鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

萬助小舎 二五周年記念誌より

2021年09月24日 | 鳥海山

 自分は鳥海山登りを山岳部やどこかの山岳会に入って覚えたわけでないし、ただ登りたいと思って独学で登り始めたので守備範囲は大変狭いです。かつての仕事で知り合った鳥海山好きの連中と一緒に登るくらい、あとはいつも一人。その中に神社の小屋をよく知る人がいたのでお浜、山頂、河原宿の小屋に寄らせてもらった程度です。なので萬助小舎にはなじみはありません。この記念誌の皆さんの思い出話はスルーなのですが、その中に面白い話がいくつかありますので紹介させて戴きます。

 池田昭二さんは言わずと知れた「山と高原地図 鳥海山」のかつての筆者。その「山と高原地図 鳥海山」は毎年一万数千部だしているのに地元では売れなかったという話は面白いですね。松山町の書店では一年間で一部しか売れなかったとか。
 また鳥海山の登山道は廃道も含めると二十もあったという話。百宅、猿倉、矢島、中島台、横岡、小滝、大砂川、川袋、小砂川、吹浦、桝川、下当、長坂、万助、二ノ滝、三の俣、杉沢、湯ノ台、大台野、鹿の俣、清吉新道が書いてありませんでしたがいくつご存じでしょうか。これを念頭に置いて地図を眺めるのも俣楽しいものです。
 
 さらに興味を惹くのが万助小屋以前に存在した鳥海山荘の話。今の湯ノ台の鳥海山荘とは違います。あっ、そう以前書いた伝喜太小屋の写真も載っていました。
 鳥海山荘は別名鳥海ヒュッテとも呼ばれたそうですが渡戸にあったそうです。
 最後は火事で無くなったとのことです。渡戸には一時酒田東高の小屋もあったとは酒田東高山岳部のOBから聞きました。昔はいろんな小屋があったのですね。小屋といっても登拝時期だけ建てて白玉やらを売る笹小屋も結構あったようです。蕨岡の旧道を歩くとちょっとした平地と水場が近いところが何か所かあり、ここにも笹小屋があったのではなかろうかなどと想像してしまいます。
 
 池田昭二さんの語る鳥海山の話は面白いのでいずれ紹介させていただきます。この記事に掲げた写真は「萬助小舎 二五周年記念誌」に掲載されています。
 
 次回は南ノコマイについて書いてみましょう。
 

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