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空と無と仮と

沖縄・日本史・ミリタリーなど、拙筆ながら思ったことをつれづれと、時には無駄話、時にはアホ話ってなことで…

ブルーインパルス、能登を飛ぶ

2024年02月28日 18時19分35秒 | いろんなこと日記
ブルーインパルス、3月能登へ 木原防衛相「被災者元気づける」

 木原稔防衛相は27日の衆院予算委員会分科会で、能登半島地震を受け、3月に同半島上空で航空自衛隊の曲技チーム「ブルーインパルス」を飛行させる方向で検討する考えを示した。  
 自民党の小森卓郎氏の質問に対し、「被災者を元気づける一つの方法として大変意義がある。前向きに進めていく」と語った。  
 ブルーインパルスは北陸新幹線の金沢―敦賀間が開業する3月16日に石川、福井両県で展示飛行を予定。能登での飛行はこの前後で調整する。 

時事通信 2/27(火) 19:13 


自分は自称飛行機大好きミリオタなんですけども、
ブルーインパルスが飛んで嬉しいのですかね?

そもそも、この地震から3カ月が経とうとしてますが、
インフラや仮設住宅等の整備は十分なのでしょうか?
そっちのほうが気になりますゆえに、
なんか素直に喜べないよなぁ…

数年前のコロナの時もブルーインパルスが、
医療関係者への感謝を込めて、ということで、
今回のように飛んでいました。

その時も思ったのですが、
軍のアクロバットチームによるパフォーマンスっていうのは、
欧米に比べ明らかに日本では認知度が低すぎて、
結果的に空回りしているだけじゃないかと、
そういう感想しかないんですよね。

そもそも、
日本と欧米の航空機に対する認知度・認識度が、
桁違いな差があるのではないか、
と思っておる次第でございます。

いや、厳密に言うと「航空機」というより、
軍隊に対する認知度・認識度の違いでなないかと思います。

「自衛隊は人殺しの訓練をしている」と、
左翼思想に蝕まれた人々が、
平気で職業差別をして憚らない日本の現状と、
まがりなりにも国を守る「ヒーロー」として、
それなりの評価を受ける欧米との差というか、
そのような懸隔があるのではないかと思います。

そうでありますゆえに、
ブルーインパルスの飛行が善意のパフォーマンスとして、
これから日本に浸透するかといえば、
遅々として進まないといった感じでしょうね。

「被災者を元気づける一つの方法として大変意義がある。
前向きに進めていく」というような、
そんな歯が浮くようなことを言うよりも、
北陸新幹線の開業を祝うイベントの一環だけで、
自分は十分だと思いますよ。

なお、自分は自称飛行機マニアのミリオタなので、
ブルーインパルスの存在や飛行自体には、
一切反対する気がございません。

公務員が商売のマネごとをするとこうなるいつものヤツです

2024年02月26日 15時14分50秒 | いろんなこと日記
栃木県「400万円奥日光ツアー」売れず 外国人富裕層向け、値下げや期間延長も申し込みゼロ

 外国人富裕層をターゲットに、栃木県が昨年10月に売り出した1人400万円の奥日光ツアーの申し込みが、販売期限の今年1月末までに1件もなかったことが24日までに、県への取材で分かった。都内と奥日光をヘリコプターで往復する2泊3日のプランで、価格を290万円に引き下げ、販売期間も延長したが成約に至らなかった。要因について県は発売前の周知不足やプランの設定を挙げている。

 ツアーは当初、奥日光の紅葉を満喫してもらおうと企画された。ヘリコプターで成田空港などから奥日光へ直行し、高級ホテル「ザ・リッツ・カールトン日光」に滞在。世界遺産「日光の社寺」やガイド付きの自然巡り、旧イタリア大使館別荘でのディナーなどが組み込まれていた。 


 国の観光再始動事業に採択され、県は本年度一般会計補正予算に事業費1500万円を計上。全額国庫負担で、昨年10月に販売を開始した。当初の販売期限だった12月上旬までに、県は9回の催行を想定したが、申し込みはゼロだったため、冬の絶景を満喫できるプランに変更。販売期間を延長し、値下げもした。 

 県観光交流課によると、問い合わせは中東などから複数あった。しかし、販売には至らなかったという。 

 ツアーが売れなかった要因について同課は、国の事業採択後の事務手続きに時間がかかり、宣伝開始が販売と同じ10月中旬と紅葉シーズン直前になったことや、宣伝に充てられる予算も限られ「販売までに魅力を十分PRできなかった」と説明。加えて、外国人富裕層は興味のある場所や体験を旅行会社に独自に用意させることも多く、あらかじめ内容が決まったツアーは、柔軟性がないと避けられた可能性があるという。 

 ヘリを運航する朝日航洋(東京都江東区)によると、同社は昨年、都内から奥日光にあるヘリポートまでのチャーター便を4回運航した。観光目的とみられる外国人もいたといい、担当者は「奥日光は移動手段が車しかないため、ヘリとの親和性は高い。県のツアーも売れる見込みはあった」と話す。 

 同課によると、県が事業主体となる外国人富裕層向けのツアーを新たに実施する予定はなく、担当者は「今後は旅行会社のツアーなどで、訪日客の満足度を高められるよう取り組みたい」と話した。 

2/25(日) 12:02 下野新聞SOON


まだこんなことやってんのか…って感じです。

一昔前まではリゾートホテルみたいな、
宿泊施設みたいないわゆる「ハコもの」に手を出した挙句、
大大大赤字を出してショボい金額で売却されたっけなぁ…
あ、別に日光市がそんなヘマをしたわけではないですけどね。

でも結局、それらの前例と変わらないことを、
今も普通に繰り返しているわけですよ。
何の反省もなくね…

「価格を290万円に引き下げ」
おいおい、いくらボッタくっていたんだよ?

