「考える日々Ⅱ」池田晶子 1999/12 読了 ☆☆☆☆
『~ネット通信というのは「人とつながりたい」という欲望によるという。この「人とつながりたい」という欲望とは如何なる欲望なのか、それが不可解なのだ。人の言う「淋しい」という感覚が、どうも私には欠けているようなのである。
孤独ということなら、私は自分の孤独に満ち足りているので、少しも不足を覚えない。孤独が充実しているからこそ、言葉も充溢してくるわけで、空虚な孤独が空虚な言葉でつながって、果たしてつながったことになるのかと疑う、他人を求めるより自分を索めるほうが、順序としては先のはずだ。~ガラクタのような外界の情報群に、いったい何を求めているのか、各自で自問するしかない。』(本分より)
「ぼくのともだち」エマニュエル・ボーヴ(1924本書)2005/11 読み始める
パリでもっとも不器用な男の話。孤独がぼくを押し潰す。ともだちが欲しい。本当のともだちが!…実際、友情を示してくれる人には、ぼくはとことん優しくなれる。年金もベッドも独り占めしない。逆らったりなんか絶対にしない。ぼくの望みは、その人の望みを叶えることだけだ。犬みたいにどこにだってついていく。その人が冗談を言ったら、ぼくはきっと声をあげて笑うだろう。もしも誰かがその人を悲しませたら、ぼくは涙を流すだろう。(「BOOK」データベースより)
第一次世界大戦後に書かれた作品。ブックレビューでの紹介。ユーモアとペーソスを交え、都会で孤立する不器用な人物像に読者の共感。今で言うユルキャラみたい。
図書で4冊借りる。
「ぼくのともだち」エマニュエル・ボーウ
「古道具 中野商店」川上弘美
「ロビンフッドに鉛の玉を」ステュアート・カミンスキー
「ブログ 世界を変える個人メディア」(原題:We the media)ダン・ギルモア
『~ネット通信というのは「人とつながりたい」という欲望によるという。この「人とつながりたい」という欲望とは如何なる欲望なのか、それが不可解なのだ。人の言う「淋しい」という感覚が、どうも私には欠けているようなのである。
孤独ということなら、私は自分の孤独に満ち足りているので、少しも不足を覚えない。孤独が充実しているからこそ、言葉も充溢してくるわけで、空虚な孤独が空虚な言葉でつながって、果たしてつながったことになるのかと疑う、他人を求めるより自分を索めるほうが、順序としては先のはずだ。~ガラクタのような外界の情報群に、いったい何を求めているのか、各自で自問するしかない。』(本分より)
「ぼくのともだち」エマニュエル・ボーヴ(1924本書)2005/11 読み始める
パリでもっとも不器用な男の話。孤独がぼくを押し潰す。ともだちが欲しい。本当のともだちが!…実際、友情を示してくれる人には、ぼくはとことん優しくなれる。年金もベッドも独り占めしない。逆らったりなんか絶対にしない。ぼくの望みは、その人の望みを叶えることだけだ。犬みたいにどこにだってついていく。その人が冗談を言ったら、ぼくはきっと声をあげて笑うだろう。もしも誰かがその人を悲しませたら、ぼくは涙を流すだろう。(「BOOK」データベースより)
第一次世界大戦後に書かれた作品。ブックレビューでの紹介。ユーモアとペーソスを交え、都会で孤立する不器用な人物像に読者の共感。今で言うユルキャラみたい。
図書で4冊借りる。
「ぼくのともだち」エマニュエル・ボーウ
「古道具 中野商店」川上弘美
「ロビンフッドに鉛の玉を」ステュアート・カミンスキー
「ブログ 世界を変える個人メディア」(原題:We the media)ダン・ギルモア