日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

白河小峰城の巻 東日本大震災で石垣が崩落し修復工事が進行中

2015-08-24 14:36:10 | 宮城・福島・山形

白河駅のホームから小峰城が見えます。西日本では駅から城が見えることはよくあります。東日本では少ないと思います。

白河駅。この駅は昨年30分ほど途中下車したことがありますが、探索するのは初めてです。


白河駅の駅舎は線路の南側、小峰城は線路の北側にあり、線路の南北を結ぶ地下通路「こみね ふれあい通り」



ふれあい通りの観光案内パネル

城山公園

青色の部分は現在も工事中で、立入禁止です。小峰城の石垣は東日本大震災で大きな被害を受けました。







石垣は基本的には水平を意識して積まれていますが、所々に半円状に積まれた部分があります。




桜之門の石垣


本丸跡

復元された前御門

三重櫓と前御門




三重櫓。戊辰戦争で焼失し、前御門とともに平成になって復元されました。三重櫓は天守といわないのだろうか。櫓の大きいのが天守なのですが、三重だとやはり天守とはいわないようです。弘前城の三重櫓も同様です。天守は城の象徴であるため、大きな天守を造るかどうかは藩の実力、財政との相談ですが、藩の序列、さらに幕府の目にどう映るかなどの諸事情であえて天守をつくらなかった藩もあるようです。




三重櫓入口

戊辰戦争時の弾痕。といってもこの櫓は戊辰戦争時のものではありません。櫓復元のために白河口の戦場付近の杉の木を切ってきたら、その木に当時の鉄砲玉の跡があったということです。




三重櫓の内部


市街地。白河口の方向です。


忠魂碑











二の丸の集古館。「寛政の改革」で知られる老中松平定信は白河藩の藩主でした。「白河の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」という狂歌が歴史の教科書に出ていました。


展示品のアームストロング砲。この砲はNHK大河ドラマ「八重の桜」で使用されたレプリカです。けっこうリアルに作られています。





会津門付近の堀


会津門



太鼓門跡
白河の支配は鎌倉・室町時代には結城家、秀吉の時代には蒲生家、上杉家、徳川の時代になって再び蒲生、その後丹羽、榊原、本多(忠勝の子孫)、松平、阿部と続きました。
戊辰戦争では旧幕府軍は宇都宮城、白河小峰城、二本松城での戦いに敗れて会津の籠城戦に至りました。白河口の戦いは駅の南側、奥州街道や谷津田川の辺りで激戦が繰り返されたようです。

高島城の巻 諏訪湖に浮かぶ「諏訪の浮き城」

2015-08-24 14:35:49 | 長野
猛暑の夏が続いていますが、私は夏の暑さに負けずに城攻めに専心しています。
高島城は諏訪湖畔にあった水城、浮き城で、諏訪の名門・諏訪氏の傍流・諏訪頼忠の子、諏訪頼水が初代城主です。諏訪氏の惣領家の諏訪頼重は武田信玄に攻められて滅亡しました。頼重の従兄弟・頼忠が御家再興を目指し、その子の頼水が関ヶ原の戦いの功績で悲願を達成し城主となったのが高島城です。

上諏訪駅


城下の縄手通り

諏訪湖へと注ぐ衣の渡川


もう一つ、中門川。衣の渡川も中門川も高島城の堀の役目を担っています。


高島城本丸の復元角櫓



高島城の復元天守


本丸と二の丸を結ぶ冠木橋と冠木門。高島城は本丸、二の丸、三の丸が梯型に連なった連郭式の配置です



冠木門。冠木門は左右2本の柱と梁だけの簡素な門の形式です。この門は櫓門ですね。当初は冠木門だたっために後々も冠木門と言われたようです。

ケヤキの巨木



覗石松

亀石。水をかけると亀型の紋様があらわれるそうです。

多門跡。多聞櫓だったのでしょうか。多聞櫓は防御のための長屋状の建物で囲んだ物です。建物内は武器庫、倉庫、つまり矢倉として使われました。

諏訪家の家紋、梶葉紋

小天守跡



天守入口

2007年NHK大河ドラマ「風林火山」のポスター。原作は井上靖、信玄役は市川亀治郎(現猿之助)、勘助は内野聖陽、由布姫は柴本幸。

こちらは1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」のポスター。原作は新田次郎、信玄は中井貴一、勘助は西田敏行、湖衣姫は南野陽子。二つのドラマでは、原作が異なるため諏訪頼重の娘、武田信玄の側室、武田勝頼の生母である諏訪御料人の名前が違っています。

明治初期に取り壊される前の高島城の写真

天守の内部階段

天守最上部

天守から見る内堀

諏訪湖

本丸の藤棚

本丸庭園

心字池。「心」という字の形の池です。


川渡門跡。ここから船に船に乗れたそうです。現在の門は三の丸御殿の裏門を移設したものです。



諏訪護国神社

西多門

諏訪出身の永田鉄山の像。相沢三郎に惨殺された陸軍省軍務局長です。文春新書から「永田鉄山 昭和陸軍・運命の男」という新刊が出ています。

本丸南東の富士見櫓

二の丸跡の諏訪市役所




東側の内堀


本丸東側の内堀の石垣


内側から見た角櫓

角櫓前のキハダ

心字池

埋門



本丸西側から見た天守


中門川

中門川沿いの遊歩道。所々に東屋があって、諏訪赤十字病院の医療スタッフらしき人が休憩していました。

諏訪湖に注ぐ中門川の河口



片倉館。富岡製糸場で知られる片倉工業の片倉財閥がつくった日帰り温泉施設。昭和3年(1928年)完成、設計は台湾総督府などを設計した森山松之助。入浴料650円。

片倉館会議棟

2代片倉兼太郎顕彰碑。片倉財閥は諏訪で製糸業としてスタートし、富岡製糸場を経営していましたが、戦後の集中排除法で解体されました。戦後存続会社となった片倉工業は繊維・アパレルの会社、婦人靴下「キャロン」のブランドで知られていました。一時自転車やオートバイも生産していたそうです。東京・京橋にレトロな本社ビルがありましたが、老朽化で解体されました。
さいたま新都心にあるコクーンシティは以前の片倉工業大宮製作所の工場跡地です。コクーンとは繭のことで、片倉工業の元となった事業を表わしています。片倉工業は現在では各地にショッピングセンターを経営し不動産業が主たる事業です。

隣接する諏訪市美術館。戦前は片倉財閥の私的博物館でしたが戦後諏訪市に寄贈されました。九段会館や愛知県庁、名古屋市役所と同様の帝冠様式です。前前都知事がいうところの「銭湯のような建築物」です。