空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 前編②

沖縄戦に「神話」はない──「ある神話の背景」反論 第1回と第2回


 第1回と2回は主に「伝聞証拠説」に関するものです。

 その「伝聞証拠説」とはいったい何かということになりますが、まずは「ある神話の背景」から少し長いですが引用させていただきます。


 「太田氏が辛うじて那覇で《捕らえた》証言者は二人であった。二人は、当時の座間味村の助役であり現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏と、南方から復員して島に帰って来てきた宮平栄治氏であった。宮平氏は事件当時、南方にあり、山城氏は同じような集団自決の目撃者ではあったが、それは渡嘉敷島で起った事件ではなく、隣の座間味という島での体験であった。勿論、二人共、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった。しかし当時の状況では、その程度でも、事件に近い人を探し出すのがやっとだった。太田氏は僅か三人のスタッフと共に沖縄戦の状態を三か月で調べ、三か月で執筆したのである。(もっとも、宮平氏はそのような取材を受けた記憶はないと言う)
 太田氏は、この戦記について、まことに、玄人らしい分析を試みている。太田氏によれば、この戦記は、当時の空気を反映しているという。当時の社会事情はアメリカ側をヒューマニスティックに扱い、日本軍側の旧悪をあばくという空気が濃厚であった。太田氏は、それを私情をまじえずに書き留める側にあった。「述べて作らず」である。とすれば、当時のそのような空気を、そっくりその儘、記録することもまた、筆者としての当然の義務の一つであったと思われる。
「時代が違うと見方が違う」
 と太田氏はいう。最近沖縄県史の編集をしている史料編集所あたりでは、又見方が違うと思うという。違うのは間違いなのか自然なのか。
 いずれにせよ、恐らく、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕らえられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で、固定されたのであった。」


 特に難解な文章ではありませんが、「述べて作らず」というのは論語からの出典で、故事成語大辞典によりますと「古人の言動など昔から伝えられてきたことを伝えたり解説することはしても、自ら勝手に新しい話を作ったりはしない」という意味です。つまり当事者の証言だけでなく、アメリカ=善人、日本軍=悪人という当時の雰囲気も「述べて作らず」取り入れた、というような意味合いになるかと思われます。

 沖縄タイムスという新聞社、あるいはマスメディア、ジャーナリズム側の立場で執筆された「鉄の暴風」は、本来なら当事者に取材をしなければならないのにもかかわらず、実は当事者以外の人物から聞いた話によって構成されているということを、「ある神話の背景」で曽野氏は主張しています。別の見方をすれば、たとえ困難な当時の事情があったにせよ、その取材方法に問題があるのではないか、ということも言えそうです。
 
 そういった曽野氏の「伝聞証拠説」に対し、当然ながら太田氏は反論しておりますので、以下に箇条書きで要点を掲示します。
  • 宮平氏と山城氏は「新聞社がやっと那覇で捕らえることのできた証言者」ではなく、「向こうからやってきた情報提供者」である
  • その時に初めて渡嘉敷島の事情を知った
  • 誰に取材したかについて確かな記憶はないが、宮平氏(渡嘉敷島出身だが集団自決当時は出征していた)については中学の同級生だったことで覚えている
  • 「伝聞証拠」を主張する前に、曽野氏は誰から取材したかというような事実を確かめるべきである

 以上が曽野氏の主張する「伝聞証拠」説と太田氏による反論の応酬です。

 個人的な見解ですが、上記の応酬は厳密にいえば「集団自決の実像」という観点からは少し離れており、むしろお互いの取材やその方法に関する不備を、具体的な名前を出し合って非難するといった構造になるのではないでしょうか。従って、あまり深く考察、分析する必要性がないのではないかと思われます。
 第一、誰がどのように取材したかについては、曽野氏太田氏といった当事者にしかわからないことが多く、第三者からすれば捉えどころのない部分が多々あります。しかも1985年という、2019年現在からすれば34年前のことになりますので、時間の風化によって真相は藪の中になってしまう可能性が高いです。そういう経緯で、これ以上の考察・分析は省略いたします。

 しかしながら、太田氏は第2回の最後に「伝聞証拠」説への反論としてだけではなく、「ある神話の背景」全体への反論とも受け取れる主張をしております。これは太田氏、あるいは沖縄タイムス社全体が、渡嘉敷島の集団自決や沖縄戦全体に対する考え方の本質を垣間見られるようなものですので、以下に引用いたします。


「「ある神話の背景」は、集めた資料や情報から帰納的に結論が導かれたものではなく、あらかじめ予断があって、それを立証するための作業であったようにおもわれる」


 次回以降に続きます。


追伸

 「ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決」は、2006年に「沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実」と改題され、2019年現在もWACから出版されております。当ブログでは便宜上「ある神話の背景」で統一しております。これは単にわかりやすくするためのものですので、特に他意はございません。

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