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空と無と仮と

沖縄・日本史・ミリタリーなど、拙筆ながら思ったことをつれづれと、時には無駄話、時にはアホ話ってなことで…

まだまだ「子供だまし」が続く令和納豆

2021年03月28日 12時32分47秒 | いろんなこと日記
「令和納豆」に保健所立ち入り調査 賞味期限ラベルめぐる騒動受け...運営会社「誤解与えた」と謝罪【追記あり】


 納豆ご飯専門店「令和納豆」(茨城県水戸市)が通信販売する加工食品をめぐり、消費者から賞味期限ラベルが貼り替えられているとの通報があり、保健所が立ち入り調査をしていたことが分かった。

 運営会社の「納豆」(水戸市)はJ-CASTニュースの取材に「誤解を与える状況が存在していた」と非を認め、再発防止に努めるとする。 

 ■「納豆ご飯セット一生涯無料パスポート」で話題に  納豆社サイトによれば、同社は「世界初の納豆バイオテックベンチャー」として、宮下裕任氏がNTT、KDDI香港などを経て18年に設立した。
 19年7月には筑波銀行と日本政策金融公庫から融資を受け、「令和納豆」を開業。クラウドファンディングでは「納豆ご飯セット一生涯無料パスポート」などの返礼品を配布し、目標額の4倍となる1200万円超を集めて脚光を浴びた。20年5月には、米国の食品会社を買収し、グローバル展開も果たす。
 
 今回騒動となったのが、21年2月から自社通販サイトで販売する「納豆ごはんに絶対的にオススメの国産納豆詰め合わせセット」(税込1100円、送料別)だ。老舗メーカー5社の納豆を揃え、「BCN」「食楽web」など複数のニュースサイトで紹介された。ライフスタイル情報サイト「IGNITE」は「究極の納豆セット」と絶賛する。
 しかし、購入者らから「通常の商品形態と異なっていて変だ」との旨の指摘がインターネット上で多数寄せられている。  

包装ビニールと賞味期限表示が...

 具体的には、(1)同梱する「川口納豆」の包装ビニールと賞味期限表示が通常と異なる(2)同じく「福ユタカ」の賞味期限ラベルが貼り替えられている――といった指摘で、賞味期限を販売者都合で変えているのではとの憶測が広まっている。25日までに詰め合わせセットは通販サイトから消えた。
 納豆社に事実確認をすると、代理人弁護士を通じて24日、「賞味期限の改ざんや商品の中身自体について加工はしておりません」と疑惑を否定した。     一方で、「誤解を与える状況が存在していたことが判明しましたので、その点大変申し訳なく思っており、これについて謝罪いたします」と不注意な点もあったという。同社は次のように説明する。
 「川口納豆」は、発送前に店舗の冷蔵庫で保存しているが、包装ビニールが汚れてしまった商品があった。品質自体に問題はないものの、「お客様に失礼」と考え、従業員の判断でビニールを差し替えた。元のビニールには賞味期限が打刻されていたため、同日の期限ラベルを用意してビニールに貼った。   製造元の川口納豆社(宮城県栗原市)には許諾を得ていなかった。同社はJ-CASTニュースの取材に、同業者からの連絡などで事態を把握したとする。納豆社には詳しい経緯の説明を求め、返事を待っているという。
 納豆社は保健所の調査を受け、「違法ではないものの消費者に余計な誤解を招くようなことは極力しないほうが良い」との旨の指摘を受けたという。   水戸市保健所の保健衛生課は、消費者からの通報を受けて、3月上旬に電話・対面での聞き取りと現地調査をしたと取材に明かした。食品衛生法や食品表示法の観点から商品の管理や表示方法について不適切な扱いがないか調べたという。今後は抜き打ち検査も視野に調査を続ける考えを示した。
 納豆社は、再発防止策として「商品保管の時点で汚れが極力発生しないように保管方法を変更し、また包装等を変えないということをルールとして定めました」としている。

(中略)

 以下、納豆社からの追加回答。 
「依頼者において説明のリリースをしたところ、従業員から、何件か7日としたものがあるかもしれない、という報告を後から受けました。 ご回答をする際も、リリースをする際も、もともと5日と設定していたルールがあること、それ以外のものがないことを繰り返し確認をしておりましたがルール違反がされていたものがいくつか存在してしまったことになります。この点、訂正のうえ、お詫びいたします。 なお、従業員は、ネット炎上の影響から不審者への対応や警察沙汰のトラブル、さらにはコロナ対応も考えなければならないというストレスに晒される状況が継続していたこともあり、2月のことがほとんど思い出すことができない状態にありこのような回答の食い違いとなってしまいました」

J-castニュース 3/25(木) 20:08 



公正を期すため、
以下に令和納豆の公式コメントを全文引用いたします。





2021年3月26日
 
賞味期限の表示についてのご説明
令和納豆
 
 インターネット、SNS上において、当店が販売している「納豆ごはんに絶対的にオススメの国産納豆詰め合わせセット」のうち「川口納豆」「福ユタカ」に関して、当店において賞味期限を変更しているのではないかとの疑惑が取り上げられております。
 
