鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

国土地理院からの回答

2022年07月14日 | 鳥海山

 先日の地図上の誤りについて早速国土地理院から回答が来ました。

 疑問を掲載して回答を掲載しないのは公平ではありませんのでご紹介いたします。

 まず鳳来山北の建物、大沢神社と記載されていることについては、

「鳳来山北側の建物については、状況を確認し、確認結果に基づいて適切に対応いたします。」

 ということで将来現実に合わせて見直されることでしょう。

 また、「南ノコマイ」については

「昭和49年の遊佐町からの申請に基づいております。
今回お問合せをいただきましたので、改めて地元地方公共団体に確認し、その結果に基づき適切に対応いたします。」

 という回答をいただきました。

 国土地理院の地図に表記する川の名称などの自然地名は、地元地方公共団体からの申請に基づいて行われるということは今回の問合せに対する回答で知りました。

 地図上では「南ノコマイ」とあるのに現地での標識が「西ノコマイ」「西ノコメ」となっていたら道に迷ったかと思うでしょう。大沢神社だって地図上の建物が無ければおかしいと思うのは当然です。

 昭文社は未だ回答がありませんがさすが国土地理院、回答が素早いですね。


CHARLES TOLLIVER BIG BAND

2022年07月13日 | Jazz

 これはもともとDVDとして発売されたようです。うちに今あるのはそのtsデータだけですが。

 2007年の映像をDVDにしたものということがわかります。

 フランスのネットTVサービス『Mezzo LIVE HD』はJazzも面白いものがいっぱいあります。Huluで配信するというニュースも以前聞いたことがありますが?Huluは契約していないのでわかりません。

 トランペットのKeyon Harroldを焚きつけるLouis Hayes、迫力です。上の画像の演奏ではありませんが同日の 'Round About Midnight がありました。最盛期に比べるとCharles Tolliver のトランペットもだいぶヘロヘロした音になってしまいましたが。


地図の誤ち

2022年07月10日 | 鳥海山

 ここで言うのはあくまでも鳥海山の話です。国土地理院の地図を見るとあきらかな誤ちがあります。前にも書いた大沢神社。国土地理院のホームページを見てみましょう。国土地理院の地図はこちらから、3Dプリンターがあれば3D用のデータもダウンロードできます。頁に飛んだら「一般の方」→「WEB上でいろいろな地図を見る、使う」と進みます。そこで検索窓に調べたい地域を入れればOK。印刷もできます。そこで鳥海山を調べ、鳳来山の所まで行ってみます。昭文社には先月末投書しましたが今の所なんの回答もないのでもう少し書いてみます。

 国土地理院の地図では鳳来山の北側に大沢神社があります。下の25000地図では大沢神社とは記入されていなくてただ建物の印だけがあります(青い丸で囲んだ所) 。ついでながら上の地図も下の地図も鳳来山頂を経由する一番見ごたえのある道が記入されていません。安山岩の巨岩と山毛欅の巨木が連なる登山道です。脇道の方だけ書いてあります。
 地図は何れも国土地理院電子版より該当部分です。ついでに上の地図に蕨岡口と書いてありますがかつて道者が登拝に使った本当の蕨岡口は違います。それはこちらをご覧ください。
 
 地図上で大沢神社と書いてあるところまで行った人なら昭和末以降そこには何もないのがわかるはずです。あるのは小さな石の祠のみ。
 この国土地理院の「大沢神社」の記載が昭文社の「山と高原地図 鳥海山・月山 2022」の根拠となっているのではないでしょうか。執筆者がそこを歩いていないか、執筆者は大沢神社と記入しななかったけど昭文社が校正の段階で「国土地理院の地図に書いてあるのに書かないのはおかしい」ということで追記したかですね。しかもそこにかつてあったのは箸王子神社でその神様を祀る建物が地名となった横堂です。横に長かったから横堂と称しました。ついでながら箸王子神社はその後河原宿へ遷座し、河原宿小屋閉鎖後は吹浦大物忌神社へ遷座しました。箸王子神社の御朱印は吹浦大物忌神社でいただけるはずです。大沢神社についてはこちらで詳しく書いています。
 
