鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

箸王子神社と大澤神社

2021年10月20日 | 鳥海山

 (此処に掲げた記事、写真は以前掲載したものも多くありますが太田宣賢の「鳥海山登山案内記」に沿って改めて書いていますので箇所に応じて再掲しています。)

 登拝の一行は山先達に連れられて鳳来山を過ぎ箸王子神社までやってきました。今の地名では横堂、昭和の最後までお堂があったところです。横に長い御堂なので横堂。


箸王子はしわうじの神社は保食うけもちかみまつる又社務所しやむしよ出張所ではりあり登山鑑札かんさつらして人員ひとかず點檢あらためす是登山者保護上ほごじやう必要たいせつに依るかたはらに掛茶屋あり酒餠菓子さけもちくわしるゐひさぐ此より右折みぎにおれして少しく下ればたちま奇岩怪石欝然きがんくわいせきうつぜんたる老樹蜿蜒ろうじゅえんゝたる葛藟陰暗寂寥かつるいいんあんせきれうたり行くこと僅にしてだ斷岸絕壁だんがいぜつぺき攀易よぢやすからずたゞ鐵梯かなばしご條索なはすがりて下降くだるすれば〇大澤おほさはに達す倉稻魂命うかのみたまのみことまつれる〇大澤神社おほさはじんしやほか數社あまたあり然れど共社殿おみやを設けずたゞちにたきを以て御神體ごしんたいとなす古昔はおくゐんとな弘法大師くわうばうだいし創始はじめつた極(きは)めて衆庶ひとゞ尊崇そんけいする處なり數條いくすぢ瀑布たき其質そのしつ或は赤く或は白く或は淸くして高く懸崖けんがいより漲落みなぎりおつるもの若くはひく岩腹がんぷくより噴發ふきいだするものいはに觸れいしげき其音そのおん殷雷いんらいの如く餘響烈風よきやうれつぷうの如く飛沫濃霧ひまつきりおこ異鱗雲いりんくもぶのさまあり境内の幽邃いうすゐにして而も雄宕人ゆうたうひとをしてそぞろに仙境せんきやうあそぶのおもひあらしむ再び箸王子はしわうじのぼ休憩一番しばらくやすみ力餠ちからもち頬張ほゝはらすもなるべく美酒さけ勇氣いさみつけする更におほいに可ならん


 この頃は登山鑑札が必要でした。山役料を払わないといけないのです。神職が御祈祷している隙に山役料を払わずにこっそり通り抜けようものなら追いかけていきます。戦後間もないころの山役料は三百円だったということです。

 中村不折が大正8年8月14日に鳥海山に登り山頂一泊翌15日に下山しているそうですからその当時の箸王子はこの絵葉書の様子だったのでしょう。この右手前に大澤神社へ降る道がありました。水場はこの小屋の右先の方にあったようです。のちに大変なので鳳来山の方まで下って採水しました。

 大澤神社へ降る鉄鎖は今も残ります。”條索なはすがりて下降くだるすれば”とある通り此処に奉納の綱も下げて降ります。近年まで綱講としてお山参りが行われていました。

 左の写真は鉄鎖を降りたところの御神体の瀧、ここで足袋に赤くソブを染み込ませるのが赤瀧迄降りた証拠とされました。右はその右手に見える滝です。このすべてが御神体となっていました。

 絵葉書に見る大澤神社、これを蕨岡の神職の方に見ていただいたらもっと左の見えないところにあるといわれたのですが

 こちらの写真ですね。これは先に載せたカラーの写真の左側の方と同一だと思います。だとすると話も合います。

 古絵図に見る大澤神社(澤の字が新字体になっているのでどれくらい古いかは不明)、何本もある滝を「大澤神社おほさはじんしやほか數社あまたあり」と表現したのでしょう。

 この笹小屋は箸王子か河原宿かは不明ですがこの小屋で”力餅”と”美酒”を楽しんだのでしょう。それにしても早朝から酒飲んでこれからの長丁場大丈夫だったのでしょうか。

 

 


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