 当店において、賞味期限の変更はしておりませんが、下記のとおり誤解を与える状況が存在していたことが判明しました。
 
 
「川口納豆」について
 発送前に店舗冷蔵庫にて保存している際に包装ビニールが汚れてしまったものにつき、従業員が川口納豆様からはこれについて事前の許諾を得ずに、包装ビニール袋を変えた上で、元々打刻されている賞味期限と同日の期限を記載した賞味期限シールを貼って発送していた事例が複数あることが分かりました。
 
「福ユタカ」について
 メーカーから冷凍で納品される製品(凍結流通品)ですが、製品には賞味期限の表示がありません。凍結流通品については、製品にもよりますが解凍後7~14日程度の賞味期限とすることが多く見受けられるため、期限として問題ないと思料される”解凍後5日”(ただ、従業員への再度のヒアリングの結果、発送したいくつかの商品について”解凍後7日”とするものもあることが判明しました)とする賞味期限シールを当店で貼っておりました。こちらもメーカーに明確な確認を取っておりませんでした。
 
 
 保健所からも、違法ではないものの消費者に余計な誤解を招くようなことは極力しないほうが良い旨の指摘を受けており、みなさまにご心配をおかけし、またメーカーにもご迷惑をおかけすることとなり、誠に申し訳ございませんでした。
 指摘を受けて以降、商品保管方法を変更し、また包装等を変えないということをルールとして定めました。社員一同、今後このようなことが起こらないよう、十二分に注意を払ってまいります。
 
以上



いやはや、
次から次へと「炎上騒ぎ」が勃発する現象は、
近年稀にみるものではないでしょうかね。

以前にも「子供だましの令和納豆云々」というタイトルで、
自分なりの意見を述べさせていただきましたが、
今回はその続きのようなものです。


一連の騒動の流れを見てみると、
どうも、
リスクマネジメント的な面から疑問に思ってしまうことは、
やっぱり「生涯無料パスポート」ですね。
これがそもそもの発端なのですから…


少なくとも1000枚販売されたようなのですが、
これはつまり、
少なくとも1000人の方々がお持ちになっているということです。

ではでは、
その1000人の方々が「生涯無料パスポート」を、
同日同時に使う事態になったら、
令和納豆さんはどう対処したのでしょう。

「1000人が同時になんて、そんなバカな話があるもんか!」と、
笑ってしまう方がいるかもしれません。
鼻で笑われてしまうでしょうね。

ハッキリいって自分も、
こんなバカげた話をぶち上げることは躊躇するのですが、
「生涯無料パスポート」を持つ方々が、
1000人以上存在するという厳然な事実がある以上、
あるいはそれが前提であるという絶対条件ならば、
「1000人が同時に使用」することは決して絵空事ではなく、
たとえ「それはあり得ないだろ!」と思っていたとしても、
「1000人が同時に使用」することへの対処・対応を、
事前に真面目に真摯におこなわなければなりません。

そもそも「自らが招こうとする事態」ですから、
リスクマネジメント、
あるいは危機管理の観点からしても、
バカバカしさを心の奥へと押し込んで、
事前に想定すべきだったと思いますね。

ま、一番いいのはこのような状況を作らないことですけど、
こういう状況を自ら設定したのも事実ですから、
想定するあらゆることへの対処、
すなわち、
自ら危機管理の基本的な鉄則を遵守すべきです。

でもでも、
店舗の規模によるかもしれませんが、
1000人への適切な対処や対応なんて、
常識的に考えてもハッキリいって無理でしょう。

100人の同時使用でも無理でしょうし、
10人であっても厳しいのではないでしょうか。
しかも同日どころか、
「連日」という事態になることさえも、
決して否定することはできません。

たとえ「一日一回のみ」という条件であっても、
上記の想定を前提にして考えれば、
採算なんかとれる気がしません。

こういったリスクをどこまで考慮したのか、
非常に疑問な点が残るんですよね。

様々な理由…しかもそれが客側に難があるといった体裁で、
この「生涯無料パスポート」を没収しているみたいですが、
没収する根本的な理由というのは、
単に「採算が取れないから」ではないでしょうか。
儲けがないどころか、
マイナスになって慌ててパスポート没収になったのかもしれません。

繰り返しになりますが「生涯無料パスポート」なんて、
最初から無謀な発想だったと思いますよ。

それでも現実化させてしまった以上、
本来ならパスポートの没収なんかしないで、
契約通りの無料提供を貫徹しなければいけなかったのですが、
やっぱりできなかったのですね…

それともう一つ気になるのが、
社長は従業員の「せい」にして、
従業員は客の「せい」にして、
それぞれが責任を逃れようとしているフシがみられるのは、
非常に残念だと思います。