 この道は積雪期に通過する人が多いのでこういったことは気にならないのでしょう。又無雪期は地元の人が多く登るので地図の事など気にしていないのかもしれません。地図を頼りに来た人はどこに神社があるんだ、道を間違ったか?と思うかもしれません。それとも石の祠を見て、これが大沢神社か、と。
 また南ノコマイの記載もあきらかな誤ち、ということは以前Oさんから教えていただきました。南ノコマイについてはこちら

昭和46年発行のアルパインガイドより

2022年07月09日 | 鳥海山

 山と渓谷社のアルパインガイド、現在はアルペンガイドというらしいですが。山と渓谷社は地図、登山ガイドは昭文社のようなものは発行していないようなので山案内はこの程度のようです。うちに昭和の一冊が他にもあったはずなのですが捨てられてしまったようです。山の地図、登山案内などは最新版のみが最新情報ということで重宝され、古いものはほぼ略捨てられる運命にあるようです。本当はこういった古いものが一番貴重で面白いのですが。

 もちろん見るのは鳥海山の項。昭和45年2月発行ですから記事内容は一番新しいものとしても昭和45年のもの。

 このガイドでメインとして紹介されているのが湯ノ台から登り新山、吹浦口へ下山するコース。もう一つが象潟口から登り矢島口へ下山するコース。既に蕨岡口は湯ノ台口にとってかわられています。横堂も巻末の宿泊施設紹介にあるように管理は吹浦大物忌神社の無人小屋で無料宿泊できる小屋と記載されています。横堂は昭和36年の時点では有人の有料小屋として紹介されていましたが10年ですっかり変わってしまいました。それから十年ちょっとで跡形もなくなってしまいます。

 アルパインガイド昭和46年版掲載の鳥海山地図。

 蕨岡大物忌神社の覇権も明治維新の吹浦大物忌神社のうまい立ち回りにより無き者にされてしまいます。旧幕府時代に庄内藩酒井家の庇護を受けたものとして明治政府から忌み嫌われたものとも思われます(そのことを指摘した文書は見たことはありませんが)。修験廃止令、神仏分離令によって廃れ、さらに追い打ちをかけて鉄道線路の吹浦経由の布設、その後のブルーラインの開通。蕨岡大物忌神社を基調とする鳥海登山は姿を消してしまいました。湯ノ台口は自動車道のおかげで今も登る人は多いですが、かつての参拝者が登った蕨岡口は顧みられることもありません。

 昭和38年に国定公園に指定されたものの、この時点ではまだ天幕が張られています。これが今も荒れたままの河原宿の原因です。自然は一度壊すと回復できないのです。

 ※この案内にも「虫穴」は「虫穴岩」とされています。この頃からすでに思い込みによる勝手な地名の変更は行われていたようです。百宅口の入り口大清水はちゃんと"おしず"とルビが振ってあります。


亡国の徒

2022年07月09日 | 兎糞録

 先日の政治テロ、何が卑怯かと言えば、あれは自分は殺されないという確信があっての殺人。逮捕は分かりきっているけどそのあとは裁判で少しでも刑が軽くなればいい、うまくいけば、なんてところで。その前の渋谷での山手線非常ボタン、あれだって自分にとって罪はないと思っているのでしょう。

 明治期からは紙媒体の記録も多く残っていますが、その頃からこういう輩は多くいたようで。出久根達郎の「昔をたずねて今を知る」には明治のころの様々な新聞記事が紹介されています。

 山といったってまともな人ばかり来るわけじゃない。山は人のいないのが一番。

 山に呼ぶ方も似たようなもの。タウン誌を見ると案内するほうもツアーガイドとは明記しない、ただ、○○登山三千円要申し込みとだけ、しかも連絡先は携帯電話番号のみで主催者の詳細な連絡先、フルネームも書いていない。これって商行為ですよね。責任ないですねえ。

 

 暑くって休みの日はどこへも行きたくなりません。文献、といったほどのものではありませんが紙に書かれたものの鳥海山、また二三面白いものを見つけましたので次回。