雀の手箱

日々の記録と墨彩画

今年の五月

2017年05月22日 | 塵界茫々



一年のうち一番美しい月とされていた「美しき五月」が、今年はいささか妙なことになっています。
 晴れの日が続いていて、昨日など7月下旬から八月上旬並みの30度という気温に、植木鉢の植物は元気がありません。
 櫻のころほど生暖かくもなければ、真夏の涼風ほど幅ったくもなく、肌ざわりの良いさらりとしたそよ風が瑞々しい青葉の薫りを運んでくる喜びを味わう間もなかったような気がします。
 梅花空木も香りが薄いような気がします。
 今月の庭師のお土産は孟宗から淡竹に変わっていましたが、雨がないので数も少ないと言っていました。楽しみにしてくださいと、植えていってくれたミニトマトやゴーヤの水やりにも追われそうです。 

 柏葉紫陽花や山法師は、早くも盛りの時を迎えて、下陰には朝顔が顔を見せていますし、蛍袋も口を開けてうつむき、蛍の訪れを待って賑やかです。
 











             今朝の画題は山法師の一団です。





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花便り

2017年05月12日 | できごと
 二人だけの暮らしに戻って、また病院通いで慌ただしく日が過ぎてゆきますが、それでもどこか平穏なのが不思議です。
 庭から牡丹が消えてさびしくなりましたが、好きで植えた草花が次々に咲いてくれて気持ちもなごみます。訪問のヘルパーさんたちにも、ホッとするひと時を提供してくれているようです。
 オオデマリに始まった春の競演は、八重桜からドウダンツツジ、連翹、ツツジ,サツキ、と移り、今は、大きくなりすぎて、近くの公園に父が輿入れさせた藤の季節です。藤棚の下で、ゲートボールを愉しむ人たちが休んでおられます。
 シラン,コデマリ、アイリス、などが画題になってくれるのですが、筆の方が追い着きません。紫陽花の蕾も数が増えてきました。一連のウツギやリョウブが終るころには夏を告げてくれることでしょう。














下書きのままになっていて、投稿したつもりで「公開」にチエックするのを忘れていました。近頃多い物忘れの現象です。いささか時季外れになりましたがこのまま公開します。
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私のゴールデンウイーク

2017年05月07日 | 雀の足跡
 このところ夫に好調の日が続いていて、夜が安眠できています。その上、娘の帰省で私は家事からも解放されているので久しぶりにのんびりする時間を満喫できています。
 市の福祉協議会から車椅子をお借りしてきた娘が、どこか行ってみたいところはと、リクエストを求めると、幼い日に遊んだ産土の地の芦屋海岸というので、山鹿まで出かけました。
 この4年、菩提寺にお詣りに行っても、車だと5分とかからないのに、立ち寄ることもなかった浜木綿群生地の夏井ヶ浜は、ここはどこと思うほどの変貌で、リゾート地らしい瀟洒な家が建っています。公園も2か所が立派に整備され、響灘を見はるかす岬の突端には、「響き愛の鐘」まで設置され、恋人の聖地だとか。夕日が沈むのを正面に、響灘のパノラマを堪能できる時間帯は確かに恋人たちには素晴らしい時間を愉しめることでしょう。植栽の浜木綿や桜の苗木が大きく育つ頃にはきっと人が集まる場所になると車椅子を押す娘と話し合ったことでした。
 好天に恵まれた休日を楽しむ家族連れもいて、近くの「とと市場」で購入したと思しきお弁当持参のようでした。
 磯の岩場はあいにくの満潮で、幼い日の遊び場は隠れていました。近いのだからまた来ましょうということにして引き返しました。








    鐘を鳴らす私が写っていたので、響き愛の鐘の画像は芦屋町のホームページからお借りしたものです。











          
庭では苧環が満開です。令法や谷空木も鮮やかです。
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今日は筍でお絵かき

