どくだみ草日記

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神社仏閣≪稲荷山蓮華院觀音寺≫

2019年05月20日 | 御朱印と神社仏閣


○真言宗豊山派 稲荷山蓮華院觀音寺
 東京都足立区綾瀬4-9-6
 
 荒川辺八十八ヶ所霊場五十一番札所
 荒綾八十八ヶ所霊場七十番札所

 駐車場 5台ほど有り



 
左、門に向かって右に広い駐車場。  右、この門は開いてませんでした。



稲荷山 蓮花院觀音寺(いなりさん れんげいんかんのんじ)
 真言宗豊山派の寺院。開山は賢智上人で一七世紀初頭に創建されたと推定される。この地は江戸時代のはじめ頃から開発が進み、五兵衛新田と言われ、その後も同新田の菩提寺として地域とともに歩んできたのち慶応四年(一八六八)三月んは江戸から退却する新撰組の一隊(当時は甲陽鎮撫隊)が金子家とこの寺院に宿泊。新政府軍も伊藤谷橋まで進出し戦闘が始まろうとしたが、新撰組が流山(千葉県)に撤退したというエピソードを持つ。
 開基は開発者の一人で法名を開田院と称した金子五兵衛である。境内に五輪塔形式の墓があり、開発の歴史を今に伝え、金子五兵衛の墓としえ足立区登録有形文化財となっている。
 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作、境内に大師堂や鐘楼があるほか、荒川辺八十八か所五十一番、荒綾八十八か所の七十番札所で、荒川をめぐる地域の巡拝地であった。ほかにも境内に寛文四年(一六六四)の聖観音立像庚申塔があり足立区登録有形民俗文化財となっている。
     平成八年三月    足立区教育委員会




 


 
聖観音立像庚申塔
 庚申塔は庚申信仰をする庚申講の人々によって造立された塔である。
 庚申とは、十千の庚と十二支の申とが結び付いた六十日に一回巡ってくる日や年のことを指す。
 庚申の日には、人間の体内にいる三尸という虫が睡眠中に抜け出て天帝に罪過を告げるため寿命が縮むという説が中国の道教にあり、これが日本に伝わり信仰された。庚申の夜には眠らずに過ごす守庚申に、礼拝本尊や宗教儀礼が組み込まれた庚申待が室町時代の中頃から行われるようになり、江戸時代に入ると一般的にも浸透し、各地に庚申講が結成され、供養のための庚申塔が多数造立されるようになった。庚申塔の形態、様式は多様であり、文字塔の他、「青面金剛」、「帝釈天」など種々の神仏を主尊とする。
 聖観音は正式には聖観世音菩薩といい、すべての観音のみなもととして、古くから深く信仰されている。像型は光背型で、像の左右に「寛文四(一六六四)甲辰極月十五日」・「奉造立庚申供養二世安穏所也」、下部に施主名がある。区内江戸期の庚申塔の初期のものにあたるが、様相の整った極めて見事な刻像である。
 昭和六十二年十一月、足立区有形民俗文化財に登録された。
     平成七年三月      東京都足立区教育委員会



 


 

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