今日は何の日?それは、僕の谷中の家が燃え落ちた日。東京大空襲の日。
もちろん僕は記憶はない。
でも、その日だったかどうだかわからないが、あわてて家族みんなが、地下のようなところに火に照らされながら降りていったような記憶の断片がある。
その後の記憶は5~6歳の幼稚園の記憶の断片から始まる。
しかし、それは全て、苦しく悲しいものばかりだった。
何しろ、住む家も無く、遠い親戚の頼って曾おじいちゃんの田舎に疎開したのだから。
食べ物は無かった。小学生になると、毎日昼休みになると、走ってうちまで帰った。
弁当を持っていけないからだ。うちに帰ると、おばあちゃんが芋粥を作って待っていてくれた。
それを啜って、また学校まで駆けていった。
お袋は裕福は家の出だったから、そんな生活に耐えられず、そして親父と仲が悪く、すぐ上の姉を連れて家をでた。家はばらばらになった。親父は生活費に苦労していた。ありとあらゆる借金をした。
そして、中学生の僕は、親父から高校から先はもう面倒見られないって言われた。
それから、全て一人の、自分の自己努力だけの生活が始まった。きびしかった。
でも、幸いに助言してくれる先生や、親父の友達の援助で高校も、大学も何とか出た。
後は、就職も出来てまともな生活が始まった。
しかし、親父にとってはあの東京大空襲は、彼の人生のそれまでの全てを失くす出来事だったことは確かだ。そして僕の経験した極貧生活を生み出した原因だ。
この大不況、きっと貧しい家庭をたくさんたくさん作り出しているだろう。
しかも政治は全くの無力。
僕の税金を、もしくは僕たちの子供たちからの借金を、皆がお役所から、お上から受け取り、役人に、政治屋に「ありがとうございます」って言ってる。
こんなバカなことってあるのかと思う。何処から出てきた金か、みんな考えてくれって言いたい。
もっとまともに使ってもらいたかった。
2兆円の大切な水を、霧吹きで大きな砂場に撒いているようなものだ。きれいな虹は生まれるかもしれないが、まさに霧となって雲散霧消するだけだ。
特に、公明党は大反省してほしい。これだけごり押しをしたのだから。
もちろん僕は記憶はない。
でも、その日だったかどうだかわからないが、あわてて家族みんなが、地下のようなところに火に照らされながら降りていったような記憶の断片がある。
その後の記憶は5~6歳の幼稚園の記憶の断片から始まる。
しかし、それは全て、苦しく悲しいものばかりだった。
何しろ、住む家も無く、遠い親戚の頼って曾おじいちゃんの田舎に疎開したのだから。
食べ物は無かった。小学生になると、毎日昼休みになると、走ってうちまで帰った。
弁当を持っていけないからだ。うちに帰ると、おばあちゃんが芋粥を作って待っていてくれた。
それを啜って、また学校まで駆けていった。
お袋は裕福は家の出だったから、そんな生活に耐えられず、そして親父と仲が悪く、すぐ上の姉を連れて家をでた。家はばらばらになった。親父は生活費に苦労していた。ありとあらゆる借金をした。
そして、中学生の僕は、親父から高校から先はもう面倒見られないって言われた。
それから、全て一人の、自分の自己努力だけの生活が始まった。きびしかった。
でも、幸いに助言してくれる先生や、親父の友達の援助で高校も、大学も何とか出た。
後は、就職も出来てまともな生活が始まった。
しかし、親父にとってはあの東京大空襲は、彼の人生のそれまでの全てを失くす出来事だったことは確かだ。そして僕の経験した極貧生活を生み出した原因だ。
この大不況、きっと貧しい家庭をたくさんたくさん作り出しているだろう。
しかも政治は全くの無力。
僕の税金を、もしくは僕たちの子供たちからの借金を、皆がお役所から、お上から受け取り、役人に、政治屋に「ありがとうございます」って言ってる。
こんなバカなことってあるのかと思う。何処から出てきた金か、みんな考えてくれって言いたい。
もっとまともに使ってもらいたかった。
2兆円の大切な水を、霧吹きで大きな砂場に撒いているようなものだ。きれいな虹は生まれるかもしれないが、まさに霧となって雲散霧消するだけだ。
特に、公明党は大反省してほしい。これだけごり押しをしたのだから。