オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

東京大学の旅(1) 東大構内は古今の有名建築家による建築物の宝庫

2016年07月28日 | 東京
東京大学本郷キャンパスを探索しました。

春日通りの春日門




ダイワユビキタス学術研究館。2014年完成、設計は東大大学院工学系研究科・隈研吾教授

カフェ

不燃処理をした杉板

裏側は左官職人・挟土秀平による土壁ですが、撮影は困難でした。挟土は大河ドラマ「真田丸」のタイトル題字を担当しました。

龍岡門



広報センター。1926年完成、設計は岸田日出刀

本部棟。1979年完成、丹下健三設計

第二本部棟。1976年完成、こちらも丹下健三の設計

ドイツ人医師ミュルレルの胸像。普仏戦争で傷病兵の治療に従事した陸軍軍医。医学校の基礎をつくり、薬学校はミュルレルの提案で設立されました。プロイセン・スタイルのピッケル帽子がいかにもです。

下山順一郎の胸像。医学校製薬学科の第1期卒業生で、わが国最初の薬学博士です。

龍岡門近くのローソン。大学キャンパス内にもコンビニが出店です。



本部棟内では梶田隆章教授ノーベル賞受賞記念のパネルを展示中


旧前田侯爵邸懐徳園

懐徳門


前田侯爵邸西洋館の基礎部分のコンクリートと煉瓦。西洋館は空襲で焼失しました。和館は1951年に再建されました。

総合研究博物館

アインシュタインが乗ったというエレベーターの滑車。オーチス製です。

日本最南端の地、沖ノ鳥島のサンゴ礁

博物館入口



北海道の輓馬、アルパカ、ホルスタイン



伊藤国際学術研究センター。設計は東大名誉教授香山壽夫。


東大のシンボル、赤門。正式名は前田家上屋敷御守殿門。切妻造りの薬医門です。



唐破風屋根の番所


赤門の内側


コミュニケーションセンター。もとは人力車の車庫で、本郷構内最古の建物です。前部を改装して東大オフィシャルグッズの売店となっています。



福武ホール。ベネッセ創業者の福武総一朗氏からの寄付で建設されました。設計は安藤忠雄です。

史料編纂所

東京大学正門。なんと伊東忠太の設計です。



門衛所もいかにも伊東忠太です。

本郷キャンパスのメインストリートの銀杏並木



安田講堂。安田財閥からの寄付で1925年に完成、設計は内田祥三と岸田日出刀。内田は東大の多くの建物を設計した建築家です。内田の建築様式は内田ゴチックといわれました。



浜尾新像。文部大臣、東京帝国大学総長、内大臣、貴族院議員、東宮御学問所・東宮大夫副総裁、枢密院議長を務める。学者というより行政官、政治家です。本郷では一番大きな銅像だと思います。

山上会館。サンジョウと読みます。1986年完成、ル・コルビジェの弟子、前川國男の設計です。

三四郎池。正式名は育徳園心字池。前田家は「徳」の字がお好きです。


七徳堂。内田祥三設計の剣道場です。






御殿下記念館。1988年完成、芦原義信設計


育徳堂。弓道場です。

医2号館。内田祥三の設計。内田が設計した校舎はたくさんあって紹介しきれません。


総合図書館。東大の図書館は関東大震災によって倒壊し、ロックフェラー財団の復興援助により建設されました。内田祥三の設計。現在は外装の工事中です。

隈川宗雄の胸像。生化学のパイオニアで、駒込病院医長、医科大学教授、医科大学長を歴任しました。

医学部総合中央館・図書館


健康と医学の博物館

東大医学部の歴史を説明


文京区目白台にあった旧東大病院分院の医師とオリンパスの技術者との共同開発で世界初の胃カメラが誕生しました。開発物語は吉村昭の「光る壁画」に小説として書かれています。


加賀藩の支藩・大聖寺藩の屋敷跡の碑

水原秋桜子の句碑。「胸像をぬらす日本の花の雨」はベルツの胸像を詠んだ俳句です。秋桜子は俳人・医学博士。医科大学を卒業後は産科医として活躍しました。

ベルツ(左)とスクリバ(右)の胸像。ベルツはドイツ人内科医師、「ベルツの日記」で知られます。スクリバはドイツ人外科医師、大津事件で襲われたロシア皇太子(のちのニコライ2世)の治療にあたり、日清戦争後の下関条約で来日し襲われた李鴻章の治療にもあたりました。東大の任期終了後は聖路加国際病院で勤務しました。

東大構内を出ました。正門前の郁文堂。いい感じの建物です。

本郷通りから見た赤門

同じく伊藤国際学術研究センター


















最新の画像もっと見る

コメントを投稿