鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

昭和三十年代中頃の鳥海山

2021年04月09日 | 鳥海山

 これは絵葉書のタトウの内側に書いてある鳥海山案内図です。ちなみにタトウとはこの場合、絵葉書が入っている袋、入れ物のことです。もとは、着物などを包む「畳紙たとうし」からきています。

 珍しいことに清吉新道が記載されています。清吉新道は昭和三十三年に開削されていますのでこの絵葉書はおそらく昭和三十年代中頃のものと推定するわけです。それともう一つ、タトウには第五種郵便と記載されていますが第五種郵便は昭和四十一年の郵便法改正により廃止されています。これからも昭和三十三年以降、四十一年以前に発行されたと思われるわけです。

 さらに珍しいことに、この案内図には今までに見たことのない登山道が記載されているのです。遊佐駅から吉出、蚕桑さんそ(う)を経由して月光川がっこうがわ沿いに天主森に向かいます。現在はほぼ廃道の三ノ俣道みつのまたみちですが、その天主森から笙ヶ岳へ向かう道が書いてあるのです。初めて見ました。鳥海山の生き字引だった池昭さんの地図にもなかった道です。

 ここでも吹浦口はやはり七五三掛で千蛇谷へ入る道が書かれています。外輪コースはやはり蕨岡との兼ね合いで吹浦道とはされていなかったのでしょうか。

 あまり使われることのない構図です。ふつうはどうしても山頂を入れたくなってしまいます。

 御田ヶ原を行く登山者ですが、皆さんカーキ色のキスリングのようなザックを背負っています。昭和五十年代まではまだまだこういうザックは見られました。帽子も麦藁帽に手には杖、なかなかいい風景です。

 山頂の御本社、参篭所。絵葉書でこのアングルから写したものは珍しいです。

 大物忌神社蕨岡口の宮

 大物忌神社吹浦口の宮

 まだ何枚かあるのですがこのくらいにおしておきましょう。


Charlie Mariano - The Shadow Of Your Smile

2021年04月09日 | Jazz

 高校の時、友人の家で酒を飲みながら聴いたもう一枚のアルバム。富樫雅彦のドラムスに、ブラシワークに驚きました。宮沢昭の「いわな」、「フォー・ユニッツ」にもドラムスとして参加しています。表題のアルバム、超おすすめです。

 このアルバムから三年後でしょうか。富樫雅彦は奥さんに背中を刺され下半身不随となってしまいます。もちろん浮気が原因で。その時はリアルタイムでそのニュースにで接した世代です。

Charlie Mariano - The Shadow Of Your Smile

 その後富樫雅彦は両手だけで演奏する打楽器奏者として復活します。その後のフリー・ジャズは全く趣味に合いませんが後年の富樫雅彦 & j.j spiritsはいいです。

All The Things You Are - Masahiko Togashi & J.J.Spirits

 itunesには入っているのですが、聴き返そうと思ったら、無いっ、間違って処分してしまったー。慌てて買いなおしです。この動画懐かしいピット・インの画像が出てきます。

富樫雅彦 Masahiko Togashi Trio - You're My Everything

 よくありますね、あとから処分するんじゃなかった。あるのに忘れて同じものをまた買ってしまった、なんてことが。データベースを作っておけば二重買いは防げるんですがデータベース作成は途中、初めのほうだけ手を付けてまったく進んでいません。ACCESSで出来るんですが。EXCELより便利ですよデータベース作るには。EXCELはどでかい平面にものを書き込む、ACCESSはいくつもの引き出しにデータを入れる、という感覚ですかね。

 あれっ、表題がCharlie Mariano、演奏はマリアーノとナベサダですが話は富樫雅彦のほうへ行っちゃいました。


クレーマークレーマー

2021年04月07日 | 兎糞録

 やっとタイヤ交換。タイや交換のため油圧ジャッキを引っ張り出してきて車をジャッキアップしていたらカー用品販売している人から聞いたクレーマーを思い出しました。

 「おい、お前んところで買ったジャッキで車を持ち上げたら車の床が抜けたぞ、不良品じゃねーか、車弁償しろ!!!」

 原因は何だと思いますか。

 はい、ジャッキアップ ポイントをまったく知らなかったんですね。運転席の床下にジャッキを架けていたそうで、あんなところにジャッキ架けたらそりゃ床は抜けますわ。

 

