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空と無と仮と

沖縄・日本史・ミリタリーなど、拙筆ながら思ったことをつれづれと、時には無駄話、時にはアホ話ってなことで…

ついでに「永遠の0」も観ましたよ

2019年04月30日 00時03分18秒 | いろんなこと日記
自分は飛行機オタクです。
特に第二次大戦の航空機は大好物です。

それと、本は人並み以上に読んでいると、
勝手に自慢しておこうと思うのですが、
小説はほとんど読みませんので、
「永遠の0」の原作も読んでおりません。

前回書いた「ハクソーリッジ」と同じように、
作品自体が面白いかどうかといえば、
①もう一度見たい
②一回で十分だ
③途中で挫折
という超個人的見解で評価するならば、
③の途中で挫折でした。

でも、日本映画のCGも進化しているようですね。
ゼロ戦の動きは中々見ごたえがあったですよ。
最後まで観てませんけど…

ただ、ハリウッド映画に比べると、
なんか、
もうちょっと努力してほしいなぁ…って感じ。

「トランスフォーマー」シリーズの、
自動車がトランスフォームする場面は、
いまだに実写とCGとの境界線がわかりません。

途中挫折で批評をすることに批判があるかもしれません。

ではなぜ、途中でやめてしまったといえば、
現代とその当時を交差して描かれている場面、
特に特攻に対する現代の場面が、
なんか、押しつけがましいというか、
セリフの一つ一つが鼻についてしまいました。

特攻隊員の手紙を読んで「ヒロイズム」だとか、
「自爆テロと特攻は違う!」とか…

多分、原作者の主張がセリフになって表れているんでしょうね。

いや、そういったことを主張することが悪いとは決して思いません。
また、その主張自体を直接的に妨害するような奴らには賛同できません。

要は右翼も左翼も、
ま、現在ならネトウヨもパヨクもクソもありません!
ってことです。

ただ、作品自体が面白いかどうかというのは、
自分からすれば全くの別問題なんです。

いくら崇高な主張やメッセージが込められたとしても、
作品そのものが面白くなければ、
途中で観るのをやめてしまいます。
いくら飛行機好きな自分でもね。
ただそれだけなんです。

それともうひとつ、
現在の価値観、あるいはその時代時代の価値感で、
その当時を映画やドラマで断罪したり、
反対に称賛したりする行為はやめてほしいですね。

そういった意味だと「永遠の0」は右翼的価値観でしょうね。
ただ、一昔前までは左翼的価値観の戦争映画ばっかりでしたけどね。
リメイクされた「きけ、わだつみの声」なんか、
本来関係のない従軍慰安婦まで、
わざわざ登場していましたからね。

もう、それ時点で「リアル」さがなくなってしまいます。

映画やドラマというものは、
「限りなく事実に近い嘘」と思っております。
いかにして観る人を「本当のこと」だと錯覚させるか、
といったものだと思っております。

これを逆手に取ったのがSFでありホラーであり、
あるいはコメディだと思います。
絶対にありえないものを、
いかにも事実っぽく描く行為。
ゾンビなんて典型的だと思いますよ。
ま、関係ないのでこれ以上は書きません。

ですから、
その時代時代の価値観によって、
太平洋戦争の描かれ方が変わってしまうということは、
既に「リアル」ではないということになるんです。

「これは本当のことかもしれない」
あるいは「事実だったとしてもおかしくはない」
といった「錯覚」が起きないんですよね、自分としては。
だから飽きてしまうんです。

では、その「リアル」というのは何なのか?
と、問われれば、
正直言って自分でもわかりません。

特攻隊員が何を考えていたか、
敵艦に突っ込む瞬間、
あの人たちは何を思っていたのか…
今となっては、もう、
誰もわからないかもしれません。

だからといって、
時代時代の価値観によって、
彼らの考えを都合よく変化させることにも納得できません。

結局、自分の主張を正当化するための手段として、
彼らを利用しているにすぎないような、
単なるプロパガンダに見えてしまうからです。

もう一度書きますが、
それは右も左も、
ネトウヨもパヨクもクソも関係ありませんからね。

「真空地帯」のようなシリアスなものから、
「兵隊やくざ」みたいな任侠ものや、
「二等兵物語」のようなコメディといった、
様々なジャンルがあった昔の映画に比べて、
今は右か左かの両極端しかないのが寂しい限りです。


さてさて、いろいろな映画やドラマに対する価値観は、
人それぞれ千差万別かもしれませんが、
皆さんはどう思われるのでしょうか?