見えない敵と必死に戦う元朝日新聞記者

2021年03月20日 00時12分50秒 | いろんな歴史いろんなミリタリー
慰安婦報道訴訟、元朝日記者の敗訴確定 最高裁 

 韓国人元慰安婦の証言を書いた1991年の朝日新聞記事を「捏造(ねつぞう)」と記述され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長・植村隆氏が、西岡力(つとむ)・麗沢大客員教授と「週刊文春」発行元の文芸春秋に賠償などを求めた裁判で、最高裁第一小法廷(小池裕(ひろし)裁判長)は植村氏の上告を退けた。名誉毀損(きそん)の成立を否定した一、二審判決が確定した。11日付の決定。
 東京地裁は、日本軍や政府による女子挺身(ていしん)隊の動員と人身売買を混同した同記事を意図的な「捏造」と評した西岡氏らの指摘について、重要な部分は真実だと認定。東京高裁は指摘にも不正確な部分があると認めつつ、真実相当性があるとして結論は支持していた。(阿部峻介)

朝日新聞デジタル 2021年3月12日 18時36分 


凄まじいばかりの弁護団がついていたようですが、
それでも最高裁で敗訴ということですね…
ある種「逆ギレ裁判」だった長い長い年月は、
無駄にならなかったことだけを祈っております。

さてさて、
この結末に当の本人はどう思っていらっしゃるかと、
「植村裁判を支える市民の会」のウェブサイトを拝見。
公正を期すために声明文を引用させていただきます。




植村隆氏の声明
 
 本日、最高裁の決定を受け取りました。これで、西岡力氏らを名誉毀損で訴えた植村裁判東京訴訟での私の敗訴が確定しました。極めて不当な決定です。最高裁は、植村裁判札幌訴訟(対櫻井よしこ氏裁判)に引き続き、歴史に汚点を残す司法判断を再び下しました。
 
 西岡氏は『週刊文春』記事の談話で、私が1991年8月に朝日新聞に書いた元日本軍「慰安婦」金学順さんの証言記事を「捏造」と決めつけるなど、私に対する「捏造」攻撃を繰り返してきました。西岡氏は談話で、金学順さんが「親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。植村氏はそうした事実に触れ」ていないと述べましたが、それが事実ではないことが東京地裁の被告本人尋問で明らかになりました。西岡氏は虚偽の根拠に基づいて、私を攻撃していたのです。記事を「捏造」と断言されるのは、ジャーナリストにとって「死刑」宣告のようなものです。しかし、西岡氏は私に直接取材すらしていませんでした。

 この西岡氏のフェイク言説が、すさまじい「植村捏造バッシング」を引き起こしました。多数の人々がバッシングに加わり、その結果、私は内定していた大学の教授職を失いました。当時、高校生だった私の娘の顔と実名が悪質なコメントとともにツイッターやインターネットなどにさらされ、「娘を殺す」という脅迫状まで送られてきました。私が非常勤として勤務していた大学に脅迫電話をかけた犯人の一人は逮捕され、罰金刑を受けました。娘をツイッターで誹謗中傷した一人は裁判で責任が問われ、賠償金を支払いました。しかし、「植村バッシング」を引き起こした張本人である西岡氏の責任が全く問われていません。異常な司法判断と言わざるを得ません。

 また西岡氏は、私が1991年12月に書いた記事について、著書などで、金学順さんがキーセンに売られたことを書かなかったから「悪質かつ重大な捏造」だと決めつけました。私たちは、この主張を打ち崩す新たな証拠を発見し、東京高裁に提出しました。日本政府を相手取った訴訟を準備していた金さんが初めて弁護団の聞き取り調査に応じた1991年11月25日録音のテープです。ここで金さんは「キーセン」について一言も触れていません。私は記事の前文で「弁護士らの元慰安婦からの聞き取り調査に同行し、金さんから詳しい話を聞いた。恨の半生を語るその証言テープを再現する」と書きました。証言テープで触れられていない内容を記事に書くはずがないのです。ところが、高裁判決はその新証拠を正当に評価しませんでした。

 こうした一審・二審の判断を最高裁が追認したのです。西岡氏は裁判期間中の2016年5月23日付で、櫻井よしこ氏が理事長をつとめる「国家基本問題研究所」の「ろんだん」に、こう書いています。「私は1991年以来、慰安婦問題での論争に加わってきた。安倍晋三現総理大臣や櫻井よしこ本研究所理事長らも古くからの同志だ」。つまり私は「アベ友」相手の裁判で相次いで敗れたのです。昨年11月19日に安倍晋三前首相は、自身のフェイスブックに札幌訴訟の最高裁決定を報じた産経新聞の記事を引用し、20日未明には「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」と書き込みました。しかし判決に私の記事を「捏造」と認めた記述はありません。これは完全なフェイク情報です。私の抗議で、安倍氏はこのコメントを削除しました。私の記事が「捏造」ではないことを改めて証明する機会になりました。同時に私は巨大な敵と闘っているということを改めて実感しました。

