観測史上最大の大震災から3ヶ月。
2~3日旅行に行っただけで、いや、実家に1泊しただけでも、家に帰ると「あ~我が家が一番」と言ってしまうような私にとって、“仮設住宅に3ヶ月”という状況がどれほど過酷なものなのか、想像もつきません。
仕事がないという不安も、経験したことがないので分かりません。
ただただ、被災地の状況が少しでも改善していくことを願うばかりです。
東京ではあれからずっと、放射能汚染に対する不安が渦巻いているのを感じている中、我が家はなんら変わりなく過ごしているので、逆に何だか肩身の狭い思いをしています。
私は、私の基準で、私が信頼できる人の話だけを信じているので、いろいろな情報にいちいち不安にはなるけれど、相方と話すといつも、でもやっぱり子どもは外で遊ばせたいし、水道水でいいよね、ということになり、結果、震災前と変わらない日常を送ることになります。
でもそれが、特に子育て世帯では少数派だということも分かっているので、保育園のお迎えに目測を誤ってチャリで出かけ、乳幼児2人連れて土砂降りの雨に打たれたことは誰にも言えなかったし(震災からちょうど1ヶ月のことでした)
区から“再び水道水の摂取制限が出た時のために”と水の配給の知らせを児童館で聞いた時も、館長先生に「みなさん、お水はどうされてるの?」と聞かれ、
「水買ってません。水道水使ってますから。」
とは言えませんでした…
(同じような思いを、友人みえりもしています。みえりの記事は→こちら)
そんな、“子どもには水道水を飲ませないのが当たり前”“雨の日や風の日は外出を控える”“大豆や海藻類を積極的に摂らせる”という家庭が多数派なこの頃、先月だったか、保育園で厚生省が出したパンフレットが配られました。
そこには、誰もが分かりやすいような書き方で、“今まで通りに日常生活を送って大丈夫”というような内容が書かれていました。
けっこう立派なパンフレット、これ、税金で作ったんだよなぁ…と思いながらも、ここに書かれていることが本当なら心配要らないなぁ…と思いました。
問題はそこです。
“これが本当ならば”という思いには“本当かどうか分からない”という思いが含まれます。
この不信感こそが、全ての不安につながっているのでしょう。
我が区でも、区民の要請を受けて放射能の測定が始まりました。
やっぱり気になるので、HPを見ると思います。
でも、その結果が安心できるものだったとしても、どうしても“これは本当のことなんだろうか”と思ってしまうでしょう。
ただでさえ、隣近所にだれが住んでいるのかも分からない人が大半な東京。
そこに加えてこれだけの政府不信。
今、東京に大地震が起こったら、パニックどころじゃないでしょう。
地震…来ませんように…
話は変わりますが…
昔、職場で焼き芋をした時のこと。
私は小さい頃から焚火に慣れていたので、率先して焚火担当をしていたのですが、夜になってものすごい頭痛に襲われ、理系の兄と話をしているうちに、絵の具を塗った段ボールを燃やしたことについて、ものすごく非難されました。
「絵の具は金属なんだ。そんなもん燃やしたら有毒ガス出まくりだぞ!まさかガムテープとかも燃やしたんじゃないだろうな!」と。
そうなんだ。知らなかった。
ガムテープも…もしかしたらついてたかも…(汗)
それ以来、焚火でついでに不要なものを燃やしてはいけないと固く誓っておりますが、さて、そんな無知な私でも気になる今回の震災でのこと。
数年前に話題になって、学校などの公の建物では調査や改修工事が行われたアスベスト。
震災で崩れた建物から、出ていないわけないでしょう。
今回の震災は火災被害より津波の被害でしたが、普通のゴミとして出してはいけない、パソコン、携帯、乾電池、薬品、水銀体温計…津波に流されて、どうなるのでしょう?
車、バイク、冷蔵庫、電子レンジ…いろいろな工場や会社も被害を受け、崩れた土砂や流された波の中で、自然に帰れない有害物質は、誰か測定するのでしょうか?