2017年04月28日 | すずめの百踊り


 今月の庭師は、自分の持ち山で朝掘りした筍がお土産でした。今年は不作で、北九州市特産のブランド「合馬の筍」も品薄だとか。私の好物なのを憶えていて、ありがたいことに持参してくれたようです。
 早速先端部の柔らかい部分は生のままでいただくために仕分けし、ほかは帰省中の娘の好物の焼き筍にするものを別にして、ゆがいて保存しました。
 孟宗,淡竹(破竹)、真竹、と一連の筍シーズンの幕開けです。ただ、もう持ち山の真竹を取りにゆくことは脚が悪くてできなくなったのは残念です。









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「遊びをせんとや生まれけむ」

2017年04月22日 | すずめの百踊り

 春の落とし物です。「戯れ」の手すさびを記録にとどめておくことに。
齢を重ねても、まだ子供のような自在で無心な境地になれない自分を哀れに口惜しとかなしみます。












梅の実もそれとわかる形で膨らみはじめ、茗荷の芽立ちの剣が長くなってきて元気をもらっています。
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八重櫻

2017年04月16日 | 日々好日



 今年はソメイヨシノの開花が遅れたので、まだ花が残っているのに、我が家では門の脇の八重桜が満開の時を謳歌しています。何かせかされるみたいなある種の慌ただしさを感じます。
 いつもの年だと、散り急ぐ櫻との別れの風情をゆっくり味わい、揺蕩う春の感傷に浸るうちに八重桜が咲きはじめ、しきりに奈良の都恋しと締めくくるのですが、高村光太郎の愛した連翹も時を同じくして花盛りですし、満天星(ドウダン)や皐月、躑躅(ツツジ)までも、ちらほらと花をつけ始めました。
 片付けもはかどらない日が過ぎてゆきます。気分の切り替えにと、画室に篭ってみても筆が進まない日が続くので、画題も花に飽きて、今は北斎漫画の中から、笠をかぶって踊る奴の雀踊りをなぞってみたり、江戸の風俗画を手本に踊る人を描いてみたりの遊びです。




奈良七重七堂伽藍八重桜  芭蕉


すっかり伸びきった蕗の薹です。








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今年も桜に逢えました

2017年04月09日 | 雀の足跡



時ならぬ雹や、雨続きの日々でしたが、雨の晴れ間に買い物のついでに、すぐ近くの金山川で、満開の桜にあうことができました。
重い腰をなかなか上げようとしない夫を誘い出しての今年のお花見でした。

明日の日曜日は晴れ間も出るという天気予報で、きっと延期されたチューリップ祭りも実施されることでしょうから、満開の桜も一緒に見られるとあっては大変な人出になると思ってのことでした。
 学校帰りの高校生たちの姿をみかけるくらいで、独り占めの豪華なお花見でした。地元なので、車で入ることができる細い抜け道を知っていて、帰りにはチューリップにもご挨拶して帰りました。



咲くからに  見るからに花の  散るからに      鬼貫









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春に思い出を辿って

2017年04月06日 | 雀の足跡
 二日の日曜日には、近くの金山川の畔でチューリップ祭りが予定されていました。前日の夜からの雨が、朝はさらに激しくなり、その上1センチほどもありそうな雹に変わって地面を叩き、一面の白い世界に変わってしまいました。2時間ほどで時ならぬ銀世界は消えてしまいましたが、祭りは次の日曜日に変更になったようです。
 土手の桜も身を竦めて満開の時期を延ばしたことでしょう。

 四日はあるじがデイサービスの施設に出かけたので、うららの春の陽気に誘われ、思い立って弟のところを訪問しました。握り寿司のお昼をご馳走になり、話は今年八幡市制100周年に当たることから、生まれ育った枝光の八幡製鉄所本事務所裏門近くにあった家の思い出に花が咲き、急遽今から行ってみようということになりました。