 櫻井氏は自分の文章に、金学順さんが1991年提訴した際の訴状について「14歳の時、継父によって40円で売られたと書かれている」と書きました。しかし金さんの訴状にそのような記述はありません。今回の札幌訴訟で私の指摘を受けて、自分の記述が間違っていたことを認め、雑誌WiLLと産経新聞に訂正を出しました。裁判の結果は、残念ながら敗訴となりましたが、金学順さんが元「慰安婦」として勇気を持って名乗り出たことをいち早く伝えた私の記事の歴史的意義は、西岡氏や櫻井氏らの攻撃でも損なわれていないことが、改めて確認できました。今回の裁判結果にひるむことなく、故金学順さんら元「慰安婦」をはじめとする戦時の性暴力被害者たちの名誉や尊厳を守るため、「アベ友」らによるフェイク情報の追及を続けていきたいと思います。

2021年3月12日、元朝日新聞記者 植村隆



「植村捏造バッシング」って、
まるで首謀者や黒幕が西岡氏だということを訴えていますが、
実行犯と何か直接的な繋がりがあるというのでしょうか?

勿論、実行犯は「クズ野郎」で「クソ野郎」です。

ただし、そういった連中と西岡氏が、
何らかのつながりがあるというのなら、
その「証拠」を提示すべきです。
それができないのなら、
あるいは最初から存在しないのであれば、
ただの「西岡バッシング」ですね。

これは第三者に首謀者や黒幕だと、
意図的恣意的に「混同」させる論法です。
これは本来は別のものであった、
「挺身隊」と「慰安婦」を
意図的恣意的に「混同」させた、
植村氏自身が書いたあの記事と同じ論法です。

結局、な~んにも変わっていないのですね…


「私は巨大な敵と闘っていると」
「「アベ友」らによるフェイク情報の追及を続けていきたい」

「巨大な敵」ってなんですか?
進撃の巨人ですか?
「アベ友」って誰のことですか?
ま、「ネトウヨ」って言ったほうが若者にも通じるかと思いますよ…

そもそも、この人は何と戦っているのでしょうか?
自分には見えない敵と戦っているような気がします。

ま、少なくとも歴史学という学問や、
学術研究ではないことだけは確かだと思います。



渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 最終回

2021年03月19日 00時06分38秒 | 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い
個人的総評

 この回でもって最終となりますので個人的「総評」と、少々大げさなタイトルをつけましたが、あまり堅苦しいものにはしたくはありません。そうでありますゆえに、この論争を全て読み終えた「感想」を述べさせていただきます。


 まず、以前から再三指摘しているように、太田氏曽野氏の双方から差別的と指摘できるような「感情的もつれあい」が多発していた、という残念な結果になってしまったことが挙げられます。
 もともとは論争なのですから、根本的な意見が食い違うのは当然のことであります。そういった意味では「ケンカ」の様相に発展してしまう可能性が高く、また、そうなってしまうことについては不思議だと思いません。特に討論やディスカッションといった、人と人とが直接対面する場面においては、人それぞれの個性的な性格によって怒鳴りあいどころか、殴り合いにまで発展してしまうことは、普段の日常生活であっても起こりうるものではないかと思われます。

 論争や討論にて「感情的なもつれあい」や「ケンカ」が起こることによる最大の懸念は、議論すべき物事の本質から完全に外れてしまい、無駄に無意味にあらぬ方向へ飛んでしまうことだと思います。その結果、当人同士が本当に述べたかったことが中途半端になるのは自明の理で、相手は当然のこと、傍観者的立場の第三者までその真意が伝わらなくなります。
 今回は新聞というバーチャル的な紙面上の論争ですから、お互いの「殴り合い」までは発展しなかったということになります。
 それでも「感情的もつれあい」によって、太田氏曽野氏双方の真意、あるいは本当に書きたかったことがお互いだけではなく、この論争を読む側まで伝わっているのかどうかという懸念があり、仮にそういう事態が発生しているとすれば、すこぶる残念でならないと同時に、せっかくの「直接対決」なのに非常に勿体なくなってしまいます。
 しかも「感情的なもつれあい」の延長線上にあるのかどうか判断がつきませんが、単なる「具体例」に過ぎないものに対して、「具体例」そのものを否定するといったような、本筋から外れた場外乱闘まで起こっている事態が散見されます。また、「言った」「言わない」というような水掛け論に陥ってしまう状況も見られますがゆえに、より一層の懸念が浮かび上がってきます。
 とにもかくにも、以上のような懸念が杞憂であってほしいものです。
 