「問い合わせは中東などから複数あった」
はぁ~…とため息…
ホントかなぁ~…言ったもん勝ち臭いなぁ~…

「事業採択後の事務手続きに時間がかかり」
他責思考とやる気がないオーラしか見えない…

「宣伝に充てられる予算も限られ」
他責思考パート2と宣伝PRの軽視…
日光は有名観光名所の一つにすぎず、
客は数多くある名所を恣意的に選んでいること、
そんな基本的なことにさえ気づいていない…

「柔軟性がないと避けられた可能性」
そうだね、このツアーを考えた人、
そして決めた人・やろうとした人全員が、
その「柔軟性」とやらを学んだ方がいいと思うよ。

インバウンドインバウンドでウキウキ気分かもしれませんが、
そもそも、このツアーを企画した人たち自身がお金持ちだったら、
400万円を出してこの「商品」を買ったのかね???
400万円を出すほどの価値があるのか聞いてみたいですね…

とにもかくにも湯水のごとく湧いて出る税金で、
色々で様々なことができてよかったですね。
しかも返さなくってもいいっていう特典付きだし…

以上、一栃木県民の溜息でした。

1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り⑥ 漆黒のガラビ壕①

2024年02月19日 19時13分10秒 | 1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り編






 兵士たちの自決 仲地政子(旧姓・崎間)

 じめじめと梅雨が降り続いている頃、急速に増えた戦傷者の処置を、軍医を始め衛生兵や看護婦、近所の集落から借り集められた女子義勇隊、防衛隊等で、昼夜を分かたぬ奮闘が続けられていました。一日に何十人と送られて来る患者の数。目まぐるしい忙しさ。どんなに頑張っても力を尽くしても、人のやり得る仕事の量には限界があります。病院(新城分院即ちヌヌマチガマ・ガラビガマのこと──引用者注)に来て一回目の治療を受けたっきりで、病室に放り込まれた多数の患者。負傷者の呻き声。

(中略)

 やがて三度のご飯を配るのさえ精一杯になりました。身動きのできない重傷患者は、寝かされたまま死んだように動きません。「ご飯を下さい」と叫ぶ気力もなく、薄暗い中で誰にも気付かれずに忘れられたまま冷たくなった人々。おや、ここにも誰か負傷兵が寝ている。ふと気づき「兵隊さん、兵隊さん」と声をかけても返事がありません。「看護婦さん、隣の奴どうも変ですよ。先刻まで水をくれとか呻いたりしていたが、いやにおとなしくなっていますよ。ちょっと見てやって下さい」という声に灯りを照らして見ると、藁のなかに苦悶の様相で既にこときれている始末。家を出るとき歓呼の声に送られて華々しく出発して来た人たちのこれが哀れな最期でした。

(中略)

 だんだん情勢が悪くなり、もう近くの前川という集落まで米軍は進出してきているとの話です。遂に病院閉鎖が決まりました。歩ける者には退院を命じ、どうしても動けぬ者は青酸カリで自決。前の晩(6月2日頃と思われる──引用者注)、軍曹ら二~三人の人たちが、青酸カリの粉とブドウ糖の粉を混合したものを一服ずつこしらえていました。皆黙ってただ手を機械的に動かしつつ、これからどうなるかどうするとか少しも気にならず、無神経にただ黙々とこの恐ろしい毒薬を包んでいるのです。唐突に一人の兵士がカラカラと馬鹿笑いを始め、皆の気持ちを引き立てようと試みました。
 翌朝、全員にその旨を告げ、居残りの患者に薬を配りました。死を控えた人たちの態度、何ら取り乱した所もなく、もう諦めきったように平静を装っているようでした。しかし、心中はどんなにもがき苦しんでいたのでしょうか。いろいろと故郷のこと、肉親のことなど、死を目前に迫られた人たちの気持ちを思うと、私はいたたまれなくなってしまったのでした。

(中略)

 やがて、一人ずつ薬を飲ませ、飲めぬ者には注射を打ったのでした。「上野駅から九段まで…」小さかった声がだんだん高くなり、とうとういたたまれず外へ飛び出した私は声をあげて泣いてしまいました。「万歳!」という叫び声。「パーン」と銃声一発。将校の患者が自決したのです。
 しばらくして再び病院へ足を運ぶと、すでに呼吸困難を始めている人、目をうつろに天井に向けている人、刻一刻と迫る死をこんなにも静かに待っている人たち。神に近い崇高さが漂っているのでした。

