僕の家も、3月の東京大空襲で家が焼かれ、一家6人の厳しい戦後が始まった日でもある。
食べ物は無く、家具もなく、10畳に6人がごろ寝するという生活が続いた。親父はすでに歳で兵役は免れていたが、疎開先に仕事は無かった。
戦争で失った最大のもの、それは教育の機会。
高校卒業とともに、上の姉は、仕事に就き独立していった。お袋は、比較的裕福だった土佐の実家に、僕の直ぐ上の姉を連れて、別居して帰っていった。
結果として、僕の家はバラバラ。親父と祖母と僕の三人が残った。赤貧の時間が過ぎていった。
失ったものは教育の機会。
中学までは親父が面倒を見てくれたが、高校からは自分でやれと突き放された。周りの援助もあって、高校からの日本育英会の奨学金と、大学の授業料免除制度で何とか大学を卒業した。僕の戦後が終ったのは、就職が出来た年と言える。
安倍さんを中心とする、「戦後レジームからの脱却」を旗印に、戦争を反省しない日本は今どこに行こうとしているのだろうか。
1945年、昭和20年以前の生まれが、総人口、1億2千万人の2割以下になったと最近学んだ。戦後は消えつつある。逆に言えば、戦前に戻りつつあると思えて仕方がない。
それは、日本の平均的な大人度の低下にも見られる。みんなが、右や左を見て、まあいいやと日々を送っている。自分自身の頭で考えて、判断するということを放棄しているように見える。
中国を意識して、軍備を拡張しても、大国、中国に張りあえるわけがないのに、「積極的平和主義」とかいう、定義の無いおまじないの言葉に乗って、戦前に立ち返ろうとする亡霊が現れているのに、皆は気がつかない。
日本が大切にするべきは、人の外交力であって、戦力ではない。
昨日の「ウォールストリートジャーナル紙」が、アジアの「ノーマル」を描いてみせた。
読んでみてもらいたい。
参照記事:
【オピニオン】アジアの「ニューノーマル」は中国主導 WSJ 8月13日2014年
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303959804580089053515259576?mod=djem_Japandaily_t
P.S.
この抜粋が、
毎日新聞⇒オピニオン⇒毎日ジャーナリズム⇒リスニング に採用されました。