これは絵葉書のタトウの内側に書いてある鳥海山案内図です。ちなみにタトウとはこの場合、絵葉書が入っている袋、入れ物のことです。もとは、着物などを包む「畳紙」からきています。
珍しいことに清吉新道が記載されています。清吉新道は昭和三十三年に開削されていますのでこの絵葉書はおそらく昭和三十年代中頃のものと推定するわけです。それともう一つ、タトウには第五種郵便と記載されていますが第五種郵便は昭和四十一年の郵便法改正により廃止されています。これからも昭和三十三年以降、四十一年以前に発行されたと思われるわけです。
さらに珍しいことに、この案内図には今までに見たことのない登山道が記載されているのです。遊佐駅から吉出、蚕桑を経由して月光川沿いに天主森に向かいます。現在はほぼ廃道の三ノ俣道ですが、その天主森から笙ヶ岳へ向かう道が書いてあるのです。初めて見ました。鳥海山の生き字引だった池昭さんの地図にもなかった道です。
ここでも吹浦口はやはり七五三掛で千蛇谷へ入る道が書かれています。外輪コースはやはり蕨岡との兼ね合いで吹浦道とはされていなかったのでしょうか。
あまり使われることのない構図です。ふつうはどうしても山頂を入れたくなってしまいます。
御田ヶ原を行く登山者ですが、皆さんカーキ色のキスリングのようなザックを背負っています。昭和五十年代まではまだまだこういうザックは見られました。帽子も麦藁帽に手には杖、なかなかいい風景です。
山頂の御本社、参篭所。絵葉書でこのアングルから写したものは珍しいです。
大物忌神社蕨岡口の宮
大物忌神社吹浦口の宮
まだ何枚かあるのですがこのくらいにおしておきましょう。