 次に論争そのもの、第一は曽野氏に関するものです。
 太田氏が合計15回に対して曽野氏は合計6回の連載ですから、紙面数からすれば圧倒的に不利な状況でした。
 そういった意味からすれば、曽野氏の主張は太田氏の主張に比べ限定的となっています。それが原因かどうかはわかりませんが、「ある神話の背景」の内容と同じ主張の繰り返しに終始しているような気がしてなりません。別の言い方にすれば、「ある神話の背景」から発展し拡大した主張がなかったのではないかというような、あるいは「ある神話の背景」では語られることのなかった要素が、今回の論争で出てこなかったということが気にかかります。
 例えば赤松大尉の「自決命令は出していない」という件に関しては、当事者の証言として非常に貴重な史料には間違いありませんが、その史料に対して補完するような状況証拠というか、バックグラウンド的なものが提示されておりません。辛らつな表現になりますが、「本人が言っているのだから間違いはない」という範疇からは、残念ながら抜け出せていないとも思えるのです。
 勿論、それらが全くないわけではなく、知念少尉といった他の軍人の証言もあるのですが、あくまで軍人という同じ境遇の側であり、太田氏からすれば「共犯者の立場」でありますので、状況証拠としての補完・補填という観点からすれば弱いのではないかと思われます。
 
 これに対し、太田氏はこの論争にて「鉄の暴風」では語られることのなかった、誰からの証言を得たのかというような具体的なものや、太田氏側からみた赤松大尉の「自決命令」に関するバックグランド的な要素を、その正誤や是非は別にして再三提示しておりますから、その点に関していえば真摯に対応しておられます。

 見方によっては赤松大尉の証言と軍人等の証言しか掲示されていない「ある神話の背景」と、批判されてもおかしくはなく、現にその点については批判されている部分もあるのですから、この論争にてその批判に対抗するような、あるいは払拭するような主張や史料等を提示していただければ、より建設的な議論がなされていたかもしれません。個人的見解として、残念ながら曽野氏の主張には物足りなさを感じてしまいます。
 ただし、この論争は1985年になされたものでありますから、それ以後に関するもの(新たな史料の提示等)については、個人的見解が一切当てはまらないということを付言します。

 第二は太田氏に関するものです。
 紙面数が多いのが原因かどうかはわかりませんが、個人的見解にての反論が多かったのは太田氏の主張でした。
 勿論、個人的見解が正しく、太田氏の主張が間違っているということを宣言する気は一切ございません。個人的見解はあくまでも仮説の提示であり、仮説はあくまでも仮説でありますので、正しいか間違っているかというジャッジをする審判の役目ではなく、太田氏の主張以外も「あり得る」という立場であることを強調いたします。

 しかしながら「土俵を間違えた人」の第4回にて、太田氏から非常に重要な主張がなされました。すでに当ブログ「「土俵を間違えた人」第4回 および第5~6回」にて個人的考察をしておりますが、ここでもう一度取り上げたいと思います。
 詳細は重複となりますので省略しますが、要は知念少尉が「慟哭し、悲憤し、軍人であることを痛感した」と「鉄の暴風」では描写されており、太田氏がその場面を「創作した」と自ら吐露しているということについてです。
 少なくともその部分は「虚偽」であることが判明し、執筆者という「当事者」によって「虚偽」であると「保証」されたことにもなります。繰り返しとなりますが理解しやすいように、該当部分を「鉄の暴風」から引用させていただきます。


 「赤松大尉は「持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食料を確保して、持久体制をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛感した」


 一部が「嘘」なのだから、その全てが「嘘」であるといった、稚拙で短絡的な断定は厳に慎まなければなりません。

 しかし今回の場合、赤松大尉の「自決命令」に関する他の事実等と、知念少尉の件とを突き合わせて考察したのならば、拭いきれない疑念が生起するのも事実だと思われます。
 ここで提起する他の事実等とは以下のものです。

  • 「鉄の暴風」に描写された赤松大尉の「自決命令に関する文言」は、当事者である赤松氏の「命令は出していない」という証言があると同時に、防衛隊員を含む元軍人や住民の証言や史料には、その「自決命令に関する文言」を聞いたというものが全くない(2021年現在) 
  • 住民への「自決命令」が出されたとされる地下壕は、防衛隊員を含む元軍人や住民の証言といった史料から考察するに、集団自決前ではなく集団自決以後に完成された可能性が非常に高い

 なお、これらの件に関する詳細については、当ブログ「誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」」にて考察しております。ご参照なさってくださるとありがたいです。

 上記の事実と仮説と太田氏の創作とを列挙した場合、地下壕における赤松大尉の「自決命令」について、一般的常識的に考慮すれば描写そのものに対し「それは本当のことなのか?」という疑いが浮かんでくることは、特に違和感はないかと思われます。
 
 すなわち「鉄の暴風」で描写された「赤松大尉の自決命令は事実なのか?」という素朴でいて重大かつ根源的な疑問が、1950年の発行年から71年も経過した2021年の現在となっても、こうして厳然と残っていることが判明したということです。少なくとも問題提起として掲示しても、決しておかしくはない状況がいまだに続いていると思っております。

