どくだみ草日記

過去の出来事を検索するために書いてます。

とても嬉しいコメントへの返信が遅れます事、ご容赦願います m(_ _)m

神社仏閣≪文殊山薬師院養福寺≫

2019年05月20日 | 御朱印と神社仏閣


 ○新義真言宗 文殊山薬師院養福寺
  東京都足立区綾瀬2-19-13

  荒川辺八十八ヶ所霊場五十三番札所
  荒綾八十八ヶ所霊場八十八番札所
  旧北野神社別当
  駐車場 3台ほど有り




中央に【荒綾八十八ヶ所第八十八番養福寺】とあります。
右には【普賢寺】
左には【← 是ヲ?上千葉普賢寺へ十一?米】
どうやら荒綾八十八ヶ所霊場の道標のようです。


 

 

 
足立区指定第236号
保存樹木  くすのき
 この木は、区指定保存樹のクスノキの中で一番太いものです。大地に根ざす根も太くなって、記念碑や縁石なども持上げています。樹齢は定かではありませんが、寺とともに歴史を刻んで大きく育っています。平成18年5月撮影


丁度このクスノキ、沢山の花を咲かせていまして、パラパラとそりゃもうパラパラと花が落ちてきてました。

実は、飛鳥時代(7世紀)の仏像はほとんどがクスノキで作られていたとネットでみつけてしまいました。

仏像はヒノキがほとんどだと思ってたので、こんな逸話をみつけてしまって、「トトロの仏像♪」と妄想が膨らんでます。

スタジオジブリ制作の長編アニメ映画の【となりのトトロ】のあの森の大きな樹はクスノキではなかろうかと言われてますネ

だから♪ (笑

あ、脱線しました。

このクスノキの下のベンチに座り、ほどよい木陰でまったりしようかとしてたのですが、とても大きな蚊がワタクシを攻めてきまして、早々に退去と相成りました。

これからの時期(まだ5月ですが)は蚊取り線香か虫除けスプレーが必要ですわ ( ▽|||)

神社仏閣≪綾瀬北野神社≫

2019年05月20日 | 御朱印と神社仏閣

○綾瀬北野神社(綾瀬天神)
 東京都足立区綾瀬2-23-14
 
 御朱印 無し
 綾瀬駅東口から2分



 




祭神 菅原道真公、宇迦御魂之命
当神社創立の儀は人皇104代柏原天皇の御宇起源1164年永正岩元年8月にして葛西青砥村新義真言宗宝持院の開基し薬師如来を本尊とせる養福寺を建立し本寺を別当を定む。当時この地域に天神社稲荷社第六天社八幡社の祀あり右四社を合祀し養福寺の隣地を神域と定め社殿を建設し天神社稲荷社を奉斎し社号を北野神社と称し第六天社八幡社を境内末社に奉遷し普賢寺村全域の鎮守と定む。
然るに安政2年10月江戸大地震にて社殿悉く倒壊し当時氏子四十数戸にして再建し現在に至る。この間土地の発展と人類の幸福ととに御加護を垂させ給ひ御神徳は四方に普く光り輝き殊に氏子の信仰はますます深まり御神威愈々高く拝す。慈に明治百年の式典を記念し有志相挙って燈篭一基を奉献しこの碑を建立す。




 
石祀型庚申塔(せきじがたこうしんとう)
 庚申塔は庚申信仰をする庚申講の人々によって造立された塔である。
庚申とは、十千の庚(かのえ)と十二支の申とが結び付いた六十日に一回巡ってくる日や年のことを指す。
 庚申の日には、人間の体内にいる三尸(さんし)という虫が睡眠中に抜け出て天帝に罪過を告げるため寿命が縮むという説が中国の道教にあり、これが日本に伝わり信仰された。庚申の夜には眠らずに過ごす守庚申に、礼拝本尊や宗教儀礼が組み込まれた庚申待が室町時代の中頃から行われるようになり、江戸時代に入ると一般的にも浸透し、各地に庚申講が結成され、供養のための庚申塔が多数造立されるようになった。庚申塔の形態、様式は多様であり、形態は一般に笠付型、駒型、舟型などいくつかに分類することができる。
 この庚申塔は石祀型といわれ、社殿の形を模したものである。
右は元禄八年(一六九五)、左は同十三年(一七〇〇)の造立で、それぞれ「奉造立石乃宮殿第六天村中庚申供養」、「庚申供養奉造立石宝殿一宇二世安楽処」とある。石祀型庚申塔は東京都内では類例を見ない珍しいものである。
 昭和六十二年十一月、足立区有形民俗文化財に登録された。
     平成七年三月      東京都足立区教育委員会



 


 
撫牛のいわれ
天神様といえば、梅がよく連想されます。
しかしまた、天神様と牛とは古来数々の伝承から縁の深い関係があります。
例えば、天神様は牛年生まれで、亡くなったのも牛年でした。九州に左遷されその西下の途中、白牛に身を救われたこともありました。このように天神様と牛とは史実や逸話に伝えられている通り、神秘的な御神縁があります。ですから牛は天神様のお使いとしえ篤く信仰されています。そして、天神様を守り、人々をも護ることから「神牛・隋牛」と称えられ、そのお陰げを横たわったおおらかな姿から頂こうと寝牛・座牛が造られるに至りました。
後年これを「撫牛(なでうし)・臥牛(がぎゅう)」と呼んで親しみをもって撫でるようになり、今では、天神様を拝んだ後に立ち寄って、良い知恵を授けて頂こうと頭を触ったり、病んだ所をさすっては傷みを取ってもらおうとするようになりました。     北野神社