「ハクソーリッジ」も観てみました

2019年04月29日 00時19分24秒 | いろんなこと日記
沖縄戦を描いた「ハクソーリッジ」って、
ネットか何かで初めて見た時は、
ハクソーリッジがどこだか分からなかったです。

米軍と日本軍の呼称が違うのは当然なのですが、
よくよく調べたら前田高地だったのですね。
嘉数高地や安里五二高地と並ぶ激戦地です。

「良心的兵役拒否者」という、
日本ではあまり馴染みのない衛生兵の、
実話を元にした物語ですね。

作品自体は面白いかどうかといえば、
①もう一度見たい
②一回で十分だ
③途中で挫折
という超個人的見解で評価するならば、
②の一回で十分でした。

あくまで面白いか、
そうでないかという基準です。
史実がどうのこうのというのは、
学術研究の範疇内であって一切関係ありません。

それと、いつものことではあると思いますが、
日本兵の扱いが雑でしたね。
最後のハラキリも、なんだかなぁ~って感じ。
ま、いいか…

観ている最中にとても気になったのが、
主役の人は「別の映画で見たことある!」
ってことなのですけど、
それが思い出せなくて思い出せなくて、
終わった瞬間にネットで調べていたということです。

遠藤周作原作で、
マーティン・スコセッシが監督した「沈黙」の、
主役の人と同じだということ。
それが分かってスッキリしたのでした。
めでたしめでたし!

「スターウォーズ」のカイロ・レンが出てたのは、
すぐ気がついたんですがね。

皆さんもそういうことがありませんか?
「この人どっかで見たけど、なんか思い出せないんだよなぁ」
って感じでモヤモヤすることがありませんか?


前田高地は何回か訪れたことがあります。
ただ、ハクソーリッジと呼ばれた場所は、
あまり記憶にないんですよね。

インターネットで改めて場所を確かめると、
「ああ、ここだったのか!」って、
初めて思い出したくらいです。

自分が見た風景と当時の画像が、
あまりにも違いましたから、
見過ごしてしまいましたね。
なんか、もったいないなぁ…

それもそのはず。
どうも、戦後は砕石したらしくて、
ハクソーリッジ近辺は削られてしまったそうです。

ま、仕方がないですね。

最大の激戦地といわれたシュガーローフ。
日本軍の呼称だと安里五二高地のことですが、
この場所も大きな大きな貯水施設が建てられましたから、
一見すると何だかわからない感じになっています。

嘉数高地ぐらいでしょうか、
当時の面影を残しているのは。

今は嘉数台公園として整備されていますね。
地下陣地入り口やトーチカの跡が、
現在も生々しく残っています。

興味がある方は一度ご覧になった方がよろしいかと思いますよ。

いまさらながら「ザ・パシフィック」観ました

2019年04月28日 00時01分46秒 | いろんなこと日記
「ザ・パシフィック」というのは、
アメリカのドラマシリーズで、
太平洋戦争のガタルカナルから沖縄までの、
海兵隊員の手記を元にしたものです。

原作は20年以上前に読んでいました。


ちなみに1991年に琉球新報社から出版されています。

現在は講談社学術文庫でも再版されているようなので、
入手は簡単だと思いますよ。
ご興味のある方は読んでみてください。

ドラマ全体の感想といえば…
ハッキリ言って姉妹編といえるような、
「バンド・オブ・ブラザーズ」のほうが、
なんか面白かったです。

いや、つまらないから途中で飽きたということでもありません。
本当につまらなかったら最後まで観ません。
これは他のドラマシリーズと同じです。

かといって何度も観ようとは思わないですね。
超個人的意見ですけど…
その程度の作品ってことです。

しかしこういった戦争ドラマで、
いつも感心されられるのが、
時代考証の完璧さ!
芸が細かいというか、ちゃんと調べているんですね。

もっとも、アメリカではドラマにしろ映画にしろ、
ミリタリーアドバイザーが監修してるから、
当然といえば当然かもしれません。

しかもミリタリーアドバイザーになった元軍人が、
俳優としても出演してるんですからね。
日本じゃ考えられないです。

ただ気になったのが「沖縄編」ですかね。
観た方もおありでしょうが、
若い女性が爆薬を括り付けられているシーン。

残虐ですね。
日本軍は酷いことをしますね。

でもあのシーンは、本当にあったことなのでしょうか?
ちょっとわかりません。
ま、ドラマというのは実話を元にしたフィクションですから、
日本軍の残虐性を強調するためのものかもしれません。