 さて、皆様はどのようなお考えになるのでしょうか。


 これで「曽野組と沖タイ連合の仁義なき戦い」の最終回とさせていただきます。結果的に長文となってしまいましたが、最後までお読みいただいた方々へは感謝の気持ちしかございません。

誠にありがとうございました。

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 後編⑧

2021年03月18日 00時04分16秒 | 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い
「土俵を間違えた人」第4回 および第5~6回


 この第4回では「鉄の暴風」と「ある神話の背景」における論争の中で、最も重要だと思われる主張が太田氏からなされております。
 まずはその該当部分を以下に引用させていただきます。


 「鉄の暴風」の中で、私が知念少尉について同情的なことを書いたのは、つぎのような事情からである。渡嘉敷島の直接体験者たち(古波蔵元村長一人だけではない。たしか十数名)の話を聞きながら、沖縄出身の知念少尉は、軍と住民の間にはさまれて、苦しかったのではないか、とふと思った。そこで、そのことを質問してみた。すると「そう言えば、知念さんが、そういうことで悩んでいたような話を聞いたことがある」といった意味のことを、証言者の一人が言ったので、「鉄の暴風」のなかの、あの表現となったのである」


 「同情的なことを書いた」と「あの表現となった」については、どちらも同じ箇所を指しているので、理解しやすいように「鉄の暴風」から引用させていただきます。


 「赤松大尉は「持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食料を確保して、持久体制をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛感した」


 当事者である知念氏は「ある神話の背景」にて、悲憤も慟哭も痛感もしていないどころか、マスメディア等のインタビューさえ受けたことがないという証言をなさっております。これは結果的に上記の主張とも合致するものであり、太田氏によってある意味保証されたものでありますから事実だと断言できます。

 つまりは、知念少尉の「慟哭・悲憤・痛感」に関するものについては、太田氏が自ら「創作した」エピソードだということを、自ら吐露しているということになります。別の言い方にすれば、本来は「ノンフィクション」であった「鉄の暴風」なのに、少なくともこの該当部分は「フィクション」であると言明しているのです。

 しかも直接体験者が該当部分を証言し、それを太田氏らに話したのではありません。直接体験者が知念少尉の「慟哭・悲憤・痛感」を実際に見たというわけでもなく、聞いたとしても噂程度の範疇でしかないといったものなのです。


 「「そう言えば、知念さんが、そういうことで悩んでいたような話を聞いたことがある」といった意味のことを、証言者の一人が言ったので」


 上記の引用からわかるように、直接体験者の一人から得られた、あくまでも「推測」や「噂みたいなもの」でしかない不確定で不明瞭な事象を、太田氏は自らの考えによって「事実」へと変換しているということになります。

 虚偽と誤報は全く違うということを先述しましたが、直接体験者たちが知念少尉の「慟哭・悲憤・痛感」を、正誤は別としてそれなりに見聞し、直接体験者たちが太田氏らにその内容を「そのまま」証言し、それが太田氏らによって「鉄の暴風」に「そのまま」記載されたと仮定するならば、根本的な情報自体が間違っているのですから、結果的に「誤報」ということになると思われます。

 しかし今回の場合は「悩んでいたような話を聞いたことがある」という、直接体験者とはいえ推測の域を出ることができない、不確実で不確定で不明瞭な内容の証言を自ら勝手に加工し、自ら勝手に創造し、ノンフィクションとして事実認定を自ら行っている、ということになる行為だと思われます。
 これはたとえ直接体験者の証言が元になったとしても、あるいは同情といった善意から生じた結果だとしても、執筆者という、明らかに当事者ではない第三者が情報自体に手を加えることになりますから、これは決して誤報というものではなく「虚偽」ということになります。そして様々な視点や様々な考察、特にマスメディアやジャーナリズムの観点からすれば、太田氏の行為は「捏造である」として、当人やノンフィクションであるはずの「鉄の暴風」にとどまらず、マスメディアを生業とする沖縄タイムス社までもが糾弾されかねない行為でもあるのです。

 さらには「沖縄出身の知念少尉は、軍と住民の間にはさまれて、苦しかったのではないか、とふと思った。そこで、そのことを質問してみた」という内容がありますが、これは俗にいう「誘導尋問」的な行為に当たるのではないかと思われます。
 つまり自分が考えた答え、あるいは自ら設定した結果に沿った証言を得るため、質問内容によってそこへ誘導するといった行為です。具体的にいえば「苦しかったのではないか」という、自らの考えに沿うような質問を意図的にしたのではないか、と思われます。それが結果的に虚偽となった「知念少尉の慟哭・悲憤・痛感」につながるということになります。
 「オーラルヒストリー」の観点からすれば、自らの考えや思惑に合致するように、質問の内容によってそこへ誘導する行為は、いわゆる「禁じ手」となっており、してはならないこととなっています。なぜそうなるかについての考察は主旨から外れてしまうと思われるので、詳細に説明することはいたしませんが、当事者の意思に反して、質問した側の意図的であり恣意的な答えを導いてしまう、という懸念があることだけを明記するにとどめます。