 櫻の開花宣言から1週間、いつもなら満開の桜なのでしょうが、コースに選んだ国際通りの桜並木の大木もまだ5分咲きといったところでした。今年いっぱいで閉鎖されるスペースワールドも、春休みなのに子供たちの賑わいもあまりないようで、大きな観覧車だけがゆっくり動いていました。
 以前の枝光駅のあったところから、なだらかな坂道を上りつめた角、貸家と自宅があった辺りは道だけは昔の儘で、道路標識に見る町名も同じでした。

 強制疎開で取り壊された跡地には、見知らぬ家々が新しく建っていましたが、自宅のあった場所はなぜか一か所だけ空き地になっていて、裏の石垣の石組だけは昔の儘で苔むしていました。あの石垣のところに風呂があって、その左手が縦長の台所と、二人の記憶が一致しました。ここが茶碗屋があったところ、隣が米屋だったと車の通りも殆ど無いので,駐車したまま、しばし感慨にふけったことです。
 製鉄所の高いレンガ塀は完全に撤去されていて、北九州八幡ロイヤルホテルの裏側が見渡せました。

 六年間通った枝光小学校への道のりに、こんなにも遠くまで歩いて通っていたのかと驚きました。自宅の前の通りも通学路ももっと広かったと思っていたのですが、通学路は狭くて車がすれ違うのも難しく、途中にあった製鉄所への送水管があった広い谷も記憶のものより狭く、仲良しだった友人の家のあったあたりは公園になっていました。
 小学校の校舎は空襲を受けて、一部焼けたと聞いていますが、今は全く面影もない新しい建物となっていて、春休みで人気のない広い運動場と、相撲場、周辺を囲む楠の木の何本かにかつての幼い日の記憶が重なりました。
 思いがけない春の午後の感傷ドライブとなりました。


  雨で流れたチューリップ祭りのチューリップです。思い出を辿るドライブは、カメラを持参していなかったので画像がないのが残念です。




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著莪の花

2017年03月31日 | すずめの百踊り

 今年は貝母と同様に、著莪の開花も少し早いような気がします。冬の寒さの中でも健気につやつやとして立ち続ける常緑の剣の葉には、励ましをもらっています。このあやめ科の草花は、古く中国からもたらされたものだそうです。
 気取りのない素朴さを私は好んでいます。

 毎年さまざまに描いてみるのですが、まだ写し得たと納得できていませんが、今年の著莪の花です。

 貝母(ばいも)も、射干・著莪(しゃが)も、胡蝶花の呼び名は別にして、いづれも難読漢字をあてられている花の名前です。

紫の斑の仏めく著莪の花   高浜虚子

   著莪叢のとどく木漏れ日濡れてをり  稲畑汀子

   譲ることのみ多き日々著莪の花   塙 義子












貝母

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彼岸明け

2017年03月24日 | 塵界茫々
 東京では早くも桜の開花が告げられています。暑さ寒さも彼岸までとはいえ、春の気配は行きつ戻りつで、お彼岸は明けても九州ではまだ開花宣言は出ていません。
 お彼岸詣りに訪問くださった菩提寺の若い僧侶に、お彼岸について学びました。お彼岸という行事は、ほかの仏教国にはみられない日本独自の習慣であること。起源は平安時代にさかのぼり、、伝教大師最澄と弘法大使空海という日本仏教の祖師が中国から帰朝したころからだそうです。
 中日には太陽が真西に沈むことから、西方浄土への極楽往生を願う日としての意味を持つようになり、江戸時代には一般庶民にも浸透して国民的行事になったと伺いました。
 お彼岸といえば先祖供養とばかり思っていましたが、実は「悟りの世界(彼岸)へ近づくための修業期間」という、もう一つの意味があるということでした。その修行を代表するのが六波羅蜜。布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧の六つなのだそうで、いづれも困難な課題のようです。道理で中日を挟んで前後3日間と1週間もの期間が設けられているのがわかります。どれか一つでもと言われても、無縁の俗人の煩悩は断ちがたく、せめて救いを求めて弥陀の名号を唱えることとしました。









 リハビリに通う病院の窓の外。先週が満開でしたが、カメラを持参した今日はもう散りはじめていたコブシの白い花です。
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