日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

大坂城の巻 秀吉が築き、徳川が再建、昭和初期に鉄筋で再再建

2016-01-06 14:52:31 | 近畿




大阪城京橋口の旧大阪砲兵工廠の化学分析場。明治から昭和20年の終戦まで大坂城周辺は巨大な軍需工業地帯でした。この建物は軍事遺産の一つです。


旧大阪砲兵工廠の正門、大阪城の筋鉄門




京橋口枡形の大阪城で2番目に大きな巨石・肥後石。加藤清正が肥後から運んできたと言われていたが、実際は備前岡山藩が運んだらしい。


京橋口の枡形





明の時代のこま犬。日中戦争の期間に中国から運ばれて、戦後、日中国交回復後に正式に日本に寄贈されました。




極楽橋を渡って天守閣へ向かいます。実は私は大阪城公園には2度ほど来ていますが、この橋を渡り天守閣へ上がるのは初めてです。







徳川期の天守は戊辰戦争の際に焼失し、1931年(昭和6年)に鉄筋コンクリート製・エレベーター付きで再建されました。天守の外観は豊臣の天守と徳川の天守の折衷案となったようです。


残念石。大坂城の石垣の多くは小豆島で切り出されました。切り出したが、実際には運ばれずに現地に残された石もたくさんあります。それら使用されなかった残念な石の一つが1981年(昭和56年)に小豆島から運ばれて大阪城内に展示されました。

「真田丸」便乗のポスター


幕末に製造され天保山砲台に据えられた大砲。明治になると時を告げる号砲に使用されました。「お昼のドン」です。

天守最上部

最上部の売店

天守展望台

あべのハルカス。手前は修道館

旧第4師団司令部。戦後は市立博物館として使用されました。




「三大夜城」、大阪城、高田城(新潟)、高知城です。



天守の1階はいろいろ賑やかです。


金明水井戸屋形

1月9日から6月5日まで大阪城の多門櫓、千貫櫓、煙硝蔵が特別公開されるそうです。

上田城とは友好城郭提携。意図に無理がある。


大坂城は秀吉が造った城ですが、大坂夏の陣で天守は焼失しました。徳川幕府は本丸一帯を盛り土し新たな天守台に天守を築きました。豊臣の時代の石垣が最近になって発見され、将来公開されるようです。


旧第4師団司令部



1970年の万国博の際に埋められたタイムカプセル

南側の桜門付近

大坂城最大の石・蛸石。高さ5.5m、横11.7m、推定重量は100t以上。

銀明水井戸

桜門

桜門の堀

豊國神社

「黄金の茶室」のレプリカを公開中でしたが、時間がなくてパスしました。

修道館


再び天守に戻りました。


大阪城は巨大な城です。2、3時間ではとても回り切れない。多門櫓、千貫櫓、煙硝蔵はぜひ見たい。本丸東の高石垣、西の丸、二の丸などじっくり見たいものです。