 これらの状況によって「鉄の暴風」はノンフィクションではなく、執筆者の手によって加工され創造されたフィクションが、少なくとも「集団自決」の項目に混ざっているということが明らかになりました。それは執筆者という当事者によって厳然と保証されたものなので間違いはなく、事実であることが確定したことになります。
 
 そういった意味でもってして、この第4回は非常に重要なものであると確信しております。


 なお、太田氏の再反論は第5回と第6回へと続くのですが、その内容は「ある神話の背景」および曽野氏への反論を、「住民処刑」や「スパイ視」を含め、今までと同じような論調を繰り返すものだと判断いたしました。従って、重複を避けることをふまえて割愛させていただきます。

興味のある方は各自お読みなっていただきたいです。


次回以降に続きます。

渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 後編⑦

2021年03月17日 00時00分22秒 | 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い
「土俵を間違えた人」第3回


 今回は第3回目となりますが、どちらかというと赤松大尉の自決命令そのものの論議ではなく、曽野氏のジャーナリズム批判に対する太田氏の反論、という形態に終始する回となっています。

 まずは太田氏の反論を考察する前に、曽野氏がどのように批判していたかについて、だいぶ長くはなりますが再度「沖縄戦から未来に向かって」の第3回から引用いたします。


 「太田氏のジャーナリズムに対する態度には、想像もできない甘さがある。
 太田氏は連載の第三回目(「沖縄戦に神話はない」第3回─引用者注)で、「新聞社が責任をもって証言者を集める以上、直接体験者でない者の伝聞証拠などを採用するはずがない」と書いている。
 もしこの文章が、家庭の主婦の書いたものであったら、私は許すであろう。しかし太田氏はジャーナリズムの出身ではないか。そして日本人として、ベトナム戦争、中国報道にいささかでも関心を持ち続けていれば、新聞社の集めた「直接体験者の証言」なるものの中にはどれほど不正確なものがあったかをつい昨日のように思いだせるはずだ。また、極く最近では、朝日新聞社が中国大陸で日本軍が毒ガスを使った証拠写真だ、というものを掲載したが、それは直接体験者の売り込みだという触れ込みだったにもかかわらず、おおかたの戦争体験者はその写真を一目見ただけで、こんなに高く立ち上る煙が毒ガスであるわけがなく、こんなに開けた地形でしかもこちらがこれから渡河して攻撃する場合に前方に毒ガスなど使うわけがない、と言った。そして間もなく朝日自身がこれは間違いだったと承認した例がある。いやしくもジャーナリズムにかかわる人が、新聞は間違えないものだという、素人のたわごとのようなことを言うべきでない」


 個人的見解としては「想像もできない甘さ」や「素人のたわごと」といった表現があり、人によっては「悪口」ととらえられるような、かなり感情的な部分があると思われます。これに対して太田氏からすれば、自らのジャーナリストとしての根本的な資質を問われ、批判しているようなものになると思われます。
 以下に太田氏の反論を引用いたします。


 「ここでは、「鉄の暴風」が、曽野さんが言うように伝聞証拠で書かれたものか、そうでないかが重要な論争点である。「鉄の暴風」は伝聞証拠ではない、直接体験者から聞いて書いたものだ、と私が言うと、こんどは、「新聞社の集めた直接体験者の証言なるものがあてになるか」と言い出す。子供が駄々をこねるようなことは言わないでほしい。おなじ直接体験者の証言でも、新聞社が集めたもの(「鉄の暴風」)は信用できないが、自分が集めたもの(「ある神話の背景」)は信用できるのだ、と言っているのだろうか。


 太田氏も「子供が駄々をこねるような」といった表現があり、曽野氏と同じく感情的になってしまっていると思われ、引用した部分以外でもそれが散見されます。

 今回の根本的な論点というのは、ここでいう「直接体験者の証言」に決定的な乖離があるということです。すなわち赤松大尉を中心とした軍人側の直接体験者と、渡嘉敷村の村長をはじめとした住民側の直接体験者の証言に相当な食い違いがあるということです。
 直接体験者の食い違いを是正することこそが、この論争の最重要な目的かと思われますが、お互いの感情的なぶつかり合いがおこっていることで、本来の目的がぼやけてしまった状況に陥っているとしか思えません。
 そのようなものの考察自体が無意味でありますから、感情的な言い合いの是非については一切関知いたしません。「鉄の暴風」と「ある神話の背景」の「直接対決」という貴重な場面なのに、個人的にはもっと冷静な論争であってほしかった、という残念な気持ちしかございません。


 次にこの回で着目する点となるのは「毒ガス報道」で、新聞社でも間違いがあるとして曽野氏が挙げた具体例のことです。どういうことが書かれていたかについては、前述の長い引用文を参考になさってください。
 ここでは太田氏の反論を、曽野氏の引用同様にだいぶ長くなってしまいますが、できるだけ理解しやすくなるように引用いたします。