ただし、そういった「残虐な日本軍」というのは、
当時のアメリカ軍兵士が書いた手記や証言集には、
結構あるんですよね、実際の話。

例えばこれも沖縄戦での手記ですが、

「洞穴の外で泣いている女の子を見たことがある。背中に爆薬が仕掛けてあった。数十メートルほど後方に、日本兵の姿があった。日本軍は、このように子供をブービートラップ(仕掛け爆弾」として使うことが多かったという」

という感じで「卑怯で残酷な」日本軍を強調するものがあるんです。

さて、これも本当かどうか疑問ですね。
日本や日本軍の戦争責任を追及する人たちにとっては、
大好物で格好の材料になりますけど、
実際はどうなんでしょうね…

敵を悪い奴らと印象づけるのは、
古今東西からして腐るほどありますし、
人種偏見も当然のようにあることですから、
正義のアメリカ対邪悪な日本という、
勧善懲悪な構図の結果ではあるかと思います。

そういったわけだから、
嘘かどうかわからないけど、
「野蛮で卑劣なジャップならやったかもしれない」
という印象だけが後世に残ってしまうような気がします。
特に検証もされないままにね…

それと、このような人種的なわだかまりを考えると、
いつも思い出すことがあります。

ニュルンベルグ裁判でアメリカの検事が、
ユダヤ人の虐殺について、
あのヘルマン・ゲーリングに問いただしたところ、
「アメリカは黒人に同じことしてるじゃないか」
と、反論したそうです。

なんかむなしいですよね…


参考文献

吉田健正『沖縄戦 米兵は何を見たか』(彩流社 1996年)




1990年代の沖縄旅行 ジェットフォイルで伊江島たっちゅ~④

2019年04月24日 00時02分13秒 | 1990年代の沖縄旅行 いろんな場所編

       


今帰仁村方面を撮りました。


      


伊江港と本部半島に瀬底島方面です。
水納島も写ってるかな?

これらはすべて1999年2月の光景です。
2019年現在と何か変わっているでしょうか?

パノラマ絶景も素晴らしいのですが、
特に印象に残っているのは、
畑の色が様々なモザイク状になって、
キレイな彩りをなしていたということです。

沖縄の農作物については、
ハッキリ言ってよくわかりません。
サトウキビぐらいですね、
すぐ思いつくのは。

春になる前の2月ですから、
これからの農作物を育てるために、
耕運機やトラクターなんかで、
畑を耕していたのでしょう。

色が微妙に違うブラウンのモザイクと、
海のエメラルドブルーなコントラストは、
この伊江島タッチューでしか味わえない醍醐味!
自分だけはそう信じています。



       


畑のモザイク状がよくわかる、もう一枚の画像です。
でも頂上から撮影したものじゃないかも…
本島とは反対側の方角かな?
記憶があいまいでちょっとわかりません。

いやしかし、季節が変わると、
畑のモザイクも変わるかもしれませんね。
この時期しか行ったことがありませんので、
季節ごとのモザイクが楽しめるのかな?

夏になるとキレイな緑に変貌するのかな?
秋や冬はどんな色になるのかな?
それはそれで眺めてみたいです。

カメラで撮影した後は何もせず、
ボ~ッと座っては、
ほおづえをつきながら眺めていましたね。
もう、それだけで十分でした。

あ、A&Wのルートビア飲んでました。
ま、A&Wしかありませんけどね。
あのサロンパスルートビア。

自分はドクターペッパーも好きですから、
ルートビアは普通に飲んでましたよ。
自分だけの至福なひととき…な~んてね。

やっぱりここは有名なんでしょうね。
頂上に登ってもひっきりなしに観光客が来ますから。

いや、別に独りきりを邪魔されたくないって、
わけでは決してないんです、念のため。
むしろオバちゃんグループに撮影を頼まれて、
ちゃんとご要望に応えてあげていました。

ただ、スーツ姿の男女の集団まで登ってきたのには、
ちょっとビックリしましたね。
研修か何かのついでの観光かもしれませんが、
革靴にヒールだったしなぁ…
とにもかくにも、ケガだけはしないでねって感じです。

そうやって1時間ほど滞在したところで、
帰りの時間を考えて降りました。
午後3時ぐらいだったと思います。

ジェットフォイルの出発時刻は午後4時40分。
タッチューを時々振り返りながら、
1時間ぐらいで伊江港へと戻りました。

伊江港周辺をブラブラした後、
フェリーターミナルの待合室に行くと、
レンタサイクルの女の子たちがいましたね。
友達同士の楽しい思い出になったかな?