白梅同窓会編 『白梅 沖縄県立第二高等女学校看護隊の記録』 
(クリエイティブ21、2000年)

 
まずはヌヌマチガマ・ガラビガマで何があったかについて、
「元白梅隊員」の手記を引用させていただきました。

次回以降に続きます。

1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り⑤ 劇的変化のヌヌマチガマ⑥

2024年02月15日 18時12分11秒 | 1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り編

最後に1990年代と現在(2024)の違いを、
グーグルマップを参考にしながら、
もう一度確かめたいと思います。




今でこそ駐車場やトイレといったものが整備されていますが、
1990年代当時はそんなもの一切ございませんでした。

上記の画像のようにポツンと畑の中に石碑があり、
厳重に施錠された鉄柵もなく目印もなく、
かといって目立つような案内板もありません。

そうでありますゆえに、
もし道路沿いになかったならば、
見過ごしてしまいそうな場所にありました。

現にその当時はとにかく新城の集落を起点にして、
その県道沿いをレンタカーで何度か往復して、
やっと見つけたという記憶が蘇ります。
ホント、畑やビニールハウス以外は何も無いんですよ。

しかし、そのように畑ぐらいしかなかったからこそ、
今のように大型駐車場やトイレといった設備を、
平和学習のために充実することができたのですね。

ただ、2000年代の頃は、
近くの具志頭運動公園の駐車場にて、
観光バスが何台も駐車しているのをよく見ましたよ。
現在の駐車場がなかった頃です。
あれは多分、児童や生徒たちの平和学習でしょうね。
集団行動しているさまを時々眺めたものです。

それと、繰り返しになりますし、
上記の画像の見れば一目瞭然なのですが、
あの当時は鉄柵や鉄扉は全くありません。

そういうことでありますから、
比較的簡単かつ自由に入ることが可能でした。

しかし現在は事前予約やガイドの手配といった手続きが必要で、
なおかつガイド料等で料金が徴収されます。
だから勝手に中へ入ることができないことになっています。

自分ペースで何度も中へ入っていった1990年代に比べ、
その自由度が無くなってしまいました。
そういった意味では非常に残念ですが、
平和学習における安全上や永久的保全のことを考慮すれば、
ま、それはそれで必要な措置ではないかとも思いますね。



なお、八重瀬町戦争遺跡公園については、
1990年代には全く整備されていなかったので、
今回は案内板のみです。

というわけで興味がある方は是非、
このヌヌマチガマへ足を運んではいかがでしょうか。
勿論、八重瀬町戦争遺跡公園全体もです。

それが慰霊であっても平和学習であっても、
単なる観光旅行でも何でもかまいません。

「知ること・忘れないこと」を少しだけ具現化すれば、
それがいつしか慰霊となり学習となり、
そして記憶の継承となると信じておりますゆえ、
その人それぞれのペースで行ってみていただければと思います。


今回でヌヌマチガマは終わりです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次はガラビ壕です。

タバコをやめてみました

2024年02月13日 18時33分07秒 | いろんなこと日記
20才の頃から吸っていたタバコ。

今は53才のオッサンですから、
かれこれ30年以上吸っていたことになりますね。
しかも一日一箱ですから20本を毎日毎日。

30年前は一箱220円でした。
2024年の現在は増税増税で540円ですね。

540円を30日間購入していたとして、
単純計算で一ヶ月16200円!!

なんか、バカバカしくてやめました。
元々金持ちでもないからね。
あ、大病を患ったからでもありません。
ここ何十年も入院したことがありません。

幸運なことに自分は依存症ではないと思います。
新幹線といった交通機関は禁煙が当然な昨今ですが、
自分は特にイライラすることもなく、
タバコを吸わず普通に過ごすことができます。

喫煙車と禁煙車があった時代も、
どちらでもよかったですね。
それでも喫煙車独特のヤニ臭さと、
煙たさはなんか懐かしいなぁ…

ちなみに1990年代は飛行機内でもタバコが吸えましたが、
自分は特に吸うこともなく沖縄を往復していましたね。
いまじゃ考えられませんね。

タバコによる健康被害を感じたというわけでなく、
かといって「長生きしたい」とも思いませんが、
一つだけ良かったことがありました。

それは「寝つきがよくなった」ことです。

自分はガキの頃から寝つきが悪かったです。
場所が変わったりしたときは特にそうですね。

自宅アパートもそうですが、
興奮しているからか何なのかわかりませんが、
ホテルとか旅館とかは特にひどく、
一睡もできないことが度々ありました。
で、眠れないからタバコを吸っちゃうんです。

でも、タバコをやめてからはすごく寝つきがよくなった!
なんかすぐ寝ちゃうんですよね。
タバコを吸っていた時には体験できなかったことです。

ただ、これが本当にタバコを吸わなくなったのが原因なのか、
自分にはわかりません。
タバコをやめた人が「食べ物が美味くなった」ということは、
時々耳にすることなのですがね…

ま、とにかく禁煙を継続しようと思っております。