オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

奥州・古城の旅 南部藩発祥の地、南部氏26代信直の三戸城

2016年09月26日 | 青森・秋田・岩手


二戸から再びいわて銀河鉄道に乗り、三戸に到着

三戸駅


三戸駅前

三戸は盛岡南部藩発祥の地です。駅前は南部町で、三戸城は三戸町にあります。


駅前のバス停。ちょうどいい時間のバスがありました。私は運転席でマンガを読んでいた運転手に城山公園へ行くかと聞いたのに、運転手は声は出さず首を若干うなずいただけ。多少時間があるのでバス停近くで待っていたら、私を無視して乗客ゼロでバスはそのまま発車していきました。近年はやり過ぎではというくらい親切な運転手、車掌、駅員などがいるなかで、こんなふざけた運転手がいるんですね。後日私はバス営業所へ抗議の電話を入れました。


結局タクシーで城山公園下まできました。

門住稲荷神社

三戸城址碑


三戸城は九戸城で紹介した南部晴政、晴継、信直の居城です。





綱御門下には石垣が残っています。





綱御門は1989年に復元されました。

天地有情の碑

網御門の内側


武者溜跡


鳩御門跡

桜庭安房屋敷跡



目時筑前屋敷跡。途中いわて銀河鉄道に目時という駅がありました。

石亀七左衛門屋敷跡

東彦左衛門屋敷跡

糠部上水道通水記念碑


満蒙開拓団の慰霊碑

欅御門跡


糠部神社の鳥居


第42代横綱鏡里の石碑。私はぎりぎり現役の鏡里を記憶しています。1958年初場所で初代若乃花(当時大関)が初優勝し、翌春場所で横綱へ昇進。鏡里は吉葉山とともに1958年初場所限りで引退しました。この初場所は新旧交代の場所でした。鏡里は引退後、年寄立田川を襲名、時津風親方(元横綱双葉山)の死後は一時時津風部屋を継承するも、豊山(元大関)に親方を譲り、自らは立田川を開きました。立田川部屋は1990年ころ飯田橋のホテルエドモントの前に部屋があったのを記憶しています。
青森県は北海道と並び多くの横綱を輩出、相撲王国と言われ、青森県初の横綱が鏡里でした。その後、若乃花、栃ノ海、2代若乃花、隆の里、旭富士と続きます。

1967年に建築された模擬天守

三戸城の碑


追分石


子持石

模擬天守に連なる歴史民俗資料館は休館日でした。

三戸城絵図。両側を馬淵川と熊原川に挟まれ舌状の河岸段丘の上に築かれています。最上部に本丸、その途中の大手道に重臣の屋敷を配した連郭式山城です。なんとなく安土城に似ています。

樹齢400年のさいかちの木

南部政直屋敷跡。彦九郎政直は26代信直の孫で、盛岡南部藩2代藩主です。信直は居城を九戸城へと移しているので、孫の政直が三戸城に屋敷を持っていたのは不思議です。


糠部神社本殿

樹齢800年のスギ

太鼓櫓跡

本丸跡


本丸跡は広い駐車場になっています。

本丸跡の食堂・売店

三階櫓跡

本丸に隣接する谷丸の跡地

大御門跡

心字の庭石

明治期の三力士、関根川・佐上山・八幡山の碑。三戸は江戸時代から草相撲が盛んだったそうです。

上段御馬屋跡

鶴池

繭子の像

亀池


淡路丸跡

大清水

三戸町市街


門住亭


三戸の町並みです。

いい雰囲気の歯科医院です。


金物店

三戸中央病院

旅の2日目は八戸に泊まる予定。八戸へ向かいます。











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