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空と無と仮と

沖縄・日本史・ミリタリーなど、拙筆ながら思ったことをつれづれと、時には無駄話、時にはアホ話ってなことで…

1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り⑤ 劇的変化のヌヌマチガマ⑥

2024年02月15日 18時12分11秒 | 1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り編

最後に1990年代と現在(2024)の違いを、
グーグルマップを参考にしながら、
もう一度確かめたいと思います。




今でこそ駐車場やトイレといったものが整備されていますが、
1990年代当時はそんなもの一切ございませんでした。

上記の画像のようにポツンと畑の中に石碑があり、
厳重に施錠された鉄柵もなく目印もなく、
かといって目立つような案内板もありません。

そうでありますゆえに、
もし道路沿いになかったならば、
見過ごしてしまいそうな場所にありました。

現にその当時はとにかく新城の集落を起点にして、
その県道沿いをレンタカーで何度か往復して、
やっと見つけたという記憶が蘇ります。
ホント、畑やビニールハウス以外は何も無いんですよ。

しかし、そのように畑ぐらいしかなかったからこそ、
今のように大型駐車場やトイレといった設備を、
平和学習のために充実することができたのですね。

ただ、2000年代の頃は、
近くの具志頭運動公園の駐車場にて、
観光バスが何台も駐車しているのをよく見ましたよ。
現在の駐車場がなかった頃です。
あれは多分、児童や生徒たちの平和学習でしょうね。
集団行動しているさまを時々眺めたものです。

それと、繰り返しになりますし、
上記の画像の見れば一目瞭然なのですが、
あの当時は鉄柵や鉄扉は全くありません。

そういうことでありますから、
比較的簡単かつ自由に入ることが可能でした。

しかし現在は事前予約やガイドの手配といった手続きが必要で、
なおかつガイド料等で料金が徴収されます。
だから勝手に中へ入ることができないことになっています。

自分ペースで何度も中へ入っていった1990年代に比べ、
その自由度が無くなってしまいました。
そういった意味では非常に残念ですが、
平和学習における安全上や永久的保全のことを考慮すれば、
ま、それはそれで必要な措置ではないかとも思いますね。



なお、八重瀬町戦争遺跡公園については、
1990年代には全く整備されていなかったので、
今回は案内板のみです。

というわけで興味がある方は是非、
このヌヌマチガマへ足を運んではいかがでしょうか。
勿論、八重瀬町戦争遺跡公園全体もです。

それが慰霊であっても平和学習であっても、
単なる観光旅行でも何でもかまいません。

「知ること・忘れないこと」を少しだけ具現化すれば、
それがいつしか慰霊となり学習となり、
そして記憶の継承となると信じておりますゆえ、
その人それぞれのペースで行ってみていただければと思います。


今回でヌヌマチガマは終わりです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次はガラビ壕です。

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