あとはベロンベロンに酔っぱらったオッちゃん一人。
礼服を着てたから法事か何かかもしれません。
しかし「あのオッちゃん大丈夫かな?」
って心配するほどグデングデンでした。

港のスタッフらしき人が、
チラチラ様子をうかがっていたのを見てましたので、
とりあえず自分は何もしません。

それよりも気になったのが、
売店で昆布を大量に買っていた米兵の黒人さん。
なんでしょう?
昆布をレジ袋パンパンでいっぱい買っていたんですよね。
お土産かな?
それともコック担当で食材を仕入れていたのかな?

迷彩服で黒人さんで大量の昆布という組み合わせが、
なんとも印象深いんです。
まぁ、いいか…

時間通りにジェットフォイルは出航しました。
1時間程度で那覇に到着します。

2019年現在、伊江島にはこの一度きりしかありません。
できれば再び伊江島タッチューに登ってみたいですね。

伊江島へ旅行なさるなら、
絶対に伊江島タッチューだけは行ったほうがいいですよ!

これで「ジェットフォイルで伊江島たっちゅ~」は終わりです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


1990年代の沖縄旅行 ジェットフォイルで伊江島たっちゅ~③

2019年04月23日 00時13分08秒 | 1990年代の沖縄旅行 いろんな場所編
フェリーターミナルの2階で昼食をとった後は、
メインイベントである伊江島タッチューへと向かいます。

地図帳を開いてルートを確認。
といっても、伊江港からは特に複雑なルートではありません。
この島で一番目立つタッチューへ行くわけですから、
それを見上げながら、
ただただ、歩いていけばいいわけです。
迷うはずがありません。

伊江港の近くにレンタサイクル屋さんがありました。
ニャティヤ洞の途中で出会った女の子たちも、
ここのレンタサイクルなのでしょう。
自分も借りようか少し迷いましたが、
タッチューに登ることが目的でしたので、
歩いていくことにしました。

ただ、どういうルートで向かったのか、
もうほとんど忘れてしまいました。
役場や学校のそばを通った記憶があるような、ないような…

一カ所だけ覚えているのは公益質屋跡です。
沖縄戦当時の銃弾や砲弾跡が残っていました。
そういった意味では生々しいですね。

本島南部の戦跡巡りをしていた時に、
地元のおばちゃんおばあちゃんから、
「壁に銃弾跡があるよ」って、
教えてもらったことがあります。
それはあえて指摘されなかったら、
単なるキズや穴みたいな小さなものだったけど、
この公益質屋跡はハッキリとしていますね。

ちなみに個人的には銃弾跡よりも、
一家全滅して空き地だけがぽっかりとある光景というのが、
とても衝撃的でしたね。
これも本島南部の話ですけど。

当然かもしれませんが、
伊江島タッチューへの案内掲示板がありましたので、
それに従って道路を登っていきます。

      


坂の途中で撮った画像です…だと思います。
タッチューの頂上からだとすれば、
なんだか低いような気がしますので…

そうやって少しくねった道路を登り続けていくと、
二階建ての売店と駐車場へと到着しました。


      


売店の二階部分は休憩所みたいになっていましたので、
そこから撮影したのが上記の画像です。
この道路を登ってきました。
海の向こうに見えるのは本部半島ですね。
それとも今帰仁村方面かな。

小休止をおえて、さっそく頂上へと向かいます。
形状からしてちょっとキツそうだなとは思いました。
案の定、階段ばっかりでした。

でもこの当時から階段が整備されていましたので、
歩きにくいということはありません。
ただ、急峻ですね。
それは間違いないです。

そうやって10分ほど登ったでしょうか、
ついに頂上へとたどり着きます。


       


伊江港方面を撮影。


       


同じく伊江港と瀬底島方面ですね。  

本島方面以外にも写真を撮ったはずなのですが、
どうやら紛失してしまいました。
伊江島空港とか撮ったはずなのにぃ…

この日は時々曇っていましたが、
おおむね晴れが続きましたから、
景色を堪能するには最高のお天気でした。

ただ風が強かった。
でも、吹き飛ばされるような強さでもありませんので、
ちょっと心地よかったですね。
汗をかきながら階段を登ってきたから、
ちょうどよかったのかもしれません。

さすがに伊江島一番の名所だけあって、
平日でも観光客はおりました。
自分を含めて7~8人ぐらいかな。

伊江島をグルっと、
それこそ360度見渡せるパノラマ展望!
絶景の一言に尽きます。

それに念願だった、
伊江島から本部半島を眺めることができました。

次回以降に続きます。