見たくない光景 2009年07月10日 | Weblog こんな風に日の丸の旗を沢山飾り、晴れがましく勇ましく次兄は出征して行ったのです。 長兄の出征時私は母の胸に抱かれていましたが、次兄の時は母の前に立っています。 戦場へ息子を送り出す親の気持ちを考えるとき…自分だったらどうするだろう。旗の波に切ない気持を隠して、お国のために耐えたのでしょうか。 幸い二人の兄は無事に帰還して天寿を全うし、今は左に居る姉二人と私の三人になってしまいました。 息子や孫たちを戦場へ送ることの無い平和が永遠に続くことを祈っています。 « 梅雨時の花々 | トップ | 公園清掃 »
10 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ba-baさまへ (jushin-nanbu) 2009-07-11 15:03:14 考えさせられる、重みのある写真です。私も叔父、伯父を亡くしております。おっしゃる通りだと思います。戦争のない平和な世の中が永遠に続くことを願うのみです。 返信する 戦前の写真 (そよ風) 2009-07-11 22:40:38 つらい思い出の写真を出して 時代の流れにおされても 一人の世界に入って昔を懐かしいむ時があってもいいですねba-baさんに タイムスリップの写真を見ることを聞き思い出に浸っています 返信する Unknown (akisaien) 2009-07-13 09:17:21 一部の人間たちの固執した考え方は恐怖です。自然に惑わされていくのが我々庶民ですね。孫たちには二度と同じ思いはさせたくない!しっかりと世の中の動きを見極めていきましょう。叔父が中国で戦死しました。叔母と従姉妹ふたりが命からがら引き上げてきました。戦後は大変な思いをしました。 返信する jushin-nanbuさま (ba-ba) 2009-07-13 20:36:12 こんばんわ コメント何時も有難うございます親族の方を戦争の犠牲にされた方が大勢いらっしゃいますね。60年以上戦争しなかった事など過去になかったそうですが、戦争で良い事など何一つないのです、決して戦争をしてはいけません。この平和が何時までも続くように祈っています。 返信する そよ風さま (ba-ba) 2009-07-13 20:40:39 こんばんは コメント頂き有難うございました。出征の写真を観て、この平和がいかに大切なものか改めて実感しています。そよ風さま母子のご苦労を考えますと戦争は罪深いことと思います。こんな涙は2度といやですものね。 返信する akisaienさま (ba-ba) 2009-07-13 20:45:55 こんばんは コメント頂き有難うございました。中国で終戦を迎えられた方のご苦労は、筆舌にあらわせないほどの辛い日々だったと伺っています。2度と戦争にならないように、政治家や外交官などは国家間の交渉術を研鑽しないといけませんね。akisaienさまが講師で研修会を開催してください。 返信する Unknown (いっこんま) 2009-07-13 21:51:10 ba-baさん、こんばんは。戦時中の母親は、自分の気持ちを表面に出さないよう押し殺していたのでしょうか?私はこんなに強くはなれません。愛する息子を取られたら・・・気が狂いそうです。義祖父は分会長をしていたので、毎日のように地元の駅で出征していく人を見送っていたそうです。勿論、長男(私の義父)も甥たちをも見送っています。どんな気持ちだったでしょうね。 返信する いっこんまさま (ba-ba) 2009-07-14 19:32:29 こんばんは コメント有難うございます。戦時中は思ったことも迂闊に口に出したら特高に「一寸来い、非国民だ」と咎められるので、何も云えなかったのでしょうね。昨日の草取りでも、政府・政治家の悪口を腹いっぱい言える今は幸せですね。 返信する かなしき 写真です (杏子) 2009-07-18 16:13:03 思い出しました。 わたしの父も、こんなにして出征、「万歳~」といって日の丸の旗で見送られました。しかし、幸か不幸か、夜盲症のために不名誉な帰還をして・・・ でも、家族にとっては思いがけないことでした。夫の父親は、終戦2ヶ月前にして、戦死いたしました。8月15日 悲しい思い出です 返信する 杏子さま (ba-ba) 2009-07-18 21:54:25 こんばんは コメント頂き有難うございました。私達の子供の頃はこのような光景をよく見ましたね。日の丸の小旗を振って送り出し、大半は悲しい別れになったのです。杏子さまは万事塞翁が馬でしたね、こんなことは未来永劫無いことを祈ります。。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
私も叔父、伯父を亡くしております。
おっしゃる通りだと思います。
戦争のない平和な世の中が永遠に
続くことを願うのみです。
時代の流れにおされても
一人の世界に入って昔を
懐かしいむ時があってもいいですね
ba-baさんに タイムスリップの写真を見ることを聞き
思い出に浸っています
自然に惑わされていくのが我々庶民ですね。
孫たちには二度と同じ思いはさせたくない!
しっかりと世の中の動きを見極めていきましょう。
叔父が中国で戦死しました。
叔母と従姉妹ふたりが命からがら引き上げてきました。
戦後は大変な思いをしました。
親族の方を戦争の犠牲にされた方が大勢いらっしゃいますね。
60年以上戦争しなかった事など過去になかったそうですが、
戦争で良い事など何一つないのです、決して戦争をしてはいけません。
この平和が何時までも続くように祈っています。
出征の写真を観て、この平和がいかに大切なものか改めて実感しています。
そよ風さま母子のご苦労を考えますと戦争は罪深いことと思います。こんな涙は2度といやですものね。
中国で終戦を迎えられた方のご苦労は、筆舌にあらわせないほどの辛い日々だったと伺っています。
2度と戦争にならないように、政治家や外交官などは国家間の交渉術を研鑽しないといけませんね。
akisaienさまが講師で研修会を開催してください。
戦時中の母親は、自分の気持ちを表面に出さないよう押し殺していたのでしょうか?
私はこんなに強くはなれません。愛する息子を取られたら・・・気が狂いそうです。
義祖父は分会長をしていたので、毎日のように地元の駅で出征していく人を見送っていたそうです。
勿論、長男(私の義父)も甥たちをも見送っています。
どんな気持ちだったでしょうね。
戦時中は思ったことも迂闊に口に出したら特高に「一寸来い、非国民だ」と咎められるので、何も云えなかったのでしょうね。
昨日の草取りでも、政府・政治家の悪口を腹いっぱい言える今は幸せですね。
わたしの父も、こんなにして出征、
「万歳~」といって日の丸の旗で見送られました。
しかし、幸か不幸か、夜盲症のために不名誉な帰還をして・・・ でも、家族にとっては思いがけないことでした。
夫の父親は、終戦2ヶ月前にして、戦死いたしました。
8月15日 悲しい思い出です
私達の子供の頃はこのような光景をよく見ましたね。
日の丸の小旗を振って送り出し、大半は悲しい別れになったのです。
杏子さまは万事塞翁が馬でしたね、こんなことは未来永劫無いことを祈ります。。