そんな報道ちっとも聞かなかったけれど、それこそ規制されて隠蔽されていたりして。
またまた話は変わりますが…
昨日、実家の近くのヨーカ堂で、また息子が迷子になりました。
お嬢が初のエスカレーターを喜んでいる姿にみんなが気をとられているうちに、タッタカ先に駈けあがってしまい、どうやら上の階まで行ってしまったようです。
“迷子になってはいけない”というのは、ようやく本人も分かるようになったので、ヤバいと思って泣きながら探していたらしく、そんな“明らかに迷子”な姿を見て店員さんのところに連れて来てくれた方がいたそうで、まさに今、迷子放送をかけるところです、というところで発見されました。
相方母もいましたが、伝えるべきことは今、言わないと!
子どもに「あの時はね…」は通用しない!と思って、隣に座り、トーンを落として息子に言いました。
「1人で勝手に行っちゃったらダメでしょう」
「いい人がお店の人に教えてくれたからよかったけど、もし悪い人だったら、どこかに連れて行かれちゃうかもしれないんだよ」
「そしたら、もう会えなくなっちゃうかもしれないんだよ」
息子も神妙に聞き、「うん、分かった。ごめんなさい」と反省したようです。
いつも、迷うところです。
道徳と、防犯と。
“人に会ったらあいさつをしよう”“困っている人がいたら助けよう”ということも、伝えていきたいし、いろいろな人と上手にかかわりながら生きていける人になって欲しいと願っています。
でも一方で、“知らない人についていってはいけない”“世の中いい人ばかりじゃない”ということも、伝えていかなければいけない。
矛盾していて、うまく説明できないのです。
信じることも大事。でも疑うことも必要。
それはきっと、一言で伝えられることではないんだろうな。
その時その時で、必要なことをちゃんと伝えられるか分からないけれど、自分の価値観を振り返りながら、悩みながら、その時その時真剣に、繰り返し伝えていくしかないのでしょう。
親って、大変だなぁ~
さて、そんなことがあったsugar家、今日もショッピングモールに家族で買い物に行きました。
遅くなった相方の誕生日プレゼントに靴を選んでいたところ、ふと気付けば息子がいません。
も~~~全然、反省してないじゃんか~~~
…と、店を出てしばらく探しているうちに、流れる館内放送。
「黄色いTシャツに、迷彩柄のズボン、カーキの靴を履いた、3歳の男の子を…」
これじゃん。
ウチの息子じゃん!!
父ちゃんと母ちゃんの悩みはつきません…
2~3日旅行に行っただけで、いや、実家に1泊しただけでも、家に帰ると「あ~我が家が一番」と言ってしまうような私にとって、“仮設住宅に3ヶ月”という状況がどれほど過酷なものなのか、想像もつきません。
仕事がないという不安も、経験したことがないので分かりません。
ただただ、被災地の状況が少しでも改善していくことを願うばかりです。
東京ではあれからずっと、放射能汚染に対する不安が渦巻いているのを感じている中、我が家はなんら変わりなく過ごしているので、逆に何だか肩身の狭い思いをしています。
私は、私の基準で、私が信頼できる人の話だけを信じているので、いろいろな情報にいちいち不安にはなるけれど、相方と話すといつも、でもやっぱり子どもは外で遊ばせたいし、水道水でいいよね、ということになり、結果、震災前と変わらない日常を送ることになります。
でもそれが、特に子育て世帯では少数派だということも分かっているので、保育園のお迎えに目測を誤ってチャリで出かけ、乳幼児2人連れて土砂降りの雨に打たれたことは誰にも言えなかったし(震災からちょうど1ヶ月のことでした)
区から“再び水道水の摂取制限が出た時のために”と水の配給の知らせを児童館で聞いた時も、館長先生に「みなさん、お水はどうされてるの?」と聞かれ、
「水買ってません。水道水使ってますから。」
とは言えませんでした…
(同じような思いを、友人みえりもしています。みえりの記事は→こちら)
そんな、“子どもには水道水を飲ませないのが当たり前”“雨の日や風の日は外出を控える”“大豆や海藻類を積極的に摂らせる”という家庭が多数派なこの頃、先月だったか、保育園で厚生省が出したパンフレットが配られました。
そこには、誰もが分かりやすいような書き方で、“今まで通りに日常生活を送って大丈夫”というような内容が書かれていました。
けっこう立派なパンフレット、これ、税金で作ったんだよなぁ…と思いながらも、ここに書かれていることが本当なら心配要らないなぁ…と思いました。