 「朝日の写真を一目見ただけで、それが毒ガスでないことがわかったという「おおかたの戦争体験者」の証言そのものが、怪しい。彼らがすぐ、毒ガスかどうかが分かるということは日本軍がたえず毒ガスを使用していたことを意味する。(中略)
実は、何か月か、私はその「ガス兵」の訓練を受けたことがある。その訓練は相手からガス攻撃を受けたときの防御措置が主なる目的であった。ほとんど忘れてしまったが、ガスの種類とその時の空気の状況によっては、煙状のものが高く立ちのぼることがある。それでも白黒写真ではガスかどうか判定はむずかしいのではないか。また、開闊(かいかつ)地(広く開かれた場所や土地─引用者注)でも使えないことはない。(中略)
味方軍隊が前進攻撃する前方にガス弾を射ち込むはずがないというのは、まったくの無知である。(中略)新聞を批判する側の直接体験者の証言なるものもかならずしもあてにはならない。
朝日新聞がはじめからガス弾でないと分かっていて、例の写真をかかげたのなら、それは「虚偽の報道」ということになる。だが、知らないで、それをガス弾の写真と信じてのせたのであれば、それは「誤報」である。
たとえ、客観的事実とはちがっていても、報道の真実からはずれているとは思えない」


 第三者的な立場からすると、曽野氏は「新聞報道にも間違いがある」というその具体例として、朝日新聞の「毒ガス報道」における顛末を掲げたことに対して、太田氏は毒ガスに関する自らの経験談を持ち出しながら、「毒ガス報道そのもの」を否定するような論調であると思われます。
 特に太田氏は力説と表現できるほど、「毒ガス報道そのもの」に個人的な軍隊経験をはじめとして、事細かな反論へと発展・拡大していることがうかがえます。
 自らの主張を理解しやすいようにしたのかどうかは不明ですが、曽野氏が具体的な例を掲げたのに対して、太田氏は具体例そのものを否定するのでありますから、両者の言い分は全くかみ合っておりません。

 個人的見解ですが、なぜそうまでして「毒ガス報道そのもの」の否定にこだわるのか、多少なりとも疑問が生じるのであります。
 ただ、曽野氏の感情的と思われる文脈を読む限り、それに呼応して太田氏がさらにヒートアップしてしまった、という推測をすることが可能ではないかと思われます。
 その典型的な例として「新聞は間違えないものだという、素人のたわごとのようなことを言うべきではない」といった曽野氏の一連の主張は、太田氏としては繰り返しになりますが、新聞記者、あるいは新聞社といったジャーナリストとしての資質を、完全に否定されたようなものです。そういったものへの反撃として「毒ガス報道そのもの」を書いたのではないかと思われます。

 感情的な文脈を削ぎ落して曽野氏の主張を整理し、わかりやすくするならば「新聞社や記者もその報道内容は間違うときもあるが、沖縄タイムスや太田氏はどうか?」ということなると思われます。
 その問いに対し、太田氏の個人的経験から得た一面的な私見を削ぎ落してその主張を整理するならば、そもそも「おおかたの戦争体験者」の証言そのものが、怪しい」として、「新聞を批判する側の直接体験者の証言なるものもかならずしもあてにはならない」と結論づけて、曽野氏が掲示した「毒ガス報道そのもの」を否定する構図になると思われます。

 また、あくまで個人的見解ですが、「たとえ、客観的事実とはちがっていても、報道の真実からはずれているとは思えない」という主張は、何に対してのものか、曽野氏の何に対する反論なのか、残念ながら判断がつきかねます。
 
 虚偽と誤報は太田氏の主張通り根本的に違いがあります。しかし、曽野氏の今回だけでなく、むしろ原則的ともいえる主張をわかりやすくすれば、繰り返しになりますが「ある神話の背景」を通じて「鉄の暴風」や太田氏の主張に「間違いはないのか?」と、問題提起を掲示しているかと思われます。ただし曽野氏の主張が「事実か否か」ということに関しては、全くの別問題であることを付言します。
 それに対し太田氏の「客観的事実とはちがっていても、報道の真実からはずれているとは思えない」といった主張は、つまり「事実」と「真実」は違うといった意味になるのでしょうか。少なくとも、個人的には曽野氏の主張への反論とは言い難い内容だと思われます。

 以上のような「直接体験者」同士の乖離に加えて、曽野氏と太田氏の主張まで乖離した状態にあるということは、第三者的立場からすれば、結果的に混乱しか残らないのではないかと思われます。「集団自決の実像」解明という観点からすれば、収穫を得るものが少ないのではないかと思われますので、これ以上の考察はいたしません。
 なお、太田氏の掲示した毒ガスに関する個人的経験に基づいた私見についても、軍事学的観点からすれば不可解な点がありますが、それを考察することは主旨から完全に外れてしまいますので、ここでは一切取り上げません。


次回以降に続きます。