オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

小石川の旅 東京高師跡地・占春園、簸川神社、白山通り

2021年06月24日 | 東京
文京区教育の森公園。昔の東京教育大学の跡地です。戦前は東京高等師範学校です。筑波大学と放送大学の校舎窪町東公園小石川台地から千川通りへの急傾斜台地の下占春園の入り口水戸藩の支藩、陸奥守山藩(現在の福島県郡山市)松平家の中屋敷跡です。初代藩主は水戸光圀の弟、頼元。イチョウ嘉納治五郎像東京高等師範学校の校長を務めました。嘉納治五郎と金栗四三の話はNHK大河ドラマ「いだてん」で取り上げられました。守山藩の経緯クスノキ千川通りのロシアレストラン染工場。千川沿いに今も藍染め工場が残っています。東京大学建築総合博物館小石川分館近くに共同印刷があるので、印刷関連の製本や断裁の工場が多いです。簸川神社。もとは氷川神社でしたが、大正期に同じ読み方の簸川神社に改名しました。千川改修記念碑。千川は豊島区の有楽町線千川駅近くの粟島神社から始まり西武池袋線椎名町駅近くで方向を変えて有楽町線要町駅、東上線下板橋駅、JR板橋駅、JR大塚駅を通って小石川植物園、後楽園へと流れていました。今はすべて暗渠になっています。跡見女学校共同印刷・大橋光吉。博文館の創業者、大橋左平の娘婿。精華堂を設立、のちに博文館印刷と合併し共同印刷を設立、社長となる。簸川神社境内五社神社狛犬拝殿神楽殿神社裏手の簸川坂けっこう急な坂道です。林町小学校昭和の空気があふれる小さな商店街木造建築のそば店、進開屋万年筆店民家大林組、熊谷組など明治以来の「組」の字がつく建設会社は今もけっこうありますが、東京組とは珍しい。東京さんが創業者? 宝塚の星組、月組のようです。徳川マンション江戸時代に林大学頭の屋敷地があったことから林町となりました。林大学頭とは幕末の儒学者、外交官の林復斎のことで、ペリーとの日米交渉にあたりました。千石緑地かつては一橋徳川家の所有でした。文京区に寄贈されて千石緑地となっています。白山通り。自転車レーンが設定されて、車は歩道から離れた地点に駐車しています。なにか不自然な感があります。紙の店。ペーパークラフトではなく、手漉き紙、羊皮紙など工芸品的な紙を扱うお店です。寂円寺京華学園。東洋大学の創設者、井上円了が創設した中学・高校です。浄土寺永代供養塔松平忠直の墓。徳川家康の次男・秀康の長男、忠直の墓です。2代将軍・秀忠から一字をもらって忠直と名乗りました。秀康は初代越前松平藩の藩主、忠直は2代藩主となるも藩政に混乱があり豊後国に配流、謹慎となりました。安部龍太郎が「忠直卿御座船」を書いていますが、確か私は未読です。浄土寺の向かいの本念寺大田南畝の墓。狂歌で有名な蜀山人です。

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