っていた防衛隊員が、太田氏の主張に反し自主的に部隊や戦線を離れ、自分の家族や親類縁者がいるかもしれない住民の集合場所へ赴くということは、絶対にあり得ないことなのでしょうか。手榴弾を所定の陣地へ運べと「命令された」としても、それを防衛隊員たちは忠実に守ったと断言できるのでしょうか。
 ただし、ここで命令の忠実さに対する是非・賛否は一切問いません。

 住民がどこに向かっているのか、防衛隊員は把握していた可能性が高いです。少なくとも軍と住民は時期や方法はバラバラでも同じ方向へ移動しており、実際に移動するルートも限定されるのではないかと思われますので、誰かしら出会うことが可能となるでしょう。
 そういった状況の中、渡嘉敷島という比較的小さなコミュニティでありますから、手榴弾をはじめ武器弾薬を運搬する途中で、知人友人や、運が良ければ家族や親類縁者と出会う確率が高くなると思われます。あるいはそのような住民たちから、自らの家族を含め住民がどこに集合しているのかといったような情報も、ある程度正確に把握することができたのではないでしょうか。

 以上の総合的な状況によって、防衛隊員は支給された以外の手榴弾を所持した状態で、自主的に集団自決をする前の住民たちと、それぞれに合流していった可能性が浮上してくるのです。
 すなわち、手榴弾を持ち込める状況があっただろうという仮説が成立するのです。
 勿論全員が全員というわけではなく、その中の一部の防衛隊員ではないかということになります。

 あくまでも仮説の域を出ることはできませんし、「鉄の暴風」の描写が事実であるという前提でもありますが、防衛隊員が所定の陣地へ運搬している途中だった複数の手榴弾が、太田氏が着目したと思われる「追加された手榴弾」の正体ではないのでしょうか。
 また、仮に複郭陣地に武器庫のような「厳重に管理された」施設が存在していたとしても、命令された各陣地への運搬途中であり未到達なわけなのですから、そもそも意味がありません。

 なお、防衛隊員のほかに徴用された朝鮮人労務者も、武器弾薬を含む物資の運搬をしていた可能性が残るのですが、地元出身ではないので除外しております。

 これで太田氏が主張する「厳重に管理された手榴弾」が、精神的・物理的ともに否定できる仮説を提示することが可能になるのです。防衛隊員が自らの意思によって複数の手榴弾を持ち込める可能性がある以上、太田氏が断言することに反して、手榴弾は厳重に管理されていないともいえるのです。


次回以降に続きます。