オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

東京・上野の旅 不忍池一周「ボーン・上田」記念碑を発見

2017年07月05日 | 東京

上野不忍池






大賀蓮は古代蓮の一種で、大賀一郎博士が千葉県の検見川の青泥層から発掘したハスの実を栽培したものです。

上野公園・野外ステージ。私は初めて入場しました。

ステージではセミプロ的な人たちの歌謡ショーが行われてました。
下町風俗資料館
西条八十の「歌を忘れたカナリヤは‥‥」の歌碑

駅伝記念碑。1917年(大正6年)に京都・東京間の駅伝競争が開催されました。
寛永寺弁天堂入口
弁天島へ渡る天龍橋
中根半僊碑。江戸時代の漢学者です。不忍池の碑
めがねの碑。徳川家康の政治顧問を務めた慈眼大師天海大僧正の「慈眼」にちなみ天海大僧正ゆかりの上野に設置されました。めがねは徳川家康が使用をしためがねを形どっています。
弁天堂
弁天堂の提灯
大黒天堂

芭蕉碑
ふぐ供養碑
長唄碑
八橋検校の碑。江戸時代の検校、三味線の名手・音楽家です。
扇塚
すっぽん塚
いと塚。三味線の糸の供養塚です。
魚塚
幕末の剣豪、櫛淵虚冲軒の碑
鳥塚
一蓮花碑
包丁塚
真友碑。1949年1月にUPI副社長マイルス・ボーンと元電通社長の上田碩三は東京湾で船が遭難、死亡しました。2人は国際ニュース通信のネットワークづくりに貢献したので、1950年に2人の功績を記念し「ボーン・上田記念国際記者賞」という表彰制度がスタートしました。過去の受賞者に日本の報道記者の錚々たる面々が名を連ねています。主な受賞者は、大森実、本多勝一、古森義久、磯村尚徳、近藤紘一、下村満子、柳田邦男、船橋洋一、木村太郎、黒田勝弘、春名幹男、加藤千洋など。すべて大手新聞社・通信社、放送会社の記者たちです。
電通という会社がなぜ国際ニュース通信に関わったのかというと、電通の前身は日本電報通信社で、戦前はニュース通信と広告代理業の2つを事業としていました。1936年にニュース部門は同盟通信として独立し、電通は広告専業となりました。
上田碩三の次の社長、吉田秀雄は広告事業を大きく発展させて今日の巨大電通の基礎をつくり上げました。吉田がつくった社則が「鬼十則」です。「取り組んだら放すな、殺されても放すな」。「死んでも放すな」でなく「殺されても放すな」です。私には到底ついて行けない。

この碑は判読不明です。


スカイツリーと不忍池



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