鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

魚市場、きのうのパン

2020年02月19日 | 兎糞録
 昭和三十年代初め、小学校に入る前、港の近くに住んでいました。近くには島への連絡船を待つ人のための葭簀張りの売店、駄菓子屋もあり、当時はまだ魚もそこの魚市場に揚がっていました。棒状のバーハンドルのオート三輪が走り始めた頃です。葭簀張りの売店にはお使いで四部休符の書いてある煙草、いこいを買いにやらされていました。
(出典:http://www.lsando.com/oldcigarette/oldcigarette11.htm )

 よく、魚は生臭いと言いますが、新鮮な魚はちっとも生臭くなんかは無いんですよ。


 初めて築地の魚市場へ行ったとき、大江戸線の地下鉄の出口階段を上るに連れて漂ってくる市場の新鮮な魚の香りにその頃のその場所を思い出しました。
(築地魚市場移転前の場外市場の賑わい)
 談志師匠の落語「芝浜」にもありますよね、「魚が生臭いだなんて言いやがる。」「そんな野郎どもは、生きのいい魚を食ったことがねえんだ。」と魚屋の言ったセリフが。

 この街は海は近いんですが、いい魚は地元には回ってきません。知りあいの魚料理のお店の主人も言っていましたが、いい魚介類は皆県外の港へ水揚げされるのだそうです。そこの港の名前が付いた方がいい値が付きますからね。もっとも、港はあっても水揚げする大きな市場がないのですから。
 料理屋さんは特別なルートで手に入れると言っていました。鮮魚、海産物を売りにしている店に行ったって、生臭すぎて長時間店にいられません。

 その港の近くに大きなパン屋さんの工場がありました。最近、そこのパンを売っていないと思っていたら近年自主廃業してしまったのですね。工場に直接食パンを買いに行くと美味しかったのですが。


 時は冒頭に戻りますが、そのころ昭和三十年代初め、時々母親が十円渡して「パン屋さ(に)いて、「きんのの(昨日の)パンくれ、て言て買てこい」と言われ買いに行ったことを昨日のことのように思い出しました。


 こんなパンはグローブのように見えたので、手手(てて)パンと勝手に名付けていっていました。


 きのうのパンは子供が持つにはとてもたくさんあり、またとても豪華なもののように思えました。

 鳥海山の麓に美味しいパン屋さんがあったのですが、十五年やったので節目だと言ってやめてしまいました。買って帰る途中車のなかが馥郁たる小麦粉の香りに満たされるくらいのパンだったのですが、残念です。


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