 ついでにもう一つ、これからエアコン取付がぼちぼち出てきますね。これも知り合いの販売店の方から聞いた話。

 エアコンを買った客に

 「お客様、取り付けはよろしいんですか?」

 「へっ、取り付けだなんて言って何万もぼりやがんだろ。自分でやるからいい。」

 と言って室内機、室外機を積んで帰っていったのだそうですが、それからしばらくすると電話が来て、

 「お前の店は不良品を売るのか、全然動かねーぞ、今すぐ見に来い!!!」

 「申し訳ありません、かしこまりましたすぐそちらに伺います。」

 はい、何だったでしょう。想像つきますか。

 なんと、その客、室内機を壁にかけ取り付けました。室外機は外に置きっぱなし。冷媒配管もなければ室内機と室外機の電気配線もしていない、ただ室内機からの電線がコンセントにさしてあるだけ。

 げに素人は恐ろしい。

 でも設備工事を生業とする自称プロだって怪しいのがいっぱい。エアコンの三相200Vの配線をしてエアコンが動かない、というクレームがあったそうです。行ってみたら三相の配線がでたらめ、そのまま通電したためにエアコンがパーになってしまったそうです。

 まあ、俺はプロだと自らいう人にプロはいません。


昭和七年の鳥海山登山案内

2021年04月07日 | 鳥海山

 昭和七年、吹浦大物忌神社に近い丸登旅館で発行した鳥海山登山案内です。このころ、蕨岡では共栄社という宿坊が母体となった組織がこういった出版をほとんど行っていたようですが、吹浦では駅前の旅館、写真館などがこういったものを出版していたようです。蕨岡口に関しては酒田のかつてあった白善書房なども絵葉書を発行していました。戦前の絵葉書は圧倒的に蕨岡口からのものが多いようです。

 吹浦大物忌神社の裏から登る道が出ています。途中桑ノ森とあるのは観音森です。そのころまでは桑ノ森と呼ばれていました。

 鍋森、鳥海湖、扇子森の位置関係がおかしいですね。千蛇谷の手前に植物園とありますがどこのことでしょうか。この辺りにはまだ謎がありますがそれはまた次回。山頂御本殿に行くのも外輪経由ではありません。古い地図でも吹浦口は外輪を経由していないようです。文殊岳、伏拝岳、行者岳、七高山と外輪のこれらの道、拝所は蕨岡修験の勢力下にあったので吹浦修験道者の道とはなっていなかったのかもしれません。もっとも下の拝所の案内には文殊嶽神は載っていますが。

 このページには吹浦口の拝所が書かれています。鳶石神とありますが蔦石神でしょうか。蔦石は現在伝石と書かれているようですが。清水神、愛宕神はわかりますがその間の祓戸神は?夷三郎神は弥三郎岩の神のことでしょう。御苗代神、注連掛神は代参の方ここで手を合わせますが、その間の龗神(おかみのかみ?水を司る竜神)、猿田彦神となってはわかりません。こちらの拝所も一覧にして調べてみようと思います。といっても民俗学的、学術的興味は全くありません。ただのもの好きです。

 拝所の次に登山道順が書いてあるのですが、いいところで切れています。ここから数ページもぎ取られたか落丁でしょうか残念。しかし、当時は道者道といって境内が出発点だったことがわかります。知人もかつてそこから向かったといっていましたし、今も途中で国道七号線で先がきれいになくなっていますが、本殿のある境内から登る道は参道として残されています。吹浦大物忌神社の本殿の右側に道がありますので機会がありましたら歩いてみてください。


中山河川公園

2021年04月06日 | 鳥海山

 今日の絵日記は洗沢川の桜並木から始まります。。

 例年より桜の開花がかなり早く、このままでは見逃してしまうと思い中山河川公園まで車で散歩です。

 今年は新型コロナの影響でしょうか、河川公園の鯉のぼりも仮設の橋もありません。

 

 少し寒い一日。何枚撮影しても気に入った写真は撮れません。

 

 河川公園を後にして杉沢に向かいます。

 鳥海山三十三拝所の第一番目、鳥海山二之王子熊野大権現です。

 そこから褄坂を通り、月ノ原。旧蕨岡登拝道へ向かいます。

 月ノ原から見る笙ヶ岳は庄内平野から見るのとはまた違った山のようです。

 月ノ原から先は嶽ノ腰林道です。かつてソブ鉱石を採掘して運び出すための林道でした。登山地図には蕨岡口と書いてありますが、本当の蕨岡口はもっと手前から峯へ向かう道だそうです。これも山本坊さんから教えていただきました。

 林道とは崩壊するために作られたもののようです。

 帰りがけにいつもの蕨岡大物忌神社。神楽殿、ここで奉納される延年の舞は残念ながら今年も行われないようです。

 最後は遊佐に寄りいつものフルーツサンド、ちょっとお高いんで安いのを二つだけ。

 一番安いので税抜き300円、高いのは600円もしますからそうそう何個もは買えません。さあ、次はどこへ行きましょう。