鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

飽海郡誌 巻之二 第六編

2021年12月05日 | 鳥海山

 「飽海郡誌 巻之二 第六編 山川」は鳥海山より始まります。
 飽海郡誌は明治二十六年より吹浦大物忌神社の宮司となった斎藤美澄の手に成るもので全十巻、復刻版もありますが、今は国会図書館のデジタルコレクションで閲覧することが出来ます。(地元の図書館にもありますが貸し出しは禁止、閲覧は可ですがウチでゆっくり見るわけにはいきません。)貴重な図版もいっぱい載っており見ごたえがあります。いつもの作業で読みやすくしてみましょう。


第六編   山 川

鳥 海 山  秋田縣山利郡二跨リ海面ヲ拔ク七千三百五十五尺四時雪ヲ頂キ我力國第三ノ高山ニシテ實 ニ東北ノ岱宗タリ東蕨岡ヨリ登レハ八里、西吹浦ヨリスレハ九里ニシテ絕頂二達スヘシ一 步ハ一步ヨリ峻シク其頂ハ三伏ノ夏日綿衣ヲ襲ネ尙寒キヲ覺フ神祠アリ卽チ國幣中社羽州一宮大物忌神社ノ本殿ナリ神威赫々四表二洽ク三陸越佐關東ヨリ來リ嶮二攀チ岨ニ縋リ登嶽スルモノ絡繹トシテ絕エス若夫レ氣歛マリ天朗カナルノ日伏シテ之レヲ臨メハ千峰萬巒悉ク萵キヲ失ヒ神靈二向テ羅拜スルカ如クハ其西ハ渺茫タル蒼海天ニ連リ飛島、粟島、佐渡及ヒ男鹿平島ハ呼應ノ閒ニアリ唯々見ル一拈ノ雲烟岫ヨリ出テ倐チニシテ谷二亙リ峰ヲ覆ヒ油然トシテ雨トナリ風伯之ヲ扇レハ水逆マニ注キ雷霆脚下二殷々タリ旣 ニシテ雲收マリ氣散スレハ滿目灑然拭フカ如ク淑氣骨二透リ座ロニ羽化登仙ノ思ヲナサシ厶變幻萬態固ヨリ筆紙ノ盡スヘキ所ニアラサルナリ水府ノ儒臣長保赤水登臨ノロ占アリ

   鳥海山高北海頭 海雲山樹望悠々 不知何日大鵬翼 化作名山鎭羽州

名稱

古へ飽海嶽卜稱ス大物忌神社ノ一名ヲ飽海神社卜稱ス (羽黑山在廳年代記三才圖繪ニ依ル事吹浦口ノ宮ノ下ニ詳カナリ)

是レ其山上二座シマセシヲ以テナリ


 漢詩調になっているところは無理に返り点をつけて読まなくともそのまま読むことをお勧めします。それが漢文を読むには一番いいと思います。英語だってそうですよ、I have、というだけで脳内で翻訳せずにそのまま感ずればよろしい、と無学な私は思います。
()書きになっているところは原文割注です、WEB上では割注出来ないようなので。


山を愛する写真家たち

2021年12月03日 | 鳥海山

 古本で捨て値に近い値段で売られていたもの。今まで見てきた山の写真とは桁が違います。

 カラー写真も平成に到る迄たくさん載っていますが、何よりも面白いのは明治、大正、昭和初期の山岳写真、それも人の写ったもの。

 甲斐駒ヶ岳の今はなき屏風小屋。鳥海山の古い写真も探し続けているんですけどなかなかありません。

 どうでしょう、人の息吹が感じられませんか。


ダンゴ、団子、だんご

2021年12月02日 | 兎糞録

 高校を卒業して東京で見るまでは団子はすべてこういうものだと思っていました。

 白い団子に黒蜜を絡め、それに黄粉をまぶすのがこの辺の団子です。三色団子というのは上野公園の露店で初めて見ました。漫画でしか見たことがないものでした。餡団子、ミタラシ団子なんて知りませんでした。

 これだけは地方発送できません。市内でもこの黄粉団子を今なお作り続けているのは数えるほど。この画像のお菓子屋さんの団子は同じ団子を作っているどの店よりも柔らかくておいしいです。
 その昔、酒田には塩越屋というお菓子屋さんがありまして当時は近くに芸者置屋などが何件もあり、塩越屋も大繁盛していたそうです。この写真の団子のお菓子屋さんの先代は塩越屋で修業したのだそうです。今となっては塩越屋を知る人も殆どいなくなりました。店が亡くなり、店を知る人がなくなる。これも二度無くなるということです。

 昭和三十五年の住宅地図では塩越屋は呉服店に変わっています。今は空き地があるのみです。地図の場所は車一台がやっと通れる細い路で人通りもほとんど見かけません。象潟の古い街には塩越という地名がありますから、屋号が「塩越」というところを見ると、御先祖は象潟の出身でしょうか。