オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

東京大学の旅(2) 外国人講師、日本人総長・学長・学部長の銅像群

2016年07月29日 | 東京
「東京大学の旅」第2回は、前回まわれなかった附属病院周辺、理学部、工学部、弥生キャンパスの農学部を歩きました。

鉄門から構内へ入るために春日通りを歩きました。春日通り沿いの歴史書出版の吉川弘文館、その右は医学書の文光堂です。

医学書出版大手の南山堂

鉄門前の文京区教育センター。このあたりは文京区の最東端ですが、立派な施設があります。


鉄門付近のスクラッチタイルの外塀


鉄門。東京医学校時代の正門です。医学校の当時の建物は小石川植物園内で総合研究博物館小石川分館として利用されています。

明治期の医学校建物配置図

ベルツの庭石。ベルツが住んでいた教師館の庭石です。

相良知安記念碑。明治初期に日本の医学をイギリス医学からドイツ医学へ転換することを提言、推進した医学者。

東京大学医学部附属病院外来診療棟。私は「外来」という言葉に違和感をもっています。外来種や外来生物はいいが、病院で外から受診にくる患者を「外来」とはいかがなものか。自己中心的な印象を受けます。中国の病院(正しくは醫院)では問診棟というようです。




病院管理研究棟

佐藤三吉像。スクリバの指導を受けた外科医師。1918年に医科大学学長に就任しました。

青山胤道像。ベルツの指導を受けた内科医師。16年間医科大学の学長を務めました。

理学部化学館

ダイヴァース像。イギリス人化学者。帝国大学理科大学化学科の教官として日本の化学の発展に貢献しました。


理学部1号館小柴ホール


小柴博士ノーベル賞受賞記念植樹

山川健次郎像。会津出身の物理学者。帝国大学総長を務めました。構内で一番小さいと思われる胸像です。

安田講堂の側面

安田講堂下の生協第二購買部

安田講堂近くのローソン。生協とのすみ分けはどうなっているのか興味があります。

サブウェイと松本楼

海底地震計

波動記録計


糸川英夫博士のペンシルロケット。普通の鉛筆よりも、多色ボールペンよりも太いです。

日本最初の人工衛星おおすみ

ウエスト像。アイルランド出身の工学者。工科大学で機械工学、造船学を教えました。

ジョサイア・コンドル像。イギリス人建築家。工部大学校教官をやめたあと日本で開業し、鹿鳴館、旧岩崎邸、ニコライ堂などを設計した。

古市公威像。フランス留学で土木工学を学び、帰国後は工科大学で教壇に立ち、工科大学初代学長となる。

最近できた西片門。地下鉄南北線・東大前駅ができ、工学部へのショートカットのため新設されました。


弥生キャンパスへの陸橋

言問通り。本郷キャンパスの弥生キャンパスの間を通り、東大内ではドーバー海峡と言われているそうです。


ヤンソン像。ドイツ人獣医学者。農科大学で獣医学を教えた。農学部は今は本郷にありますが、農学校および農科大学は駒場にあり、ヤンソンも駒場で過ごしたようです。この胸像は駒場から本郷へ移設されました。

動物医療センター。獣医学科の病院です。外来も可のようです。

上野英三郎博士とハチ公の像。上野博士は農科大学教授で専門は農業土木です。

朱舜水終焉の地の碑。明の遺臣、儒学者。江戸時代初期に長崎にきて柳川藩に亡命。のちに水戸光圀の招きで水戸藩に移り、水戸藩中屋敷(現在の弥生キャンパスの一部)で過ごし、水戸学へも影響を与えた。

弥生講堂

農学資料館


またも上野英三郎像

ハチ公のコーナー

ビタミンを発見した鈴木梅太郎のコーナー。鈴木の専攻は農芸科学です。

林学・造園学の本多静六。東京の日比谷公園、明治神宮、北海道・大沼公園、福島・鶴ヶ城公園、埼玉・羊山公園、福岡・大濠公園などの設計し「公園の父」といわれる。


農正門

農正門の前は中山道と岩槻街道の分岐点です。

岩槻街道

南北線東大前駅。東大の敷地内につくられました。この駅ができたとき、東大に近いと思って東大前で下車したら東大赤門へはかなり遠かった。駅の名前は不適切です。東大農学部前が正しいと思います。

またも生駒軒を発見

八百屋お七の墓がある円乗寺

八百屋於七地蔵尊


八百屋お七の墓










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