鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

ジーッと見つめられちゃった、大物忌神社

2022年03月30日 | 鳥海山

 蕨岡修験のかつての学頭寺(修験で一番偉い寺)龍頭寺のご住職へ電話したところ、今日は都合が大丈夫というのでお言葉に甘え鳥海山関連の資料を届けに。話が弾みあっという間に夕方。帰りがけに大物忌神社へお参りし、旧拝殿への石段をファインダー越しに見ていたら何かこっちをジーッと見つめる気配が。

 ジーッと見つめられるなんて何十年ぶりか~。カメラから目を離しその方向を目を凝らして見るとその先には、そこだけ日が当たってカメラではうまく写せません。

 なんだあれ?右から左へ。立ち止まってこちらをジーッと見つめているー。よーく見ると、

 羚羊さんでありました。かなり長い間こちらを見つめていました。この辺は人里ですがかなり出没するらしいです。

 

 龍頭寺の仁王様も春だ~と言っているようです。

  大物忌神社の境内の雪もだいぶ消えました。

 拝殿の壁には1952年の恥さらしの跡が。自分は馬鹿であると刻み込んでいくのですからねー。(普通の神社は拝殿の奥に廊下を渡る本殿があるのですが蕨岡大物忌神社は拝殿の扉の奥は鳥海山山頂であり、それが本殿であるということでここに本殿の建物がないのです。)

 

 今日はご住職といろいろ話をしたのですが、大学の教授だか准教授だか知りませんが、学問をしている人は無知なんだなあとつくづく思いました。古文書の読み方も知らない、古文書に書いてあると言い張るのだそうです。

 鳥海山縁起の箱書きに「圓春艸」と書いてあるのですが、これを古文書には「圓春興」と書いてある、だからこれは「圓春艸」、乃ち「艸」は「興」と同じ、「圓春興」という名前なのだと。ちょっと文章をご存じの方でしたら「艸」は「そう」、書き記すという意味は明らか。すなわちこれは圓春が書いた、ということなのです。蕨岡の記録にも龍頭寺住職「圓春」というのはしばしば出てきます。なんで学者さんはそこを確認、現地の人の話を尊重しないのでしょう。やはりこれも宣教師根性のなせる業なのか。

 鳥海山修験を研究すると言いながら深く話を聴くこともせず、実際に修験者の歩いた道を歩くこともせず、文献は読み間違え、学問というのはこんなものなのですか。人を言い負かすのが商売ならどこかの弁護士崩れと変わりません。


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