問題はそこです。
“これが本当ならば”という思いには“本当かどうか分からない”という思いが含まれます。
この不信感こそが、全ての不安につながっているのでしょう。
我が区でも、区民の要請を受けて放射能の測定が始まりました。
やっぱり気になるので、HPを見ると思います。
でも、その結果が安心できるものだったとしても、どうしても“これは本当のことなんだろうか”と思ってしまうでしょう。
ただでさえ、隣近所にだれが住んでいるのかも分からない人が大半な東京。
そこに加えてこれだけの政府不信。
今、東京に大地震が起こったら、パニックどころじゃないでしょう。
地震…来ませんように…
話は変わりますが…
昔、職場で焼き芋をした時のこと。
私は小さい頃から焚火に慣れていたので、率先して焚火担当をしていたのですが、夜になってものすごい頭痛に襲われ、理系の兄と話をしているうちに、絵の具を塗った段ボールを燃やしたことについて、ものすごく非難されました。
「絵の具は金属なんだ。そんなもん燃やしたら有毒ガス出まくりだぞ!まさかガムテープとかも燃やしたんじゃないだろうな!」と。
そうなんだ。知らなかった。
ガムテープも…もしかしたらついてたかも…(汗)
それ以来、焚火でついでに不要なものを燃やしてはいけないと固く誓っておりますが、さて、そんな無知な私でも気になる今回の震災でのこと。
数年前に話題になって、学校などの公の建物では調査や改修工事が行われたアスベスト。
震災で崩れた建物から、出ていないわけないでしょう。
今回の震災は火災被害より津波の被害でしたが、普通のゴミとして出してはいけない、パソコン、携帯、乾電池、薬品、水銀体温計…津波に流されて、どうなるのでしょう?
車、バイク、冷蔵庫、電子レンジ…いろいろな工場や会社も被害を受け、崩れた土砂や流された波の中で、自然に帰れない有害物質は、誰か測定するのでしょうか?
そんな報道ちっとも聞かなかったけれど、それこそ規制されて隠蔽されていたりして。
またまた話は変わりますが…
昨日、実家の近くのヨーカ堂で、また息子が迷子になりました。
お嬢が初のエスカレーターを喜んでいる姿にみんなが気をとられているうちに、タッタカ先に駈けあがってしまい、どうやら上の階まで行ってしまったようです。
“迷子になってはいけない”というのは、ようやく本人も分かるようになったので、ヤバいと思って泣きながら探していたらしく、そんな“明らかに迷子”な姿を見て店員さんのところに連れて来てくれた方がいたそうで、まさに今、迷子放送をかけるところです、というところで発見されました。
相方母もいましたが、伝えるべきことは今、言わないと!
子どもに「あの時はね…」は通用しない!と思って、隣に座り、トーンを落として息子に言いました。
「1人で勝手に行っちゃったらダメでしょう」
「いい人がお店の人に教えてくれたからよかったけど、もし悪い人だったら、どこかに連れて行かれちゃうかもしれないんだよ」
「そしたら、もう会えなくなっちゃうかもしれないんだよ」
息子も神妙に聞き、「うん、分かった。ごめんなさい」と反省したようです。
いつも、迷うところです。
道徳と、防犯と。
“人に会ったらあいさつをしよう”“困っている人がいたら助けよう”ということも、伝えていきたいし、いろいろな人と上手にかかわりながら生きていける人になって欲しいと願っています。
でも一方で、“知らない人についていってはいけない”“世の中いい人ばかりじゃない”ということも、伝えていかなければいけない。
矛盾していて、うまく説明できないのです。
信じることも大事。でも疑うことも必要。
それはきっと、一言で伝えられることではないんだろうな。
その時その時で、必要なことをちゃんと伝えられるか分からないけれど、自分の価値観を振り返りながら、悩みながら、その時その時真剣に、繰り返し伝えていくしかないのでしょう。
親って、大変だなぁ~
さて、そんなことがあったsugar家、今日もショッピングモールに家族で買い物に行きました。
遅くなった相方の誕生日プレゼントに靴を選んでいたところ、ふと気付けば息子がいません。
も~~~全然、反省してないじゃんか~~~
…と、店を出てしばらく探しているうちに、流れる館内放送。
「黄色いTシャツに、迷彩柄のズボン、カーキの靴を履いた、3歳の男の子を…」
これじゃん。
ウチの息子じゃん!!
父ちゃんと母ちゃんの悩みはつきません…